34話 それぞれの事情
ラグナは目の前の少女を呆然と見つめることしか出来なかった。だがジュリアは覚悟を決めたようにいつもの凛々しい表情に戻ると話し始める。
「まさか『黒い月光』の力無しであの術を破るとは思いもしませんでしたわ。あれは一応私の持つ『月光術』の中でも最強の術。リリにも見せたことの無い奥の手なのですが……流石ですわね。ディルムンドの反乱を制圧したのは特別な力のおかげだけではないということですか。悔しいですが、私の負けですわ。……負けたら全てを話すという約束でしたからね。お話しますわ。まず貴方の聞きたいことを教えてくださるかしら。その方が答えやすいので」
「き、聞きたいことって……そもそもどうして君が『ラクロアの月』の戦闘員なんてやってるんだよッ……!? 君は確か家族の看病をしているはずだろッ!?」
「……申し訳ありませんが、あの場で説明したことは全て嘘ですわ。あそこではああするしか他に方法がなかったのです」
「嘘って……じゃあもしかして……ベルディアス伯爵様やご家族が寝込んでる原因もただも病気なんかじゃなくて……」
「ええ。お察しの通り『ラクロアの月』が原因ですわ。故意にウイルスを感染させられ人質として屋敷に監禁されていますの」
「やっぱり……でもどうして伯爵様達を病気にして監禁なんか……」
「王都の戦力を分散させるためですわ。当初の目的では七大貴族の当主が『ラクロアの月』の幹部がいるかもしれないアルシェに病気で動けない状態でいる、という情報を流し騎士たちをアルシェに集め王都の守りを手薄にするという予定だったみたいですわね。ですが、どうも情報を流す前に誰かさんがそれにいち早く感づき騎士たちに情報を流してしまったようです。おかげで貴方たちがここに派遣され万全の状態で作戦に臨むことが出来なくなったらしいですわね」
ラグナはその誰かさんに心当たりがあった、青髪の美青年の顔が脳裏をよぎる。
(……レイナード様はおそらく全てを知っていたんだ。だから俺達をアルシェに派遣した。そして人質を取られていたジュリアが脅されて嘘の証言をしていることも当然見抜いていた。だからリリをアルシェに残らせたんだろう。これでだいたいの事情は理解できた。でも気になる点が一つ)
ラグナは館で人質になっていた少女の姿を思い浮かべた。
「……どうしてサリアさんだけが引き離されて監禁されてたのかについて教えてほしい」
「私も詳細な理由は聞かされていません。ですが推測は出来ます。おそらく人質を分けて監禁したのは一つの場所に固めておくことが危険だと判断されたからでしょうね。一つの場所に固めておくと情報が漏れた場合人質全てが救出されてしまう可能性がありますもの。そして最大の理由は、私を除く家族の中で唯一サリアだけが『月詠』だからでしょう」
「え、サリアさんも『月詠』なの……?」
「ええ。……貴方も知っていると思いますが『月詠』は通常の人間に比べて免疫力が高い。ウイルスを打たれてもすぐに回復してしまいますからね。病気を装おわせて大人しく屋敷で寝かせる、という方法が取れません。そうなれば誰かが訪ねてきた際に不測の事態が起きる可能性がありますもの。そのうえあの子はかなり珍しい『月光術』が使えますからね。それを利用しようとしたのかもしれません」
(珍しい『月光術』……いや、今はそんなことより……)
ラグナは淡々と話し続ける少女を見据えた。
「……ジュリア、事情はわかったよ。君が大変な思いでウソをついてたっていうのも理解できた。でも、もうやめようこんなことは。俺がアルフレッド様に事情を説明して、強くて隠密行動に長けた騎士を早急に派遣してもらうよう手配するから。そうなれば屋敷はすぐにでも制圧される。だからもう『ラクロアの月』なんかに協力する必要はないんだ」
「…………」
「……ジュリア……? ……大丈夫だよ。サリアさんは助けることが出来たんだ、きっと次は君の家族だって助けられる。王都からここまでそれほど距離も無い。事情を説明すればすぐにでも増援は駆けつけてくれるよ。リリや俺だってもちろん協力する。だから安心して。みんなで協力すれば出来ない事なんて無いよ」
優しい声音で諭すように言ったラグナに対するジュリアの返答は予想外のものだった。
「……ラグナ――私は『ラクロアの月』を抜けるつもりはありません。たとえ――私の家族全員が救出されたとしてもね」
「なッ……!?」
冷たく言い放ったジュリアを見たラグナの両目は大きく見開かれる。
「何を言ってるんだよジュリアッ……! 自分が何を言ってるかわかって――」
「わかっています。私は自分の意思で『ラクロアの月』に残り王都制圧作戦に協力する、そう言っているのです」
「そんな……どうして……も、もしかして他にも何か弱みを握られてるの……?」
「いいえ。人質以外には何も私を縛るものはありません」
「だったらどうしてッ……! なんであんな連中に協力するんだよッ……!? さっきだって君の妹さんが大変な目に遭いそうだったんだよッ……!?」
「知っていますわ。ですが要らぬ心配です。サリアの襟首には発信機が内蔵された小型のカメラを付けていますの。ですから私はあの子がどういう場所にいてどういう状況下にいるのか逐一把握していました。それゆえ当然私もあの地下牢のすぐそばまで行きましたわ。……リリがあの場で助けに入らなくとも私があの愚か者たちに生まれて来たことを後悔させるつもりでした」
底冷えするような冷たい目と言葉に背筋が凍り付くも、ラグナは言葉を必死に紡ぐ。
「だ、だとしても君の妹さんが危険な目に遭いそうになったのは事実だろうッ……! 家族を人質に取られたうえ酷い目にあわされてどうして自分の意思で残るなんて言葉が出て来るんだッ……!?」
「……その質問に答える前に私から貴方に対して一つ聞いてもいいですか……?」
「いや、今は俺の事なんてどうでも――」
「お願いします。どうしても聞いておきたいのです」
「…………」
ジュリアの真剣な表情を見たラグナは混乱する頭を必死に落ち着かせようとした。なんの質問かは予想出来なかったが、それに答えれば彼女の真意がわかると直感的に思ったのだ。だからこそ、一度冷静になって質問に答えるために深く息を吸って吐く。
「……俺がその質問に答えたら今聞いた理由を教えてくれる――そう思っていいのなら答えるよ」
「ええ、そう思っていただいて構いませんわ。……ではお聞きします。ラグナ、貴方はどうして今回の計画を止めようと思ったのですか?」
「どうしてって……魔獣を王都に送り込むなんて馬鹿げた計画止めるに決まってるじゃないかッ……! 実行されたらいったいそれほどの人間が犠牲になるかわからないんだよッ……!? この国の騎士としてそんな危険な計画は見過ごせないッ……!」
「騎士として、ですか……それは騎士という職に就いているから仕方なく、という意味ですか? それとも騎士だからという理由だけでなく自分の意思でこの国を守りたい、という意味なのでしょうか?」
「……後者だよ。俺はこの国を守りたい。自分に出来ることだったら何でもするつもりだ」
「そうですか…………ラグナ、貴方は先ほど私におっしゃいましたね。家族を人質に取られ、酷い目に遭わされてどうして自分の意思で残るなどという言葉が出て来るのか、と。ですがそれは貴方にも当てはまるのではないですか?」
「俺にも当てはまる……? ……それは、どういう……」
「――ハロルド・エヴァンス――貴方の大切な人なのでしょう?」
「ッ……!?」
ジュリアの口から突然出て来たその名を聞き心臓の鼓動が早まったような気がした。その人名を聞いたラグナはほとんど反射的に聞き返す。
「どうして……君が先生の事を……」
「ボルクス男爵から全て聞きました。ディルムンドの反乱の真相も、ハロルドが貴方の育ての親であることも、アルロンの悲劇の事も、そして貴方の大切な人が人質に取られていることもね」
(……そうか……確かにボルクス男爵ならそれらの情報を知っていてもおかしくはない。男爵は貴族、上層部の情報を知ることも出来る。しかも先生を裏で支援していた『ラクロアの月』とも通じていた。奴らを通じておおよその事を知っていたとしても不思議はない)
ラグナが一人納得しているとジュリアはうつむき唇を震わせながら拳を硬く握りしめた。
「……叙任式の時、貴方におめでとうなどと言った過去の自分を殴り飛ばしたいです。ラグナ、本当に申し訳ありませんでした。貴方の気持ちも考えずにあんな無神経な言葉を……」
「そんな、違うよジュリアッ……! 君は何も知らなかったんだ、君にはなんの責任もないんだよッ……! だから謝らないでくれッ……! 君は何一つ悪くないんだからッ……!」
「……責任ならありますわ。おそらく事情を知らなかったから仕方ない、などという言い訳が通用しないほどにね」
「責任……?」
「……その様子では知らないのですね。……『アルロンの悲劇』――そう呼ばれているのは『ルナシステム』の暴走によるもの。……事故当時ハロルドは『ルナシステム』の欠陥を知り実験を止めようとしていました。しかし実験は強行されあの町は消滅してしまいましたわ。……ラグナ、実験を強行した犯人の名を知りたいとは思いませんか……?」
「犯人って……君はそれを知っているの……?」
「ええ。……お伝えしますわ、貴方にはそれを知る権利がある。犯人の名は――ログリオ・フォン・ベルディアス。私の父にしてベルディアス家、現当主です」
「ッ……!」
『アルロンの悲劇』――それを引き起こした元凶である『ルナシステム』の事は知っていた。しかし実験を強行したのが友人の父親であるなどと夢にも思わなかったラグナは絶句し、硬直する。それを見たジュリアは悲し気に笑うと再び口を開いた。
「……わかったでしょう? 責任が無いなどとは口が裂けても言えませんわ。そのうえディルムンドの反乱終結後、ハロルドを人質に取り貴方をこちら側に引き入れようと提案したのも私の父なのです。……まったく、呆れてものも言えません。ディルムンドの洗脳から解放し、国の窮地を救った恩人に対してやることではありませんわッ……! 元々身分で人を差別する父に対して苦手意識がありました、ですが自分の父親をここまで軽蔑したのは生まれて初めてですッ……! だいたい、ディルムンドの反乱も元をたどればすべて過去の自分の行いが原因ではないですか。その尻拭いを『アルロンの悲劇』の被害者である貴方にやってもらうなど無様を通り越してもはや滑稽と言うほかありません」
噛んだ唇からは止めどなく血が流れ出しており、少女の怒り露わすかのようにその顔は険しいものになっていた。その様子を見たラグナは口を開くも、なんと声をかけていいのかわからず立ち尽くす。しかしジュリアはすぐに表情をあらためる。それは諦めの混じったような悲しい顔だった。
「……貴族の家に生まれた以上、綺麗ごとだけを言って生きていくことは出来ないと頭ではわかっていました。多少は汚れ仕事も行うものだとも理解してはいました。しかしここまでとは思いもしませんでしたわ。しかも『アルロンの悲劇』は氷山の一角に過ぎません。王族やベルディアス家を含む七大貴族たちは私腹を肥やすために口に出すことも憚られる悪行を他にも多く行っていたのですから」
「い、いや、ちょっと待ってよッ! そもそもそれは本当に信用できる情報なのッ!? ボルクス男爵が君をたきつけるために嘘の情報を言った可能性だってあるだろうッ!? アルロンの件だって本当のことかどうかわからないじゃないかッ!?」
「それはありえませんわ。書類などの証拠、録音された音声、なにより父自身の記憶から過去に起きたことを見たのです」
「過去の記憶……?」
「そうですわ。ラグナ、貴方にもこの国の裏側を教えましょう。……現在王族がこの国の頂点に立っていると誰もが思っていますが実際は違います。裏で王族を動かす七大貴族こそがこの国の真の支配者。最終的な決定権こそ王族にありますが、実際はお飾りでしかありません。そして王族を補佐するという名目で五年に一度七大貴族のうちの一つから選ばれる『特務大臣』と呼ばれる役職――これに選ばれた者が王族の政治顧問としてこの国の舵を取ることが出来るのです。かつての父ログリオは特務大臣の地位を得るために成果を求めました。なぜなら交代するまでの五年の間に最もこの国に貢献した家の中から特務大臣が選ばれるからです。当時『ルナシステム』を用いて『月光石』を大量につくることでこの国へ貢献しようとした父は七大貴族を除く他の王侯貴族をまとめ上げ派閥を作るとハロルドの研究に多額の出資を行いました。しかし完成した『ルナシステム』には欠陥があった、ですが功を焦った父はその配下の貴族たちに命じ、開発者のハロルドの意見を封殺すると同時に実験を強行。その結果が『アルロンの悲劇』ということです。……しかも結局、アルロンの件を他の七大貴族から問われ結局父は特務大臣にはなれなかったそうです」
「それが……十七年前の事件の詳細……でも、過去の記憶を見たって……どうやって……?」
「先ほど私の妹、サリアが珍しい『月光術』を持っていると言いましたよね? 妹は人の記憶や物に刻まれた残留思念を吸いだし、対象にその記憶を追体験させる能力を持っているのです。ですからウイルスに感染した父の記憶を吸いだし過去の記憶を見せてもらいました。……妹の能力では記憶の改竄は出来ない、ですからあのおぞましい記憶は全て真実なのでしょう。……私も全て嘘だと思いたかったのですけれどね」
「ジュリア……」
「ですが父ばかりを責められません。……私という人間の生活もその非道の上に成り立っていた、これもまた事実なのだから。ですから私も同罪です。……ゆえに私は自分の罪を償う方法を考えました」
「それが……『ラクロアの月』に協力して王都を制圧することなの……?」
「ええ。身内の恥は身内で清算しなければいけません。この国は完全に腐っています、特に上層部の腐敗はもはや通常の手段ではどうしようもないほどです。ですが大多数の人間はその事を知りません。巧妙に隠されていますからね。ですから全ての国民にその事を知っていただきます。しかし他の七大貴族たちの悪行全てを私は知りません。ゆえに王都制圧の混乱に乗じて七大貴族の悪行を全て手中に納める事、それが私とボルクス男爵の目的です」
「ボルクス男爵もって……あの人も君と同じ考えなの……?」
「そうです。……というよりこの話を持ちかけて来たのが他ならぬ男爵なのですけどね。私はその提案を受け入れました。まあ受け入れた理由としては、この国の腐敗についてだけでなく何も知らない父以外の家族が人質に取られていたから、ということもありましたが。……とにかくあの男が言うには『ラクロアの月』が興味を抱いているのは王都の地下にあるモノだけ。目的の物を手に入れれば王都から即座に引き上げるそうです。魔獣たちも完全に制御下にあるため市民に対しては必要以上に攻撃はしないと言っています。ですから『ラクロアの月』が王都から引き上げ、ある程度王都が復興した後に全ての証拠を白日の下にさらしたいと考えています。そうなればいくら貴族といえど言い逃れは出来ないでしょう。仮に握りつぶそうとしても市民たちが黙っていないはずですからね」
ジュリアの言葉を聞きながら口を硬く結んでいたラグナだったが、やがてしゃべり始める。
「……言いたいことはわかったよ。君の言う事も理解はできる。……でも……お願いだ、考えなおしてくれッ……! いくら魔獣が制御下にあったとしても被害をゼロに出来るなんて君も考えてはいないんだろうッ……!? 今回の王都制圧、確実に犠牲者は出る……関係の無い人、罪の無い人が死ぬんだよッ……!?」
「……覚悟の上です。それに……今回の作戦、もし成功したのならその時は……この作戦で犠牲になった方々やかつて七大貴族のために死んでいった方々のために、私は自分の首を差し出します」
「ッ……!?」
「もちろんそれで全て償いきれるとは思いません。ですが……『アルロンの悲劇』や今回の作戦に対して一定のけじめをつけることは出来るでしょう。それに呪われたこのベルディアスの血を持つ私がを代表して罪の清算をすれば父も言い逃れは出来ないでしょうからね。そしてそれを皮切りに悪行を行った他の王侯貴族たちの断罪や追及も始まるはず。きっとこの国の膿を全て出し切ることが出来るはずです。支配されていた国民たちもこの国の実態に気づくでしょう。そうなれば王侯貴族による独裁も終わりを迎える。この国は生まれ変わることが出来るのです」
(……手段こそ違うけど……これは……先生がやろうとしていたことに似ている……いや、今はそんなことを気にしている場合じゃないッ……!)
顔を横に振って雑念を振り払ったラグナはジュリアの眼を覚まさせるべく口を開いた。
「……ジュリア、早まらないでくれッ……! どうして君がそんなものを背負って死ななきゃいけないんだよッ……!? ……それに君の言う断罪にはリリだって巻き込まれるかもしれないんだよッ……!?」
親友の名を聞いたジュリアはわずかに表情をこわばらせたが、すぐに元の冷静な顔に戻る。
「……悪行や不正に関わっていない貴族の関係者はボルクス男爵の手引きで別の国へ逃がすことになっています。ですからリリやサリア達も無事に逃げられるはずです。何の問題もありません」
「問題ならあるだろうッ……!? ……今彼女はサリアさんを背負って逃げている途中だ。もし君の妹さんが目覚めていれば君の事を彼女に話すだろう。そして君が王都制圧に関わっていると知れば必ずリリは君を止めるために戦いに参加するはずだッ……! そうなればリリは確実に危険にさらされるッ……! 君はそれでもいいのかッ……!? さっきだって彼女を逃がすために危険な賭けをしたんだろうッ……!?」
「……覚悟の上と言ったはずです。一度目は何も知らないリリを不憫に思ったから逃がしただけ。……もし全てを知ったうえで、自分の意思で向かってくるというのなら、もう容赦はしません。……たとえ……リリが……死ぬことになろうともッ……私は計画を実行しますッ……! これが……これだけが……真実を知った私に出来る唯一の償いなのだからッ……!」
ジュリアの形相は歪み、その覚悟の声は悲鳴に近いものだった。その顔を見て、声を聞いた瞬間ラグナの脳裏に一か月前の出来事が甦る。思い出したのは最愛の家族にして復讐鬼の顔。
(……ああ……やっぱり同じだ……俺はこの顔を知っている……贖罪のために人生を捧げようとしたあの人と同じだ……)
だからこそ見ていられなかった。ゆえにラグナは救いの手を差し伸べるように口を開く。
「ジュリア、聞いてくれ。『ラクロアの月』なんかに協力しなくたって時間をかければ他の貴族の悪行だって掴めるはずだよッ……! 俺だって、リリや他のみんなだって協力するから、だからもっとゆっくり、慎重にやろう……? そんなにことを急いてもうまくいかないよ。だから――」
「……ゆっくり……その間にまた悪行が行われるとしても、ですか……?」
「え……」
「私が見たのは過去の悪行だけではありません。これから行われるであろうモノの計画も含まれています。危険な薬物の投薬実験、人体を用いた兵器のテスト、魔獣の密売、挙げればキリがありません。調査に時間をかければその分だけまた犠牲者が増えるでしょう。しかも通常の方法で掴める証拠などたかが知れています。全ての機密書類が隠されているこの国の中枢――王城に入り込まなければ誰もが認める証拠など得られません。そして最高クラスの警備システムと兵士が待ち構える城に入るためには混乱が必要なのです」
「……その混乱が問題なんだよ……どんな正義があろうと懸命に生きている人々が理不尽に晒されて死ぬことだけは絶対にあっちゃいけないんだ……」
「このまま体制が維持されたとしても理不尽に人は死んでいきます。七大個貴族の元でね。それにラグナ、貴方自身も本当にこのままでいいと思っているのですか? 大切な人を人質に取られ戦うことを強要されているのが貴方の現状です。貴方に与えられた『英雄騎士』の称号は貴方を縛る鎖のようなもの。このままでは身動きも取れないままいいように使い潰されるのが関の山。ですが計画が成功すればハロルドを救出し、七大貴族を断罪できる。貴方にとっていいことづくめではないですか。よく考えてみてください、貴方はこの国に全てを奪われた。こんな国のために貴方が命を賭ける必要などないのですよ。……私は全てをお話ししました。そのうえでもう一度お願いします。どうか……今回の件に関わらないでください」
「…………」
ジュリアの願いをきいたラグナは静かに目をつぶると数十秒ほど考えた後話し始める。
「……ジュリア、君の言う通り俺は大切な家族を人質に取られてる。脅迫されたうえ騎士になるよう強要された。……正直言うと内心腹が立ったよ。こんな酷い国だとは思ってなかったからね」
「ならば私の提案を受け入れてください。そうすれば貴方は解放される」
「そうだね。……でも……ごめん。それは出来ない」
「……なぜですか……!? どうしてッ……!?」
「この国には大切な人たちが暮らしているからだよ。先生やブレイディアさん、ジョイ、アルフレッド様、セガール隊長、リリ、そして君だよジュリア。……確かに君の言う通りこの国は腐ってる部分があるのかもしれない。でも、それでも腐ってない部分もある。俺はそこが好きなんだ。だからその部分を守るためだったらたとえ使い潰されようが俺は戦う。どんなことがあろうともこの気持ちは変わらない」
「…………」
ラグナの真っ直ぐな瞳を見たジュリアは小さくため息をつくと口を開いた。
「……立派ですわね。……ですが私は、貴方と同じような考え方はもう出来ません――〈ウル・ストーム〉」
『月光』を纏ったジュリアが術を唱えると黄金の光が砂嵐となり周囲を覆い隠し始める。
「……貴方の考えを変えられなかったのは残念ですが、私もとまることは出来ません。王都制圧は必ず成功させます。戦場で貴方に遭わないことを祈っていますわ――さようなら」
「ジュリアッ……! 待っ――」
ラグナが言い終わる前に砂嵐が巻き起こり数分間周囲を包むと、やがて消え去る。だが目の前にいた少女もまた忽然と姿を消していた。
「……ジュリア……」
残された少年は友人の名を悲し気に呟くしかなかった。