14話 ラクロアの月
時刻は夕方、ラグナは団長室の中でアルフレッドとブレイディアに森の中であった出来事を報告していた。無論、吹き飛んだエラーゾ男爵についての話題である。
「アハハハハッ! 傑作、ほんと笑える! アハハハハ!」
「……笑いごとではないぞブレイディア」
報告を聞くや破顔、腹を抱えて爆笑し始めたブレイディアに対してアルフレッドはため息をついた。各々の反応を見るやラグナはすぐに頭を下げる。
「すみませんすみませんすみません!」
「いいっていいってラグナ君。そんな謝んなくても。事故みたいなものなんだからさ。それに嘘ついて無理矢理ついて来たエラーゾ男爵にも非はあるでしょ。ね、団長?」
「……確かに依頼を偽ったのは問題だが……全治五か月の重傷か……」
病院から送られて来たエラーゾ男爵の診断書を流し読みしたアルフレッドは目を伏せ、ラグナはまた頭を下げる。
「すみませんすみません本当にすみませんッ!」
魔獣の死骸ごとふっ飛ばされたエラーゾ男爵は落下した場所が湖だったため死こそ免れたものの、左腕と右足を骨折するというそこそこの重傷を負っていた。
「あの、全面的に俺が悪いんです! セガール隊長たちは悪くないので処罰するなら俺だけを……」
「いや、ラグナが悪いわけではない。もちろんセガールたちにも非はない、今回の事は私の責任だ。お前はよくやってくれた。おかげで死者を出さずに済んだのだから」
「そうそう。ってゆーかラグナ君のせいでも無ければ団長のせいでも無いよこれは。だいたい森の中に変異体がいるなんて聞いてなかったしね。聞いてればもっと大人数で討伐に行ったのにさ」
「あの……すみません、変異体っていうのは……」
「ああ、そっか。ラグナ君はまだ知らないよね。変異体っていうのはね、魔獣が突然変異を起こして通常の個体よりも強くなった姿の事を言うの。まあ滅多に現れないから最近までは一部を除いて騎士の間でもそれほど知名度は高くなかったんだけど……」
「……だけど……どうしたんですか?」
ラグナが途中で言葉を切ったブレイディアに問いかけると代わりにアルフレッドが口を開く。
「……近頃このレギン国で変異体の発見例が相次いでいるのだ。エラーゾ男爵が依頼に来た時、様子がおかしかったため念のためラグナに援軍を頼んだのだが……まさかこの王都パルテンの近郊にまで変異体が出没するとはな。今後は一層注意しなければならないだろう。ラグナ、変異体の出没が多発している現状、これからもお前に部隊の援軍を頼む可能性が高い。その時はどうかよろしく頼む」
「そうだったんですか……わかりました。気を引き締めて頑張ります」
「すまない。では今日はもうそのまま直帰してくれて構わない。報告ご苦労だった」
「はい、お疲れさまでした。それではお先に失礼します」
「あ、ラグナ君。私ももうすぐ仕事終わるから一緒に帰ろう」
「はい。じゃあ本部の中にあるカフェテリアで待ってますね」
「オッケー。五分か、十分くらいで行くからちょっとだけ待っててね」
「わかりました。では今度こそ失礼します」
一礼の後ラグナは団長室を後にした。そしてそのまま向かったのは騎士団本部内にある広めのカフェテリア。自然を意識した木目調の床や壁、おしゃれなインテリアが並んだそこは騎士たちの憩いの場になっていた。中に入るとコーヒーサーバーの場所まで行き紙コップにホットコーヒーを淹れ席に着く。時間も時間だったため騎士たちの姿は少なかったが、不意に隣に誰かがやってくる。
「隣に座っても構わないか?」
黒い短髪に精悍な顔立ちをした三十台後半ほどの背の高い男性が声をかけて来た。その顔はまごうことなく今日の昼頃に出会った騎士。その顔を見るやラグナは勢いよく立ち上がり胸に手を当て敬礼した。
「セガール隊長、お疲れ様です」
「ああ、いや。立たなくても平気だ。普通に座ってくれていて構わない。それに、そう硬くならないでくれ。『英雄騎士』の称号を持つ君は私よりも階級が上なのだから」
「いえ、自分は新入りのうえ若輩者です。そういうわけにはいきません」
「ハハ、真面目な男だな君は。だが本当に楽にしてほしい。今日のお礼と謝罪がしたくて来ただけなんだ」
セガールは座ると、ラグナにも座るよう手で促してきた。それを受けてようやく席につくと会話が始まる。
「今日の森の件だが、部下を守ってくれてありがとう。本当に助かった」
「いえ、お役に立ててよかったです」
「ああ、君のおかげで私は大切な部下を失わずに済んだ。感謝してもし足りないくらいだ。それから、申し訳なかった。ドラゴンと同じくらい強いなどと私が言ったせいで、君は力の調節を間違えてエラーゾ男爵を吹き飛ばしてしまったようだからな」
「あ、いや、それは違います。完全にあれは俺一人の責任です。なんだか最近、また『黒い月光』の力が強くなったみたいで……一応あれでもかなり手加減したんですけど……」
「そ、そうなのか……あれ、で、手加減か……凄まじい力だな。正直話自体は聞いていたが、にわかには信じられなかった。今日自分の眼で見るまではな。『黒い月』に『黒い月光』――まさかおとぎ話の力を使う騎士が現実に現れるとは」
「……あの、セガール隊長。俺の力を見て、その、怖くなかったですか……?」
「……正直に言えば確かに恐ろしいものを感じたよ。私たちが手も足も出なかった魔獣を一撃で葬ったその力にな」
「そう、ですよね……使ってる俺自身も時々怖くなる時があるんです……もし自分の力が他の騎士の方々を傷つけたらって……使えば使うほど、この力は強力になっていっているから……」
現状、制御に成功しているものの、増大していく力がいつまた制御を離れるかわからない。そうなれば力に怯えていた過去に逆戻りしてしまう。ラグナにはそれが恐ろしかった。そんな様子を察してか震える少年の肩にセガールは優しく手を置く。
「己の力が恐ろしいと感じられる君なら大丈夫だ。心を強く持ちなさい。『月詠』は『月光』を心で制御する。それにもし己の力に不安を感じたなら私に相談するといい。いつでも話を聞く。私だけではない、団長や副団長もきっと力になってくれるだろう。自分一人で背負い込むな、君は一人ではないのだから」
「セガール隊長……ありがとうございます!」
セガールはラグナからお礼の言葉を聞くと穏やかに笑いながら立ち上がった。
「ではこれで失礼する。君とキチンと話せてよかった」
「はい、自分もセガール隊長とお話が出来てよかったです。もしよろしかったら、またお願いします」
「ああ、また話そう」
そのままセガールはカフェテリアを出ようとしたが、途中で立ち止まるとこちらに振り返った。
「君も知ってるとは思うが『ラクロアの月』には注意しておいた方がいい。奴らが最近また動き出したらしいからな。気をつけて任務に当たりなさい」
そう言うとセガールは今度こそ本当に出て行った。
「ラクロアの月……?」
ラグナは聞きなれない言葉に首を傾げた。
それから数分後にブレイディアが現れ共に騎士団本部を出る。現在は二人で一緒に並び歩いている最中だった。
「あの、定時に帰っちゃって本当に大丈夫ですか? なんか騎士は最近すごく忙しくて昼夜ずっと働いてるって噂で聞いたんですけど……」
「いやいや、そんなのただの噂だよ。確かに忙しい時は凄い忙しいけどずっとってわけじゃないから。騎士だって人間なんだから、休まないとね」
「でも俺が受けた騎士採用試験は夜行われたんですけど……」
「あれはディルムンドが自分の都合のいい時間に勝手にやったことだから。それにアレは試験じゃなくてドラゴンを精密に操るためのデータ収集みたいなものだったらしいから人目につかない夜にしたんじゃないかな。普通ならあんなのありえないよ絶対。……ああ、もしかしたらアイツが昼夜問わず騎士を動かして働かせてたからそういう変な噂が立ったのかもね」
「そうだったんですか……」
騎士はブラックというネットの話はどうやら嘘らしい。
「それよりどうラグナ君、騎士になってちょうど一か月になるけど仕事には慣れた?」
「ええ、少しだけ。でも、もっと気合を入れた方がいいのかもしれません。今日みたいなミスをしないように」
「今日の事はラグナ君のせいじゃないって。アレはエラーゾ男爵が嘘ついて一方的に足引っ張った結果でしょ。まったく、あんなのに今日一日ひっぱりまわされたセガールさん可哀想」
「あの、どうしてセガール隊長は男爵の無理なお願いを聞いたんでしょうか? いくら貴族のお願いって言っても任務中ですし断れたんじゃ……」
「……たぶんこれ以上騎士に対する印象を悪くしたくなかったんだろうね。ディルムンドの反乱で王侯貴族たちは少なからず騎士に不信感を抱いてるみたいだから。言い争って問題を起こしたくなかったのかも。相手はあのエラーゾ男爵だしね」
「…………」
あれから一月経つがどうやらディルムンドの反乱の爪痕はまだ色濃く残っているらしい。
「あーもう! 全部あのサラサラナルシストロン毛のせいだよッ!」
「さ、サラサラナルシスト……も、もしかしてそれってディルムンド様のことですか……?」
「そう! アイツ本部に置いてあった鏡の前でさ、キメ顔で髪をかきあげてたことがあったんだよねー。絶対あいつナルシストだよ。自分の顔が映るショーケースとかの前で立ち止まっちゃうタイプだよ絶対! 実は面白かったからそのキメ顔の写真携帯で撮っておいたんだよねー。ネットにさらしちゃおうかなー」
「だ、駄目ですよ! ディルムンド様が可哀想ですって!」
「そう? まあラグナ君がそういうならいいけど。まあとにかく今日あった嫌なことは元をただせば全部アイツが悪いってことを私は言いたいのですよ」
「……なんかすみません」
「え、なんでラグナ君が謝るのッ!?」
「ディルムンド様の反乱も、もとは先生があの人に『ルナシステム』を提供したことが原因ですから」
「あー、そういうことか。でもそれを言ったら諸悪の根源は王侯貴族ってことになるよ。アイツらのせいでハロルドやアルロンの街の人、そして君は酷い目にあったんだからさ」
「ええ……でも、なんだかそうやって人を恨んでいったらキリが無くなりそうな気がします」
「確かにね。……ところでハロルドとは連絡とり合ってるの?」
「はい。本当は会いに行きたいんですけどそれは禁止されてて。でも一週間に一度は手紙のやり取りをしてるんです。王侯貴族から新しい発明を作れとせっつかれてるって愚痴が書いてありました」
「……『ルナシステム』を作れとは言われてないの……?」
「……作れと言われたみたいですけど、断固として作らないと言ったそうです。たとえ殺されたとしても」
「まあ、そりゃそうだよね。……それでさ、ラグナ君。ハロルドが『ルナシステム』やら他の発明品を作る際にその資金をどうやって集めていたのか調べたんだよ。そしたらある組織に繋がったんだ」
「組織、ですか……?」
ブレイディアは立ち止まるとラグナの顔を見ながら組織の名を告げる。
「ハロルドに資金を提供していた組織の名前は『ラクロアの月』」
「『ラクロアの月』って……あ、そういえばさっき……」
その瞬間、セガールの発した言葉が甦る。
「どうしたの?」
「さっきセガールさんが言ってたんです。『ラクロアの月』に気を付けろって。ブレイディアさん、その『ラクロアの月』ってなんなんですか? ラクロアって確かこの世界を作った神様の名前ですよね? ラクロア教っていう大きな宗教もありますし」
「名前は同じだけど関連性は不明。とりあえず私達騎士が言ってる『ラクロアの月』っていうのは犯罪組織の名前だよ。大規模な犯罪や紛争なんかを影で操るテロリスト集団みたいなものかな。ただなんのためにそういった犯罪行為してるのかわかってなくてさ、不気味な集団でもあるんだよね。わかってるのは数人の幹部を頂点にしたかなり大きい組織ってことくらい。あと幹部が化け物みたいに強いってこと。実は私も幹部の一人と戦ったことがあるんだけどさ、危うく殺されかけたよ」
「ブレイディアさんがですかッ……!?」
「うん。まあとにかくヤバイ集団ってこと。頭に入れて置いて。騎士である以上いつかはそいつらともやりあわなきゃいけない時が来ると思うからさ。今回のハロルドの事件も裏から糸を引いてたのはそいつらだった可能性が高いんだ」
「じゃあ先生も利用されていたってことですかッ!?」
「うん。可能性は十分あると思う。動機は不明だけど『ラクロアの月』はどうも世界中に争いの火種を蒔きたいみたいだからね。だからハロルドの計画が潰れた以上――」
「今度は、そいつらが動き出すかもしれないってことですね……」
「そゆこと。だから注意して」
「……わかりました」
「よし、じゃあ難しい話はこれでお終い。さっさと帰ろう! 私たちの愛の巣へ」
「あ、愛の巣って……ちょ、ブレイディアさん」
「えへへー」
「あ、あはは……」
腕を強引に引っ張るブレイディアに苦笑しながらもラグナは帰路についた。