26話 置き土産
眠りについていたラグナだったが、やがてその目蓋がゆっくりと開かれる。そして目覚めてすぐに後頭部に違和感を覚える。それはまるで暖かく柔らかい物体を枕にして寝ているような感触だった。
「あ、目が覚めましたか~?」
(この声はシスターさんの……そうか……俺はあのまま寝ちゃったんだ……)
ベラルに惨敗したことを思い出し暗い表情になる。ラグナの雰囲気を察したのか、シスターのものと思しき白い手がクセの付いた茶髪を優しく撫で始めた。慰められているようでばつが悪かったが、くすぐったさの中に心地よさを感じ再び眼を閉じてしまいそうになるも――。
(……あれ? ってゆーかこの感触って……もしかして……ひ、膝枕ッ……!?)
ラグナは赤面しながら急いで体を起こし立ち上がると、シスターの方を向く。
「す、すいません! 助けていただいたうえに膝まく――」
「どうでしたか私の腹枕は~?」
「腹枕ッ……!!??」
ここでようやくラグナは仰向けで寝ていたシスターの腹の上に頭を乗せていたことに気づいた。少年が起き上がったことを確認すると枕だった人物も続けてゆっくりと立ち上がる。その様子を見てから当然のように疑問が口から出た。
「あ、あの……なんでお腹の上に……」
「私お腹が冷え性でして~、ああすれば貴方の枕にもなれるし一石二鳥かと思ったんですよ~」
「そ、そうだったんですね……俺はてっきり……」
「てっきり~? ……ああなるほど~、別の部位だと思ったわけですか~? わかりますよ~。私も最初はそっちにしようかと思いましたもの~。そっちの方が一般的ですもんね~。ズバリ貴方は――」
「は、はい実は……」
恥ずかし気なラグナにうんうんと頷きながらシスターは言う。
「――おっぱい枕だと思ったんですね~」
「そうなんです、おっぱ――って違いますよ!? 膝枕ですよッ!? 全然一般的じゃないですからねそれ!?」
「ええ~、違うんですか~? おっぱい枕か尻枕で迷ったんですけどね~。冷え性じゃ無ければどっちかになってたと思いますね~」
「こんなこと言っちゃいけないとは思うんですけど冷え性で良かったです……」
ラグナがぐったりと脱力しているとシスターがほっとしたように息を吐いた。
「だいぶ怪我をなさってたみたいですが比較的に早く目覚めましたね~。良かったですよ~」
「あ! ……すいません。言い忘れていました。先に言わなきゃいけないのに――」
ラグナは姿勢を正すとシスターに向かって深々と頭を下げた。
「――シスターさんのおかげで助かりました。本当にありがとうございます」
「いえ~、お役に立てて幸いです~。サンドイッチ分の働きは出来たでしょうか~?」
「いえ、サンドイッチなんかじゃ足りないほどお世話になりましたよ。本当になんとお礼を言ったらいいか……ところで……その……セガール隊長は……」
辺りを見てもセガールの姿が見えなかったため恐る恐る聞く。すると――。
「救急車ですでに騎士団お抱えの病院に運び込まれましたよ~。他の騎士の方々や『ラクロアの月』の構成員も一緒です~。あと~、運ぶ途中で貴方と一緒にいた赤い鳥さんがやって来たので事情を説明して病院まで付き添ってもらいました~。私は貴方の治療中だったので~」
「そうだったんですか……ジョイが……」
「はい~。回復しておいたので全員命に別状はないと思いますよ~」
「回復……そういえば……」
服はズタズタのままだったが、切断された手足の腱が元に戻っているうえ体中の小さな傷まで消えていることにラグナは気が付く。
「凄いんですね……回復系の『月光術』はとても珍しいって聞きました。俺も見るのは初めてなんですけどあんなに酷い傷まで治るなんて……」
「でもそんなにいいものでもないんですよ~。少なくとも私の能力は~」
「え……どうしてですか……?」
ラグナが目を丸くして聞くとシスターは悲しそうに笑う。そしてラグナを先に行かせた時のような真剣な表情へ切り替わる。
「私の『月光術』は対象の自然治癒力を高めて傷を癒すというものなのですが……それには癒す対象の寿命を消費させなくてはいけないのです……要は寿命の前借で傷を治しているだけなのですよ……それに回復には本人の体力を大幅に使ってしまうんです。貴方は比較的早く目覚めましたが、他の騎士様たちがいつ目覚めるか私にも予想ができないのですよ。……私は貴方や騎士様達の寿命を削って、勝手に治療してしまいました……本当は説明してから行うべきだったのですが、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな、やめてください! 貴方の治療がなければ俺やセガール隊長たちはあの場で全員確実に死んでました……貴方のおかげです。感謝してもしきれない。きっとセガール隊長たちも同じことを言うと思います」
「……そう言っていただけると救われます。それともう一つ貴方には言わなければならないことがあるのです――実は……この廃墟群に『ラクロアの月』の構成員が潜んでいるという情報をこの町の騎士団支部に伝えたのは私なのです」
「ええッ!? あ、貴方からの情報だったんですか!?」
目を剥いて驚くラグナにシスターは語り始める。
「はい。私は独自に『ラクロアの月』について調査しているのですが……情報収集の最中にこの廃墟群に『ラクロアの月』のメンバーが出入りしていることを知ったのです。本来ならば私がそのまま向かうところなのですが、私はこの国の人間ではないため大っぴらに戦闘行為を行うのはどうかと思い匿名で騎士団に電話をしました。しかしやはり少しだけ心配になり様子を見に行こうとしたのです」
「じゃあその途中で俺に……?」
「そうです。ですがまさか『英雄騎士』の称号を持つ方に助けられるとは思いませんでしたが。財布を落としたこと自体は不幸でしたが、結果的に言えば僥倖だったのかもしれません」
「……俺の事も知ってたんですね。でも『英雄騎士』の称号に相応しくない、情けない姿を見せてしまって……なんというか……お恥ずかしい限りです」
「いいえ。場所がここでなければ貴方が勝っていたでしょう。かのドラゴンを屠った伝説の力をここで開放してしまえば建物が崩落し私や騎士様達が押しつぶされてしまう。だから貴方は死にそうになりながらも決して力を使わなかった。貴方は心優しい方だ、恥じる必要などありませんよ」
シスターの視線はグローブの付けられたラグナの左手に注がれていた。しかし少年はその言葉を聞いてなお首を横に振って否定する。
「……でも、負けは負けです。場所や状況は言い訳には使えない。本当ならあらゆる場所や状況下でも戦局を有利に持っていかなきゃいけないはず……それが『英雄騎士』という称号を持つ騎士の義務だ……なのに俺にはそれが出来なかった。俺は……弱い男です」
「…………」
うつむくラグナに無言で近づいていったシスターは少年の右手を両手で包み込む。
「ならばこの敗北を糧にさらに強くなってください。巨大な力に溺れず己を顧みることのできる貴方にならそれができるはずだ。だからどんなに失敗をしようと、無様を晒そうとも歩みをやめないでください。そしてもっと自分を信じてください。そうすればどんな困難にも立ち向かっていけるはずです」
「シスターさん……」
「……本当ならばもっと貴方に協力したいのですが……私にはこの後やらねばならないことがあるのです。ですからここから先は貴方に託します。中途半端に投げ出す非礼をお許しください。しかし貴方ならば成し遂げられると見込んでのこと。きっと先ほど戦った男にも貴方なら打ち勝てます」
シスターはラグナの手を包みながら額まで持っていくと祈るように言う。
「どうか貴方に神のご加護があらんことを」
三十秒ほどそうして祈った後、シスターはラグナの手を離し微笑む。
「では失礼します――ブレイディアにもよろしく伝えておいてくださいね~」
「え、ブレイディアさんのことも知って――」
言い終わる前に、『月光』を纏ったシスターは消えた。ラグナはその場に残った紫色の粒子を見ながらため息をつく。
「……結局、名前も聞けなかったな。本当に不思議な人だった……ん?」
先ほどまで握られていた右手に違和感を覚え、拳を開く。すると手の中に小さく折りたたまれ重ねられたた三枚の紙があった。
「これは……」
紙を開いて見ると中には驚くべき内容が書かれていた。
外に出ると日はすっかり落ち周辺は夜の闇に包まれていた。かなり長い間眠っていたらしいが、それでもまだ眠気がある。シスターの言っていた回復には体力を消費するという話はどうやら本当らしい。だがこのまま帰って寝るわけにもいかない。一度町に戻ったラグナはセガールたちが運び込まれた病院に向かった。ジョイと再会し全員が生きていることを確認すると彼を病院に残し騎士団支部に帰還する。支部に帰るなり居残っていた騎士達に状況を説明し何人かに病院に向かってもらった。その後リリスに無事を喜ばれ少し会話をしたのち別れると、アルフレッドに携帯で連絡を取り事情を話す。
『……そうか、セガールたちが……』
「はい……。ですがお医者さんが言うには全員命に別状はないそうです。ただ深い眠りついているのでいつ意識が戻るかはわからないそうです。それで一応何かあった時のために連絡してもらえるようジョイや町の残っていた騎士の方に病院に残ってもらってます」
『……わかった。話を聞いた時は肝を冷やしたが、皆生きていてくれて本当によかった。ラグナ、お前も大変だっただろう。まさかあのベラルと出くわすとはな……』
「有名な犯罪者なんですか……?」
『ああ。本名はベラル・ヒューイット。無法者の中でも特に戦闘能力が高く、特にスピードはトップクラスで、その速さから〈神速〉とまで言われている。騎士団のブラックリストにも載っている危険人物だ。危険度は上から二番目にあたるA。過去に騎士の殺害や麻薬の密売などを行い指名手配された。その首には二千万の賞金がかかっている。しかし『ラクロアの月』に入っていたとは……』
(二千万の賞金首……どうりで強いはずだ……)
携帯を持っていない方の手で体を抱くとその身を震わせる。だがアルフレッドの声が聞こえて来たため震えを強引に止めた。
『……状況はあまり芳しいとはいえないな。敵はフェイクに加えてベラルまでいる。その上セガールたちベテラン騎士は戦闘不能。いつ目覚めるかもわからない』
「アルフレッド様、王都から騎士を派遣する話はどうなっていますか……?」
『……ベルディアス伯爵がアルシェにいると聞いて騎士派遣について会議が明日開かれることになった。つまり明日派遣できるか決まる……すまないな、会議など開かずに即決されると思ったのだが……』
「いえ、アルフレッド様のせいじゃないですよ! それにセガール隊長たちもすぐに目覚めるかもしれませんし。俺ももっと頑張ってみますから」
『……苦労をかけるな。だがお前一人で『ラクロアの月』の情報を集めるのは厳しいだろう。敵が行方をくらませている以上何か対策を講じなければなるまい』
「あの……実は敵の居場所について情報が一つあるんです」
『何ッ……!? 本当かッ……!?』
「はい。俺が調べたわけじゃないんですけど……」
ラグナは先ほどの折りたたまれていた三枚のうち一枚の紙をポケットから取り出し片手で器用に開いて行く。そこには『ラクロアの月』が出入りしている場所についての記述があった。去り際に言った『後を託す』とはおそらくこのことを意味していたのだろう。
「俺やセガール隊長たちを助けてくれたシスターさんの情報です。この町から南西にある森の奥深くに洋館があるみたいで、そこに不審な集団が出入りしているようなんです。たぶんそれが……」
『『ラクロアの月』……か。しかし気になるのはそのシスターについてもだな。『ラクロアの月』の情報は一流の情報屋でもそうそう持っていない。それをこうも容易く……』
「シスターさんの正体につながるかはわかりませんけど……彼女はいなくなる時、ブレイディアさんによろしくと言っていました」
『ブレイディアの知り合いか……わかった。私の方からブレイディアに聞いておこう』
「そういえばブレイディアさんの方は大丈夫なんですか……?」
『そちらほどではないが、苦戦しているらしい。今もブレイディアからの連絡を待っているところだ』
「苦戦……大丈夫、なんでしょうか……」
ラグナの心配そうな声から不安を感じ取ったアルフレッドは優しくも力強い声音で話し始める。
『大丈夫だ。心配するな、ブレイディアは強い。彼女はどんな状況でも必ず任務から生還してきた。今度もきっと生きて帰ってくる。だからお前は自分のことだけを考えろ。そして必ず生き延びるんだ』
「……わかりました。すみません、アルフレッド様に気をつかわせてしまって……」
『気にするな。では今日はお前も休め。森の洋館については明日の八時ごろにまた電話で話し合おう。これで定時連絡を終了する』
「了解です。あ、でもその前に一ついいですか? リリ、じゃなくてリリス様についてなんですけど……いつ頃王都に向かってもらえばいいでしょうか? 明日ですか?」
少し間を置いた後、アルフレッドは静かに語り始める。
『……レイナード様と話し合った結果、リリス様はそのままアルシェに残ることになった』
「え、でも伯爵とご家族の件は『ラクロアの月』と関係なかったんですし、それなら……」
『……ああ、恩を売れない以上キングフロー家の人間を関わらせるメリットは無い。だがレイナード様はリリス様をその場に残しお前の手助けをさせるようにと言って来た』
「……どうしてなんでしょうか……」
『わからない。だが推測は出来る。おそらくレイナード様は我々の知らない情報を握っているのだろう――ベルディアス家の弱みになり、キングフロー家の利益となるそんな情報を』
「…………」
ラグナは友人たちが貴族同士の権力争いに巻き込まれているかもしれないことに胸を痛めていた。アルフレッドはさらに続ける。
『……ラグナ、リリス様はお前の眼から見て戦力として使えそうか?』
「……はい。一度彼女が戦う姿を見ましたが、他の騎士の方々と遜色ないと俺は思います」
『そうか……ラグナ、セガールやコットンがいない以上アルシェの騎士団支部の指揮権はお前に任せることになる。森の洋館に向かう時の人選もお前が決めろ』
「俺が、ですか……?」
『そうだ。そしてその人選の中にはリリス様も入れていい。レイナード様は彼女の扱いを他の騎士と同じにしてほしいと言ってきている。お前がもし彼女の力が必要と感じたなら連れて行くといい』
「ちょ、ちょっと待ってください……他の騎士と同じって……それはつまり……リリス様が危険な目に遭ってもいいと、レイナード様が仰ったということでしょうか……?」
『……そういうことになるのだろうな……』
「そんな……」
ラグナの脳裏に列車でリリスに言われた言葉が甦る。
(……レイナード様は本当にリリのことを道具だと思っているのか……? ……だとしたら酷すぎる……実の家族じゃないのか……それなのに……)
眉を寄せるラグナの耳に入って来たのは電話越しのため息だった。
『……酷い話だと私も思う。妹の命よりもキングフロー家の利益を優先する――通常ならば考えられない話だ。しかし貴族社会とはそういうものなのだよラグナ。家督を奪い取るためならば実の兄妹すら殺し、父親に毒を盛る者もいれば、表面上は友好を装いながらも友人に暗殺者を差し向ける者もいる。善人面をして庶民の前に立ちながら裏では既得権益を維持するために悪魔のような所業を行っていた者さえいた。挙げていけば枚挙にいとまがない。貴族とは一見すれば華やかだが、その実態はある意味悪人よりもタチが悪い。ハロルドの件でお前もすでにわかっているはずだ』
「…………」
『……難しいとわかってはいる、だがその上で言おう。割り切れラグナ。納得は出来なくともそうすれば前に進むことはできるだろう』
ラグナは少し考えた後、答えを出した。
「……完全に割り切れるかどうかはわかりませんが、努力します……」
『そうか、今はそれでいい。ではここまでにしよう。今日は本当にご苦労だった。ゆっくり休んでくれ』
「はい、ありがとうございます」
『ではまた明日に』
電話が切れるとラグナは脱力する。
(……割り切れ、か……この先もこういうふうに納得できないことがあるんだろうか……いや、たとえ納得できなくともそれでもやらなきゃいけないんだ。わがままは言っていられない。アルフレッド様やブレイディアさんたちがそうしてきたように、俺も理想と現実の違いを直視しなきゃダメだ。そのうえで最善を選べるように努力しよう)
深く息を吸うと支部の二階に備え付けられた寝室に向かう。自分にあてがわれた部屋に入りシャワーを浴びて着替えると眠気が襲ってきたためベッドに倒れるようにして横になる。
(……森にある洋館か……どうしよう……今支部に残っている人たちはついて来てくれるだろうか?)
しかし昼間の恐怖に歪んだ騎士たちの顔を思い出し表情が硬くなる。
(……最悪俺一人で行くことも考えなきゃだな……出来ればリリにはこんな権力争いみたいなものに関わって欲しくないし……なんにしても……今日はもう寝よう……流石に疲れた……)
ラグナは明日のことを考えながら眠りについた。