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2話 蘇る黒い月 後編

 試験会場である騎士団本部の門をくぐったラグナは内部への入口近くに作られた仮設テントを目指す。そこが受付であり、今朝七時頃に確認のため一度訪れた場所だった。携帯で時間を確認すると、受付時間終了までギリギリだったがなんとか間に合う。少年はテントの中に急ぎ入り受付を済ませようとした。テントの中に入るとたくさんの書類とパソコンが一台置かれた長机が目につくも、すぐに目線は別の方向に向いた。机に備え付けられた椅子に座った青白い顔の軍服姿の女性がこちらを見ていることに気づいたからだ。


「あの……遅くなってすみません。これ受験票です」


 リュックから書類を取り出し渡すと受付の女性はそれを確認した後、ラグナに目をやる。


「……受理した――これが試験で使う君の受験番号札だ。これは受験票の代わりにもなるので決して無くさないようにしなさい」


「わ、わかりました」


 頷いたラグナは目を何度もまたたかせてから安全ピンのついた番号札を受け取る。


(いよいよ本番か……頑張るぞッ!)


 ラグナは103と書かれたプラスチック状の四角いプレートを胸につけ建物に向かって歩き出そうする。だが――。


「待ちなさい」


「は、はい?」


 建物に入る直前で呼び止められた。何か問題があったのではと思い恐る恐る振り返る。


「そちらでは無い。本部の裏にある訓練場に行きなさい」


「え? 訓練場? でも今日は筆記試験だから本部の中に行くんじゃ……」


「本日の試験内容が急遽変更になった。詳しい内容は外の訓練場で説明される。ついてきなさい」


 唖然とするラグナに受付の女性は簡潔に説明をし、話を聞き終わると女性に連れられ訓練用のグラウンドまで移動する。外灯の点いた訓練場には古びた掃除小屋のような建物を除いて何もなく、芝生の敷かれた広い庭のような印象を受けた。そしてその場にはすでに大勢の受験生たちが整列しており、皆受付の女性と同じ軍服を着ていた。男はズボン、女性はハーフパンツと多少の違いはあれど、白いワイシャツの上から黒を基調とした布地に銀色の装飾が施された高価そうなジャケットを羽織っている。あれが騎士の軍服なのだろう。旅立った村に駐在していた騎士も同じ格好をしていた。そして受験生たちの先頭には腕章を付けた試験監督員と思われる現役の騎士たちが立っていたのだが――。


(な、なんか試験監督員の人たち顔色悪いな……全員生気を感じられない……もしかして具合悪いのかな……そういえば受付の人も顔色が悪かったような……)


 受付をしていた女性も入れて全員が青白い肌に虚ろな目をしていたのだ。だが騎士たちが死にそうな顔をしている理由にラグナは心当たりがあった。


(いや、無理もないか。最近の犯罪件数の増加で騎士はどこでもひっぱりだこらしいし。今回の試験だって本当なら昼間行われるはずだったのに、今年は騎士が昼間忙しすぎるからって理由で夜行われることになったんだもんな……昼間働いて夜になったら採用試験って、体もたないんじゃないかな……人々のために必死で働いてくれてるんだし、体壊してほしくないな……)


 心配そうに試験官の顔を見まわしていたラグナだったが、すぐにハッとした顔で首を横に振った。


(人の事を心配してる場合か。一番心配なのは俺じゃないか。試験に集中しないと。っていうか今更だけど完全に場違いだな俺……みんな訓練学校を卒業したんだろうな……外部から受験するのって俺だけなんだ……でもまあ大半が訓練学校出身だよな……学校を出ていれば試験で優秀な成績を残さなくても必ずどこかの町や村の駐屯騎士にはなれるし……対して外来は優秀な成績を残さないと本隊はおろか駐屯騎士にさえなれないんだよなぁ……俺も学校入りたかったけどお金とか後見人とか、他にも色々問題があったからなぁ……)


 受付の女性に促されて列の最後尾に加わったが、私服姿のラグナだけ明らかに浮いており他の受験生たちからこぞって不審そうな眼差しを向けられた。当然居心地は悪かったがすぐに視線の矛先は別の方向に変わる。列の先頭のさらに先に設置された台の上に一人の人物が上がり始めたのだ。赤い腕章を付け、金の意匠が施された白い軍服を着たその人物は台の上に置かれたマイクを手に取ると話し始める。


「ごきげんよう諸君。まずは試験内容の突然の変更に対する謝罪をさせてほしい。だが変更と言っても大したものではないんだ。それに訓練学校を卒業した君たちのような優秀な騎士候補生ならば容易く対応できるものと私は思っている」


(あの人……見覚えがある……もしかして……)


 考えるラグナとは対照的にマイクから伝わる柔和な美声を聞いた女性受験者たちはトロけそうな顔で呆けていたがそれも納得できた。壇上に立つ人物は男性だったが、男性とは思えないほど美しい顔をしていたのだ。艶のある黒い長髪を前で分けたその美青年は、高い身長と相まってラグナが今まで見た男の中でもトップクラスのかっこよさだった。


「前置きは結構ですわ。変更された試験内容とやらを教えてくださるかしら」


 だが女性受験者の中にもその甘いマスクが通用しない人物が少数ながらいるようで、今手を挙げて質問している栗色の髪をツインテールにしたつり目の美少女もその中の一人だった。


「これはこれは、ベルディアス家のジュリア嬢。しばらく見ないうちに美しく成長なされましたね、騎士学校の卒業試験の成績の方も芳しいとか。さぞお父上もお喜びに――」


「前置きは結構と先ほど言いましたわ。私は試験の内容を知りたいのです。それと敬語もやめていただけますか。私は今ただの受験生、家は関係ありません」


「――なるほど、了解したよ。では試験内容について説明させてもらおうかな」


 少女の率直な物言いにも気分を害することなく笑顔のまま美青年は内容を語り始めた。


「といっても二日目に行う実技試験を前倒しにして初日に行うという簡単な変更だ。明日は今日行うはずだった筆記試験を行う」


(ええぇぇぇ〜!? さ、最悪だ……)


 本日何度目かの不幸に襲われたラグナは神を呪った。


「なぜこのような変更を?」


「こちらの不手際で用意していた問題の内容が解答と食い違ってしまってね。今、修正中なんだ。だからこのような事態になってしまった。諸君には本当に申し訳ないことをしたと思っている。予定が変更になったせいで人によっては力を発揮できないかもしれないしね。その時は事情を私に言ってくれれば場合によっては救済措置も考えるよ。だから皆遠慮せず相談してほしい――この私、ディルムンド・オルデアの名に誓って君たちの力になることを約束する」


(やっぱり、思った通りだ! あの人が竜騎士ディルムンド様ッ! すごい、騎士団の頂点に君臨している『三騎士』の一人が監督員なんて!)


 もしかしてと思ってはいたが遠目でハッキリ顔を確認できていなかったラグナは驚きを隠せなかった。『三騎士』とはレギン国に存在する多くの騎士たちのトップに立つ三人の騎士を指す名称であり、ディルムンドはラグナの憧れている騎士の一人だったのだ。


(こんなところでディルムンド様に出会えるなんて夢にも思わなかったな。試験を通過した人は騎士団長のアルフレッド様直々に騎士へと叙任していただけるって噂で聞いてたから『三騎士』の一人には必ず会えるって思ってたけど、まさかディルムンド様にも会えるなんて感激だなぁ。ってことは最後の一人、副団長のブラッドレディス様にも、もしかしたら会えるかも。ブラッドレディス様だけはメディアにまったく露出しないからまだ顔を見たことないんだよな――っていやいや俺は騎士になりに来たんであって有名人に会いに来たわけじゃないだろ! しっかりしろ! 集中しないと落ちるぞッ!)


 頭を振って雑念を消しているとディルムンドが説明を終わらせにかかった。


「それではこれで変更の説明を終わりにしたいと思う。これから実技試験を行うため場所を移動するが、その前にこれまでの話を聞いて何か疑問はあるかな?」


「実技試験の場所に変更はありませんの?」


「ああ、それは変わりないよ。予定通り東の森で行う。試験の内容も当然変わらない」


 再びジュリアが質問し、今度はディルムンドも率直に答える。


(事前に公開されていた試験内容は東の森で魔獣と戦うこと。弱い『月光』しか使えない俺にとっては圧倒的に危険な内容。だけどちゃんと対策はしてきた。高得点は狙えないかもしれないけど、合格点は必ず取ってみせる。へこたれてる場合じゃない。疲れなんて気合でふっ飛ばそう、というかふっ飛ばすくらいの気合がないと今にも倒れてしまいそうだ)


 決意を新たにした疲労困憊のラグナをよそに、ジュリアの質問に答えたディルムンドは他の受験生たちの顔を見まわし始める。


「他に質問はないかな? 試験内容に限らずどんな些細なことでも構わない、私に答えられるものなら答えるよ。ああ、だが質問は出来ればこの場でしてほしい。個別に聞いていると試験開始時間を過ぎてしまうからね」


(どんな質問でも……そうだ! もしかしたら『三騎士』のディルムンド様ならあの事を知ってるかも! ……いや……でも……聞いてもいいんだろうか、アレについて……試験とは関係ないうえに下手したら変人呼ばわりされるような気がする……どうしよう……)


 女性受験者たちが黄色い声をあげて恋人や好きな人がいるのかなどの質問をし始める中でラグナは質問するか迷っていた。そしてとうとう結論を下す。


(……ハッキリ言って馬鹿げた質問だってことはわかってる……本当はこんな公衆の面前で聞きたくないけど……あんな凄い人に話を聞ける機会なんて次にいつ来るかわからない。それに騎士団の頂点に立つあの人なら普通の人が知らないことでも知っている可能性がある。だったらもう。迷うまでもない――)


 躊躇いながらもラグナはおずおずと手を挙げた。途端にディルムンドに飛んでいた質問の嵐は収まり、視線が私服の少年に集中する。


「何か質問かな? しかし私服姿とは珍しい、それにこの辺りでは見ない顔だ。もしや外部からの受験生かな?」


「は、はい。そうです。ラグナといいます。それで、その……どんな質問にも答えていただける、っていうのは本当なんでしょうか……?」


「ああ、私が答えられることに限るがね。それでラグナ君の質問というのは何かな?」


「……う、あ、はい……その……」


 注目される中で口ごもりながらもラグナは今までの人生の中で最も知りたかったが知ることが出来なかった質問をする。


「く……『黒い月』について……何か知っていますか?」


 その質問をした瞬間、場が静まり返った。質問を受けたディルムンドも首を傾げながら困ったように微笑む。


「……『黒い月』というのはあれかな? おとぎ話の『銀月のヴァルファレス』に出てくるあの『黒い月痕』を使うと現れるという『黒い月』のことを言っているかな?」


「は、はい、そうです!」


「それで、何か知っているかというのはどういう意味なんだろう? 私も幼少期にあの本を持っていたが、今はもうなくてね。記憶もおぼろげだ、ヴァルファレスがクロウツを倒したということ以外あのおとぎ話について語れるようなことはなにも――」


「い、いえ違います! おとぎ話の内容を知りたいわけじゃなくて、おとぎ話と同じように現実に現れる黒い月について教えてほしいんです!」


「……現実……? ……フィクションの中の設定ではなくてかい……?」


「はい、現実に存在するものとしてです!」


 その言葉を言った途端、静かだった場が凍りついた気がした。ディルムンドはラグナの意図がわからないようで両腕を組んで考え込んだ後、口を開く。


「……すまないが力になれそうにないな。一般的に『黒い月』は『銀月のヴァルファレス』というおとぎ話を盛り上げるために作られた設定という事になっている。私もずっとそう思っていたのだがね――質問を返すようで申し訳ないが――さっきの質問から察するに、もしや君は『黒い月』を実際に見たことがあるのかい……?」


「あ……いや……そういうわけでは……その……」


 ラグナが困惑していると時計塔の鐘の音が鳴り響いた。


「おっと、もうそろそろ時間だな。質問の途中ですまないが、いったん切り上げさせてくれ。役に立てなくてすまなかったね、ラグナ君」


「い、いえ! 答えていただいてありがとうございました……」


 お礼の言葉を聞き笑顔で頷いたディルムンドが台から降りると今度こそ説明会はお開きとなる。二十分後には数台の軍用車両に乗せられて東の森に移動することになるらしいが、それまでは自由時間となった。ラグナは先の戦闘で傷ついた体を少しでも休ませようと木陰に行って休んだが、ほどなくして五台の大型軍用車がグラウンドに到着し、受験者たちを乗せると森に向かって出発する。巨大な車の中は列車の内部と似ており、二人腰掛けられる座席が向かい合うように設置されていた。四人で一つのブロックに区切られたその座席にはそれぞれ番号がつけられ、受験生は受験番号と同じ席に座ると説明されたのだが――。


(……き、気まずい……何か俺悪い事したかなぁ……)


 本来は四人掛けの席、しかし数の都合上ラグナと相席になったのは三人ではなく二人だった。それだけなら別に構わないのだが、目の前のツインテールの美少女はつり目ぎみの目で明らかにラグナを睨んでいる。確かディルムンドに質問していた少女だ。その上つり目少女の隣に座った青いセミロングの髪をした、たれ目の美少女も同じようにこちらを見ているのだが、その透き通った目からは何を考えているか読み取れない。このまま居心地の悪い状態で車に乗るのはきつかったため、とりあえず眼前の少女に話しかけてみることにした。


「こ、こんばんわ」


「……ええ、こんばんわ」


「お、俺はラグナ。君は確か、ベルディアスさんだよね?」


「ジュリアで結構ですわ。さん付けもいりません」


「でも……」


「家名で呼ばれるのが好きではありませんの。遠慮されることもね」


「……そっか。わかったよ、よろしくジュリア」


「ええ、よろしくお願いしますわ」


 目つきは先ほどと変わらないがラグナの差し出した手をすぐに握り返したのを見ると敵意はないのかもしれない。とりあえず安心すると、もう一人の少女の方に目を向けた。


「それで彼女は……」


「この娘はリリス、リリス・キングフロー。私の友人です」


 当人ではなくジュリアが紹介すると、リリスはコクリと小さく頷いた。


「よろしく、キングフローさん」


「……ジュリと同じでいい……リリって呼んで……」


「え、いいの?」


 豊満な胸を揺らしリリスは頷く。それを見たジュリアはなぜか驚いている様子だった。


「ジュリア、どうしたの?」


「……いえ、リリが私以外の人間に自発的に話しかけたことが珍しくて。ラグナ、あなた相当興味を持たれていますわよ。リリは興味の無いことにはとことん無関心ですからね」


「……興味、ある……」


 ジュリアの言葉を肯定するようにリリスは小さく呟いた。


「まあ、私も興味というか、関心はありますわ。なぜあんなおかしな質問をしたのか、という疑問ですが」


「や、やっぱりおかしかったよね、アハハ……」


「当たり前ですわ。あんなことを公衆の面前で聞くのはやめなさい。頭のおかしい人間と思われますわよ。私たちが使えるのは空に浮かぶ六つの月の力だけ。十万の軍勢を薙ぎ払った七番目の黒い月の力など創作の中でしかありえませんわ。左手に刻まれた『黒い月痕』も当然存在しません。私たち『月詠』の『月痕』は全て右腕に刻まれます。例外はありませんわ。ただでさえ外部受験者として目立っているのに、さらに悪目立ちしますわよ。半年ほど前からこの街ではおかしな事件が起きていて受験生たちも若干ピリピリしているのですから発言には気を付けなさい」


「おかしな事件……?」


「騎士団長のアルフレッド様やブラッドレディス様が側近の騎士たちと共に行方不明らしいのです。この街の警備は実質ディルムンドが支配しているようなものなのですよ」


「え、ちょっと待って!? アルフレッド様とブラッドレディス様が行方不明なのッ!?」


「ええ、混乱を避けるため民間には公になっていませんがそうらしいですわ。それとこれはまだ不確かな情報なのですが……一部の王侯貴族たちも姿を消しているとか……」


「嘘ッ!? 王侯貴族まで行方不明ッ!?」


「確定したわけではありませんが、そういう話が出ているらしいですわね。まあ私たちは寮生活だったので詳しくは知りませんが」


「……私も聞いた事ある……」


(もしかしてさっきブレイディアさんが言ってたこの街の危険に関係あるのかな……)


 ラグナはブレイディアが言っていた言葉を思い出し眉を寄せた。ジュリアはその様子を怪訝そうに見つめて来た。


「どうかしましたの……?」


「あ、ううん。なんでもない……でも確かにおかしな事件だよね。王侯貴族や騎士団のトップが二人も消えるなんてさ。だけどディルムンド様がこの街に残っているのならきっと大丈夫だよ。ディルムンド様の武勇は田舎出身の俺でも知ってるくらいだし。市街地に突然現れた魔獣の大群を騎士たちを指揮して追い払った話なんかも有名だもんね。しかも最強の騎士の証であるあの『英雄騎士ヴァルファレス』の称号まで持ってるし。本当に凄いよ」


 この国の騎士が与えられる称号の中でも至高にして究極の称号と言われている――『英雄騎士ヴァルファレス』の称号はこの国から生まれたかつての英雄ヴァルファレスをモチーフにしたものだ。与えられた者は貴族に近い位を与えられ、この国を代表する騎士として扱われる。いわば英雄の称号。


「……もしかしてラグナはディルムンドに憧れていますの……?」


「うん、実はそうなんだ。ディルムンド様の自叙伝や活躍した話なんかが載ってる本とかも持ってる。あの清廉潔白な性格や強さは俺の目標だったよ。まさに騎士の中の騎士だよね。今日会ってみてあらためてそう思ったよ。ヴァルファレスと同じくらいカッコいいよね」


「……まあ大半の受験生はディルムンドに憧れを抱くようですわね。ですが私はどうもあの男が苦手です」


「……私も……」


 ジュリアとリリスの思わぬ言葉にラグナは目を丸くした。


「え、どうして……?」


「うまくは言えないのですが……どうもあの男の言葉は上辺だけで中身が薄っぺらく感じるのです。まるで本心を隠しているような……」


「……胡散臭い……」


「ええ、そうかなぁ……そんなことないと思うけど……」


 ラグナが二人の言葉に疑問を呈すると、ジュリアが咳払いした。


「まあ今は試験中ですからね、無駄話はこの辺にしておきましょう。とにかく『黒い月』の話はもうやめておきなさい。そのことを言いたかったのです」


「……そうだよね。ごめん、変な質問して。ジュリアを怒らせるつもりはなかったんだ。許してほしい」


「え? 私は怒ってなどいませんが……」


「へ? だってさっきから俺を睨んで……」


「に、睨んでなどいませんわッ! た、ただ私は……」


 ごにょごにょと聞こえない言葉を呟きジュリアは体をもじもじさせた。


「……ジュリは外部受験者のラグナとお話したかっただけ……外部からの受験生なんて珍しいから……あと悪目立ちして他の受験生に虐められないか心配してた……でもなんて話しかけたらいいのかわからなくて見ることしかできなかったの……ジュリは恥ずかしがり屋……目つきは悪いけど……とってもいい子……それでラグナに興味津々……」


「な、なにを言っていますのッ!? ち、違いますわ! 私は……」


「……ジュリは素直じゃない……ラグナ、色々お話しよう……ジュリも一緒に……ね……?」


「う……ま、まあリリがそこまで言うなら話に付き合ってあげなくもないですわ。どのみち森に着くまで暇ですしね。というわけですわ、いいですかラグナ?」


「うん、もちろん」


 ラグナは束の間ではあったがジュリア、リリスと親睦を深めた。



 車で森の入口に到着すると、受験生たちとそれを監督する試験官たちは一つの場所に集められた。ちょうど校庭に並んでいた時と同じように整列すると、やはり先ほどと同様にディルムンドが集団の前に姿を現す。


「諸君、試験の前にルールを確認したい。まずこの森には特別に調教を施した魔獣が数十体放たれている。そしてその魔獣の首には得点となるプレートがつけられており、それを君たちは手に入れなければならない。なぜなら手に入れたプレートはそのまま君たちの得点となるからだ。魔獣を倒すだけならば『月詠』の君たちにとってそう難しくない。だがそう簡単にプレートを得られないことは賢明な君たちならば理解できるだろう」


(一見した人数や受験番号から察するに受験生は百人を超えている。でもプレートを付けた魔獣の数は数十体。ってことは――)


「察しの通り、君たちにはプレートを奪い合ってもらう。相手を死に至らしめること以外ならば決闘、共闘、だまし討ち、いかなる手段も認めよう。私物の持ち込みも許可されている。これは実戦を想定した試験、君たち個々人の対応力を見せてほしい」


(魔獣と戦うだけではないと思っていたけどやっぱり結構難易度高いな。でも気持ちで負けてたら合格なんて出来ない。頑張るぞ!)


 ラグナが気合を入れ直しているとディルムンドが話のシメに入った。


「制限時間は三時間だ、最後まで気を抜かないで欲しい。そして最後になるがこれは試験の内容ではなく激励の言葉として受け取ってくれ。我々『月詠』は空に浮かぶ『セカンドムーン』と呼ばれる六つの月から地上に放たれる光――『月光』を浴びた結果進化した超人だ」


(『セカンドムーン』――通常の天体である月とは別に昼夜光り輝きながら世界を取り囲むようにして浮かぶ巨大な謎の物体。そこから放たれた光を浴びた一定の人間は『月詠』になり、一定の動植物は魔獣へと変化する。さらに数百年から千年単位で『月光』が当たった鉱物は莫大なエネルギーを内包した『月光石』へと形を変える。そして発掘された『月光石』は機械の動力に使われて現代の文明の礎となった、か――ホント不思議な存在だよな)


 リュックから取り出した教本で復習しているとディルムンドの澄んだ声が再び響く。


「超人である君たち一人一人は選ばれた存在と言っても過言ではない。だがだからと言って何をしてもいいというわけではない。力とは常に正しく発揮されなければいけないと私は考える。そして君たちがこれから受ける騎士採用試験はまさに正しい力の使い方が出来る場所への入口のようなものだ。ぜひ頑張ってほしい。――それから試験前に試験官から各自装備を受け取ってくれ。『月錬機』や時計、電子マップ、緊急連絡用の無線など必要なものが支給される。以上だ」


 ディルムンドの演説が終わり試験の説明も終了した。試験に必要な物を支給された後すぐに受験生たちは試験官に連れられてそれぞれ東西南北に別れた森の入口に移動することになる。ラグナを含む二十数人を案内したのは受付をしていた女性だった。


「森に入る前に最後の説明をする。よく聞きなさい。君たちの受験番号札にはGPSが埋め込まれており、我々は常に受験生の位置を把握している。もし何か命にかかわるような危機的な状況になった際は無線ですぐに連絡をしなさい。自身の番号を言えば試験監督員がすぐに駆けつけるだろう。また各自で限界を感じリタイアしたいと思った場合は森の中の仮設テントか、森の外の本部に向かいなさい。支給した電子マップには君たちの現在地と仮設テント、本部の場所が常に表示されている」


 ラグナが折り畳み式の薄い電子プレートを開くと森の内部と外の地図が表示される。その中には東西南北の方角と共に赤、青、黄、の印が三つ点滅しており、それぞれが名前付きで現在地、仮設テント、本部の位置を示していた。


「それを見ていればまず迷うことは無いはずだ。ではこれから一人ずつ森に入ってもらう。全員が森に入ってから三十分後に試験は始まる。試験開始の合図は各自の電子マップに送られるので森に入ったら随時確認するようにしなさい――ではこれから森に入ってもらう。番号の小さい順に並びなさい」


 受付の女性から最後の説明が終わると最初の受験生が森の中に入って行った。十分おきに一人ずつ受験生は森の中に入ることになっており、とうとうラグナの番となる。


「……よし、君の番だ。行きなさい」


「はい」


 抑揚の無い声に促され、ラグナは薄暗い不気味な森に入る。太陽は完全に沈み、森は夜の闇に閉ざされる。結果として月明かりだけが森に差し込んでいた。


 そしてラグナや他の受験生たち全員が森に入った三十分後、電子マップにスタートの表記がなされ、試験は始まった。


(とにかくまず魔獣を見つけよう。この辺に住んでる魔獣の習性や対応の仕方は本で読んだから『月光』や『月錬機』が使えなくても隙をついてプレートを奪えるはず。何も倒す必要はないんだ。それでプレートを何枚か手に入れた後が本番だ。その後は――全力で隠れて逃げ回る! よし、行くぞッ!)


 支給された『月錬機』を収納したホルダーを腰に付け直し、最高に情けない作戦を胸に秘め、これまた支給された装備を詰めた私物のリュックを背負ったラグナは魔獣を見つけるべく森の中を奔走したが――。


「み……見つからない……一匹も……」


 開始から二時間以上走り回ったが目標を一匹も見つけられなかったラグナは近くの木にもたれかかりながら座り込み袖で汗をぬぐった。


(……ど、どどどうしよう……試験終了まで残り一時間を切ってるのに……)


 支給された腕時計を見るとタイムリミットまで残り五十分。ラグナは立ち上がり走り出そうとしたがめまいに襲われ思わず座り込んでしまう。


(……やっぱりドルドにやられたダメージがまだ残ってるのか……)


 座っていると前方の茂みが大きな音を立てて鳴り始める。音から察するに距離は十数メートル先。魔獣か、はたまた他の受験生かはわからないが、試験がプレートの奪い合いである以上きっと戦いは避けられない。ラグナは弱弱しい銀色の『月光』を身に纏うと腰のホルスターにある『月錬機』に手を伸ばした。


(……そういえば『月錬機』を使うの初めてだな俺。確か『月錬機』は使用者によって武器の形状が異なってて、呼び出した『月光』を介して魂のイデアコードにアクセスし、自分にとって最も適した武器の形に変わるとかなんとか。訓練学校だとそういう知識も含めて使い方とか実際に教わるらしいけど……俺は独学のうえ、個人で買うには『月錬機』は高すぎるから今回ぶっつけ本番になってしまった……でも信じよう、自分の力をッ!)


 茂みをかき分けて出て来た二つの人影を目にした瞬間、ラグナは『月錬機』を手に取り前方に構えた。その瞬間、銀色の光がボックス状の機械に吸い込まれ武器に変形する――まさにそれは美しい銀色の剣。


(よし、俺の弱弱しい『月光』でもちゃんと変形し――え……?)


 ――確かにそれは剣だった――ただあまりにもそれは――。


「――って小っちゃッ!?」


 ――さながら売店で男の子が買いそうな剣の形をしたキーホルダーとでも表現すべき全長五センチメートルの銀色の剣が出来上がった。


(……い、いやでもすごい切れ味なのかもしれないし……そうだ! きっと投擲用の武器なんだきっとそうだ! ……でも投げちゃったら取りに行かなきゃいけないし、敵を牽制するならまずアレだ! 俺が使える唯一にして最大最強の『月光術』――これを最初にお見舞いしてやる!)

 

 ラグナは意識を集中させると玩具の剣の切っ先を物音のする方へと向けて叫ぶ。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!! 食らえ――〈アル・グロウ〉!!!!」

 

 その瞬間、ラグナの体に纏わりついていた銀色の光が剣の切っ先に集中し――銀の光弾が放たれた。光弾の力はあらゆる『月詠』の度肝を抜くような大きさと速度と威力であった。


 なんとサイズはリンゴと同じくらい。


 スピードはカトンボの飛行速度より若干遅い。


 威力は五歳児の子供が全力で投げたビーチボールより遥かに下回る。


 ある意味他者を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っていた――。


「や、やっぱりショボい……けど牽制くらいには――」


 ――結果、敵に到着した光弾は、虫を払うような動作で弾き返され――。


「ごぶふぁああああああああああああああああああああッ!?」


 ――放った際の威力以上の力でラグナの腹部へとめり込む、と同時にあまりの痛みに座り込んでしまう。


「……ぐぐぐぐ……こ、こうなったら俺の『月錬機』をぶつけるしかない……く、くらえッ!!!」


 ラグナは痛みをこらえながら立ち上がると渾身の力を込めて近づいてくる二つの人影のうち一つに投げつけた。剣は人影に吸い込まれると――目標の服にぶつかり弾かれると呆気なく地面に落ちた。人影の一人はぶつかったそれを拾い上げるとおもむろに呟く。


「なんですのコレ……? 玩具……?」


「……違う……きっとキーホルダー……」


「……うわあああああああああああああああああああああああああん! やっぱりハズレ武器だあああああああああああああああ!」


 二つの人影がジュリアとリリスであることに気が付く前にラグナは泣き崩れた。


 数分後、突然泣き崩れたラグナに気が付いたジュリアとリリスはそれをなんとかなだめる。二人の慰めもあり、なんとか落ち着きを取り戻すと、キーホルダー型の剣をそそくさと回収し、二人にバレないように背中で隠し柄の部分の赤いリセットボタンを押す。『月錬機』には全てリセットボタンが付いており、そこを押すと武器からボックス型に戻るのだ。この矮小な武器が自分の『月錬機』とは死んでも知られたくなかったのである。元に戻った『月錬機』を急ぎ腰のボックスホルダーにしまうと二人が話しかけてきた。


「まったく……突然泣き始めんですもの、驚きましたわ」


「……平気……? ……痛いところない……?」


「うん、心が痛いだけ……大丈夫……」


「はぁ、そうですか。まあいいですわ。ところでラグナ。あなた、プレートは持っていますか?」


「いや、それが……」


 ゼロという不甲斐ない戦績に思わず言葉に詰まってしまう。だがジュリアはそれを不審に思うことなく、全てを察しているといった風に続けた。


「やはりあなたもですか……」


「え、あなたもって……それじゃあ……」


 ジュリアとリリスは同時に頷くとついに本題に入った。


「私とリリが出会ったのが今から三十分ほど前のことです。それまで私は森の中で魔獣や他の受験生を探していました。しかしプレートを持った魔獣は見つからず、仕方なく他の受験生からプレートを手に入れようと考えたのですが……」


「……他の受験生もみんな持ってなかった……私たちが会った人全員……」


「ええッ!? それってつまり……」


「そうですわ。誰一人魔獣を倒していない――というより話を聞く限り魔獣と出会ってすらいなかったのです。奇妙だと思いませんか?」


 問われて思い返すと確かにおかしい。二時間以上走り回ったにもかかわらず魔獣どころか戦闘の跡さえラグナは見つけられていなかったのだ。


「それに私やリリ、出会った受験生たちの運が悪かったとしてもこれだけ探して『月光術』発動の痕跡や魔獣の死体すら発見できないなんておかしすぎますわ」


 ここまで言ってジュリアは話を区切った、そして新たな話を切り出す。


「――ですがこれは試験、いくらおかしくとも私たちに出来るのはタイムリミットまでにプレートを探すことだけ。そこで私とリリは同盟を組みました。指定された時間までは残りわずか、この短い時間に一人で広い森を探すのは無謀というもの。ですから二人で協力してプレートを手に入れることにしたんですの。まあ協力するといっても私たちはライバル、ちゃんとルールは決めましたが。それで、その、あなたもどうかと思いまして……」


「どうかって……俺もその同盟に入れてくれるってこと?」


「そ、そうですわ。二人よりも三人の方が探しやすいでしょう? それで、どうです?」


「……私達もう友達……だから歓迎……」


 二人はラグナの言葉を待つようにじっと見つめてくる。どのみち当てなどないのだ、迷う必要はない。


「友達……ありがとう、嬉しいよ。ぜひお願い――」


「グオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!」


 ラグナが提案を了承しようとした瞬間――巨大な獣の咆哮のようなものが森の中から聞こえて来た。


「リリ、ジュリア、今の……」


「……うん、聞こえた……」


「ええ、行ってみましょう」


 空気を震わせるほどの獣の雄叫びは森の奥から響いていた。意を決したラグナ達はそこに向かうべく足を進める。細い木々や大きな木を通り過ぎ、歩いていると森の中でもかなり開けた場所に出た。そしてその瞬間、ジュリアとリリスは凍りつき、ラグナは声にならないような声をあげた。なぜならそこはまさに――。


「ひ、人が……なんで……」


 ――惨劇といっていいほどに血にまみれた人たちが倒れていたからだ。


 その瞬間、ブレイディアの忠告が脳裏をよぎった。と同時に血の海に沈む二十人以上の人々を見て、かつての忌まわしい記憶がフラッシュバックする。ドルドに殺されかけた時に脳裏をよぎった過去の光景――それが現状とあまりに酷似しすぎていたのだ。だがいつの間にか倒れている人たちのもとに駆け寄って怪我人の容体を見ていたジュリアとリリスを目で捉え、その結果正気を取り戻すと、ラグナもまた二人と同じように事に当たった。


「……酷いですわね。一応、生きてはいますが……リリ、ラグナ、そちらはどうですの?」


「……虫の息……」


「こっちも同じだよ。どうしてこんな……」


「わかりません。ですが傷を見る限り何者かに襲われたことは間違いないですわ……これはもう試験どころではありませんわね。リリ、緊急連絡用にわたされていた無線で試験官の方々に連絡を。その間に私とラグナで応急処置を施します」


 ジュリアの指示にラグナとリリスは頷くとそれぞれの役割を迅速にこなした。試験前に渡されていた救急キットに入っていた包帯などで止血を行い、薬を飲ませ、なんとか全員分の治療を終える。自分たちの分の救急キットだけでは足りなかったものの、幸いにも負傷者の荷物が無事だったため中に入っていた救急キットを用いて乗り切ることが出来た。またキットに書かれていた指示通りに動いたためか比較的に短い時間で完了する。


「これで助かるといいけど……ジュリア、そっちは終わった?」


「ええ、ちょうど終わりましたわ。怪我をしている方たちの荷物に支給されていた救急キットがまだ残っていて助かりました。そうでなければとても数が足りませんでしたもの」


「確かに。じゃあ皆を別の場所に移そうか。ここだと彼らを襲った奴にまた襲われるかもしれないし」


「そうしましょう。確か来る途中に大きな木がありましたわね。あそこなら目印にもなりますしちょうどいいと思いますわ。しかし『月光』の使用は控えましょう。傷に障るかもしれません」


「そ、そうだね、慎重に運ばないとね」


 『月光』を使用したところで移動速度も筋力もたいして変わらないラグナはバツの悪そうな顔になりながらも負傷者を担いだ。




 周囲を警戒しながら手分けして負傷者たちをある程度離れた所にあった大きな木の近くに運んだラグナとジュリアは木の葉で全員の体を隠すと元の場所に戻って来た。


「とりあえず隠せましたが長い間放置はできないですわ。急いで助けを呼ばなくては」


「俺もそう思う。ところでリリは?」


「あら? おかしいですわね、さきほどまでこの辺りにいましたのに」


 ラグナとジュリアが首を回して探していると、奥の森からリリスが出て来た。


「リリ、連絡は取れましたか?」


 ジュリアの言葉にリリスは首を横に振った。


「……連絡出来ない……何度もやったけどやっぱりダメ……もしかしたら……私の無線、壊れてるのかも……」


「わかりましたわ、私がやってみます。『こちら受験番号101、緊急事態発生。受験生が大量に負傷中、このままでは命にかかわります。至急応援を』」


 しかし無線からは何も返ってこない。ジュリアはその後も何度か繰り返し、ラグナも自分の無線や怪我人の無線で同じように連絡してみたが結果は変わらなかった。


「……どうもリリの無線が壊れているというわけではなさそうですわね。私やラグナ、負傷している方たちの無線を使ってもなんの応答もないなんて。……携帯も通じませんし、困りましたわね」


 ラグナは自分の受験番号札を見ながら森に入る前に受付の女性から聞かされていた緊急対応の方法を思い出していた。


「……森に入る前に説明されたけど、俺達の受験番号札にはGPSが埋め込まれてるんだよね。それで何かあったら無線で自分の番号を伝えて要件を言えば試験官の人が来てくれるって」


「そのはずですわ。試験官は何かあった時に備えて森の外にある本部とは別に森の内部にテントを張ってモニターを見ながら交代で待機することになっています。しかし……はぁ……まったく、おかしなことが続きますわ。魔獣が見つからないうえに受験生が襲われ、そのうえ試験官に連絡がつかないなんて。これは本格的にマズいですわね、もしかしたら他の受験生たちも同じ目に遭っているかもしれませんのに」


 ジュリアは深刻そうに下を向いてため息をついた後、何かを決めたように顔を上げ電子マップを取り出した。


「……こうして待っていても仕方ありません。こうなれば、直接伝えに行くしかありませんわね。マップを見るに現在いる場所は森の奥ですが『月光』を使って全力で走れば三十分ほどで試験官の大勢いる本部の建物に到着できるでしょう。ですから一人は本部に、もう一人は森の中にある仮設テントに向かいます。もしかしたら何かのトラブルで無線機器が使えなくなってるだけかもしれませんしね。しかし怪我人を放置するわけにもいきませんので最後の一人はこの場に残って――ラグナ、リリ」


 最初はジュリアが言葉を途中で切って自分たちの名を呼んだことに首を傾げたが、ラグナもすぐに気がつく。森のさらに奥から草をかき分けるような豪快の音が響いてきたのだ。二人の少女はすぐさま『月光』を纏い、専用のホルダーケースに入れられた『月錬機』を手に取る。その瞬間、光を吸収した正方形の機械は形を変え、黄色のバルディッシュと青い双剣になった。


 黄色い『月光』を纏いバルディッシュを持ったジュリアと青い『月光』を纏い双剣を携えたリリスが武器を構えてから間もなく巨大な獣が姿を現す。額に生えた一本の角に、全身を覆う分厚い茶色の毛皮、鋭利な爪や牙を持ったその三メートル近い巨獣はこちらに気づくと大きな雄叫びをあげた。試験が始まって以来求め続けた存在が唐突に現れたことに驚きつつもラグナは嘆く。


「魔獣……こんな時に現れないでくれよ……」


 熊に似たその魔獣は首に下げている五十と書かれた銀のプレートを揺らしながら一目散にこちらに向かって突進してきた。その巨体からは想像も出来ないほどの速度で走ってきた熊型の魔獣は、大きな口を開けてラグナに噛みつこうと飛びかかるも、直前にジュリアがそれを防ぐ。バルディッシュで牙をなんなく受け止めた学友に続きリリスも疾風のような速度で双剣を繰り出すと、熊の前足と後ろ足の腱を切り裂いた。


 血しぶきと共に絶叫が木霊するも、ジュリアは気にも留めずのしかかっていた巨体を強引に押しのけた。その結果、魔獣は無様にも仰向けに倒れる。加えて足の腱を切断されていたためか起き上がることは出来ず身をよじるしかないようだった。そのあと間を開けずにとどめと言わんばかりにバルディッシュの重い一撃が熊の頭部を砕き、戦闘は終わる。


(……凄いな……二人とも強い……もしかしたら訓練学校で上位の成績だったのかも……あ、そういえばディルムンド様がジュリアの成績が良いとかって言ってたっけ……たぶんリリもそうなんだろうな……)


 一連の流れるような動作には驚きを通り越して感動すらしていた。それほどに二人の連携は取れており、それでいて彼女たち一人一人の技量の高さも伺い知れるような高度な戦闘だったのだ。ジュリアとリリスは魔獣の死体に背を向けると、呆けているラグナの方に顔を向けた。その途端に自分が何もしなかったことに気づき、怒りの言葉が飛んでくるものと覚悟したが――。


「すみませんラグナ、あなたの獲物を横取りする形になってしまいましたわ」


「……ごめん……プレートはちゃんと返す……」


 予想外の謝罪に面食らってしまう。


「い、いやいや! いいよ、プレートは君達が貰って! 仕留めたのは君達なんだから!」


 二人の申し訳なさそうな顔を見ていると逆に申し訳なくなってくる。


(二人が助けてくれなきゃやられてました……役立たずですみません……)


 心の中で謝罪すると話題を切り替えるべくラグナは口を開いた。


「そ、それよりこの魔獣がみんなを襲ったのかな?」


「それはないと思いますわ。爪や牙には血がついてませんでしたし、なによりこの程度の魔獣に二十人以上もやられるとは思えません」


「……同感……」


「そ、そっか……じゃあいったいみんなは何に襲われ――」


 ラグナが言い終える前に再び茂みが揺れる。見ると先ほどと同じようにまた熊型の魔獣がその身をさらす。ジュリアとリリスが再び臨戦態勢に入るも――その前に上空から轟音が響く――それはまるで巨大な何かが空気を切り裂いて落下してくるよな音――そして空気が破裂するような音がピークに達した時、それは現れた。熊を押しつぶすように落下してきたそれは地面を破壊すると同時に風を巻き起こす。


「うわあッ!?」


「なッ!?」


「……きゃッ……」


 爆発のような衝撃に襲われたラグナ達はそれぞれ木に激突した。


「ぐ……ふ、二人とも、大丈夫……?」


「ええ、なんとか……」


「……平気……」


「よかっ――」


 二人の無事を確認したのも束の間、安堵の言葉もすぐに喉の奥に引っ込む。その理由は土煙で隠し切れない巨大な乱入者にあった。熊の魔獣など比較対象にならないほどの大きさで落下してきたその生物は黒い鱗と爪にベットリとついた大量の返り血をラグナ達に見せつけるように地響きを起こしながら一歩一歩近づいて来た。やがて爬虫類のような金色の瞳と目が合うほどの近さまで接近した時、ようやくその全貌が明らかとなる。


「ど……ドラゴン……」


 ラグナが呟いたその瞬間、十メートルを超える黒竜の咆哮が空気を震わせた。


「《ウル・ゼルド》!」


「……《エル・ウォート》……」


 龍の咆哮にあてられて動けないラグナとは違い、ジュリアとリリスは即座に『月光術』を発動する。二人の全身を覆っていた輝きはそれぞれの武器の切っ先に集中し、物質を形成する。バルディッシュの先端には一本の巨大な岩の槍、双剣の周囲には氷で出来た小さな針が無数に作られドラゴンの顔に向けて一斉に放たれた。少女たちの渾身の攻撃は漆黒の翼を盾に使われ防がれてしまうも、そこに一瞬の隙が生まれる。


「今のうちですわ! こちらに!」


 ジュリアの先導でドラゴンから離れたラグナ達は木の影に隠れるように腰を下ろした。


「なんでドラゴンが……も、もしかしてあれも試験に用意された魔獣なのかな……」


「……ありえませんわ。試験に使われる魔獣は大きくとも三メートル前後。あの黒いドラゴンはどう見ても十メートル以上はありました。あんなモノ、個人がどうこうできる出来るレベルを遥かに超えています。それこそミサイルのような強力な兵器でも使わない限り倒せないでしょう。しかしこれで受験生が大量に倒れていた理由がわかりましたわね」


「みんなアイツのせいってことだね……」


「ええ。鱗と爪についていた大量の血は間違いなく受験生たちのもの。魔獣がほとんど見つからなかった理由はドラゴンの餌になっていたからでしょうね。魔獣の上位種であるドラゴンは下位の魔獣を餌にすると聞いたことがあります。まあ火山帯に生息しているはずのドラゴンがどうしてこんなところにいるのかはわからずじまいですが……」


「あ……そういえば俺今朝ネットでドラゴンが大量に火山帯から消えたっていう記事をみたよ。もしかしてそれと関係あるのかな……?」


「わかりませんが、無関係とは言えないでしょうね。ですが今考えるべき事はそのことではないはず」


「……そうだね」


 ラグナとジュリアが会話を止めると、リリスが二人の顔を見まわした。


「……ジュリ、ラグナ……これから、どうする……?」


 リリスの質問にジュリアは一瞬顔を曇らせたが、すぐにいつもの凛々しい表情になる。


「このままここにいてもジリ貧ですわ。ドラゴンは知能が高く狂暴、一度目を付けた獲物を逃がすことはないと言われています。隠れていてもいずれ見つかってしまうでしょう。それに今ドラゴンがいる周囲には負傷した方々がいます。隠してあるとはいえこのままでは間違いなく奴の餌食になってしまいますわ――そこで私に作戦があります」


「作戦って、どんなものなの?」


「いたってシンプルなものですわ。三人のうち二人がドラゴンを引き付けこの場から引き離し、残る一人が助けを呼びに行く、というものです」


「ちょ、ちょっと待ってよ! それは陽動する二人があまりに危険すぎる!」


「……そうですわね。陽動する二人はドラゴンに殺される危険があります。しかし現状これ以外に取れる選択肢はありません。誰かがやらねばならないのです」


 そう言うとジュリアは立ち上がり、無言でリリスを見つめた。それに対して無表情の少女は全て承知済みと言わんばかりに頷くと腰を上げた。


「ラグナ、陽動は私とリリが引き受けます」


「……やる……」


「な!? そ、そんなの駄目だよ! 陽動なら俺一人でやる! 君たちが助けを呼びに行ってくれ! 二人で行った方が確実だよ!」


 だがラグナの提案にジュリアはゆっくりと首を横に振った。


「一人であのドラゴンを引き付けるのは不可能ですわ。二人なら互いに連携し合って『月光術』の隙を埋められます。加えてリリとは何度も騎士養成学校の訓練で組んでいます、私たち二人の方が理にかなっていますの。ですが私とリリが出来るのはあくまで時間稼ぎ、私たちがやられればあのドラゴンはあなたを襲いに行くかもしれない。だからその間にどうにかして逃げてください」


「い、いや、待ってくれ! 無理なんだ! じ、実は、俺は――俺はまともに『月光』が使えな――」


 ラグナが懺悔するように告白を始めた時、竜の叫びがすぐ近くの木々を揺らした。


「もう時間がありませんわね。ラグナ、頼みましたわよ。リリ!」


「……了解……ラグナ、気をつけて……」


「ま、待っ――」


 月の光を帯びた二人はドラゴンの前に飛び出すと鱗を切りつけ、注意を引きながら東の方に入り去って行った――その場に残されたのは非力な少年ただ一人だけ。


「……俺は……クソッ!」


 地面を殴りつけた後はただ無力感に打ちひしがれるしかなかった。まともに『月光』の使えないラグナが仮に全力で走って助けを呼びに行ったところで本部までたどり着く頃にはジュリアやリリス、他の受験生はとっくにドラゴンに殺されているだろう。それどころか逃げ切れるかどうかすら怪しい。


(もっと早く二人に言うべきだったんだ……俺はまともに『月光』が使えないって……俺に出来る事なんて囮くらいしかないのに……まともな『月光』の使えない俺が全力で走ったところで仮設テントまで一時間、本部までは二時間以上かかる……絶対に間に合わない…………どうして俺はこんなに無能なんだ……力が欲しい、みんなを救える『力』が……)


 願うように両手を組んだ瞬間――左手が熱を持って強く振動を始めた――焼けるような熱さがラグナの左手を焦がす。


(またか、こんな時に――いや――この『力』を使えば――って何考えてるんだ、馬鹿か俺は! また同じ過ちを繰り返すつもりか! 下手をすればこの辺り一帯全てを……)


 苦し気に体を両腕で抱きしめたラグナは頭を振って嫌な想像を振り払った。


(でもこのまま何もしなければジュリアやリリは……そんなの嫌だ……せっかく知り合えたのに……友達になれたのに……もう失いたくない……でもこの『力』を使えばジュリアたちを含めた大勢の人をまた……決められない……どうしたらいいんだ……)


 ラグナが首を下げて両手を地面についた瞬間、銀色のペンダントが垂れ下がった。


(……これは……ブレイディアさんから貰った……)


 盾のペンダントを見た時、女騎士の言葉が甦る。


『やらないで後悔するより、やって後悔したいんだ』


(……そうだった……俺は……どっちだった……? ……さっきどっちを選んだ……?)


 ラグナは目をつむって考えた後、静かに立ち上がった。


「……やらないで後悔するよりやって後悔したい、か……。ブレイディアさん――やっぱり俺も貴方と同じみたいです」


 ラグナは呟くと右手で左手を押さえながら東に走った――その瞳に決意の光を宿らせて。


 そして――そう時間もかからずにラグナは目標を見つける。


「ジュリア! リリ!」


 月の光を失い、血を流して地面に倒れ伏す二人の少女のもとにラグナは駆け寄った。


「ら、ラグナ……な、なぜこちらに来たのですか……!」


「……き、危険……」


「ごめん……でも二人を置いて逃げるなんて、やっぱりできないよ」


 強力な『月光』を使用した二人に追いつけるか不安だったが、高速で空を飛ぶドラゴン相手に距離を稼ぎながら追いかけっこをするのはやはり無謀だったようだ。ジュリアとリリスは数分と経たずに見つかり、二人を無力化した怪物も同じように発見できた。


 空中を優雅に飛ぶ黒竜は新たな獲物に鋭い視線を向ける。その様子を見たジュリアとリリスは持っていた『月錬機』を支えにして、痛みを堪えるように立ち上がる。


「ラグナ、私たちなら平気ですわ。それより早く助けを」


「……行って……」


 気丈に振る舞ってはいるが、今にも倒れそうな二人にラグナは笑いかける。


「……二人は休んでて。アイツは……俺が倒すから」


 背負っていたリュックを下ろしながらそう言うと二人の少女は眉を八の字に変えた。


「な、何を言っているのですかッ! いくら私達が『月詠』でもドラゴンを倒すことなど出来るはずがないでしょう! この国最強と言われる騎士団長でさえ勝てませんわッ! いえ、たとえどんな英雄でも絶対に不可能です! それより逃げ――」


「大丈夫。でも一つだけお願いがあるんだ。今から、戦いが終わるまで――」


 ラグナは静かに力強言うと二人に背を向け、ドラゴンに向かって歩き出す。


「――俺には、絶対に近づかないでほしい」


 一歩近づくたびに左手の疼きが強くなる。焼けつくような熱さのそれはまるで早く自分を開放しろとラグナに命じているようで、意思を持っているかのように感じられた。


「やめなさいラグナ! う……」


「……ラグナ、駄目……ぐ……」


 少女たちは死地に赴くラグナを止めようとしたが、その前に体が崩れ落ちる。思っていた通りドラゴンから受けた傷は深く、立っているのが精いっぱいだったようだ。黒竜は外敵に最大級の威嚇を込めて吠えるも、少年の足は止まらない。やがて空を舞う巨竜との距離は縮まりついに――限界を超える。


(……ブレイディアさん、貴方の勇気を少しだけ俺に分けてください)


 黒竜は翼を大きく羽ばたかせながら迫る敵に向かって突進を始めた。黒く巨大な影が空気を切り裂き近づく中で、ようやく立ち止まり右手でペンダントを握ったラグナは体を震わせながら左手を天に掲げた。その瞬間、六つの月が一斉に大きな光を放つ。そして月たちの中央、ぽっかりと空いた空席を埋めるように巨大な電流が空を走る。


「な、なんですの……急に月が……それに……なぜ左手を……?」


 背後のジュリアがセカンドムーンの異変やラグナのやろうとしている事の意図がわからず疑問の声をあげるも、すぐにその声を黒竜の叫びがかき消す。


(今だけ……今だけはこの忌まわしい感覚に身を委ねよう。みんなを助けるために。もう後悔しないために。そう、だから――)


 上空から勢いよく降下した黒竜の鋭い爪が無防備な少年の体に突き刺さる瞬間――。


「――来い」


 ラグナが短く呟くと、天から闇が噴き出した。


 そして瞬く間に左手を上にあげる少年の体に落下する。ドラゴンの黒い体が薄く見えるほどのドス黒さを持ったそれは闇の柱とでも形容した方がいいほどに大きく、中心にいるラグナを除く他のあらゆるものをその落下の衝撃で吹き飛ばした。無論、爆心地の近くにいた黒竜も例外ではなく、上空に帰される形で弾かれる。


 やがて黒い柱が消えると、巨大なクレーターが顔を見せる。そしてその中には黒い光の衣を全身に帯びた少年がただ一人たたずんでいた。黒竜は、自身の行動を阻まれた怒りからその元凶に向かって速度を上げてもう一度攻撃を仕掛けるも、全てを切り裂く鋭利な爪はあっさりと右手で受け止められる。


 ラグナはすかさず左こぶしを強く握りしめると竜の胴体を殴打した。音速を超えるスピードで殴られたドラゴンは木々をなぎ倒しながら百メートル以上転がり巨大な岩に激突する形でようやく動きを止める。


 殴った衝撃で破けた左手の手袋を気にも留めず、ラグナは百メートルを超える距離を一蹴りしただけで移動し、眼前の黒竜を見つめる。岩にめり込むように倒れた竜は血を吐きうめき声をあげながら態勢を立て直した。殴られた胴の鱗は完全に崩壊し血のにじんだ皮膚が露出していたが、ドラゴンの戦意はまだ完全に失われたわけでは無いようだ。


 ラグナは悲しそうに目を伏せると、決着をつけるため腰に手を伸ばした。ホルダーケースを開け、中に入れられていた『月錬機』を取り出す。黒い月光を『月錬機』に吸わせたところで普通の『月光』の時と同じように武器になるかどうか確信などなかった。だが――どうしてかはわからなかったが、なぜか予感があったのだ。おそらくこの世に存在するあらゆる『月錬機』を凌駕するであろう武器が誕生する――その直感が少年にそうさせた。先ほど銀月の月光で試したようにまだ見ぬ悪魔の武器を錬成しようと手のひらで『月錬機』を握った瞬間、黒い光が凄まじい勢いで箱に吸収され始める。光を吸い込み黒く塗りつぶされたボックスは形を変えながら膨張すると『月錬機』を持っていた手を包み込むような黒い炎に変化した。そしてほとばしる赤い電流の中、黒炎が巨大な剣へと姿を変える。


 柄と鍔が漆黒で出来ていたその大剣はブレイディアの持っていた剣とほぼ同じ大きさだったが、明らかに違う点が一つ。刀身の部分、そこが他の『月錬機』達と大きく違っていた。さながら闇が剣の形をしていると表現する方が自然なほど、先端部分の金の装飾が施された黒い刃を除いて刀身ほぼ全てが黒い炎のようなもので出来ていたのだ。


 剣の柄を握りしめたラグナは眼前の竜を見据えながら歩き出す。黒竜も翼を羽ばたかせると大空を舞い、空中から敵意を込めた目でこちらを見下ろした。互いに葬るべき相手を認識し合った後、両者は激突する。


 先に仕掛けたのは黒竜。大きく口を開けると、その体内に内包した膨大なエネルギーを地面に吐きかけた。摂氏三千度はあるであろう火の玉が連続で放たれ地上をラグナもろとも焼き払う。爆炎が木や草花だけでなく岩や土を破壊し、全てを炎が覆い隠した。しかし生命など存在できないはずの空間で黒い光が立ち上る。


 その光景を見て竜は大きく目を見開いた。開かれた眼の示す意味が自らの火炎を全くの無傷で防いだ敵に対する驚きか、はたまた得体の知れない相手への恐怖かはわからなかったが炎をものともせずに前進するラグナに脅威を感じたことは間違いない。黒竜は翼を何度も羽ばたかせると空中から勢いよく地上目がけて突進する。先ほどよりも遥かに速い体当たりは『月光』を纏った『月詠』でも反応できるかわからない速度だった。しかし直撃すれば戦車でもスクラップになるであろう黒い砲弾が当たる刹那の時――。


「これで――終わりだ」


 動きを見切っているかの如く直前でかわしたラグナはすれ違いざまに黒い剣を振るう。


 次の瞬間――鋼鉄のような黒竜の体はバターのように真っ二つに切り裂かれた。二つに分かれた肉の塊が勢い余って背後の木をなぎ倒していくのを見ながら周囲の火災に目を向けたラグナは剣を振り上げると、渾身の力で振り下ろした。神速を超えた剣が地面に亀裂を入れてから少し遅れて、爆風が吹き荒れる。嵐のような暴風は火のついた木や草を薙ぎ払い、森の火災は一瞬のうちに消火された。それを確認した後、剣を地面に突き刺す。


 おぼつかない足取りで切り裂いた肉片までラグナは歩いた。そしてドラゴンの死をしっかりと確認し座り込んだ少年は息を荒くさせながらようやく安堵のため息をつく。


「……よかったぁ……なんとか、なったぁ……」

 

 しかし体を覆う黒い光が一層強くなり、左手首を囲むように刻まれた黒い幾何学的な文字が黒く発光し始めたのを見て表情を変える。


「――ッ!? やめろ! もういい! これ以上は使わない! 絶対にあの『月光術』だけは! ここで使えばまた同じことが起きる! 俺にまた――友達を殺させるつもりか!?」


 ラグナは右手で左手を覆い、縋るように願った。


「頼む……頼むから……おさまってくれ……」


 願いが通じたのか徐々に黒い光は体から離れ、完全に消えた。同時に黒い剣の『月錬機』が放電し、煙をあげ始める。やがて内部に取り込んだ膨大なエネルギーに耐え切れないといった風に爆発すると、跡形も無く消え去った。


 それを見届けると、大粒の汗を流しながら地面に手をつく。内側から力が溢れ出す衝動、それが過去のトラウマを呼び起こした。嘔吐しそうになるも口を手で強引にぬぐったラグナはよろけながら立ち上がりジュリアとリリスがいる場所に戻った。黒い光が落下した衝撃で吹き飛ばしてしまったのではないかと心配したが杞憂に終わる。先ほどと同じ場所で座り込む二人の少女の姿を見て喜びの声を上げながら駆け寄った。


「ジュリア! リリ! ……よかった、無事みたいだね」


 ジュリアとリリスの無事な姿を見てほっと一息つく。しかし二人の様子がおかしい。少女たちは口を半開きにしたまま信じられないモノでも見るように目を見開いて夜空を見上げていたのだ。一瞬遅れて全てを理解したラグナは目を伏せると左手を見た。破けた手袋の甲の部分――露出した手の甲に刻まれた黒い獅子の痣はおとぎ話の登場人物に成り下がった悪魔の所有物。現実には存在しないと言われていた『黒い月痕』は何かに共鳴するように妖しく光り輝く。何に反応しているのか誰よりもよくわかっていた、だからこそ悪夢でも見ているような顔の少女たちと同じように天を仰いだ。


 赤、青、緑、黄、紫、銀――六つの月が世界を囲むよう均等に浮かぶのが通常のムーンレイ。しかし現在の空には異物が混じっていた。それは最初からそこにあったように堂々と月たちの中央に鎮座し、誰もが知る常識をあざ笑うように人間たちを見下ろす。そして自らの主を祝福するように一際強く輝いた。三日月の形をしたそれを見たジュリアはキツネにつままれたような顔のまま唇を震わせて呟く。


「……黒い……月……」


 千年の時を超えムーンレイの空に再び――黒い月が蘇った。

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