3話 襲撃者
黒い三日月が空に出現してからおよそ五分。空を見上げるジュリアとリリスは未だに驚愕していたが、やがてその畏怖とも恐怖とも取れる視線はラグナに注がれる。
「……信じ、られませんわ……ラグナ……あなたはいったい……何者……なのです?」
「……おとぎ話……『銀月のヴァルファレス』……に出てくる『黒い月光』と『黒い月』……ラグナが呼び出した……ように見えた……」
「…………」
二人の少女の問いかけにラグナは即答できなかった。だがそれは答えたくないからではなく、どこから説明していいかわからなかったからだ。
「教えてくださいラグナ。今のは――」
沈黙が場を支配する中でジュリアは再度何かを言おうと口を開いた、だが――。
「おんやぁぁぁ〜? おっかしぃぃですねぇぇぇ〜」
妙に間延びした甲高い声がジュリアの言葉の前に響き、沈黙を破る。ラグナ達は声の主を探るべく辺りを見回した。すると足音と共に森のさらに奥から灰色のローブを着た男が現れる。顔を隠すように頭からフードを被ったその怪しげな人物が先ほどの声の主のようで、この場にやってくると同時に手を振り回しながら踊るように周りを歩き始める。
「まぁぁぁだ生き残りがいたんですかぁぁぁ〜? ドラゴンくんがぁぁぁ、受験生を半殺しにして回ってたはずなんですけどねぇぇぇ〜。ドラゴン君も見当たりませんしぃぃぃ〜、『ルナシステム』の誤作動ですかねぇぇぇ〜。それにぃぃぃ、あの『黒い月』はなんなんですかぁぁぁ〜? なんでかはわからないんですけどぉぉぉ〜、あれを見てるとぉぉぉ、腹が立ってくるんですよぉぉぉ〜」
演技過剰な舞台役者のように喋る長身で猫背の男の声にラグナは聞き覚えがあった。
(あのへばりつくような声とふざけた喋り方……まさか……いや、だけどアイツは十年前に死んだはずだ! こんなところにいるはず……)
目の前の男の声は十年前の惨劇を引きおこした男の声に非常によく似ていた。ドルドに殺されかけた時聞こえた幻聴とまったく同じもの。しかしラグナが話しかける前にジュリアが鬼気迫る顔でローブの男を睨み付けながら立ち上がった。
「……そこのあなた。今、なんとおっしゃったのかしら? ドラゴンが受験生を半殺しにして回っていると私には聞こえましたが」
「そうですよぉぉぉ〜。その予定だったんですけどぉぉぉ〜、一、二、三、三人も残っちゃってるじゃないですかぁぁぁ〜。それにぃぃぃ〜、やっぱりドラゴンくんもどっか行っちゃってるみたいしぃぃぃ〜、サボりかなぁぁぁ〜? 職務怠慢ですねぇぇぇ〜」
「……最強の魔獣と呼ばれるドラゴンをどうやって手なずけたのかはわかりませんが。つまり、あなたがドラゴンをこの森に解き放ち受験生たちを襲わせていた。そういうことですわね?」
「正確にはちょぉぉっと違いますがぁぁぁ〜、まぁ正解ということにしましょぉぉぉ〜」
「そうですか――それだけ聞ければ十分ですわ! リリ!」
ジュリアが『月光』纏い駆け出すと、それに合わせるようにいつの間にか立ち上がっていたリリスも青い光を帯びて跳ぶ。黄色と青色の閃光が走り、ローブの男目がけて両脇から挟み込むように衝突した。バルディッシュと双剣が男のわき腹を切り裂くように振るわれる。決まった――ラグナはそう思った。仮に男が『月詠』だったとしても『月光』を呼び出すには遅すぎたのだ。というよりも負傷していたにもかかわらず、それほどに二人の先制攻撃は速かった。おそらく一時的に痛みを忘れるほど激怒していたのだろう。だが二つの『月錬機』は対象を切り裂くことなく途中で止まる。
「おやおやぁぁぁ〜。血気盛んなお嬢さんたちですねぇぇぇ〜」
ローブの男が愉快そうに喋った時にラグナは気づく。その男はあろうことかジュリアとリリスの武器を手袋をはめた両手で受け止めていたのだ。
(あ、ありえない……確かに二人はドラゴンにやられて怪我をしていた……動きも鈍っていたのかもしれない……でも……それでも……『月光』を纏っているうえに『月錬機』まで装備した『月詠』の攻撃を『月光』も纏わずに素手で受け止めるなんて……こんなこと考えられない……)
ラグナが驚いたようにジュリアとリリスも同じことを思っていたのだろう。苦悶の表情の中に焦りと動揺が見え隠れしていた。少女たちはありえない現実を否定するように全力で武器を押していたが一ミリたりとも動かない。男は必死な二人を鼻で笑うと、握っていた双剣とバルディッシュに圧を加え、そのままへし折る。驚愕の事態に立て続けに襲われるも、二人の少女たちの目は死んではいなかった。
「『ウル・ロック』!」
「……『エル・ウォート』……」
武器が破壊される否やすぐに戦術を切り替え、後ろに跳ぶと同時に『月光術』を発動する。二人の手から放たれた巨石の槍と無数の氷の針は今度こそローブの男を貫くかに見えたが――攻撃が当たる直前に男の不気味な笑いが木霊する。
「キヒヒ」
二人の『月光術』がぶつかる寸前に男が手のひらが見えるように両腕を突き出す。攻撃を防ぐにしては無謀な行為に思えた。だが――驚いたことにジュリアたちが放った術はローブの男の手にはめられたグローブを突き破ると、そのまま全て跡形も無く手の中に吸収されてしまったのだ。だがそれだけでは終わらなかった。なんと穴の開いた手の平のグローブから、あろうことか二人の放った術がそのまま跳ね返って二人を襲ったのだ。ラグナはそれに気づいた瞬間に思わず叫んでいた。
「ジュリア! リリ! 危ない!」
叫んだ甲斐も無く跳ね返った術はジュリアとリリスに直撃し、二人の少女たちは地面に倒れた。ローブ姿の男はそのまま自らの懐をまさぐると三十枚以上の写真をとりだし、気絶した二人の顔をその写真と照らし合わせるように見始める。無防備すぎる男の姿を見たラグナはその隙に落ちていた太い木の棒を拾い上げるとかがみながら歩き出した。
「んんん〜……おおぉぉぉ、これはこれはぁぁぁ〜。ベルディアス家とキングフロー家の伯爵令嬢ではありませんかぁぁぁ〜。これは是非ともゲッツしていかねばなりませんねぇぇぇ〜。たぶんあの人が人形にするでしょうしぃぃぃ〜。と、もう一人いたんですっけぇぇぇ〜? お顔を拝見……ってあれぇぇぇ〜?」
間の抜けた声がした理由は明白。それは目的の人物を見失ったからであろう。ラグナはその時すでにローブの男の背後にまわっていたのだ。気づかれないように息を殺して木の棒を振りかぶるとフードを被った頭めがけて全力で振り下ろす。木がぶつかり勢いよく砕けるも――それは頭に衝突したからではなかった。
「なッ!?」
「みぃぃぃつけたぁぁぁ〜」
棒が当たる直前、写真を懐にしまったローブの男は後頭部を守るように右腕を上に掲げたのだ。その結果、木は腕にぶつかり砕け散った。そして男は気味の悪い笑みを口元に浮かべながら振り返るとラグナの胸倉を右手で掴み上げる。宙吊り状態で首を締め上げられたラグナは窒息しながらもなんとか言葉を絞り出した。
「お、まえは……なん、なんだ……」
「おっとぉぉぉ〜、これは失礼いたしましたぁぁぁ〜。自己紹介を忘れてしまうなんてとんだ無礼者ですねぇぇぇ〜」
ローブの男がフードを左手で取り去るとその顔が露わになる。スキンヘッドに傷だらけの顔、濁った灰色の瞳、その素顔を見たラグナの心臓は驚きのあまり大きく脈打つ。
「それでは自己紹介しましょうかぁぁぁ〜。ボクの名はぁぁぁ――」
「げ――ゲイ、ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!!!!!!」
「――そう、ゲイズって――あれれぇぇぇ〜? あなたはボクのことをご存じなのかなぁぁぁ〜?」
向けられる憎悪の視線にもいっさい動じずにゲイズは薄ら笑いを浮かべる。ラグナは怒りで顔を歪めながら自らの首を締め上げている異様に硬い腕を左手で握った。
「――お前、を、忘れたこと、なんて、なかった……! まさか生きていたなんて――お前が、お前のせいでッ……!!!!」
「……おやぁぁぁ〜?」
握られたゲイズの右手首はミシミシと音を立て締め上げられていき、やがて限界をむかえへし折られる。そして拘束の解けたラグナは左腕を振りかぶり――。
「お前さえいなければぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!!」
仇敵の顔めがけて渾身の左ストレートを打つ――しかしそれはゲイズの左腕に阻まれる。だがガードされたものの、その衝撃で数メートル以上体を吹き飛ばすことは出来た。ジュリアたちからある程度引き離すことには一応成功する。
一方、攻撃されたゲイズは痛がることも無く折れた右手を興味深そうに観察した後、にごりきった両目をラグナに移す。
「……驚きましたねぇぇぇ〜、まさか『月光』を使わず生身でボクの腕をへし折るなんてぇぇぇ〜。確かに『月詠』は常人よりも身体能力が高いですがぁぁぁ〜、その中でも君はズバ抜けてますねぇぇぇ〜。でぇぇぇすぅぅぅがぁぁぁ〜――」
ゲイズが右腕を上にあげた瞬間、赤い閃光が走り、灰色のローブを包むように光る。赤い月光を身に纏い臨戦態勢に入ったようだ。
「次はそうはいきませんよぉぉぉ〜。それに写真を見る限り最優先捕獲対象ってわけではないみたいですしぃぃぃ〜。ただの受験生なら別に生かしておく理由はないですねぇぇぇ〜! それになぜだかわからないんですがぁぁぁ、あなたの顔を見ているとぉぉぉ〜、イライラしてくるんですよぉぉぉ〜!」
ゲイズが狂ったように笑うと『月光』が折れた右手に吸収され始める。光を吸った腕はみるみるうちに大きくなるとローブと手袋を突き破り、巨大な五本の爪を持つ赤いカギ爪に変形した。
「折れた腕が……武器に……」
「すごいでしょぉぉぉ〜。切れ味もすごいんですよぉぉぉ〜。試してみてくださいよぉぉぉ〜、その体でねぇぇぇ〜!」
五本の爪をこすり合わせながら迫るゲイズにラグナは息を飲む。
(なんなんだあの腕は……それに、マズイ。もう体がうまく動かない……朝からの無茶のツケがここにきて出てきたみたいだ……さっきみたいな火事場の馬鹿力も、もう出せそうにない……みんなの仇が今こうして目の前にいるっていうのにッ……!)
朝からの連戦に加え、『黒い月光』を呼び出したことによってラグナの体力は限界を超えておりもはや戦うことなど不可能だった。目の前には凶悪な武器を装備した狂人、対して自分は体力も尽きかけているうえに丸腰。まさに絶望的な状況と言える中――。
「そこまでだ」
――澄んだ美しい男性の声が響く。それは試験開始前に聞いた声。艶のある長めの黒髪を前で分けたその男性は穏やかな笑みを浮かべながらゲイズの進行を言葉で阻んだ。
「ディ、ディルムンド様ッ!」
ディルムンドが突如現れ、絶体絶命の危機を救った。そしてそのまま対峙していた二人の間に割り込むと、ラグナの方にやってきた。
「大丈夫かいラグナ君」
「は、はい。俺は大丈夫です。俺の事より奴を……理由はわからないんですが、奴がドラゴンをこの森に放って受験生たちを……」
「詳しい話は後だ。今は私に任せてくれ」
優しい笑顔のまま返答したディルムンドはゲイズの方に向かって歩き出した。最強の助っ人の登場にラグナの気は緩み、その場に崩れ落ちるように座り込んでしまう。
(……ゲイズをこの手で倒せないのは悔しい……でもこのまま戦っても負けは確実、俺が殺されればジュリアとリリがどうなるかわからない。俺の個人的な感情よりも彼女たちの命の方が重要だ…………でもディルムンド様はどうしてここに来られたんだろう? 無線では誰にも連絡がつかなかったのに……応答できなかっただけでこっちの連絡は伝わってたのか? それでディルムンド様直々に森に来てくれたってことなのかな? ……だけど、それにしてもタイミングが良すぎるような……)
奇妙な違和感を覚えたラグナは眉根を寄せた。
(これいじゃあまるで――いや、変に勘繰るのはやめよう、ディルムンド様に失礼だ。助けに来てくれた、それだけで十分じゃないか)
見計らったように現れた騎士への疑念は感謝と尊敬の念に打ち消され、ラグナは向かい合う二人を黙って見守った。ゆっくりと近づくディルムンドにゲイズは首をかしげながら何かを話しかけようと口を開くも、次の瞬間――。
「くッ、ぐぅぅぅ〜!?」
――瞬く間に紫色の『月光』を纏ったディルムンドは腰に付けた『月錬機』を手に取り、紫の太刀へと変形させるとゲイズに向かって斬りかかる。その斬撃はカギ爪によって防がれてしまったものの、数秒のつばぜり合いの後――。
「ぐはぁぁぁ〜!!??」
隙をつかれたのかはわからないが、凄まじい速度で胴体を蹴られた狂人は木に叩き付けられ意識を喪失したように倒れた。赤い『月光』もその体から消え去る。勝負はものの数秒で終わりラグナは呆気に取られる。
(あのゲイズをこんなにあっさり……流石はこの国が誇る『三騎士』の一人――『竜騎士』ディルムンド様。これが『英雄騎士』の称号を持つ騎士の力なんだな……圧倒的だ)
少々呆気なさすぎる気がしたものの、それほど力の差があったのかと思い直し安堵のため息をついた。ディルムンドは纏っていた『月光』を消すと変形した『月錬機』を地面に突き刺す。その後倒れたゲイズを一瞥すること無くラグナのもとにやってきた。
ディルムンドはそのまま手をラグナに差し出す。その手を取りなんとか立ち上がるもやはり多少ふらつく。
「ラグナ君、怪我は無いかい?」
「は、はい……俺はなんとか……でもジュリアやリリ、一部の受験生が負傷しています。他の受験生もどうなったのかわからなくて。とにかく早く彼女たちを病院に……」
「救援ならもう要請してある、安心しなさい。あと数分もすれば医療班が駆けつけるだろう。それまでの辛抱だ」
「は、はい。よかったぁ」
心底安心したラグナは硬かった表情を崩すも、どうしてこんなことになってしまったのかをディルムンドに聞くべく顔を引き締め直した。
「あ、あのディルムンド様、聞きたいことがあるんですが……」
「どうしてこんな事態になったのか、ということだね? 残念だがそれは私にもわからないんだ。森の中央に設置されていた試験官用のテントが何者かに襲撃されたという連絡が本部に入ってね。もはや試験どころではないと判断し、医療班に救援を要請した後、本部にいた私を含む十数名の騎士たちで森にやってきたんだ。森に入った我々は手分けして受験生たちの保護に努めた、そしてその結果、今しがた君たちを見つけたということなんだ」
「そう、だったんですか……」
「被害者である君に事態の全貌を伝えられず、申し訳ないと思っている。だが奴に聞けば全てわかるだろう」
ゲイズに顎をやったディルムンドを見て、頷いたラグナは両手を膝に置くと肩で息をし始めた。もはや立っている事すら辛かったのだ。
「ずいぶん辛そうだねラグナ君。怪我はしてはいないようだが、体力はすでに限界のようだ。もしよければなんだが、これを使って欲しい」
ディルムンドは懐から注射器のようなものを取り出すとラグナに見せた。
「ディルムンド様、それは……?」
「最近開発された『月詠』専用の新薬だ。これは『月光』を呼び出した後の疲労を回復させ、肉体の活性を強める効能がある。軽い傷なら打ってからものの数秒で治るだろう」
「すごいですね! でもそれなら俺なんかより他のみんなにあげてください」
「あいにく全員分はなくてね。これ一本しかないんだ。だが心配しないでくれ、医療班も同じものを人数分持ってくるだろう。だからまず君から」
「そう、なんですか……わかりました、ありがたく頂戴します。でも注射型の薬ってどう打ったらいいのかちょっとわからなくて……」
「ならば私が手助けしよう。右腕を出してくれ」
「はい、わかりました」
ラグナは言われた通りに腕を突き出そうとしたが、不意にジュリア、リリスの言葉を思い出す。それらは皆ディルムンドへの不信感を表したものだった。だからなのか、突き出した腕が途中で止まる。
「……どうかしたのかい?」
「え、あ、いえ、なんでもないです! すみません……お願いします」
心配そうなディルムンドの顔を見てジュリアたちの言葉を忘れようとした。人の好意を疑うような真似はしたくなかったのだ。まして相手は自身を窮地から救ってくれた恩人。感謝することはあっても疑うなどあってはならない。ラグナが腕を差し出し、注射器が打たれようとしたその時だった――。
「ちょぉぉぉぉぉぉぉっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
――上空から木の枝や葉が擦れるような音と共に大声が響き注射を阻止したのだ。それから間もなくだった、声の主と思われる人物が落下してきたのである。そして突然の乱入者は着地と同時に注射器を持ったディルムンドの腕目掛けて持っていた大剣を勢いよく振り下ろした。落下の衝撃で威力の増した大剣は注射器を持った腕ごと地面を豪快に破壊したかに見えた。
「ディルムンド様ッ!?」
腕を切り落とされたのではないかと思い悲鳴をあげたラグナだったが、それは杞憂に終わる。予測していたかのようにディルムンドは軽やかに後ろに飛び退き攻撃をかわしていたのだ、当然その体は無傷である。ひとまず安心した後、すぐに目線を別の場所に移す。
自身とディルムンドの間に割り込むように入ってきたその人物は緑色の光を纏いながら金色の長い髪を揺らして堂々とたたずむ。小さな右腕に巻き付けられた特徴的な包帯は見覚えのあるもので、目の前の少女の姿をはっきりと認識した瞬間に驚きのあまりその乱入者の名を呼んでいた。
「ぶ、ブレイディアさんッ!?」
ブレイディア、それが乱入者だったのだ。ラグナをかばうようにディルムンドと対峙する姿を見てドルドから守ってもらった時と状況が似ていると若干思いながらもすぐにその考えを振り払う。それよりも、今は小さな騎士に聞かねばならないことがあったのだ。
「ブレイディアさん、危ないですよ! どうしてこんなことをッ!? 下手したらディルムンド様の腕が落ちてましたよッ!?」
「ラグナ君。私はね、切り落とすつもりでやったんだよ」
「なッ……ッ!?」
ディルムンドから目を離さずに答えたブレイディアにラグナは今度こそ絶句する。
「流石に声出したら失敗するか、奇襲の意味ないもんね……でも声出さなければラグナ君が薬打たれちゃってたし仕方ない。変な薬の投与を防げただけでも成功かな」
「変な薬って……ブレイディアさん、貴方は何を言って――」
「あのねラグナ君、『月詠』専用の新薬なんて、そんな都合のいいものは開発されてないんだよ」
「え……」
遮るように発せられたブレイディアの声にラグナは言葉を失う。
「『月光』を呼び出した時の疲労は『光酔い』って呼ばれてるんだけど、それは時間の経過でしか治せないの。今の科学技術をもってしてもね。まして肉体を活性化させて傷をすぐに癒す薬なんてものは夢のまた夢」
「そ、そんな……じゃ、じゃあ、あの薬は……」
「なんだろうね、それは私にもわからない。でも聞いてみればわかるんじゃないかな。ねえ、ディルムンド?」
ブレイディアの鋭い眼差しと言葉を受けたディルムンドはいつもと変わらない笑顔で口を開く。ラグナはその優し気な笑顔を見て納得のいく弁解を期待したが――。
「なに、ただの麻酔薬さ。少し眠ってもらおうと思ってね。しかし――ブレイディア、さすがにしぶといな。まだ生きていたとは」
――放たれた言葉は期待したものとは大きく違っていた。
「ディ、ディルムンド……様……?」
もう一度縋るような声で名を呼んだラグナだったが、ディルムンドからそれ以上の言葉が話されることは無かった。代わりに二人の騎士たちによる言葉の応酬が続く。
「やはり重要なことは人任せにはできないか。私の手で直接殺しておくべきだったな」
「そうだね、今度からはそうしたほうがいいかもね。中途半端な奴らを追手に出すと返り討ちに遭うよ? あ、私をしつこく追いかけてた君の部下のドルドたちね、私が半殺しにしておいたから。……聞いてる? そこで狸寝入りしてる君に言ってるんだよ? ゲイズ」
ブレイディアの冷たい視線はディルムンドではなくそのさらに奥、気絶していると思われていたゲイズに向いていた。
「えッ! た、狸寝入りッ!?」
まさかと思いラグナは倒れている狂人の方に注目した、するとゲイズの手足がピクピクと痙攣を始め、やがて激しく暴れ回るように手足をばたつかせると――。
「……ッぷ、きゃははははははぁぁぁ〜! なぁぁぁんだぁぁぁ、バレてたんですかぁぁぁ〜。だったらもっと早く言ってくださいよぉぉぉ〜。いつまで寝てなきゃいけないのかわからなくてぇぇぇ、退屈で死にそうでしたよぉぉぉ〜。それにしてもドルド君はやられてしまったんですかぁぁぁ〜。まぁぁぁったくぅぅぅ〜、ダメな子ですねぇぇぇ〜。あとでお尻ぺんぺんの刑ですねぇぇぇ〜」
――元気よく起き上がり饒舌に話し始めた。そのマシンガントークからはいっさいの不調が見受けられず、ディルムンドの攻撃がまったく効いていなかったようにさえ見える。
「どうして……ディルムンド様の攻撃を受けて昏倒したはずなのに……」
「多分さっきのつばぜり合いの時にディルムンドに小声で指示されたんだと思うよ。やられたフリをしろとでも言われたんだろうね」
「イカにもイカにもその通りぃぃぃ〜!」
ゲイズの頭のおかしいノリに心底ウザそうな顔をしたラグナとブレイディアは視線をディルムンドに戻した。
「で、でもなんでディルムンド様がゲイズにそんな指示を出せるんですかッ!? それじゃあまるであの二人が……いや、そんなはず……」
ラグナは必死に嫌な考えを打ち消そうとした。この国最高の騎士言われる人物と最低の犯罪者、その二人の関係性が想像通りならばあってはならない最悪の事態と言える。だからこそ否定しようとした、だが現実は容赦なく少年に突きつけられる。
ディルムンドがゲイズの方に向かって歩き出したのだ、そして到着すると――。
「ご苦労だったね、ゲイズ」
――あろうことか労いの言葉をかけたのだ。その瞬間ラグナの頭は真っ白になった。
「いやぁぁぁ〜、大変でしたよぉぉぉ〜。あなたが突然斬りかかって来た時はビックリ仰天しちゃいましたよぉぉぉ〜。あとぉぉぉ、やられたフリもそうですけどぉぉぉ〜、受験生全員を半殺しにするなんてぇぇぇ〜。操られているとはいえドラゴンくんがちゃぁぁぁんと言うことをきくか心配でしたもぉぉぉん。ボクに襲いかかってくるんじゃあないかとヒヤヒヤしてしまいましたよぉぉぉ〜」
「だが問題なく命令は遂行されただろう?」
「ええ、確かにぃぃぃ〜。ですがぁぁぁ〜、ちょぉぉぉっと目を離した隙にドラゴンくんがいなくなってしまってぇぇぇ〜、困ってしまいましたよぉぉぉ〜。職務放棄ですかねぇぇぇ〜? どこに行ってしまったのですかねぇぇぇ〜」
「職務放棄は君の方だろう。ドラゴンから目を離すなと言ったはずだ」
「ドラゴンくんのお仕事をお手伝いしようと思ったんですよぉぉぉ〜。ただ突っ立ってるのも暇でしたしねぇぇぇ~」
「君の仕事はシステムの最終調整が完了しているかを確認する事であって受験生を襲うことではないよ、ゲイズ」
まるで仲間同士のように気安く会話する二人をラグナは呆然と見守るしか出来なかった。ディルムンドの視線が自身に再び向くまでは。
「それから――ドラゴンの行方なら私が知っている」
「なぜですかぁぁぁ〜?」
「こちらの様子が少し気になってね、森に入ったんだよ。そしてそこで驚くべきものを見た。最強と言われ、強力な戦略兵器を用いなければ到底倒せないと言われるドラゴンをたった一人で打ち倒した勇者の姿だ」
ディルムンドは真っ直ぐにラグナを見つめる。その瞳の奥からは底知れない闇を感じ取ることが出来た。森に入る前に見た優しく高潔な騎士とはもはや別人に思えるほどに、その眼は暗く淀んでいたのだ。
「……ええぇぇぇ〜ッ!? 彼が倒したのですかぁぁぁ〜!? ドラゴンくんを〜!? マジですかぁぁぁ〜、嘘ぉぉぉ〜!?」
「嘘ではない。とはいえ私も相当混乱したがね。まさかおとぎ話の力を現実で目の当たりにするとは思わなかった。ラグナ君が試験前に私にした質問、最初は意味がわからなかったが――」
ディルムンドは空に浮かぶ黒い三日月を見上げた後、再びラグナに視線を移す。
「――今なら理解できる。君が『黒い月光』の使い手と知った今ならね。殺さず生け捕り――という命令を受験生相手にドラゴンがどこまで実行できるかデータを得るためのテストだったのだが、予想外のモノを見せてもらったよ、ラグナ君」
「ディルムンド……様……どういう……ことなんですか? なぜ……ゲイズと……受験生たちを危険な目に遭わせたそいつと……そんなに親し気に、それに今の話はどういう……」
「今回ドラゴンを受験生にけしかけたのは私なんだよ。そしてゲイズは私の協力者だ」
「な……」
いつもと変わらない優し気な笑みでディルムンドはそう言った。ラグナの予想した最悪の想像が確定した瞬間だった。
「な、なんであなたがそんなことをッ!? この国でも指折りの騎士であるあなたが、どうしてそんな奴と手を結んで……ドラゴンを受験生にけしかけるなんて……い、意味がわからない……! どういうことなんですかッ!? なんのためにそんなことを……!」
ラグナは理解が追いつかない中で必死に考え、支離滅裂な言葉を吠えるように叫ぶ。
「本当に何も知らないというのなら君の疑問と混乱は最もだ。だがあいにく全て説明をしている暇がなくてね。それに驚いているのはこちらも同じなんだよ。まさか君がブレイディアと顔見知りだったとは。だが様子を見るに仲間というような間柄ではなさそうだ。もし仲間だとしたら私の言葉を信じて薬を打たれるような真似はしないだろうからね。なにより驚いて私に説明を求めるようなこともしないはずだ。どういう関係なのかぜひとも教えていただきたいよ」
質問に対して言葉に詰まる。ラグナはあまり嘘が得意では無かった。しかも今はかなり動揺している。下手なことは言えない。それにそもそもディルムンドとブレイディア、そしてゲイズという三人の関係性を正確に把握していない現在の状況ではどこまで話していいのかまったくわからなかったのだ。
「どうしたのかな? 何か答えられないわけでも?」
「お、俺とブレイディアさんは――」
「私とラグナ君とは今日偶然この街で出会った。ただそれだけだよ」
「ほぉ、偶然か。それは恐ろしいものだ」
二人の騎士の視線がぶつかり合い、火花が散っているかのような錯覚を覚えるほどの殺気が周囲に迸る。しかし数秒ほどで殺気の衝突は止んだ。最初に矛を収めたのはディルムンド、そしてブレイディアもそれに続く。
「ふ、まあいい。だが――やれやれこれでは仕切り直しだな」
ディルムンドはため息をつくと指を鳴らした。その瞬間、森の奥から巨大な塊が上空へ跳びあがり、こちらへと勢いよく落下した。落ちて来た赤い塊は唸り声をあげながらラグナとブレイディアをその金色の瞳で睨みつける。ラグナはその生物に見覚えがあった。先ほどの恐怖が思い出され、ゆえに声を震わせてその名を呼ぶ。
「ま、また、ドラゴンッ……!? 二匹目ッ……!?」
巨大な赤い竜の咆哮が森中に響き渡る。その瞬間、ブレイディアは守るようにラグナの前でしっかりと腰を落として剣を構えた。この流れならば竜と再び戦うことになるのでは、と冷や汗をかいたが、ディルムンドは意外な言葉を口にする。
「撤退だ。一度引くよゲイズ」
「ええぇぇぇ〜? 撤退しちゃうんですかぁぁぁ〜? そのドラゴンくん二号を使えばこの場で全部終わりに出来るんじゃないですかねぇぇぇ〜?」
「知っていると思うが私は慎重な男なんだよゲイズ。確かにブレイディア一人ならばどれほど回復していようとドラゴン一匹で片が付いたと思うが――今は最大の不安要素がある」
ディルムンドの目は真っ直ぐにラグナの方へと向いていた。
「……ああぁぁぁ〜、そういえば彼はドラゴンくん一号を倒してるんでしたっけぇぇぇ〜? ですがぁぁぁ〜、それ本当なんですかぁぁぁ〜? 未だに信じられないのですけどぉぉぉ〜」
「映像に記録してある。あとで自分の眼で確認するといい」
「ほへぇぇぇ〜。でもでもぉぉぉ〜、仮に彼がすごい力を持ってるとしてもぉぉぉ〜、すでに疲れ果ててるじゃないですかぁぁぁ〜。実際ボクと戦った時は大したこと無かったですしぃぃぃ〜、今ならサクッとやっちゃえるんじゃないですかぁぁぁ〜?」
「そうだな。疲労困憊の彼はもう『黒い月光』の力を使えないのかもしれない。だが人間追い詰められた時が一番怖いものだ。極限状態に陥ったラグナ君が何かの拍子でまた『黒い月光』の力を開放するかもしれない。つまるところドラゴン一匹では心もとないわけだ。万全の状態で挑まなければ負ける、そう思わせるほどに凄まじい力だったよあれは」
ディルムンドは冷静に喋りながらブレイディアの方に視線を移した。
「加えて傷の治りかけたブレイディアもいる。ドラゴンがラグナ君に殺されてしまえば、竜の後ろ盾無しで彼女と戦わねばならない。そうなれば我々とてただでは済まないだろう――というわけだブレイディア。この場は引くことにする。だが忘れるな、計画はすでに最終段階に移った。次に会いまみえる時――それが君の最後だ。しかしドラゴンのコントロールはやはり難しいな。魔獣を襲わせるつもりはなかったが、勝手に殺して回るとは。本能というやつか。受験生に対する攻撃もいささかやり過ぎた。システムの微調整が必要だな――ゲイズ。最後の仕事を頼む」
ディルムンドはそう言うと地面に刺さった太刀を引き抜き、すぐに『月光』を纏い直すとドラゴンの背中に跳び乗った。
「はーい、最後の仕事ですねぇぇぇ〜、了解しましたぁぁぁ〜」
元気よく頷いたゲイズも同じように『月光』を纏うとジュリアとリリスを担いでそれに続く。
「ジュリア! リリ!」
ジュリアとリリスのもとに駆け出そうとしたラグナをブレイディアが手を引く形で止める。なぜ止めるのかと口を開きかけたが、その悔しそうな顔を見て言うのを止めた。無言ではあったが、今の状態では万に一つも勝ち目はないとその表情は物語っていたのだ。そうこうしているうちに竜は空高く飛び上がる。
「彼女たちは必要な人材なのでね、悪いが身柄を預からせてもらう。ああ、それと、ここにいた受験生たちも全員一足先に連れて行かせてもらったよ。無論怪我人もね。丁寧に隠していたみたいだが、彼らの治療は我々で行うから安心してくれ。何せ彼らには変革の為の戦士になってもらわなくてはならないからね――ラグナ君、次に会う時は君のことも手に入れる、必ずね」
ディルムンドが言い放つとドラゴンは天高く舞い上がり次第に見えなくなった。その後森の中に完全に姿を消し、とうとう二人だけになった。ラグナはその途端座り込む。
「ジュリア……リリ……結局守れなかった……」
「……大丈夫だよ、ラグナ君。わざわざさらっていった以上彼女たちを殺すようなことはしないはず。まだ救い出すチャンスはあるよ」
「……ブレイディアさん――教えてください! なにがどうなってるんですか!? どうして同じ騎士同士のディルムンド様とあなたが争っているんですか!? なんでディルムンド様がゲイズなんかと手を組んでドラゴンを受験生にけしかけるような真似をしたんですか!? 今朝襲って来たドルドたちもディルムンド様の仲間なんですか!? ディルムンド様たちはいったい何がしたいんですか!? この街で、いや、この国でいったい何が起こってるんですかッ!? 説明してください!」
「おち、落ち着いてラグナ君、いったん、落ち着いて話を――」
立ち上がったと同時にブレイディアの肩を掴んで揺らしながら矢継ぎ早に質問を浴びせ始めたラグナは今までの混乱を全て吐きだすように続ける。
「なんで、なんでこんなことに! わけがわからな――って冷たッ!?」
頬に冷たいものが当てられたことによって一気に冷静になったラグナは、自分の頭を冷やしてくれたものに目を向けた。頬に当てられていたのは水の入ったペットボトルで、どうやらブレイディアが腰に付けていたポシェットから取り出したものらしい。
「まずはこれでも飲んで。いろいろあって喉乾いてるでしょ? ね?」
「…………」
ペットボトルを受け取ったラグナはキャップを開けると、中の水を一気に口の中へと流し込んだ。ブレイディアの言った通りかなり喉が渇いていたらしく、ゴクゴクと喉を鳴らしてあっという間に飲み干してしまう。冷えたミネラルウォーターは喉を潤すと同時に気分を落ち着かせてくれたようで、幾分か先ほどよりもマシになった。
「ちょっとは落ち着いた?」
「……はい……取り乱してすみませんでした」
「いいよ、気にしないで。君が混乱するのも当然だもん。けど安心して、ちゃんと全部説明するからさ。でもその代わりに私にも教えてほしい――君の左手に刻まれた『黒い月痕』や『黒い月光』――そしてあの『黒い月』についてね」
「……見ていたんですか……」
「……うん。実は君がドラゴンに向かって行こうとした時、偶然そばにいたんだ。それで助けに入ろうとした瞬間に君が『黒い月光』を呼び出した。で、ドラゴンが死んだ後、今度こそ君に会いに行こうとしたんだけど……その後すぐにゲイズやらディルムンドが現れて中々出ていくことが出来なかったの。結局出て行くのが最後になっちゃった。ごめんね」
「そうだったんですか……わかりました。俺も全部お話します。だから教えてください。この街でいったい何が起こっているのか」
「了解。あ、あとあんまり落ち込んじゃダメだよ? さっきも言ったけど君の友達が殺されるようなことはない。助ける機会は必ず訪れる、でも君が気落ちしてたらそのチャンスを逃しちゃうかもしれない。だから前を向いて頑張ろうよ、ね?」
「はい……前向きに……努力します」
「よし、じゃあここで立ち話もなんだから私が今使ってるアジトに行こう。そこなら仲間もいるし多少は安全だからさ」
「アジト……ですか……?」
「うん。そこで全て話すよ。どうしてこんなことになってるのかをね」
「……わかりました」
「よし、それでは行きますか!」
納得は出来なかったが、ラグナはいつの間にか空から消えていた『黒い月』やジュリアたちのことを考えながら頷く。するとブレイディアは先を歩き出した。置いていたリュックを背負い直したラグナもすぐにその後を追う。全ての真相を知るために。