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1話 蘇る黒い月 前編

 黒い手袋を付けた手で最近初めて買った携帯型端末をぎこちなく操作していると気になるニュースが目に留まった。


「『火山帯に生息していたドラゴンが大量に失踪。巣を見るに半年以上前には消えていた可能性がある。彼らはどこにいったんだろうか』……本当にどこに行ったんだろ。怖いな」


 ネットのニュースを見ていると午後五時を知らせる鐘が世界一高いと言われている時計塔から鳴り響いた。ラグナはそれを聞くと端末をベージュ色の長ズボンのポケットにしまう。その後黒い半袖のTシャツがしわになっていないか確認していると足元に鈍い痛みが走った。下を見ると清掃用の小型ロボットが黒い靴にぶつかっていたのだ。


「痛ッ……はぁ……なんだか縁起が悪いな。これから試験だっていうのに……」


 茜色に染まる空の下、人が行き交う町中の雑踏から少し離れた人気のない公園。その中にあった川沿いの広場でラグナは深いため息をついた。


「……あと一時間で騎士採用試験かぁ……緊張するなぁ……合格できるかなぁ……」


 目の前で流れる夕焼けに染まった川の前で頭を抱えるも、そんなことをしたところで状況は変わらない。変わることがあるとすれば自分の髪型くらいだろう、その証拠に水面に映った明るい茶髪はグシャグシャになっていた。ただでさえ四方八方に跳ねているクセッ毛はさらにひどいありさまになっている。美しく雄大な川はラグナの混乱を鏡のように映し出していた。


(……千年前に伝説の英雄ヴァルファレスを輩出したレギン王国、そしてその首都パルテンの名所レクーヌ川の前にせっかくいるのに……景色を楽しむ余裕なんてとてもないな……)


 今いる場所は町の東西を分断するように流れる巨大な川の下流。街の中といっても人気のほとんどない公園だった。ここにやってきた当初は田舎ではほんとんど見ない機械や車、人の群れに目を輝かせていたが、現在の瞳はその感情を表すようにどんよりと曇っている。伝説の英雄ヴァルファレスに憧れて騎士を目指し、十七になると同時に田舎の村を出て単身ここまでやってきたラグナだったが騎士になれる瀬戸際だというのにここにきて自信がなくなりかけていたのである。


(……いや、ネガティブになっちゃ駄目だ。この日のために体を鍛えたり、勉強したり色々頑張ってきたじゃないか。せっかくの騎士採用試験、気合入れなきゃ)


 騎士採用試験――それはレギン国が毎年行っている国家試験だ。試験に合格した人物は国から資格を与えられ、国家の安全を守る騎士の称号が授与される。だが受験するにあたっていくつか注意事項があった。受験資格の事である。


 一つ、犯罪歴の無い十七歳以上三十歳以下の健康な男女であること。二つ、それに加えなおかつ普通の人には無い『特別な力』を持っていること。もちろんラグナはこの二つの条件を問題なくクリアしていたのだが――。


(……でも色々不安要素があるんだよなぁ……特に俺には……)


 しかしラグナには誰にも言えない秘密と欠点があった。ゆえに今回の試験ではそれらの要素が顔を出さないかひたすらに心配だったのである。それがラグナの不安の種となり過度の緊張へと繋がっていた。


(……先生……どうか見守っていてください……)


 育ての親であり、現在行方知れずの家族を思い浮かべた後、少年は左手に目を向ける。


(……頼むから大人しくしてくれよ……)


 黒い皮性のグローブの付けられた両手のうち左手を凝視しながら祈っていると、視界の端に異物が映り込む。川の流れの中にあったそれを見つけた瞬間思わず声が出た。


「……え……?」


 川の上流から流れて来たそれは水やゴミの類ではない。ラグナはそれを見た瞬間に頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。


「人……人が流されてる!?」


 遠目でもハッキリとわかった、人間が川に流されていたのである。ラグナは気づいた瞬間にはもう柵を乗り越え川に飛び込んでいた。水の冷たさに鳥肌が立ったが構わずに腕と足を必死に動かして泳ぐと目標の人物のもとになんとかたどり着く。町中を流れる川に人が流されているだけでも十分驚きなのだが、それだけでは終わらなかった。


「女の子……それもこんな小さな子がどうして……」


 少女、というよりは幼女と表現した方が妥当な小さな子供が気を失った状態で川に流されていたのである。幼女は気絶しながらも大きな木片に掴まっていたため顔を水面に付けてはいなかったがその顔色は決して良いとは言えない。子供が川に流されていることに戸惑ってしまったが、とにかくこのまま水の中にいるのはマズイと思ったラグナはその小さな体を手繰り寄せると陸地に向かって泳ぎ出した。到着するとすぐに地面に体を寝かせて状態を確認する。


(呼吸は……してる。よかった、水を飲んでしまったんじゃないかと思ったけど大丈夫だ。体も思ったよりは冷えてない。流されてからあまり時間が経ってない証拠だ、でも――)


 死んだように眠る幼い童女が本当に死んではいないということを確認したラグナは胸を撫で下ろした。だが幼女のある一点に違和感を覚え、吸い寄せられるように目を向ける。


 腰まで届く金色の美しい髪、人形のように整った愛らしい顔を持つその幼女にはおかしな点が一つだけあった。首から銀色の盾のネックレスを下げ、白い半袖のTシャツの上に同じく半袖の赤いパーカーを羽織り、下半身は太ももが露出した短めの黒い半ズボン、足には同色の二ーソックスを履いている。と、服装だけならばさほど気にはならなかったのだが、指先から肩にかけて右腕全体にグルグルと白い布が巻かれていたのだ。


(……包帯が腕に巻かれてる……怪我でもしてるのかな)


 腕に巻かれた包帯を取って確認しようとしたラグナだったが、直前で思いとどまる。


(……駄目だ、専門的な知識もないのに下手にいじらない方がいい。それよりもこの子を病院に連れて行こう――ん?)


 急いで幼女を抱き上げようと腰に手を置いた時だった、手に違和感を感じ思わず手を引っ込めてしまう。柔らかな体とは対照的な硬い感触に首をひねりながらもその正体を探そうと目を動かす、するとすぐに目的の物は見つかった。


(なんだこの箱……しかも収納されてるホルダーには指紋認証式のロックがかかってる)


 幼女の腰に付けられていた赤い機械仕掛けのホルダーケースの中には正方形の箱が収納されていた。ケースの隙間から見える拳ほどの大きさの箱には緑色に光る無数の線が走っており何かの機械ではないかとラグナは考えたが、ふと我に返る。こんなことをしている場合ではない、早くこの子を病院に連れて行かなくてはならない――と。


 水を吸って重くなった手袋や服が鬱陶しかったが、着替えている暇などなかった。ベンチに置いた唯一の荷物であるリュックを背負うと、幼女を抱きかかえて足早にその場を立ち去ろうとするも、歩き出した瞬間にラグナは硬直し行動を止めた。


 目の前に突然二十人ほどのガラの悪そうな男たちが現れ立ちふさがったのである。腰に下げられた剣やナイフ、男たちの下卑た笑みを見る限りまともな連中でないことはすぐにわかった。ラグナは警戒を強めながら一歩後ろに下がる。


(……こいつら、なんなんだ……しかも街の中に武器を持ち込んでる……武器は騎士みたいな特別な資格を持つ者以外は街に持ち込めないはずなのに……検問はどうなってるんだ……)


 ラグナが混乱していると悪漢の一人が口を開いた。


「よう兄ちゃん。初めましてだ。俺はドルドって者なんだが、ちょっといいかい? お前が大事そうに抱きかかえてる荷物に用がある。そいつを渡してくれねえか?」


 武装した集団の先頭に立っていたドルドという大男が男達を代表して話しかけてきた。察するにどうやらこの荒くれ者たちのリーダーらしい。紺色のコートが特徴的な角刈りの大男は茶色い皮手袋のはめられた右手を突き出してラグナに要求を迫る。


「……荷物……この子のことを言ってるのか……?」


「ああ、そうだよ。決まってんだろ」


「……この子にいったいなんの用だ……?」


「お前には関係ねえだろ。いいからさっさとそいつを寄越しな。でないと――」


 ドルドが目配せすると、周囲の手下たちが一斉にラグナを取り囲んだ。渡さなければ強引に奪い取るということなのだろう。


「で、どうする?」


 望む返答を求めるようにジリジリと包囲網を狭めてくる男たちにラグナは答えを返すべく口を開いた。


「……断る……!」


 そう、初めから答えは決まっていた。素性も知れないうえに幼い子供を荷物呼ばわりするような奴に引き渡せるはずがない。ただでさえ川に流され衰弱している幼女をこんな得体の知れない連中に差し出すことなど騎士を目指すラグナには到底できなかったのだ。


「そうかい、じゃあしょうがねえ。痛い目に遭ってもらうとするか」


「……俺と戦って痛い目を見るのはお前たちの方だ。これを見ろ」


 ラグナは左手で幼女を抱えると、両手に着けていた黒い手袋のうち、右手にはめられていた方を取って手の甲を男たちに見せつける。右手の甲に刻まれた銀色の天秤の痣を凝視した大男は目を大きく見開くと戦闘態勢に入っていた部下たちを手で制止させた。


「その痣……お前『月詠つきよみ』か」


「そうだ。俺が『月光げっこう』を呼び出せばお前たちはただでは済まないぞ!」


 『月詠』とは騎士になるうえで必要とされる資質の一つであり、特別な力を持つ者の総称だ。超常的な力を振るう『月詠』とそうでない者との間には絶対的な力の隔たりがある。だからこそラグナは敵がひるむのを期待した。


(昔から大抵普通のチンピラは『月痕げっこん』を見せるだけで引き下がってくれた。今回だってきっと……)


 右手の甲に刻まれた痣である『月痕』は『月詠』の証であり、持っていない者からすれば恐怖の象徴だった。自分が『月詠』であることをあえて教えることで戦いを回避しようと考えたラグナは鋭い目で大男を睨み付ける。


「わかっただろう! 俺は『月詠』だ、だから――」


 声を荒げてドルドたちを威嚇しようとしたが、予想外の反応に言葉を遮られてしまう。


「くくく」


 ドルドはまるでラグナが『月詠』であることを喜ぶように笑い始めたのである。


「な、何が可笑しい……!?」


「いやあ、奇遇だなあと思ってよ。実はなぁ、俺も――なんだよ」


 ドルドは右手に着けていた手袋を取り去ると黄色い六芒星の痣をラグナに見せる、まごうことなくそれは『月痕』であった。


「お前も……『月詠』……なのか………」


「くくく、何を驚いてるんだか。確かに『月詠』は一般人に比べて数こそ少ないが大都市の近郊には結構いるぜ? つーかそんなこと常識だろ、まあ人口が少ないド田舎なら珍しいかもしれないがな。お前は上京してきたおのぼりさんか何かか?」


「う……」


 人のほとんどいない田舎出身のラグナにとってそんな常識はほとんどわからなかった。インターネットすらこの街で携帯を買うまで使ったことがなかったのだ。十七になるまで狭い世界の中で生きて来たラグナの情報や経験則などここでは通用しない。そのことを悪人に教わるという最悪な形で理解させられたのだ。


「自分が『月詠』だからって理由で引いてくれるとか思ってたんならとんだマヌケだぜ。俺達を引き下がらせたいなら力づくでやってみな」


「くッ……!」


 自身の浅い考えを見抜かれたうえに戦わざるを得ない状況になったことに対して奥歯を噛みしめたラグナは後ろに一歩下がった。


「マヌケとはいえ『月詠』だ、テメエらは手を出すな。まずは俺がやる。さて、お手並み拝見といこうか」


 ドルドが右手を上に突き出すと六つの月のうちの一つ、黄色い月が強く輝いた。そして月が放つ黄金の光に呼応するように巨漢の体を突如同色の光が覆う。


「さあ、お前も『月光』を呼び出せ。戦おうぜ」


 挑発するように手招きするドルドに対してラグナはさらにもう一歩後ろに下がる。


「なんだよ、逃げるなよ。つーかなんで『月光』を使わないんだ? こっちはもう臨戦態勢に入ってるんだぜ。まさか使わなくてもなんとかする自信があるのか? だとしたらずいぶんと舐められたもんだな。この俺様相手にそんな態度取ってたらよ――」


 いつまでも経っても力を使おうとしないラグナにシビレを切らしたドルドは力強く一歩踏み込むと、一瞬でラグナの懐に入り込んだ。


「――死ぬぜ?」


「な……ぐはぁッ!?」


 まるで瞬間移動でもしたかのように間合いを詰められたラグナはあまりの驚きに体を反らすも次の瞬間に大男の右こぶしによる殴打を顔面で受けて派手に後方に吹き飛んだ。抱き抱えた幼女を傷つけないように必死に腕で守りながら地面を転がり、十メートルほど離れた場所でようやく体は止まる。


「どうだ? これで『月光』を使う気になったか?」


 よろけながらもなんとか立ち上がったラグナはドルドの質問を黙殺すると街の中央に向かって走り出す、しかし――。


「逃がさねえよっ、と!」


「がはッ!?」


 またしても一瞬で追いつかれワキ腹を蹴り飛ばされた。凄まじい衝撃に胃液がせり上がるのを感じるも吐くのを堪えて態勢を立て直す。先ほどとは違いドルドの攻撃を予想していたため無様に転がることだけは回避できたものの、あまりの痛みから座り込んでしまう。


(なんて重いパンチと蹴りなんだ……これが『月光』によって身体能力が強化された『月詠』の攻撃なのかッ……!? 初めて受けたけど、こんな攻撃そう何度も耐えられない……! それにこの子を抱えたまま戦うのは危険すぎる。でもこの近辺には下ろせない、アイツらに間違いなくさらわれるだろう。なんとか人のいる場所まで逃げるしかないッ……!)


 方針を固めたラグナは立つとすぐに全力疾走してドルドから離れる。


「……はぁ、やれやれ」


 ドルドのため息まじりの独り言が背後から聞こえた瞬間、ラグナの体は宙を舞った。


「な、にが――う、がッ」


 空中にあった体は落下し、背中を地面に強打したラグナはうめき声をあげると同時に何が起こったのかすぐに悟る。後ろにいたはずのドルドがしゃがんだ体勢で前にいること、何かにぶつかったように足がしびれて痛むこと、このことから全てを察することが出来た。


(……足払い、されたのか……)


 おそらくドルドは走るラグナの前に一瞬で現れると同時にかがみ、足をすくい上げるように蹴ったのだ。その結果として勢いのついていた体は一回転するように空中で回り現在のような状態になったのだろう。速度があったとはいえただの足払いであそこまで浮くことは普通に考えればあり得ないことだが、『月光』を帯びた『月詠』の身体能力なら可能である。


「まったく、いつまで逃げ回るつもりなんだお前。力を使わないで戦えるだけの技術があんのかと思ったらそうでも無さそうだし。逃げるにしたって『月光』を纏った方が遥かに逃げやすいだろうに」


「ぐぅッ!」


 倒れてもなお幼女を離さないラグナを踏みつけたドルドは不機嫌そうに眉を寄せた。


「つーかこんな状況になっても『月光』使わないとか、マジでどうかしてるぜお前」


「う、うるさいッ……! 見ていろッ……! 今から呼び出してやるッ……!」


「ほお、そいつは楽しみだな。やっとまともな戦いになりそうだぜ」


 ラグナから足を離し後ろに十歩ほど下がったドルドの元に、荒くれ者の一人が近づき話しかけ始めた。


「ドルドさん、遊んでないでさっさとやっちまった方がいいんじゃ……。こんなとこで遊んでるのがかしらにもしバレたら……」


「少しくらいなら問題ねえよ。兄貴にだってバレやしねえって」


「でも……」


「ちッ、うっせえな! 久しぶりのまともな戦いなんだよ邪魔すんじゃねえ!」


「がはッ!?」


 ドルドは部下を容赦なく殴り飛ばすと、驚くラグナに向き直った。


「さあ待っててやるからさっさとしろ。最近ぬるい仕事ばっかで飽き飽きしてたところなんだよ。ちょっとでいいから俺を楽しませてくれや」 


(何の話だ……いや、どうでもいい。待ってくれるならこっちにとっても都合がいいんだ。大丈夫、落ち着け。俺だって『月詠』なんだ。出来るはずだ、出来なきゃおかしい。ずっとイメージトレーニングしたきたんだ。この日の為に。本番が早まっただけだ、ここで出来るって証明してみせるッ!)


 立ち上がったラグナが右手を天に掲げると銀色の月が輝き、その肉体をドルドに負けないほどの銀の光が包み込む――はずだった。しかし体を覆ったのはわずかな光のみ。炎のように轟々と燃え盛る金色の光に比べれば、銀の光はまるで風前の灯火にも似た弱々しいものだった。それを見たドルドは堪えられないといった様子で吹き出す。


「……ぷ、ギャハハハハ! マジかよ! なんだその弱っちい『月光』はよォ! ぶひゃひゃひゃひゃ! は、腹いてえよ! 傑作だなおい! そんな雑魚いの初めて見たぜ! おい見ろよお前ら!」


 腹を抱えたまま笑い出したドルドに釣られて他の男たちも笑い出す。先ほどラグナが心配していた欠点がここに来て最悪の形で露呈してしまったのだ。


(……やっぱり駄目なのか……昔からそうだった……どうしてだ、どうして俺の呼び出す『月光』は通常の『月詠』が呼び出すものよりもこんなに弱弱しいんだ……『月詠』の強さは身に纏う『月光』の量で決まると言っても過言じゃない……だっていうのにこのザマ……これじゃあ身体強化の恩恵なんてほとんどない……今日までずっとイメージトレーニングしてきたっていうのに……いや、今は泣き言なんて言ってられない、戦って勝てないならせめてこの子だけでも逃がせるようにしないと)


 ラグナは屈辱に耐えながらも大笑いして油断している男たちの隙をつき脱出の算段を整えようとした、だがどんな作戦を考えても失敗する未来しか思い浮かばない。


(……駄目だッ……人数が多すぎる、これじゃ逃げる隙なんてないッ! どうやっても逃げられないのか! 『月光』の力で身体能力が底上げされてるコイツとその仲間から逃げるには強力な銃火器でも使うか、それか――奴と同等以上の『月光』を使うしかない……)


「はぁ、笑った笑った。しっかし、ぷくくくく。どうやら本当にそんなショボいやつしか呼び出せないみたいだな、でなけりゃこれだけバカにされて黙ってるはずねえもんな? 最初のタダじゃ済まないとかいうのは結局ハッタリかよ、情けない奴だぜ」


(……くそ……こんな状況なのにまともな『月光』を呼び出せないなんて……情けなさすぎる……騎士になるつもりでこの国の首都まで来たっていうのに……試験を受ける前に終わるのか……いや、でもこんな『月光』じゃあどのみち試験に合格なんて出来ないか……今の今までできなかったクセに本番で成功させようなんて甘い幻想だったんだ……だけど……俺が弱いせいでこの子を助けられないなんて、そんなの――嫌だ……)


 腕の中でスヤスヤと眠る幼女を見ながら悔しがったその時だった、ラグナの左手が強烈な熱を持って胎動を始める。欠点に続いて隠しておきたかった秘密がここに来て顔を出し始めた。それも史上最悪の秘密が、だ。


(この感覚は……!? ……マズイ……! おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ! 頼む、おさまってくれッ……!!!)


 幼女を胸の中心に抱え露出した右手で手袋のはめられた左手を強く握りしめると、念じるように心の中で唱える。ドクンドクンと心臓の鼓動のように強く、激しく振動を始めた左手の動きを止めるためにラグナは必死になっていた。そして願いが通じたのかやがて疼きはおさまる。だがその様子は傍から見れば手を組んで神に祈りを捧げるように見えたのだろう、だからこそドルドの笑いは馬鹿笑いから嘲笑に変わった。


「ふん、散々逃げ回った挙句に最後は神頼みのお祈りか? なんか白けちまったぜ……なあ正義の味方君よお、もういい加減痛い目に遭って夢から覚めたろう? そこで現実的な提案なんだがその女を渡してくれねえか? そうすればお前のことは見逃してやる。いいかこれは最後のチャンスだぜ。よく考えて――」


「馬鹿にするなッ! 何をするつもりか知らないが、お前たちのような暴力的な連中にこんな小さな子は渡せない! 俺は確かにお前よりも弱い、けど自分の命惜しさにこの子を見捨てるような卑劣な真似だけは絶対にできないッ! どれだけ脅されようがこの気持ちは変わらないッ!」


 即答したラグナを冷たい目で見下ろしたドルドは舌打ちすると首を回した。


「……チッ……偽善の仮面がはがれると思ったのによ」


 ドルドは腰に下げたホルスターから四角い箱状の物体を取り出した。それは先ほど幼女の腰のホルスターに下げられていたものとまったく同じ物。


(あれは……この子の腰にあったものと同じ……)


「冥途の土産だ。俺様の自慢の武器を見せてやるよ」


 そしてドルドが叫ぶとその手に握られた箱が『月光』に反応するように形を変え始めたのだ。緑色の光を内包していたボックス状の機械は黄色い『月光』吸収しながら膨張していった。大きく変形を始めると、やがて巨大な黄色い機械の斧へと変化する。


(武器になった……そうか、あれが……知識としては知ってたけど……実物を見るのは初めてだ――『月光』を吸収し、形を変える機械の兵器――『月錬機げつれんき』)


 『月詠』専用の武装があることは知識としては知っていたが、実際に見るのは初めてだったためラグナは驚きのあまり目を見開く。だがそれも無理は無い、小さな箱がものの数秒で二メートル近い大斧に変形したのだ。科学技術の発達に感心しそうになったがその技術の矛先が自分に向けられていることを思い出し体を震わせる。


「くくッ、よーく見とけ。コイツの威力をよぉ!」


 呟くとドルドは右手に握られた黄色の斧を振り上げラグナのすぐ前の地面に反応できないようなスピードで振り下ろした。勢いよく下ろされた刃が地面に触れた瞬間、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの爆音と衝撃に襲われる。衝撃のあまり抱えていた幼女を手放してしまい後方に吹き飛ぶ。気絶しそうになるのを堪えすぐに目を開けた。すると前方に巨大な穴が出来ていた。


「…………な……!?」


 直径一メートル近い穴に絶句するラグナをあざけるようにドルドは口を開く。


「さあ次はテメエらの番だ。まったく、素直に女を渡しておけばよかったのになあ。残念だぜ。つってもまあ、渡したところで結局テメエは殺してたんだけどな。目撃者を生かしておくわけにはいかねえし。ギャハハハ! ま、そいつを川から拾ったのがテメエの運の尽きだ」


(……どうせそんなことだろうと思ってたよ……ごめん、せめて君だけでも逃がしてあげたかった……俺が弱いせいで……)


 倒れている幼女にうつ伏せの状態で謝罪したラグナは悔しさのあまり唇を噛んだ。


「さあ、グッチャグチャになりやがれぇぇぇ!!!」


 地面を蹴り飛びかかって来たドルドの死刑宣告を聞きながらラグナは静かに目を閉じた。


 数秒後には痛みと死が待ち受けているのだろう。しかしこれは罰なのかもしれない、そう思うと自然とこの理不尽も受け入れられた。過去に犯した過ちが脳裏をよぎる、死の間際に見るという走馬灯とはこういうものなのか。それは十年前の惨劇――教会で血まみれで倒れている一人のシスターと大勢の子供。さらにその中央で横たわる自分とそれを取り囲む下卑た顔の男達――そしてその悪党のリーダーであるスキンヘッドの男が何かを呟く。


『しょうがないですよぉぉぉ〜。君たちが弱いのがいけなかったんですからぁぁぁ〜』


 その言葉を聞いた瞬間、幼いラグナの中で何かが弾け、周囲一帯を黒い光が照らす。それは拭いきれない罪の記憶。その過ちの過去を幻視しながらラグナは死を待った。


 だがとっくに振り下ろされるはずのドルドの斧はラグナの頭部を割ることはなかった。


(…………あれ……攻撃が来ない……それになんだ……この音……)


 痛みの代わりに思いがけない音がラグナの耳に入ってきた、それは金属がぶつかり合うような甲高い音。恐る恐る目を開けるとそこには予想だにしない展開が待っていた。


「……え……?」


 間の抜けた声をあげてしまうほどラグナは驚いた。その驚愕は自分と大男の間に割り込むように立ちふさがる者に対して向けられる。美しい金髪を風になびかせながらその金糸に引けを取らない美しい緑の光を体に帯びた小さな戦士はどこから取り出したのかわからない黄緑色に発光する大剣で斧を受け止めていた。


「ど、どうして……君が……」


 助けようとした幼女――それこそがラグナの救世主だった。


「て、テメエ……! 気がついてやがっ――ぐわぁッ!?」


 ドルドが焦りと恐怖に彩られた声音で話しかけるも幼女は無言のまま魚の骨のような大剣を振り払い斧ごとその巨体を十メートル以上後方に弾き飛ばした。百キロは優に超えるであろう偉丈夫をあっさりと跳ね除けた細い剛腕――それを見た少年は開いた口がふさがらない。小さな子供が大きすぎる剣を片手で振り回し、大の大人を押し返す。通常ならばありえない光景、だが幼い肉体を覆う緑の光がラグナの予想通りのものならばその離れ業も納得できた。


(あれは……『月光』? ってことはあの子も『月詠』……じゃあ、あの大きな剣はもしかして変形した『月錬機』……? ……腰のホルスターが空になってる……ってことはやっぱりあのホルスターに入ってたのは『月錬機』だったのか……?)


 幼女の腰に注目するとやはり黒いホルスターの蓋が開いていた。どうもあの三メートル近い無骨な大剣の正体はドルドの斧と同じように『月光』を吸収し変形した『月錬機』のようだ。疑問の一つは解消したものの頭は混乱したままだった。しかしそんなラグナを尻目に『月光』を纏った二人は武器を構え直して向かい合う。


「……へへっ、拉致ってから殺すつもりだったが、こうなったら仕方ねえな。この場でぶっ殺してやる。てめえが兄貴たちとの連戦で負傷して疲れ切ってんのは知ってんだよ。そんな状態でこの俺に勝てると思ってんのか?」


 余裕の笑みを見せて相手を挑発しているつもりのようだが気のせいかドルドはひどく狼狽しているように思えた。一方で幼女はそれに対して反応することなく剣を中段に構えながら一歩づつ敵との距離を縮めている。そして歩きながら小さく呟いた。


「『イル・ウィンド』」


 やがてドルドの間合いに入った幼女が呪文のような言葉を発すると、緑色の光の一部が渦を巻きながら大剣に纏わりつき始めた。光はやがて無色になり、透明な空気の螺旋を形作る。


(……風……?)


 広場に突風が吹き荒れ、巨大な暴風が幼女を中心に発生するも数秒と経たずにそれは消え、代わりに風の渦が剣の鞘になるように残った。それはさながら小さな竜巻のようで、ギュルギュルと音を立てて回転しながら大剣の刃に巻き付きついていた。


(あれは……間違いない。『月光術げっこうじゅつ』だ。……あの強力な風、当てられれば確かにドルドを倒せるもしれない。でも『月光術』は――)


 ラグナは『月光術』の弱点を知っていたため不安そうに顔をしかめた。




 術の発動を見届けたドルドはニタリと笑って眼前の幼女を挑発する。


「ク……クク、いいぜ。攻撃して来いよ。だがそれを外した時がテメエの最後だぜ」


 『月詠』として戦い慣れていたドルドは『月光術』の強力さと弱点を嫌というほど理解していた。ゆえに内心ほくそ笑む。


(――かわせば勝てる。狙いは術の効力が切れた時。フラフラで死にかけのてめえの攻撃なんざ余裕でよけられるっつーの。ククク、ミンチにしてやるぜ)


 ラグナと同じことを思い描いていた悪漢は近々訪れる未来を予測しながら舌舐めづりをした。




 ラグナの予想通りドルドは斧を構えて防御の姿勢を取った。


(…………マズイ……このままじゃあの子は……)


 それを見たラグナは幼女の危険を感じ、顔を歪める。大剣に巻き付いた風は凄まじい威力を持っているのだろう。しかしどれだけ強力な攻撃でも当たらなければ意味が無い。避けることに集中している敵に対して真正面から切りかかったとしても効果的なダメージが与えられるとは思えない。そしてその後に悲劇が訪れる――とそう思っていた。


「クク、さっさと攻撃して来やが――んなッ!?」


(…………え…………?)


 だがラグナの心配は杞憂に終わる――なぜなら勝負は一瞬で終わったからだ。地面が割れるほどの勢いで踏み込んだ幼女は瞬間移動でもしたかのような速度でドルドの間合いを侵略すると、腹部に容赦なく小さな竜巻を叩き付けた。悪漢は防御や回避などの行動を起こす前に攻撃を受けてしまったのだ。


「ごっ、ぱぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああッ!!??」


 ドリルのような勢いで回る風の刃に腹をえぐられたドルドは吐瀉物をぶちまけながら空高く吹き飛び、その後川に落下した。風に飛ばされた小さな紙屑のように呆気なく消えた強敵、しかもそれを行ったのが小さな幼女という衝撃の事実を前にラグナの思考は停止するも統率者を失った男たちの騒ぎ声で我に返る。


(……なんてスピードだ……攻撃が当たるまで速すぎて見えなかった……それに、明らかに戦い慣れてたドルドをたった一撃で……しかも真正面から……凄い……)


 静かに立ち尽くす幼女をラグナは見ていたが悪漢達のうろたえる声はさらに大きくなる。


「ど、ドルドさんが……」


「やべえよ……どうすんだよ……」


「と、とにかくいったん引くぞ! ドルドさんを回収しねえと!」


 逃げ出した男たちを見て幼女は追いかけようとしたが、突然片足を地面についてしまう。いつの間にか彼女の周りを覆う光の膜は消えていた。ラグナはそれを見た途端役に立たない『月光』を解除するとふらつく体をなんとか立たせて走り出す。


「大丈夫ッ!? しっかりして!」


 幼女は心配そうに駆け寄ってきたラグナを見るなり表情を崩して微笑んだ。


「……守ってくれてありがとう。途中からぼんやり意識はあったんだけど、体がなかなか動かなくてさ。君が時間を稼いでくれたおかげである程度動けるまで回復できたよ」


「いや、そんな、俺は何も……それより体は大丈夫……?」


「うん、なんとかね……。でも『月光術』は神経と体力使うからまた動けるようになるにはちょっと時間かかるかも。いやー、この体で長時間戦うのは無理そうだから『月光術』でさっさと決めようと思ってたんだけど当てられてよかったよ。はずしたら一巻の終わりだもんね」


 体を休めるように地面に座り目をつぶった幼女を見てラグナはその姿をじっと見つめ始める。


(そうか……知ってたのか。いや、子供とはいえ『月詠』なら知ってて当然か。『月光術』は『月光』を消費して発動する強力な魔法――でもその代償に、使用後は肉体を覆う『月光』が全て消えてしまう。当然身体強化の恩恵も消える。そのうえ術の発動後数十秒から一、二分ほどは『月光』を呼び出せない。たかが数十秒、一、二分だけど、高速戦闘を行う『月詠』同士の戦いにおいてはそのわずかな時間が生死を分ける。まさに諸刃の剣だ。だから負傷した状態で使うにはあまりにもリスクが大きい。いくら早く終わらせたいからと言っても普通の『月詠』なら当然迷う状況。だけど、それをこの子はあっさりと決断し実行したうえ、見事に成功させた。本当に強い。戦闘技術だけじゃない、きっと心が強いんだ。いったい何者なんだろう)


 ラグナが小さな戦士の正体について考えていると、呼吸を整えていた幼女の方から声をかけて来た。


「……あ、そうだ。自己紹介しないとね。私はブレイディア。君は?」


「え、あっ、と……俺はラグナ、ラグナ・グランウッド」


「そっか、ラグナ君か。覚えておくね。それで、本当ならしっかりお礼をしたいところなんだけど実はちょっと今仕事で立て込んでてね。少し休んだらすぐ行かなきゃいけないんだ」


「仕事、って、何言ってるのッ!? 病院に行った方がいいよ! 襲ってきた奴らの事は俺が騎士団に報告しておくからさ、君は一刻も早く治療を――」


 だが言葉を遮るようにブレイディアはラグナの提案に対して首を横に振った。


「気持ちは嬉しいんだけど治療を受けてる暇はないの。それに騎士に報告する必要はないよ。だって私が騎士だからさ」


「えッ!? ぶ、ブレイディアちゃんって騎士なのッ!? で、でも騎士って十七歳以上じゃないとなれないんじゃ……」


「二十一歳だよ私」


「……え……」


 幼女にしか見えない女騎士が発した二十一歳という言葉を聞いてラグナの思考は一瞬停止した。その様子を見てブレイディアは頬を膨らませる。


「あー! もしかして私の事子供だと思ってたの!?」


「い、いや……それは……その…………」


「むー……ほら、これ見て。私の騎士手帳……ってあれ……無いッ!? 嘘ッ!? ズボンのポケットに入れといたのにッ……も、もしかして川に落としたかも……い、いやー、なんか身分証無くしちゃったみたい……でも私は騎士なんだよ? ホントだよ?」


「…………」


「何その疑いの眼はッ!?」


 ラグナが本当に騎士なのかとジト目で見ていることに気づいたブレイディアは慌ててポシェットの中を漁り始める。


「ちょ、ちょっと待って免許証なら確か……あ、あった! ほらここ見て!」


 ポシェットから取り出されたのはバイクの免許証。ずいっと押し付けられるように見せられる。指で名前の場所はよく見えなかったが、そこにはブレイディアの顔と共に生年月日が記載されていた。そして免許証の上部に騎士団所属員特別免許証と書かれていたのだ。これを所持する者は違法者を取り締まる際に法定速度や信号を気にしなくてもいいという証。運転免許を持つ騎士は皆これを交付されると受験生用の教本でラグナは知っていた、ゆえに驚く。


「ほ、本当だ……う、疑ってごめ……いや、すいませんでした……」


「むー……まあいいよ。君は私の命の恩人だしね。とにかく私は騎士なの。それで……君にお願いがあるんだ。実は今極秘任務中でさ、だから私と出会ったことは他言無用でお願いしたいんだ。特に他の騎士には絶対言わないで欲しい」


「え、他の騎士にも……? 味方なのにどうしてですか……?」


「……極秘任務だから他の騎士にも情報は漏らせないの。だから……お願い」


(……何か事情があるってことか。でも他の騎士にも話せないってどういうことなんだろうか……いや、疑うのはやめよう。たぶん俺に隠してる事があるんだろうけど、それはきっと俺を巻き込まないためだろう。それにドルドたちから俺を必死に守ってくれたのは事実。ブレイディアちゃ――じゃなくてブレイディアさんは良い人だ。信じよう)


 ブレイディアの真剣な眼差しを受けたラグナは疑問を感じながらも頷く。


「……わかりました。約束します」


「ありがとね。うー、しっかし夜通し戦ってたとはいえ敵の攻撃で川に落ちるなんて不覚だったよ。そのうえ気を失っちゃうなんてさ。落ちる前に敵の攻撃で壊れた木の一部になんとかしがみついてたから溺れずには済んだけど、あのままだったらドルドに見つかってたし、ラグナ君がいなきゃ死んでたよ。本当に助かった。このお礼はいつか必ずするから。……あと、いきなりこんなこと言うのもなんなんだけどさ――この街、ううん、この国から出来るだけ早く離れた方がいいと思う」


「え……どうしてですか……?」


「この国――特に今この街は非常に危険なことになってるの。今襲って来たドルド達なんてまだ序の口でね、もっと危ない奴らが潜んでいるの。だから今すぐ逃げた方がいい」


「で、でも、だったら街の人達にも知らせて避難させた方がいいんじゃ……」


「……それは駄目。複雑な事情があってね、これは公にはできない。公にすれば敵に感づかれて街の人たちをかえって危険にさらすことになるから。でも君や君の知り合いなんかは今ならまだ逃げ出せると思う。無茶苦茶なお願いをしてるって自覚はあるけど、どうか私を信じてこの街を離れてほしいの」


(……街を離れる、か……それもいいかもしれない。こんな弱い『月光』しか使えない俺が騎士採用試験に合格できるとは思えない。さっきの戦いで嫌ってほどよくわかった。そのうえこの国の危機なんてものに対して何ができるっていうんだ。ここに残ってもどうせ後悔するだけだ。だったら逃げた方がいい。でも、逃げる前に……)


 ラグナは負のスパイラルに陥っていた思考を止めブレイディアを見つめた。


「……一つ聞かせてください……ブレイディアさんはこれからどうするんですか? 他の騎士にも言えないってことはさ、他の騎士に協力を仰げないってことですよね? ってことは貴方はこの先ドルド達より危険な奴らとたった一人で戦わないといけないってことですか……?」


「仲間が全くいないってわけじゃないんだけど……まあ直接戦えるのは私だけだからそういうことになるのかな多分……」


「そんな……危険すぎますよ! 貴方が強いのはさっき見ましたけど、一度追い詰められてるみたいじゃないですか! 川に流されてたのだってそれが原因なんでしょう!? このままじゃまた……」


「……確かにね。ラグナ君の言うように状況は非常にマズイ。このままじゃ私は殺されるかもしれない」


「だったら――」


 逃げた方がいい――そのラグナの言葉を遮るようにブレイディアは笑いながら言った。


「――でもね、この仕事から逃げ出してもきっと後悔すると思うの。だからさ――やらないで後悔するよりやって後悔したいんだ私は」


「……ッ!」


 あっさりした口調だったものの、その言葉からは強い信念が感じられた。ラグナはそれを聞いた途端、何かに顔を叩かれ目を覚まされたような錯覚を覚えた。そしてその結果、少年の中で結論は下される。


(……そうか……そうだよな……重要なのは出来るかどうかじゃない……自分自身が納得できるかどうかなんだ……俺はどっちだ……どうして田舎を出てここまで来たんだ……なんのために俺は……)


 ラグナは胸に手を当てて考えた後、やがて答えを口にした。


「……すみませんブレイディアさん。やっぱり俺はこの街に残ります。どんなにこの街が危険でも俺にはこの街でやりたいことがあるんです。うまくいかないかもしれないし、失敗するかもしれない。けど俺も貴方の言葉を聞いて――やらないで後悔するより、やって後悔したいってそう思ったから――だから……すみません」


 ラグナの言葉を聞き目をパチクリさせた後、ブレイディアは笑った。


「……やられた。そう言われると私としては返す言葉がなくなっちゃうよ」


「本当にすみません。せっかく心配して言ってくれたのに……」


「ううん、気にしないで。お互い譲れないものがあるってことだもんね。それじゃあ私はそろそろ行くよ。君が何をしようとしてるかはわからないけど、ラグナ君ならきっと大丈夫だと思う。あ、そうだ、行く前に、っと――これあげる」


 ブレイディアは盾の形をした銀色のネックレスを首からはずすとラグナに手渡した。


「ブレイディアさん、これは……?」


「お守りみたいなもの、かな。ちゃんとしたお礼がしたいんだけど今日のところはそれで勘弁して。一応銀で出来てるからそれなりに価値はあると思うよ」


「でも……いいんですか? 大切なものなんじゃ……」


「平気平気。それに命の恩人である君に持ってて欲しいんだ。私からの感謝の気持ち。だから遠慮せず受け取って欲しいな」


「……ありがとうございます、大切にします」


 ラグナが貰ったネックレスを首にかけ洋服の中にしまうと、それを見たブレイディアは笑顔で走り出す。


「うん、それじゃ今度こそ行くね。この街本当に危険だから注意だけはしておいて」


「わかりました、ブレイディアさんも気を付けて」


「うん。またねラグナ君」


 風のように去って行ったブレイディアを見送った後、携帯型端末で時間を確認する。


「あ、ヤバイ……! そろそろ行かないと受付に間に合わないッ……!」


 近くにあった公衆トイレでリュックに入れていた同じような替えの服に着替えると、車やらバイクを追い越さんばかりの疾走の末にラグナはなんとか試験会場にたどり着く。だがその体は汗だくで体力もすでに限界寸前だった。街の外に最も近い場所に存在する広大な敷地の中に建てられた要塞にも似た白亜の建造物を前に激しく息を切らしながらも、なんとか着いたと安堵のため息を漏らす。


(つ、疲れた……だけど一日目は筆記試験だからなんとかなるはず……)


 試験は二日間にかけて行われる。一日目は知識を問われる筆記試験、二日目は戦闘能力を試される実技試験だ。いよいよ本番と思い、気を引き締めるべく頬を叩く。目の前にそびえ立つ巨大な砦のような白い建物は騎士たちが集う騎士の総本山――騎士団本部。


 騎士になる第一歩をラグナは踏み出す。これが壮大な事件の幕開けになるとも知らずに。

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