36話 密約
ラグナはレイナードの真意を確かめるため探るように問いかける。
「……取引、とはどんな取引ですか……?」
『なに簡単さ。君に仕事を頼みたいんだ。そして私はその見返りに君の望む結末になるよう尽力する』
「……望む結末……?」
『では具体的に言おう――君に頼みたい仕事は一つ。王都に攻めてくる魔獣の数を減らすこと。それを行ってくれれば私がジュリアさんの謀反を隠蔽する手伝いをしよう。私の頼みは君の任務の延長線上にあるはずだし、君の能力を考えればそれほど難しくはないはずだ。それに唯一の悩みの種であるジュリアさんの問題も私の後ろ盾を得てうまく解決できる。どうかな、悪くない取引だろう?』
「…………」
確かにラグナにとっては良いことづくめの話だ。だが通話相手に対する不信感や腑に落ちない点があったのもまた事実。黙っているとレイナードが先に話しかけて来た。
『……わかるよラグナ君。今まで情報を隠してきたにもかかわらず突然こんな取引を持ちかけて来た私に対して不信感を持つのは当然だ。しかし聞いてほしい。こんなことを言うと言い訳になってしまうが、本来なら君とリリスがアルシェに到着したその夜に全ての情報を君に開示するつもりだったんだ。そのうえで君と取引を行うつもりだった。だが、その前に予期せぬ出来事が起きた。そう、第三者によるラクロアの月に関する情報提供だよ。正直どうしようかと迷ったが、どうせなら自分自身の眼で確かめた方がいいと思ってね。私から真実を伝えるのを先送りにさせてもらったんだよ。だが遅くとも今日にはすべてを明かすつもりだった』
(……第三者……シスターさんのことか……たぶんアルフレッド様か諜報員の人経由で聞いたんだろうな……っていうことは彼女はレイナード様にとっても予想外の人間だったってことか………)
修道女の姿を思い浮かべた後、すぐに通話相手に意識を集中させる。
「……あの、その話を聞くとまるで俺が最初からアルシェに向かうことを知っていて、その上で取引を持ちかけようとしたみたいに聞こえるのですが……俺がアルシェに向かう事が決まったのはレイナード様が現れる直前なのに、どうして……」
『ラクロアの月の幹部がアルシェとブルトンに向かったとアルフレッド殿に報告された時、すぐに君とブレイディア殿をそこへ派遣すると思ったよ。問題はどちらがどこへ向かうかだが、これはすぐに予測が立った。ブレイディア殿はかつて任務でブルトンに住んでいたことがあったからね。見知った町を選択するだろうと推測できたよ』
「ですが……それはあくまで推測ですよね? 俺がブルトンを選ぶ可能性だってあったのに……」
『確かにね。だから君がアルシェに確実に向かうようあの場でベルディアス伯爵家族の事を話し、妹をアルシェに向かわせることをアルフレッド殿に確約させた。君がジュリアさんやリリスと友人同士だということがわかっていたからね。友人の一人がすでに危険地帯にいるうえ、もう一人の友人までそこへ向かうとなれば君の性格上放置はできないだろう? 君のことも色々と調べさせてもらったからよく知っているよ』
「…………」
レイナードの話を聞き、持っていた携帯が微かに震えはじめる。
(……誘導されていたっていうのか……リリをあの場に連れて来たのも全部そのために……確かに……もしあの時俺がブルトンを選んだ状態でレイナード様の話を聞いていたらきっと行き先をアルシェへ変更してもらっていただろう……)
自分で決めたつもりが、全てはレイナードの計画の元に動かされていたという事実を知り背筋が寒くなった。
『……そろそろ取引について話してもいいかな?』
(……正直信用していい人なのかわからない……けど俺が一人悩んだところで解決策なんて出ないだろう……話だけでも聞いてみた方がいいのかもしれない……だけどその前に……)
まだ不信感こそ拭えなかったが状況が手詰まりであることに変わりはない。ゆえに話を聞いてみようと思った。だがその前に疑問に思ったことを口に出す。
「……取引を行うかどうか話し合う前に聞いておきたいんですが……なぜ魔獣の数を減らすのに俺の力が必要なんですか……? 王都の防衛機能――遠隔操作の戦車や爆撃機、ミサイルなどを使えばどれだけ数がいようと殲滅できるはずです。加えて俺は『ラクロアの月』の王都制圧作戦について詳細な情報を手に入れています。もちろん魔獣が通るルートも知っています。奴らは魔獣を――」
『地下洞窟を使って王都近郊まで運び王都を制圧する、だろう? 地上に囮用の魔獣を出現させてかく乱を狙うのも知っているよ。通るルートもおおよそ見当はついている』
「……そこまで知っているならいくらでも対策が立てられるじゃないですか。なぜ俺に……?」
『……パニックを避けるためにもここだけの話にしておいてほしいんだが……実は現在王都の防衛機能に深刻な障害が発生している』
「……え……?」
『まあ驚くのも無理は無い。一部の者を除いてこの事実は伏せられているからね。騎士団でも知っているのはアルフレッド殿くらいだろう。彼も他の騎士に伝えるなと上から厳命されているうえ、部下達に余計な心配をかけないようにという思いもあり話さなかったようだが、君には伝えておこう。……君も我が国が所有している機械的な兵器がほぼ全て無人になっていることは知っているだろう?』
「……ええ。人が乗ったり操作しなくても『メイガス』と呼ばれる人工知能が全て遠隔制御してくれるからですよね」
『そうだ。だがそのメイガスに不具合が生じているんだ。どうもディルムンドの反乱の最中か直後あたりに何者かによってウイルスに感染させられたらしくてね、プログラムが無茶苦茶に書き換えられているらしい。そのせいで現在メイガスの制御下にある全兵器の中で使用できるのはたったの四割程度』
「よ、四割……」
『心もとないだろう? 一か月前から技術者達が不眠不休に近い状態で働き全力をもって直そうとしているが何分高度な人工知能でね、未だに完全復旧できていないのが現状だ。王都に住む王侯貴族たちが騎士団本部から騎士の派遣を嫌がっていた本当の理由はねラグナ君、メイガスの不具合による防衛機能低下によって王都が制圧される事を恐れていたからなんだよ』
(そう……だったのか……ディルムンド様と先生の件があったとはいえ王都から騎士を派遣することを躊躇しすぎじゃないかと思っていたけど……それなら納得できる……王都の防衛機能が低下しているのなら頼りになるのは騎士だけだ……おそらくボルクス男爵や『ラクロアの月』――全員かわからないけど少なくともフェイクはこのことを知っていたんだろう……だからベルディアス伯爵を人質に取り唯一の障害となりうる騎士を分散させようとした……今回の王都制圧作戦……最初聞いた時は杜撰だと思ってたけどとんでもない……レインが言っていた『ラクロアの月』の第二プランであるこの作戦は第一プランである先生やディルムンド様のクーデターが失敗したとしてもすぐ次につなげられるよう綿密に練られている……)
王侯貴族が騎士派遣を渋っていた本当の理由や『ラクロアの月』の作戦の緻密さを知り色々と納得できたものの、別の疑問が新たに沸いた。
「あの……でも先生なら『メイガス』を修復できるんじゃないですか……?」
『そうだね、確かにハロルドならメイガスを修復できるかもしれない。だが王侯貴族たちは彼女をまだそこまで信用できていないんだ。なにせ彼女たちの反乱からまだ一月しか経っていない。信用しろという方が無理がある。それこそ修理すると言って修復不可能になるまでメイガスのプログラムを書き換えてしまう可能性だってあるからね。それに……まだ確定したわけではないが、時期的に見てもメイガスをウイルスに感染させた可能性が最も高い容疑者の一人なんだよ彼女は。なにせあの反乱の首謀者なのだから。そんな人間に王都の防衛機能の要を触らせるわけにはいかないよ』
「そう……ですか……」
ハロルドはもはやそんなことはしないだろうという確信がラグナの中にはあったが、それは彼女を信頼している自分だけの考えであると理解していたため押し黙る。
(……敵もそのことを織り込み済みで『メイガス』をウイルスに感染させたのかもしれないな。たとえ先生が犯人ではないとわかったとしてもクーデターの首謀者である先生を信用する事なんて出来ないはずだし……先生の力を借りられない以上『メイガス』の復旧には時間がかかる……だからその隙をついて……)
まんまと敵の術中にはまっているのではないかとラグナが考えているとレイナードが声をあげた。
『まあとにかく今の王都は魔獣の大群に攻め込まれると非常にマズい状況なんだ。仮に王都近郊に出る地下洞窟の入口にのみ戦力を集中した場合、他の場所からくる魔獣に対応できなくなる。かと言って今の戦力を分散してしまえば各地で集中砲火をしたところで殲滅には至らず王都まで魔獣が進行してしまう恐れがあるんだ。アルシェから王都までそれほど距離はないからね。……そこで君の出番というわけだ。聞くところによると君は黒い月光を用いてディルムンドが操るドラゴンを百体以上倒したらしいじゃないか。しかも竜種の王者と言われるあのレッドタイラントさえ肉塊にしたとか。だからどうか今回もその伝説の力を振るってもらえないだろうか?』
「…………」
レイナード言う通り『黒い月光』の力を使えばそれは可能だろう。しかし――。
「……なぜわざわざ俺と秘密裏に取引するんですか? 貴方は最初から全てを知っていた。ならありのまま全てをアルフレッド様や他の王侯貴族に伝えたうえで、命令として俺に従わせればいいじゃないですか。先生の件もあって俺は上からの命令には逆らえませんし、それになによりジュリアの事を他の王侯貴族やアルフレッド様に隠してまで俺に協力する理由がわかりません。なぜなんですか……?」
『それはね――愛する妹の大切な親友を救いたいと心の底から願っているからさ』
「…………」
通話相手が腹に一物抱えているということを知らない以前の自分ならば信じたかもしれないが今となっては全てが疑わしく聞こえる。ゆえに電話越しでもわかる明らかな嘘にラグナは思わず顔を引きつらせ黙り込んでしまう。それを察したのかレイナードは愉快そうな笑い声をあげた。
『アハハ、流石にこの嘘は無理があり過ぎるか。わかったよ、君には本当の事を話そう。理由としては二つある。でもそれについて話す前に聞いておきたいんだが、君は特務大臣について知っているかな?』
「……七大貴族の中から選ばれる役職ですよね。それに任命された者が王の政治顧問としてこの国の舵を取るとジュリアから聞きました」
『そうか、なら問題ないな。君に取引を持ちかけた理由は順を追って話すが、まず私の目的について話そう。私の目的はね――特務大臣になることなんだよラグナ君』
レイナードの目的を聞いたラグナは一層眉間にシワを寄せた。
「……なら、なおさらジュリアを庇う理由がわかりません。今回のジュリアの行動はベルディアス家を失墜させるのには十分すぎるネタだ。それを利用すればライバルを一つ潰すことが出来るんじゃないですか……?」
『確かにベルディアス家を追い込むネタにはなるね。だが逆に考えて見てほしい、その弱みを私だけが知っているとしたらどうかな?』
「……弱みを握って自分が『特務大臣』になる手助けをベルディアス家にさせる、そういうことですか……?」
『その通り。そしてそれが君に取引を持ちかけた最初の理由。自分の娘がラクロアの月に協力しクーデターに加わろうとしたなんてことをベルディアス伯爵は死んでも知られたくはないだろう。家名に傷がつくどころの騒ぎじゃ済まない。いかなる理由があろうと王家への反逆は許されないんだ――特に貴族はね。それはこの国を裏から支配している七大貴族と言えど例外じゃない。お飾りといえど王家というのは古くから続くこの国の看板だ、そこを揺るがしてしまえばこの国の根底はひっくり返ってしまうからね。だから七大貴族は王家を尊重する。ゆえに今回の件――その弱みを私だけのものに出来ればベルディアス家はもう私の思うがまま。どんな協力だって惜しまないだろう』
「……それで今回の件は秘密裏に処理したいってことですね……でもジュリアを説得できなければそれは不可能ですよ」
『もちろん説得の方法も考えてある。彼女が今回の王都制圧作戦においてどういう役割を担うのかということや居場所も把握している。君が二つ返事で引き受けると言ってくれればすぐにでも説明できるんだがね』
「……その前に取引を持ちかけた二番目の理由を教えてください」
『ああ、そうだったね。ではそれを先に話そう。二番目の理由――それは君だよラグナ君。苦しんでいるであろう君を助けたいと思ったからだ』
その答えを聞いてラグナは再び眉をひそめる。
「……あの……そういう冗談はもう――」
『いいや、これは冗談じゃないよ。まごうことなく本心だ。私はね、君と今後ともより良い関係を築きたいと思っているんだ』
「より良い関係……ですか……?」
『そうだ。さっき言ったが私は特務大臣を目指している。だがそこにたどり着くまでには障害も多い。その障害を取り去る手伝いを君には頼みたいんだ。ああ、もちろんキチンと見返りは用意するよ。まあつまるところ君には私の協力者になって欲しいわけさ。一蓮托生とまではいかなくともギブ&テイクの関係には最低でもなりたいと思っている。だから今回の取引は君へのサービスも兼ねているんだよ』
「…………」
『信じられないかな? だが本心だよこれは。まあいきなりこんなことを言われて戸惑うのもわかるよ。だが私が君に与えられる恩恵は大きいと思うよ。なにせ七大貴族のキングフロー家の後ろ盾を君は得ることができるんだから。それに私は独自の情報源を持っている。任務で困ったことがあったら力になれるかもしれない。君をサポートするには申し分ないと思うがね』
「……その見返りに……俺は『黒い月光』の力を貴方の為に使うってことですね……」
『黒い月光だけじゃないさ、君という人間の力を欲しているんだよ。私は君が気に入っているんだ。だからこうして腹を割って話している。……とはいえ確かに少々唐突過ぎたね。今回のジュリアさんの件とは別の話だし、返答を急ぐ気は無いよ。今は私の話を頭の片隅に置いてくれればそれでいいさ。だが少しは考えておいてくれ。なにせ――私が特務大臣になれれば君の大切な家族であるハロルドを牢獄から解き放つことが出来るかもしれないのだから』
「ッ……!」
その言葉を聞いたラグナは息を飲み、両目は大きく見開かれる。それを察したのか電話越しにレイナードの微かな笑い声が響いた。
『フフ……では私の話はこれで終わりだ。今度は君の番――返答を聞かせてくれるかな?』
「…………」
ラグナの頭の中で様々な考えがごちゃ混ぜになる。数十秒後、少年は絞り出すように言葉を発した。
「……少し、待っていただけませんか。考える時間が欲しくて」
『……そうだね。君にとって今日は色々と起こり過ぎたようだ。整理する時間も必要だろう。だが今日中に返答は聞かせてくれ。明日にはラクロアの月やボルクス男爵、そしてジュリアさんも動く。明日の予定については今日のうちには話しておきたい』
「わかりました……」
『整理がついたらこの番号にもう一度かけてくれ。その時に返答を聞こう』
「はい、失礼します……」
そう言ってラグナは静かに通話を切った。
(……取引か……どうするべきなんだろう……レイナード様の話に乗ればこの手詰まりな状況を変えられるかもしれない……でも……話してみてわかったけど、あの人は全幅の信頼を置けるっていうタイプの人じゃない……リリが以前言っていた言葉の意味がよくわかった。あの人は周りの人間を道具のように動かしている……下手に信用すると酷い目に遭うかも……それに……仮に取引に乗るとしても……おそらくアルフレッド様に虚偽の報告をすることに変わりはないだろう……今更気づいたけど……それは……俺を信用してくれているアルフレッド様に対する裏切りだ……だいたい取引に乗ったところで本当にジュリアを救うことができるんだろうか……ジュリアと王都の人々、両方を救おうとして両方とも失うような結果になれば……)
レイナードに対する不信感や自身が行おうとしている背任行為に対する罪悪感、友人であるジュリアへの想い、王都に住む人々の命に対する責任感などが混ざり合いラグナの脳内を混乱させた。そのまま数分間葛藤していると、突然携帯が再び鳴り始める。そしてディスプレイに表示された名前を見て目を丸くしてしまう。
「……ブレイディアさん――はい、ラグナです」
『あ、ラグナ君! よかった繋がってッ! 大丈夫だったッ!?』
「……ええ、大丈夫ですよ。今のところ大怪我はしてな――」
『あの淫乱になにかされなかったッ!?』
「い、淫乱……? ……あ、もしかしてシスターさんのことアルフレッド様に聞いたんですか?」
『そう! ついさっきなんだけどね! それで居ても立ってもいられずこうして連絡したんだよ! で、大丈夫だったッ!? エロい事されなかったッ!?』
「そ、そうですね。そこまでのことは……」
『そこまでってことはある程度はやられたってことッ!? ぐぅぅッ! アンチクショー! 私の可愛いラグナ君になんてことをッ! 絶対許さないぞあの淫乱乳デカピンクめぇぇぇ!』
ブレイディアは電話越しに発狂したような声をあげた。怒りの中にどこか親しみも籠っているようなその声を聞いたラグナは思わず表情を崩す。張りつめていたものが突然切れ、喉の奥から笑いがこみ上げてくるのを必死に抑える。
『……ん? ラグナ君、もしかして笑ってる?』
「す、すいません。なんかブレイディアさんの声を聞いたらホッとしたというか安心して」
『そ、そう? えへへ。だったら嬉しいな』
「はい。本当に……心配していただいてありがとうございました」
『いいっていいって。気にしないで。……それよりなんか声が疲れてる気がするんだけど大丈夫?』
「……ええ……実は……ちょっと悩み事がありまして。その……具体的には言えないんですが……少し聞いていただいてもいいですか?」
『うん、もちろん。話して話して』
「……目の前に二つの選択肢があるんです。一つは確実に大勢の命を救うことが出来る、けど確実に大切な人を犠牲にする道。もう一つは、両方を救うことが出来るかもしれないけど信頼してる人を裏切るうえ大勢の人を危険に晒して……さらに利用されるだけで結局大切な人を救うことができない可能性がある道……ブレイディアさんならどちらを選びますか……?」
『あのさ……それってもしかしてラグナ君が今置かれてる状況ってこと?』
「え、あ、いや、違うんです…………仮定の話というか……もし、そういう選択を迫られたらブレイディアさんならどうするのかなって……」
言っていて気付いたがかなり際どいところまで話してしまっている気がする。疲れているせいかどうもうまく伝えられない。今勘繰られたら確実にボロを出しそうだ。
「あ、あのとにかく俺が置かれている状況とかではなく……えっと、たとえ話なので……深く追求とかしないでもらえると助かります」
『……そっか、まあラグナ君がそう言うならそうするよ。で、私ならどうするって話だよね。……うーん……私ならたぶん後者を選ぶかな』
「……でも、その選択肢はメリットは大きいんですが……」
『利用されるかもしれないんだよね。しかも信頼してる人を裏切るし、うまくいかないかもしれない。だとしても私はそっちを選ぶよ確実にね』
「え……」
『私は出来るだけ自分自身が納得できる選択を常に選ぶことにしてる。ラグナ君がさっき言った最初の選択って、要は一人を犠牲に大勢を救うって現実的かつ堅実な道だよね。それでもう一つは全てを救えるけどリスクの多い不確かな道。この二つの選択はたぶんどちらを選んでも後悔するもの。結局は自分の意思一つで決まる。だから私は不確かでも自分が納得できる選択を選ぶよ。いつだってそうしてきた。君と初めて会ったあの時もそう。君は覚えてるかな――あの言葉』
「ッ……!」
その瞬間、ラグナの脳裏に蘇ったのはかつて自分自身にきっかけを与えた言葉。
――『やらないで後悔するなら、やって後悔したい』
(……そうだった……つい一か月前のことなのに……自分を変えてくれた言葉を忘れるなんて……いろいろなことが起り過ぎて、それで難しく考えすぎていたのかもしれない……そうだよ……俺は全てを何とかできるほど万能な超人じゃないんだ……だから一つに絞ろう、自分のやりたいこととやるべきことを……一番大切なことは自分が納得できるかどうかなんだから……その結果、誰かを裏切ったり傷つけるとしても……それは受け止めなきゃいけない……それが選択するということなんだ)
自分が出した答えを脳内で反芻しているとブレイディアが再び声をかけてきた。
『……答えは出たかな?』
「――はい、ありがとうございました。もう大丈夫です」
『ならよかった。じゃあそろそろ電話切ったほうがいいかな。君の〈答え〉の邪魔になりたくないしね』
「え、いや、本当にこれは、あの……」
『たとえ話なんだよね? わかってるわかってる』
「そ、そうですよね……本当にありがとうございました。それで……あの、ブレイディアさんの方は大丈夫ですか?」
『うん、今のところ平気だよ。でも明日からまた忙しくなりそう。だからもし私に何か連絡したかったら今日中にお願いね。今日だったらもうどんな相談でも乗るからさ』
「わかりました。もしかしたらまた何か相談するかもしれないのでその時はお願いします」
『オッケー、じゃあまたね』
「はい、失礼します」
通話を切ったラグナは遠く離れた恩人に頭を下げると、すぐに左手に意識を集中させる。すると左手の甲から強烈な疼きが感じられたためホッと息をつく。どうやら原因不明の使用不能状態から脱することができたらしい。なぜ使用不能になっていたか疑問は残るが、ひとまず安心する。
(……よかった……今なら使える。これで……準備は整った)
『黒い月光』が使用可能な状態であることを確かめた後、携帯から電話をかける。その表情は先ほどの穏やかなものとは打って変わって厳しいものになっていた。そして繋がると同時に美しい声音が耳に響く。
『……おや、ずいぶんと早い連絡だね。まだ十数分しか経っていないが……こうして連絡してくれたということは返事を聞かせてくれるという事かな?』
「……はい、その取引――お引き受けします」
『クク――そう言ってくれると思っていたよ。では私たちの戦いを始めようか』
この瞬間、レイナードとラグナの間に密約が交わされた。