21話 ベルディアス伯爵邸にて 前編
本部の入口に向かったラグナは入口近くに佇んでいたリリスを見つけ声をかける。
「リリッ! ごめん待たせたみたいで」
「……ううん、大丈夫……アルシェにはラグナが行くの……?」
「そうだよ。それと俺の肩に乗ってるジョイも一緒に来てくれる」
「よろしくなお嬢さん」
「……鳥さんが、喋った……」
その後初対面の二人は簡単に挨拶すると駅まで向かい列車に乗り込んだ。ラグナは久しぶりに会うリリスに楽し気に話しかける。
「会うのは一か月ぶりだよね? 元気だった?」
「……うん……」
「そっか、よかったよ。でもリリが伯爵令嬢だったなんて驚いた。しかもベルディアス伯爵って名前が出て来てそれにも驚かされたよ。ベルディアスってことはジュリアも君と同じってことなんだもんね?」」
「……そう、ジュリも伯爵令嬢……ちゃんと伝えてなくてごめん……私のフルネームはリリス・フォン・キングフロー……ジュリは、ジュリア・フォン・ベルディアス……」
「そうだったんだね。ジュリアはディルムンド様の態度からなんとなくいいとこの出だっていうのはわかってたんだけど。二人の名字だけじゃ伯爵令嬢ってことまでわからなかったよ」
ラグナの言葉にジョイは目を丸くする。
「マジかよ。ベルディアスとキングフローっつったらこの国の王族を古くから支えて来た重鎮――七大貴族の一角だぜ。この国に住んでりゃ普通知ってると思うけどな。まあ世情に疎い辺境のド田舎出身ならわかるけどよ」
「……実は俺、辺境のド田舎出身なんだ……」
「ま、マジかよ……」
「そこネットはおろか電気も通ってなくて……」
「……マジかよ……」
「一番近い田舎の駅から徒歩五時間くらいかかるんだ……」
「……悪い……それじゃあ知らなくても無理ないかもな……」
「だ、だけどいい村なんだよ? 人はそこそこいたし、みんな優しかったんだ。基本自給自足だけどたまに村に来る業者の人に育てた野菜や魚の干物なんかを売ってお金は稼げたし、行商の人から本とか服とか買えたから不自由はそれほどなかったよ。それに月に一回独楽とめんこの大会が開かれて優勝したら山菜がたくさん貰えるんだ。鬼ごっこやかくれんぼの大会も開かれて、それに優勝するとハイカラな缶バッチが貰えるんだ。ね、楽しそうでしょ?」
「そうだな、楽しそうだな……」
「何その目はッ!? やめてよその憐れむような目ッ!」
「やべー、ちょー行きてーわー……すげー行きてーその村ー……」
「思ってないでしょッ!? バカにしてるッ!? ねえもしかしてバカにしてるのッ!?」
なんともいえない冷めた表情のジョイをラグナが揺さぶっているとリリスが不意に口を開く。
「……でもラグナが私たちの家の事を知ってなくてよかった……」
「……え、どうして……?」
「……みんな私たちの家名を聞くと、遠慮したり媚を売ってきたりするから……でもラグナはどっちでもなかった……普通に話してくれた……だから私もジュリも嬉しかったの……」
「そっか……無礼だったんじゃないかって心配だったけど、それならよかったよ」
ジュリアと自己紹介した時に遠慮されることや家名で呼ばれることを嫌がっていたことを思い出す。そういう背景があったのかと納得していると、ふとここにはいないもう一人の友人の事が気になった。
「ところでジュリアは元気にしてる? あれから会ってないけど」
「…………」
問いかけに対して表情を曇らせたリリスにラグナは首をかしげる。
「どうかしたの?」
「……実は……一週間前から連絡が取れないの……メールで家族と一緒にアルシェに行くって来てから音信不通……」
「えッ!? ……あ……そういえばレイナード様が家族と一緒にって言ってたもんね……もしかしてジュリアも今回の騒動に巻き込まれて……」
「……うん……私の話を聞いたお兄様も、私の知らなかった『ラクロアの月』の幹部の情報なんかを私に教えながらその可能性が高いって言ってた……」
「じゃあレイナード様が言ってた独自の情報ってリリから出たものなんだ。ジュリアのことをレイナード様に相談したら色々動いて今回の話を取り付けてくれたってことかな。騎士派遣に口添えしてジュリアのお父さんであるベルディアス伯爵やその家族を助けるだけじゃなく、リリとジュリアを直接再会させるために手を回してくれるなんて……いいお兄さんだね」
「……違う……」
「え……」
美しい兄妹愛に涙を浮かべたラグナだったがにべも無く否定される。
「……私はお兄様に自分から相談なんてしてない……ジュリが心配だったからアルシェに無断で行こうとしたら捕まって無理矢理理由を吐かされた……」
「え、ええ~……そ、そうなの……?」
「……うん……それにお兄様は私やジュリ、ベルディアス伯爵家のことを大切になんて思ってない……今回騎士派遣に口添えしたのも、私をアルシェに向かわせたのも全部利己的な動機……仮に『ラクロアの月』によってベルディアス家がなんらかの危機的状況に陥っていたならキングフロー家がそれを助けることによって多大な借しを作ることが出来るから……お兄様にとっては全てがただの道具……たとえそれが肉親でも……」
「そ、そうなんだ……」
「……ラグナ……お兄様はラグナにも関心があるみたいだった……利用されないように気を付けてね……」
「わかったよ……」
ラグナはリリスの言葉を反芻しながら表情を硬くした。
(……レイナード様、見た目はそんな悪人には見えなかったけど……でも家族として付き合いの長いリリが言っている以上それが真実なんだろう。実の家族さえ道具……なんだか悲しいな……)
ラグナが唇を噛んでいるとリリスがポツリとつぶやく。
「……ジュリ、無事だよね……?」
「……きっと大丈夫だよ。ジュリアは強いし、判断能力も高いうえ勇気もある。前にドラゴンと相対した時も怯えず適格に判断を下して戦ってたんだから。仮にベルディアス伯爵たちに何かあったとしても今回だってうまくやってるはずだよ」
「……うん……そう、だよね……」
「絶対そうだよ。でももし何かあって、それで困ってるのなら――その時は俺達で手助けしよう。友達として」
「……ありがとう、ラグナ……」
無表情の少女の穏やかな声音を聞いたラグナは微笑みながら頷く。その後列車は走り続けやがて目的地であるアルシェに到着した。
駅から出るとラグナは周りをキョロキョロ見始める。
「まず最初にジュリアや伯爵の安否を確認しないとだよね。でも……ベルディアス伯爵の別邸ってどこにあるんだろう」
「……知ってる……お兄様に聞いてきた……ついてきて……」
「わかった、道案内よろしくお願いします」
列車を降りた三名はリリスの先導の元ベルディアス伯爵の別邸に早速向かった。王都から割と近いうえ家賃などが比較的に安い物件の多いアルシェは王都に通う者たちにベッドタウンとして重宝されいるという。そのためか人や車の数も多く店もバラエティに富んだものが多数見受けられた。しばらく進んでいると住宅街に入り、やがて監視カメラの付いた巨大な門の前で少女は立ち止まった。
「……ここ……」
「うわあ……で、でっかいね……」
「さすが伯爵家の別邸だな。格が違うぜ。ま、王都にある本邸はもっとデカかったがな」
「こ、これより大きいんだ……ちょっと想像つかないな……」
三百坪程の敷地の中央に建てられた五階建ての巨大な屋敷はラグナの度肝を抜いたが、リリスは慣れているのかたいして気にもせず閉じられた門の横にあったインターホンを押した。しかしいくら待ってもなんの応答も無い。もう一度押して見るもやはり反応はなかった。
「……応答ないね。どこかに出かけてるのかな?」
「もしくは出たくても出られない状況に陥っているか、だな」
「…………」
「…………」
ジョイの言葉にラグナとリリスの顔がこわばる。少年は閉じられた門を睨みながら肩に乗ったジョイに静かに問いかけた。
「……門を無理やりこじ開けるわけにはいかないよね?」
「正直まだ『ラクロアの月』によって被害を受けてるっつーのは推測の段階だからな。レイナード様も事実確認は取れてないっつってたし。キングフロー家の人間が一緒っつってもここで無理矢理こじ開けて入ってみたら何もなかった、ごめんなさい――で済まされるとは思えねえし。騎士に対する風当たりの強い今の状況じゃ強行突破は危険すぎるぜ」
「そう、だよね……」
「だが手が無いわけじゃないぜ」
「ホントッ!?」
「ああ。この町いるボルクス領の領主であるボルクス男爵に話をつけるのさ。ベルディアス伯爵とボルクス男爵は貴族同士の付き合いとか関係なく学生時代から旧知の仲らしくてな、この町に別邸を立てる時もその縁で伯爵に一等地を提供したらしいぜ。他にも骨董品の蒐集みたいな共通の趣味も持ってるみたいだな。んで、その個人的に仲の良いボルクス男爵の後ろ盾があれば多少強引に屋敷に入ったとしてもそれほど問題にはされねえんじゃねえかと思うんだよ。まあ、ボルクス男爵とうまく交渉出来れば――だけどな……?」
ジョイの眼はリリスに向けられ、彼女はそれに気づくと理解し頷いた。
「……やってみる……行こう……男爵の家も聞いて来た……」
「わかった。じゃあ急ごう」
再びリリスを先頭にし、一行は走ってボルクス男爵の家に向かった。到着すると再び監視カメラの付いた巨大な門を見上げるように立ち止まる。だが敷地や屋敷は大きかったものの、伯爵邸と比べると若干見劣りするものだった。口には出さなかったが違和感を覚えたラグナとは対照的に、リリスはすぐインターホンを鳴らす。するとすぐに応答があった。
『……はい、どちら様でしょうか?』
「……キングフロー伯爵家四女のリリス・フォン・キングフローと申します……ボルクス男爵にお取次ぎ願えないでしょうか……」
リリスは監視カメラに自分の顔が映るように顔を近づける。
『……少々お待ちいただけますか……?』
「……はい……」
それから一、二分ほど経過した後だった、門が音を立てて開くと同時に屋敷の方から黒塗りの車体の長い高級車が門の前までやってきたのだ。そして運転手が車から出て来ると、車の後部座席のドアを開けた。すると赤いタキシードを着た老紳士が現れたのだ。紳士はリリスの前にやって来ると恭しく礼をする。
「お久しぶりですリリス様。こうして会うのは何年ぶりになるでしょう。大きくおなりになった。確か最後にお会いしたのは宮廷の晩餐会の時でしたかな」
「……お久しぶりです、ボルクス男爵……突然の訪問、どうかお許しください……」
「いえいえ。暇を持て余していましたので、リリス様の訪問は大変うれしゅうございます」
「……そういっていただければ幸いです……」
礼を返したリリスに微笑んだボルクス男爵はこちらに目を向けて来た。それを見たラグナ達は慌てて跪く。
「……そうか。君は確か新たに『英雄騎士』に任じられた少年だね」
「はい。ラグナ・グランウッドと申します」
「なるほど、リリス様の護衛といったところかな。初めまして、リカルド・フォン・ボルクスだ。どうかよろしく」
「はい、よろしくお願い致します」
「ああ。それと楽にしてくれて構わないよ」
「はい、失礼します」
言われた通り立ち上がったラグナを確認したボルクス男爵はリリスを見る。
「車へどうぞリリス様。珍しいお茶菓子をちょうど手に入れましてな、屋敷で紅茶でもいかがでしょう。そちらの彼ももちろん一緒に」
「……いえ、お誘いは大変うれしいのですが……実は火急の用件があり、無礼を承知でこうしてやってまいりました……」
「火急の用件ですか……?」
「はい、実は――」
リリスはベルディアス伯爵のことや『ラクロアの月』について簡潔に説明した。するとボルクス男爵は深刻そうに頷く。
「……そうだったのですか。ベルディアス伯爵がお忍びでこのアルシェに……しかも『ラクロアの月』の幹部までもが……」
「……はい……そこでボルクス男爵に無理を承知でお願いをしにまいりました……どうかベルディアス伯爵邸に入るためご助力をいただきたいのです……先ほど伯爵邸を尋ねましたところ応答もなく人の気配も感じられませんでした……ただ単に留守ならばそれでよいのですが、もし伯爵邸内で『ラクロアの月』に関連する不測の事態が起こっていたならと思うと、居ても立っても居られず……中に入るための手段を模索しているとベルディアス伯爵と仲の良いボルクス男爵のことを思い出しこうしてやって来た次第です……」
「なるほど……そうでしたか。確かに……いくらキングフロー伯爵のご息女がいようと、事実確認もせず推測で伯爵家の別邸を強引にこじ開けようものなら問題になりかねませんからね」
「……はい……しかし緊急事態が起こっているかもしれないのです……どうかお力をお貸しください……」
リリスが頭を下げるとラグナ達もまた同じように頭を下げた。それを見たボルクス男爵は目を瞬かせた後、口を開く。
「頭をお上げください」
ボルクス男爵の言葉にリリスは頭を上げ、ラグナ達もそれに続いた。
「リリス様。そのように貴方が頭を下げる必要はございません。ベルディアス伯爵は私にとってかけがえのない友人ですからね」
「……では……」
「ええ、もちろんです。力をお貸ししましょう。ただし一つ条件があります、私もぜひ屋敷に同行させていただきたいのです」
「……しかし……『ラクロアの月』が伯爵邸内にいるかもしれません……危険です……」
「わかっております。ですがベルディアス伯爵は私の友人、友人の危機に一人屋敷で待っている事など到底出来かねます。それに大丈夫でしょう――なにせここにはあのディルムンドやドラゴンを打ち倒しレギン王国を救った伝説の力を持つ勇者がいるのですから」
その言葉を聞いた瞬間、ラグナの顔は青ざめ引きつる。重大な責任が背中にのしかかってくるような感覚を覚えた。リリスもそれがわかっていたのだろうが、男爵が一歩も譲らない姿勢を見せたため頷くしかなかったのだ。なにせ事態は一刻を争うかもしれないのだから。
「……わかりました……」
「ありがとうございます。では参りましょう。車へどうぞリリス様」
「……はい……」
ラグナの横を通り過ぎる時にごめんと小さく呟いたリリスに大丈夫と笑いながら首を縦に振る。少女が車に入った後、ボルクス男爵は車に入りながらこちらに呼びかけて来た。
「さあラグナ君。君も入りたまえ」
「は、はい……」
ジョイは少年の心労を察してか肩に乗りながらつぶやく。
「どんまい」
「……うん……」
その後車に乗り込んだラグナ達はベルディアス邸に再び向かった。