一章 エピローグ 黒月の英雄騎士
ブレイディアとの密会から数週間後。騎士団本部のとある一室でのことである。休憩所のような場所でラグナは騎士団長のアルフレッドと向かい合っていた。
「ラグナ君、だったな。君には本当に世話をかけた。だというのにこんなことになってしまい、申し訳なく思っている。だが本当にいいのか……?」
「……はい。自分で決めたことですから」
ラグナは銀の装飾が施された黒いジャケットとズボンを履いていた。それはまごうことなく騎士の装束。ブレイディアから差し出された手を握り返した証。
「そうか……ならばもう何も言うまい。ただ一つだけ言わせてほしい。たとえ上層部にどんな思惑があろうと君のやったことはこれから授かる称号に相応しいものだ。だから胸をを張って行くといい」
「ありがとうございます。どんな形でも騎士団長のアルフレッド様直々に騎士の叙任を賜ることは大変光栄なことだと思っています」
「いや、残念ながら今回君に騎士の資格を贈るのは私ではない。まだ病み上がりの身でね、今日も無理を言ってこの場まで来たのだが、そう長くはいられないのだ。それゆえ今回に限っては副団長のブラッドレディスが授与式を執り行う」
「そうだったのですか。すみません、まだ怪我が治っていないにもかかわらず来ていただいたのに無神経なことを言ってしまって……」
「いいや、君が謝ることではない。こちらこそ私の不手際で君には今回ずいぶん迷惑をかけた。本当に申し訳なかった。そしてありがとう」
騎士団長が深々と頭を下げたのを見てラグナは慌てる。
「い、いえそんな! 俺だけで解決したわけじゃありません! 色々な人に助けられて、それでようやくというか……えっと……」
「……フ、謙虚な男だ。少しの会話だったが君の人となりがよくわかったよ。彼女が気を許すわけだ」
「彼女……?」
「いいや、なんでもない。申し訳ないが私はこれで失礼する。君が騎士になる前にどうしても謝罪と感謝の言葉を伝えたかったのだ。時間を取らせてすまない」
「いえ、アルフレッド様に言葉をかけていただいてとても嬉しかったです。どうか、お大事に」
「ああ。君に騎士の資格を贈れないことは非常に残念だが、今回に限ってはこれで良かったのだと私は思っているよ。その方が君も嬉しいだろうしな」
「え……?」
「では今度こそ失礼するよ。次に会う時は仲間だ。ではな、若き騎士よ」
アルフレッドはそう言うと振り返らずに部屋を出て行った。ラグナはそれを見送った後深呼吸を何度か行い部屋を出る。向かう先は本部の外にある第一訓練場。授与式はそこで今から二十分後に行われる。目的地に向かうべく廊下を歩いているとジュリアとリリスが向かい側から歩いて来た。
「ジュリア、リリ、二人とも体の方はもう大丈夫なの……?」
「ええ、問題ありませんわ」
「……平気……」
「そっか、よかったよ」
「ええ、貴方のおかげですわ。それで今日は貴方にお礼の言葉を言いに来ましたの。――ディルムンドの呪縛から解き放っていただきありがとうございました」
「……感謝……」
二人は淑女のようにうやうやしくラグナに礼をした。
「そんな、いいよ。俺は友達を助けたかっただけだからさ」
「そういうわけにはまいりませんわ。淑女たるもの礼節はわきまえねばなりません。それから騎士の就任おめでとうございます」
「……おめでとう……」
「……うん、ありがとう」
ラグナの微妙に曇った顔を見てジュリアとリリスは首を傾げる。
「……なんだかあまり嬉しそうには見えませんわね」
「……どこか痛いの……?」
「ううん、そんなことはないんだけど……ちょっと色々あってね。それに試験が台無しになって他の受験生は騎士になれなかったのに俺だけ騎士になるっていうのはなんかちょっと後ろめたいっていうか……」
「何を言うかと思えば……まったく。貴方はこの国を救った英雄ですのよ? これぐらいの勲章は当たり前です。というか騎士の資格以外にも他に何か与えられるべきですわ。貴方はそれぐらいの事をやったのですから。それに騎士採用試験は延期になりましたが中止になったわけではありません。機会はまたあります、ですから貴方はそんなことなど気にせず胸を張って式に臨みなさい」
「……ジュリの言う通り……ラグナ、頑張った……偉い……」
「……うん、わかったよ。ありがとう」
ラグナが笑ったのを見たジュリアとリリスは表情を緩めると踵を返した。
「では私たちは先に会場に戻りますわ」
「……またね……」
「うん、また」
二人はしばらく廊下を歩いていたが、突如振り返る。
「すぐ貴方に追いつきますわ。だから先に行って待っていなさい」
「……私たちも、必ず騎士になるから……」
そう言って笑った少女達は視界から消えて行った。その宣言を聞いたラグナは苦笑するとジュリアとリリスの後を追う形で騎士団本部を出る。外の天気は今日の出来事を祝福するかのような気持ちのいい快晴だった。本部の周りも今日の授与式のために様々な飾り付けがなされている。会場となっている外の第一訓練場はもっと凄いことになっているだろうと思いながら歩き出す。
(……いよいよ授与式か。そういえば副団長のブラッドレディス様に会うのはこれが初めてになるのかな。でも妙だな。今回の事件でディルムンド様やアルフレッド様には会えたのにブラッドレディス様にだけ会えないなんて。もしかしてすでに会ってるけど気づかずにやり過ごしてしまったんだろうか。まあ顔を知らないから仕方ないか)
などと考えながら会場に入ると広い訓練場を中心から両断するように遮られた巨大なカーテンのようなものが最初に目に入った。どうやらそれには控え室と会場を分断する役割があるらしい。その証拠にこちらからは向こう側がまったく見えないのだ。そうこうしているうちに案内役の騎士に控えのテントまで通される。授与式が始まるまではここで待機するらしい。式が始まるまではおよそ十分ほどで、それまでは用意されていたパイプ椅子に座りながら時間が過ぎるのを待つ。緊張から喉がカラカラに渇いてしまい、置かれていたスポーツドリンクを一気に飲み干した。
(き、緊張してきたな……これからブラッドレディス様に騎士の資格を贈られるのか……それにしてもブラッドレディス様ってどういう人なんだろうか……ディルムンド様やアルフレッド様とはタイプが違うのかなぁ……怖い人じゃないといいなぁ……)
緊張と不安が重なりネガティブな気分になるも、案内役の騎士がテントを開けて手招きしてきた。どうやら時間らしい。花火か空砲かわからないが空に大きな音が響く。ラグナはテントを出ると赤い絨毯が敷かれた場所を歩くように指示される。絨毯はカーテンの向こう側に続いており、主役となる人間はそこを歩けばおのずと目的地にたどりつけるのだろう。指示に従い絨毯を歩きカーテンをくぐる、すると大きな歓声と共に吹奏楽団による音楽が訓練場に鳴り響く。
(う……か、覚悟はしてたけど……すごい人の数だ……)
軽く千人は超える人々が絨毯を両隣から挟むようにして立っていたのだ。さらに参列していた人は様々で、軍服の騎士はもちろん私服からスーツ、貴族が着るような華美な服を身に纏っている人もいた。盛大な拍手で出迎えられたラグナはぎこちない笑顔を浮かべながら真紅の道を進む。絨毯の先には飾り付けられた立派な木造の舞台が用意されており、壇上には厳しい顔の筋骨隆々とした丸刈りの大男が立っていた。着ている服は自分と同じ騎士専用の軍服、つまり――。
(あの人が副団長のブラッドレディス様か……これが『三騎士』の一人にして英雄と呼ばれた騎士……なんて凄まじい覇気なんだ……!)
失礼な態度を取ろうものなら殺されかねない気迫を感じ、ラグナは委縮してしまう。しかし足はよどみなく進み、とうとう壇上にたどり着いてしまった。すると音楽と拍手は鳴り止み、静寂が場を支配する。いよいよブラッドレディスの口上から式が始まる、と誰もが思っていたが二メートルを超える目の前の大男は喋らず、また石のように動かない。
(……あれ? なんで何も言ってくれないんだろう……え……もしかして俺なにか失礼なことをしちゃったのかッ!? も、もしそうだとしたら、ど、どうしよう……)
微動だにしない大男を前にラグナの顔が引きつる。どうしたものかと焦り考えているとマイクの置かれた演台の後ろからぴょこぴょこと金色の髪が見え隠れしていることに気が付く。どうやら何者かがジャンプして演台から顔を出そうとしているらしい。わけがわからずその様子に見入っていると、見覚えのある幼い女性の顔が現れた。どうも腕の力だけで演台をよじ登り顔を出したようだ。それを見て思わず驚いてしまう。
「ぶ、ブレイディアさんッ……!? どうしてここにッ……!?」
なんと騎士専用の白い軍服を着たブレイディアが顔を出したのだ。
「お、おはようラグナ君。こ、この演台ちょっと高いね……事前に確認しておけばよかったよ。背伸びすればイケると思ったんだけどなぁ――ごめん、やっぱりなんか踏み台になりそうなもの持って来て」
ブレイディアは後ろにいた英雄に指示を出す。なんて畏れ多いことを、と顔面蒼白になるラグナだったが、あっさり頷いたブラッドレディスは迅速に動き踏み台を用意した。それを上ったブレイディアは笑顔でマイクのスイッチを入れて喋り始める。
「ゴホン――それではこれより騎士叙任式と特別栄誉授与式を執り行います。まず――」
(え、ど――どうしてブラッドレディス様を差し置いてブレイディアさんが式を取り仕切ってるのッ!? っていうか他の参列者達はどうして驚いてないのッ!?)
混乱するラグナを置き去りにしてブレイディアは長く難しい口上を難なく言い切り、ついに叙任の儀式に入る。
「ではラグナ君、こちらに」
「は、はい……」
ブレイディアの手招きで演台を離れ舞台の広い場所に移ったラグナはわけもわからぬままに騎士へ叙任されることになった。ブラッドレディスは洗礼用の美しい剣を小さな女騎士に手渡すと壇上を下りてしまう。英雄が一言も言わず消え去ったことに唖然としていると自身の名を呼ぶ凛々しい声が響いた。
「ラグナ・グランウッド――伝説の黒き月の力を操り大いなる災いより多くの命を救いし勇敢なる戦士よ。国王アルバス14世に代わり汝に騎士の称号と共に、この国を救った英雄として――『英雄騎士』の称号を与える――代行者名――ブレイディア・――――」
(……え……?)
その瞬間ラグナの時は止まった、と同時に会場は騒然となる。英雄騎士の称号を持つ者は長い歴史を持つこの国においてもおいそれとは存在しないのだ。それはこの国の中で最も強く、清廉潔白な者が与えられる騎士として究極とも言える栄誉。爵位を賜ることにも等しいものだ。だがそれはディルムンドの失脚を塗りつぶすために与えられた仮初の名声。しかしその事情を知らない参列者達は新たな英雄騎士誕生に興奮し騒ぎ始める。
(…………そうか。そういう事だったのか……俺はバカだな……もっと早く気づいてもよかったじゃないか)
最高の騎士の栄誉を受けたことはもちろん驚くべきことなのだが、それ以上に驚愕させられたのは別の事だった。よくよく考えてみれば目の前の女騎士のフルネームをラグナは知らなかったのだ。
(只者じゃないとは思ってたけど、どうりで強いわけだ。それにディルムンド様と対等に口を利いてる時点で察するべきだった。そう、この人こそが――)
未だ騒ぎが収まっていない会場の中で、衝撃の真実を知り思わず苦笑するラグナにブレイディアは優しく笑いかける。
「さて、ラグナ君。この称号を受け取った瞬間に君は理不尽な戦いの運命に身を投じることになるわけだけど――覚悟はできてるかな……?」
「はい、覚悟はできてます」
王侯貴族の勝手な都合を理不尽と表現するあたりブレイディアらしい。本来私語厳禁の授与式の中ではこのような会話は出来ないのだが、新たな英雄騎士の誕生に沸いている観客たちにはこの声は届かないだろう。
「そっか。じゃあ始めようか。あー、あと、本来なら団長がやることになってるのに私が代理でやることになっちゃってなんかごめんね」
「いいえ、俺にとっては何よりも嬉しい事です。貴方からなら偽りの栄誉も喜んで受け取ることが出来ます。騎士の称号と『英雄騎士』の称号、有難く頂戴します。それと、これからよろしくお願いします――副団長ブレイディア・ブラッドレディス様」
跪いたラグナを見たブレイディアは表情を崩すと、持っていた儀礼用の剣の刀身の側面をその肩に軽く置いた。その重みを感じながら新たな騎士は心の中で呟く。
(これから先どうなるかなんてわからない。罪を償うことも出来ずに与えられたのは偽りの英雄としての称号。握られたのは家族の命。騎士になるというこの選択が正しかったのかさえ正直に言えば自信が無いし、この選択を選んだことをこの先後悔するかもしれない。でも、それでも俺はこの道を進むことを決めた。それはきっとひとえに『やらないで後悔するよりも、やって後悔したい』とそう思ったからだろう。だからこの先何が起ころうともこの時の事を忘れないでいようと思う。仮に、この選択が間違いだったとしても――胸を張って後悔できるように)
新米騎士の誕生を祝福するように六つの月が輝く。それは『黒い月』の力を持った新たな『英雄騎士』誕生の瞬間だった。少年は決意を固め、己の運命と戦うべく棘の道を進む。たとえ――その道で傷つき倒れようとも、その果てにある何かを掴み取るために。