17話 湖畔での戦い 前編
身支度を整えた一行はカーネル湖に向かうため列車に乗り込んでいた。しかしその格好は騎士の任務というよりは旅行に行くためのものに近い。実際リュックに入れた『月錬機』や救急キットなど最低限の装備を除けば荷物は旅行客と大差ない。これは一般人を装って近づくためでもある。
「……なんだか私服で仕事に行くと、変な感じがしますね……」
「今のうちに慣れといた方がいいよ。情報収集なんかを行う時は私服でやることもあるからさ」
ラグナは現在白いワイシャツの上に青いセーターを着て、紺色のズボンを履いていた。対面に座るブレイディアは白いブラウスの上に赤いカーディガンを羽織り、黒いハーフパンツを履いている。
「……でも『ラクロアの月』が探してる『方舟』っていったい何なんでしょうか」
「世界をリセットなんてふざけたことが言えるくらいだからね、大量破壊兵器か何かかな」
「大量破壊兵器……けど世界中の生物を死滅させるとんでもない兵器が過去に開発されたなんて俺聞いたことないんですけど……」
「私もだよ。まあ兵器っていうのは私の予想に過ぎないからね。本当はまったく別のモノなのかもしれないし。幹部の一人でもとっ捕まえられれば詳しく聞き出せそうなんだけどね。……とにかく想像してても仕方ないから、幹部かもしくはそこにいるリーダー格の奴を締め上げて直接聞き出すしか現状方法は無いね」
「……そうですね」
すると会話から外れて窓辺から外の風景を見ていたジョイが突然振り返った。
「……ラグナ、嬢ちゃん、悪かったな」
ジョイが誤ると二人はキョトンとし、ブレイディアが口を開く。
「どうしたの急に」
「いや、俺は肝心な時に王都に居られなかったからな。まあ俺がいたところでどうにかなったとは思えねえが、一応そのことについて謝っとこうと思ったんだよ」
「いや、しょうがないでしょあれは。気にしなくていいって」
ブレイディアとジョイの会話を横目に、ラグナは気になっていたことについて言及する。
「そういえばジョイはどういう経緯で『ラクロアの月』を調査する任務に就いたんですか?」
「あー、それはね。私たちがフェイクに負けた直後、団長がフェイクの後を追って『ラクロアの月』について調べるようジョイに命じたからなんだ」
「そうだったんですか。じゃあジョイは悪くないと俺も思うよ」
「……つっても重傷だった嬢ちゃんや旦那、他の騎士たちを置いて行ったことに変わりはないからな。それがずっと心残りだったんだよ」
ジョイがそういうとブレイディアは何でもないように返す。
「あの場ではあれが最良の選択だったよ。ただ負けただけじゃなくて、ちゃんとジョイが後を追ったからこうして情報を掴めたんだよ。だからいつまでもクヨクヨしないでよね、らしくない。それに私たちはこうして生きてるんだからさ」
ブレイディアが笑いかけるとジョイもまた硬かった表情を崩した。
「……そうだな。ホント生きててくれてよかったぜ。こうしてまた二十一歳とは思えない嬢ちゃんの笑える貧相な幼児体型を見られて俺も安心し――ぎゃあああああああああああああああッ!!??」
「ガルルルルルルルルルルルルルルルッ!!!!!!!」
犬のような唸り声をあげてブレイディアはジョイに噛みついた。列車の中で絶叫が響き渡り乗客たちも不審そうにこちらを見て来たためラグナは犬と鳥をなだめながら引き離す。
「ぶ、ブレイディアさん。周りの人たちが見てますからその辺で……」
「ふぐぅッ! ……ラグナ君がそういうなら仕方ないか。ふん、命拾いしたね」
「た、助かったぁ……っていうかそんなキレるなよ! ホントのことだ――」
「ガルルッ……!」
「――っひッ!?」
再びうなり声をあげ始めた猛獣に怯えたジョイは涎でべちょべちょになった翼を羽ばたかせラグナの背後に回り込んだ。背中に隠れた鳥に殺意の眼光を浴びせるブレイディアをなんとかなだめるため少年は強引に話題を変えようとする。
「あ、あのぉ……そ、そうだ! ブレイディアさんはフェイクと戦ったんですよね? どんな能力を持った『月詠』なんですか? こ、これから戦うかもしれないですし、出来れば参考にしたいなぁ」
「……ふぅ。そうだね。こんな不毛な争いしてる暇があったらちゃんと情報共有しとかないとだよね。じゃああよく聞いてね――フェイクが所持してる『月痕』は『銀月の月痕』だよ。ラグナ君と一緒だね。それで能力は電撃を操るものだった。まあそれだけ聞くと普通の『月詠』と大差ないんだけど、問題は術の威力だったんだよ。凄まじい威力でね、たった一発の術で私達全員丸焦げにされちゃった」
「え……じゃあ一発の『月光術』で全滅ってことですか!?」
「そ。……正直今まで受けた『月光術』の中で最強の威力だったよ」
「……純粋な実力なんでしょうか。それとも何か秘密が……」
「……正直どっちかはわかんないけど、とにかくケタ違いに強いってことだけは覚えておいて。それと、もし奴と出会ったらラグナ君にしてほしいことは二つ。一つはすぐに『黒い月光』を発動してほしいってこと。もう一つは――ドラゴンと戦った時と同じように全力で戦って欲しいってこと」
「……人と思うなってことですね」
「うん……。私たちは全力で挑んでアイツに負けた。でもね、奴はほとんど実力を出してなかったように思えるの。フェイクの戦闘能力は底が見えない、だから全力を出してもやりすぎってことは無いと思う」
「……わかりました。肝に銘じておきます。でも……どうしてフェイクはそんなに余力があったのにブレイディアさんたちにとどめを刺さなかったんでしょうか」
「たぶんディルムンドが私たちの事を駒として使うと思ったんじゃないかな。だから傷を負わせて洗脳しやすい状態で王都に帰らせたんだと思う。……まったく、完全に舐められてるね私達」
「ブレイディアさん……」
過去を振り返り俯きながら悔しそうに拳を握るブレイディアに対してラグナは何も言えなかった。しかし思いのほか早く立ち直ったらしい女騎士は顔を上げると、少年に笑顔を見せながら言う。
「だからね、今度アイツに会ったら絶対一発叩き込むって決めてたんだ。……協力してくれる?」
片目をつむりおどけた顔で言うブレイディアにつられたラグナは表情を緩めて返答する。
「――もちろんです。俺もブレイディアさんたちを傷つけ、先生を利用したフェイクを許せませんから。だから二人で一発ずつ叩き込んでやりましょう」
「ふふッ、決まりだね。よし、待ってなさいフェイクッ!」
指揮を上げて盛り上がる二人にラグナの肩からひょっこり顔を出したジョイは言う。
「……能力はわかんなかったがもう一人幹部のブルゴエラがいるかもしれないってのも忘れんなよ」
ジョイの忠告を聞きながら列車は目的地に向かって走った。
カーネル湖に最も近い駅に着いたため三名は列車を下りた。人気のほとんどないホームから駅を出ると最初に出迎えたのは所々生えている木と舗装されていないむき出しの土の道路。ブレイディアは背伸びをしながら体を伸ばすと周囲を見始めた。
「……誰もいないね。ってゆーかホント田舎って感じのところだねここ」
「そうですね。まあ王都から三時間以上列車で走って来たのでしょうがないと思います。でも……懐かしいなこの感じ」
「ラグナ君の住んでた村もこんな感じの場所なの?」
「雰囲気は似てると思います。でも、確かに俺の住んでた村は人通りが少なかったですけど……ここまで完璧に無人ではなかったですね」
「私達以外ここまで列車に乗ってた人いなかったもんね……。ねえジョイ、ホントにここで合ってるんだよね? ってゆーか私カーネル湖なんて湖聞いたことないんだけど……。ほら……マップにも載ってないし」
ブレイディアが手元の携帯を操作し近隣のマップを表示したが、カーネル湖の表示は出ない。
「ずいぶん前に魔獣が大量発生したとかで放置された土地みたいだからな。地元の人間でもカーネル湖について知ってる奴はほとんどいなかったぜ」
「じゃあなんで『ラクロアの月』の連中はそのこと知ってたわけ?」
「さあな。もしかしたら昔の情報に詳しい幹部でもいるんじゃね? とにかくカーネル湖がある場所はこの駅からしばらく歩いた場所で間違いねえよ。調査しようとした時にこの駅見かけたしな。二人ともついて来な、案内するぜ」
ジョイはそう言うと先頭を切って飛び始めた。ラグナとブレイディアは慌ててそれを追いかける。その後、時間にして五十分ほど歩いただろうか。木と土しかなかった場所にようやく人工物を見つける。車だ。水気を帯びて湿った土に切り替わった場所に大量の黒い車が乱暴に置かれているのを発見した。さらに木々に隠れながら注意深く車の周囲の様子を窺っているとあくびをしながら車のボンネットに腰掛けている男の姿が目に入る。どうやら車の見張り番のようだった。だが数は一人だけのようで、それを見た女騎士は小さな声で話しかけて来た
「私がアイツを気絶させるから、合図したらラグナ君達はこっちに来て。もしその過程で敵が増えても飛び出さずにしばらく様子を見ていて」
「わかりました。……気を付けてくださいね」
ラグナの言葉を聞き笑いながらサムズアップしたブレイディアは地面に落ちていた小石を拾うと、木々に隠れながら気づかれないギリギリの場所まで近づく。そして近づいた後は、小石を放物線上に投げて男の背後の茂みに落とした。当然男は物音がした方を見た後、ボンネットから腰をあげ茂みに近づいていったが――『月光』を一瞬で纏った女騎士がこれまた一瞬で男の背後に近づくとそのわき腹に拳を突き立てた。瞬間、嗚咽のような声が聞こえると、男の体はぐらりと傾き地面に倒れた。
(……すごい。少しの無駄も無いうえ速い。ブレイディアさんはやっぱり強いな)
感心していると、包帯が巻かれた右腕が上げられた。どうやら合図のようだ。ラグナとジョイはブレイディアの元まで小走りで駆けて行った。
「やりましたねブレイディアさん」
「うん。って言ってもこいつは車の見張り番程度の下っ端だしね。それにジョイが言ってたネズミ一匹通れないっていう場所はここじゃないんでしょ?」
「ああ、ここまでは俺も通れた。問題はこの先だ」
ジョイがクチバシを向けた先にブレイディアとラグナは向かった。先ほどと同様注意しながら木々に隠れ進んでいると問題の検問らしき場所に遭遇する。六人の男たちが銃火器で武装し周囲を見張っていたのだ。しかも都合が悪いことに男たちの周囲、半径五十メートルには木々などの隠れる場所がいっさいなかった。つまるところどうやって進んでも確実に見つかるというわけである。ラグナ達が眉を寄せて打開策を考えていると、カラスと思しき鳥が上空から男達の上を通過しようとしていた。だが、次の瞬間カラスは男たちの持っていた銃でハチの巣にされてしまう。呆然としていると男たちの話声が聞こえて来た。
「なあ、これ動物とかまで殺す必要あるのか?」
「しょうがねえだろ。『月光術』の中には姿を変えるような能力もあるらしいからな。だから俺達が守ってるこのラインを超えるやつは全部殺さなきゃならねえんだよ」
「へぇ、なるほどな……」
男達の会話を聞いていたラグナは小声でブレイディアに話しかける。
「どうしますか……?」
「……正直ここからだとどうやっても確実に見つかるね。かといって正面きって戦えば何人か取り逃がして助けを呼ばれるかもしれない。六人もいるしね。相手が油断してれば攻めようもあるんだけど、さっきの銃撃を見るにそれはなさそうだし。……せめて不意をつければ……」
「不意をつく方法ならあるぜ。俺はこの検問を調査している時にあることに気づいたんだ。そしてそれを利用すればここをうまく突破できるはずだぜ」
ブレイディアの言葉にジョイは真っ先に反応した。
「え、嘘、そんな方法あるのッ!?」
「ああ。ただしそれには嬢ちゃんの協力が不可欠なんだ」
「え、私……?」
「そうだぜ。で、嬢ちゃんにやってもらいたいことっていうのは――」
ジョイの話を聞いた瞬間、ブレイディアは隠れている場所がバレかねないほど激怒したがラグナになだめられなんとか落ち着き。それしか方法がないのならとりあえず実行してみようということになった。だが女騎士の胸中には不満が渦巻く。
(ぐぅぅぅッ! ジョイめぇぇぇッ! ラグナ君の頼みじゃなきゃ絶対やらないのにこんなことッ!)
だが引き受けた以上は完璧に仕事を果たす、それがブレイディアの信条だった。ゆえに隠れていた場所から離れ男達に近づきながらジョイの指示通りの演技をする。そう、それは――。
「う、うえ~ん! パパとママとはぐれちゃったよ~! 怖いよ~!」
――幼女のふりをすることだった。
目に涙を溜めているフリをしながら両手で眼を隠し男達にゆっくりと近づいていく。だがブレイディアにはこの作戦がうまくいかないという確信があった。
(ふん、どうせうまくいかないよこんな作戦。だいたい何幼女のフリって。うまくいくわけないじゃん。私二十一歳だよ? そりゃあ少しだけ背は低いし胸もあんまりないけど、ほら見てよそれを補って余りある、この溢れ出る大人の色気をさ。だから絶対バレ――)
「おいガキがこっち来るぞ」
「マジだ。クソガキがこっちにくるぜ」
「なんでこんなとこにガキがいるんだよ」
(こいつら殺すッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
ブチ切れそうになったが、最後に残った理性でなんとか抑える。ある程度近づくことが出来たその時にボコろうと心に決めたのだ。だがここで問題が発生する――。
「おいガキ止まれッ! そっからこっちに来たらガキでも撃ち殺すぜッ! っつーか見られた以上ガキでもここで殺さなきゃならねえか?」
男の一人がブレイディアに銃を向けて来たのだ。
その様子を見ていたラグナは潮時と思い飛び出そうとしたが、その前にジョイに制止される。
「待てラグナ。まだ早いぜ」
「いや、もうこれ以上近づくのは無理だよ! このまま放置すればブレイディアさんが危険だッ! たとえ潜入がバレるとしても戦った方がいいよッ!」
「落ち着け、よくアイツらの方を見ろ。……ほら、奴が動き出したぜ」
「え、奴……?」
言われた通り見ていると確かに一人の男が動き出しブレイディアに近づいて行った。特徴としては無精ひげを生やした大柄の中年男性といったところか。ジョイはそれを見て計画通りと思ったのか笑いを押し殺したような声で話し始める。
「奴こそが、計画の要。そう、なんと奴は――」
ひげ面の男はブレイディアに近づき肩を掴むと――。
「きゃわゆいねぇぇぇ~君ぃぃぃ。ゲへへへ~」
「――ロリコンだ」
ジョイの言葉が聞こえるのと同時にひげ男はブレイディアの手を掴んで頬づりし始めた。
「……ええ……」
ドン引きするラグナをよそにジョイは得意げに話し始める。
「ここに調査へ訪れた俺は検問が突破不可能なことを悟ったが、ただ引き下がるのもしゃくだったから何かしら情報を仕入れようとした。そこで検問を張っていた男たちの会話に耳を傾け奴がロリコンであることを掴んだんだぜ。まあ検問はローテーション組んでやってるんだろうから、奴が今日ここの検問をやってるかは賭けだったが、ふッ――どうやら天は俺を選んだようだな」
「……ええ~……」
しかし作戦がうまくいったと喜ぶジョイとは対照的にブレイディアは――。
(キモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイィィィィィィィィィィッ!!!!)
――手を頬づりされるだけで失神しそうなほど生理的嫌悪を抱いていた。しかも、それだけでもきつかったのだがさらに男はブレイディアの手を握ると男たちのところに戻って行った。さらに衝撃の発言をかます。
「おいお前ら。俺、そろそろ見張り交代の時間だからこの子連れて部屋戻るわ。……じゃあぁ~、君の名前を~、おちえてほちいなぁぁぁ~。パパとママがみちゅかるまではぁぁぁ、おいたんとおいしゃさんごっこちようねぇぇぇ~?」
「「「うわ引くわぁぁぁ~」」」
仲間の男達ですらこれなのだ、当事者のブレイディアの心中は察して余りあるものだった。だが連行は流石に男達によって阻止される。
「つーか駄目に決まってんだろ。そのガキはおいていけ。ガキとはいえ部外者を中に入れたら俺らが殺されるッつーの」
「なんだよかてーこと言うなよ。いいだろ幼女の一人や二人」
言い争う男たちの中でブレイディアは静かに緑色の光を纏う。そう、目的は達成したのだ。男たちは目と鼻の先にいるうえ油断している。だからこそ女騎士は幼女の仮面を脱ぎ捨て、その顔を悪魔に変える。目の血走った悪魔は声をあげることなく男達に迫ると――。
「「「……え……」」」
その悪魔の顔を見て呆然とする男達を静かに、かつ一方的に攻撃し始める。派手な音などいっさい出なかったが、代わりに骨が砕けるような鈍い音が響きラグナは目を背ける。そして一通り処刑が終わった後、少年は無惨に転がる男たちを横目にブレイディアの近くに行った。
「あ、あのブレイディアさん、なんかすみません……」
「……ううんラグナ君のせいじゃないよ」
「そうそう、誰のせいでもないよな。しっかし流石幼女モドキ。圧倒的な戦闘能力。いやぁぁ、でもやっぱり俺の作戦が光っ――」
「……ラグナ君のせいじゃない。そう、貴様のせいだ」
「え、ちょ、やめ、ごふッ!?」
静かなる処刑はすぐに終わる。
「はー、スッキリした。じゃあ行こうかラグナ君」
「そ、そうですね……。行きましょうか」
男たちを茂みに隠した後、白目を剥いたジョイを担いだラグナとブレイディアはカーネル湖の近くに足を踏み入れた。目標は『方舟』と幹部の捕縛。気を引き締めた二人は足早に駆けて行った。