13話 決着と選択
衝撃波を伴うような跳躍によって数十秒とかからず目的地に到着すると、自分で傷の応急処置を済ませたらしいブレイディアと治療されたディルムンドの姿が目に入る。
「ラグナ君ッ! 無事でよかったッ! 心配したよ!」
「ええ、俺はなんとか。ブレイディアさん、さっきは『月錬機』を届けてくださってありがとうございました」
「ううん。気にしないで。私は『月光術』で『月錬機』を届けただけだしね」
「そんなことありません。本当に助かりました。それで……先生がどこにいるか知ってますか? こっちに飛んで来たと思うんですが……途中で見失ってしまって……」
それを聞いたブレイディアは無言で天空を指差した。ラグナが指を追うように、時計塔のさらに上を見上げると、遥か上空にハロルドの姿をようやく見つける。
「先生……!」
「本当に強くなったわねラグナ。完成した真の『ルナシステム』を使っても私ではあなたに勝てない。あなたを倒せない以上私の計画は完遂不可能。かといって私には諦められない理由がある。だから最後の手段を使わせてもらうわ」
「最後の手段……?」
ラグナが聞き返した瞬間、ハロルドが両手を天に突きだした。すると空が荒れ始め、上空で輝く月たちが輝き始める。そして一際大きく輝いた黒い月が涙でも流すように黒いエネルギーを下に落下させた。黒騎士はそれを両手で受け止めると、手のひらに黒い球体を生成する。その後黒いエネルギーを吸収した球体はみるみるうちに大きくなり、やがて全長五十メートルほどに膨れ上がった。その姿はまさに黒い太陽。
「せ、先生……いったい……何をするつもりなんですかッ!?」
「……この国を変えるつもりだったわ。でもそれは不可能になった。けど私には果たさなければいけない悲願がある。犠牲になったアルロンの皆を弔うためにもこのまま終わることなんてできない。この腐った国を変えることが出来ないのなら――全てを、消す」
「なッ!? 何を言って……消すって……」
「そのままの意味よ。変えられないのなら腐った部分ごと全てをリセットするの。この国の大地も、国民も、王侯貴族も、全てを消し飛ばすわ。この力でね」
「無茶苦茶ですよそんなのッ! だいたいそんな巨大なエネルギーを地上にぶつければその余波で先生だってタダでは済まないんですよ! わかってるんですかッ!?」
「ええ、当然私も死ぬでしょうね。でも構わないわ。私は十七年前に一度死んでいるもの。ずっと死人として生きて来た私に失うものなど何もない。この国がなんの変化も起こさず続いて行くことの方が私にとっては死ぬことよりもつらいの。このままではきっとこの先アルロンの町のような事件が起こっても隠蔽され都合のいいように事実を書き換えられてしまうでしょう。盲目的に国民が王侯貴族に従い、いいように支配され続けるこの体制が続く――そんなこと私が許さない。たとえ全ての国民を殺す大罪人になろうと私はこの国に責任を取らせるわ」
(……酷い理屈だ……いつもの先生だったらこんな自暴自棄な真似はしないはず。きっと長い間抑えてきた怨み、怒り、悲しみ、全ての負の感情が暴走してるんだ。そしてそのきっかけを作ったのは俺だ。俺が先生を追い詰めたせいでこうせざるを得なかったんだろう。でもそれなら――俺が責任を取るまでだ)
ラグナが空中の黒い太陽に向けて大剣を構えると、左手の『黒月の月痕』の周辺に刻まれた幾何学的な文字が光り始める。それを見たハロルドは目を細めた。
「なるほど……『黒月の月光術』ね。確かにそれなら私の撃つエネルギーを相殺できるかもしれないわね。でも出来るの? あなたはもう私があげた腕輪を持っていない。ディルムンドとの戦いで使用し壊れてしまったことは知ってるわ。あの腕輪無しで術を撃てば十年前の惨劇を繰り返してしまうかもしれないのよ。いえ、今のあなたが纏っているエネルギーだったら、暴走した途端以前よりも遥かに甚大な被害を与えるかもしれない。それこそあなたがこの国を滅ぼしてしまうかもね――それでもあなたは決断できる……?」
「…………」
問いかけに対してラグナは左手の『黒月の月痕』をじっと見つめた。
(……確かにその通りだ。あの時は黒い月光が弱くなっていたことに加えて先生の腕輪があった。でも今は無い、こんな状態で『黒月の月光術』を撃てば……)
街一つが消し飛ぶ想像をしたラグナは体を震わせた。しかしその震えはすぐに暖かいぬくもりによって止められる。いつの間にか近くに来ていたブレイディアがラグナの手を握っていたのだ。
「……ブレイディアさん」
「ラグナ君、私は君の持ってる黒い月光の力についてはほとんどわからない。でもね、ディルムンドと戦った時に君が力を暴走させずに使えたのはラン――ハロルドのくれた腕輪のおかげだけじゃないって、そう思うんだ。あの時、確かに腕輪の制御が働いて力を抑えてくれたのかもしれない。でもね、最終的に力を制御したのは間違いなく君だよラグナ君。君の想いが、私を、君の友達を、この国を救ってくれた。だから信じて、君自身の力を。君だったら絶対うまくやれる、私が保障するよ。だからさ、全力でやっちゃいなよ。それに――後悔するなら――やった後、でしょ……?」
「ブレイディアさん……ハハ、そうでしたね。この街に来てから、俺はずっとそうやってきたんでした。だったら――最後の最後までそれを貫くべきですよね」
ラグナは穏やかな表情でブレイディアの手をそっとほどくと一歩前に出た。
(……ありがとうございましたブレイディアさん。やっぱりあなたの勇気は臆病者の俺にとって最高の後押しになる。この街であなたに会えて本当によかった)
全てを吹っ切った少年の視線は上空にいるハロルドに向けられた。
「先生……俺はこの街に来てから色んな人たちに勇気をもらいました。おかげで少しだけ変わることが出来たんです。そして気づきました。どんな小さなことでも何かを変えるためには他の誰かの協力が必要だってことに。それはどれだけ強大な力を持った人間でも同じです。一人では何も変えられない。俺も、先生も一人では何も変えられないんですよ。そしてブレイディアさん達のおかげで俺は過去から前に進むことが出来た。だから――その成果を今見せます」
「……なら見せてもらおうじゃない。あなたがどう変わったのかをねッ!!!」
ハロルドの叫びと共に黒い太陽が時計塔に落下し始める。それを目視した後、ラグナははゆっくりと深呼吸した。
(この街に来てから色々なことがあった。つらい事や痛いこともあったけど、皆のおかげでそれを乗り越えることが出来た。ブレイディアさん、ジュリア、リリ――みんなのためにも負けられない。この一撃は俺にとって十七年間の集大成になる。必ず成功させて見せる。もう誰一人失わないようにッ!)
決意と共にラグナはハロルドに宣言する。
「……先生。俺は昔からずっと考えていました。どうして『黒い月光』なんていう凄まじい力を俺なんかが使えるんだろうって。でもその答えがようやくわかりました。それはきっと――」
ラグナは剣の柄に力を込めると、万感の思いを込めて叫ぶ。
「――あなたを止めるためだ――『ゼル・エンド』ッ!!!」
次の瞬間、身に纏っていた黒い闇が剣に巻き付き膨張する。ラグナはそれを勢いよく黒い太陽に向けて振り下ろした。すると黒いエネルギー波が落下してくる太陽を押し返すように剣から放たれる。二つの膨大なエネルギーは衝突すると、しばらくの間は拮抗して押し合っていたがやがて黒い太陽に押し負け始める。それを見たハロルドは愉快そうに笑い始めた。
「アハハハハハハハハハッ! 術を制御したのは大したものだけど、私の方がパワーが上よッ! 私の、私の勝ちなのよッ! アハハハハハハハ!」
「まだですッ!!! まだ俺は諦めないッ!!!」
ラグナの叫びに呼応するように術の力が増し、黒い太陽を押し返し始める。
「あなたに譲れない理由があるように、俺にも負けられない理由があるんですッ!!! 皆のために、そしてなにより、あなたのためにも俺は勝つッ!!!」
「私の為というのなら、私の邪魔をするのはやめなさいッ!!! あとちょっと、もう少しで私の夢は叶うのよッ!!!」
「違いますよ先生ッ!!! それは夢を叶える人の顔じゃないッ!!! そんなにやつれて、まるで悪夢を見ているみたいじゃないですかッ!!!」
「悪夢を見たのはアルロンの人たちよッ!!! 悲劇によって命を落としてしまった彼らは死んでなお、まだ悪夢の中にいるはずッ!!! 彼らを救うためにも私がやるしかないのよッ!!!」
「それほどアルロンの人たちを思えるのなら気づけるはずですッ!!! 今あなたは何の罪も無い別の人たちに同じ悪夢を見せようとしているんですよ!!! そんなことをアルロンの人たちが望んでいるとは思えないッ!!! 何度でも言います、あなたは間違ってるッ!!!!」
繰り広げられる舌戦と共にハロルドとラグナの一進一退の攻防は長引き、両者の放つエネルギーは次第に増幅していった。そして膨大なエネルギーの放出は同時に二人の肉体に相当の負担を強いることになる。
「ラグナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!」
ハロルドは黒い太陽にさらにエネルギーを送るもその負荷にパワードスーツが耐え切れず崩壊を始める。しかしそんなことなど気にも留めず、黒騎士はエネルギーの放出を続けた。一方でラグナはその影響で徐々に後ろに押され始める。やがて山に連れ去られるときに壊された柵の方まで追いやられ後ずさり出来ない状況に追い詰められる。
(ダメだッ……このままじゃ……下に落ち――)
足が時計塔から滑り落ちそうになったその時――足を誰かに掴まれ、押し戻される。驚きそちらの方を見ると『月光』を身に纏ったブレイディアが必死にラグナの足を支えていたのだ。
「ブレイディアさんッ!? どうして……」
「黙って見てるなんて出来ないよッ……! 戦力にならないぶん、せめてこれくらいのことはさせてッ……!」
「……すみません」
「大丈夫。だからラグナ君は前だけ見ててッ……!」
「はいッ……!」
砲台を固定するようにブレイディアはラグナの体を支えた。だがハロルドはさらに出力を上げながら雄叫びをあげる。
「無駄よ! ボロボロのブレイディアが一人加わったところで結果は見えているわ! これで終わりよ、ラグナッ!!!!!!!!!!」
「ぐぅぅぅッ……!!!!!」
黒いパワードスーツが所々砕けていく中でハロルドは限界以上にエネルギーを使い黒い太陽を大きくした。ブレイディアの助力のおかげで踏みとどまっていられたラグナだったが、力負けし始める。このままでは二人とも塔から落下し黒い太陽がこの国を飲み込むという最悪の事態になってしまう。
(ぐ、どうすればいいッ!? やっぱり俺じゃダメなのかッ!? 俺じゃこの国も、この街も、ここに住む人も、先生も、救えないっていうのか……)
弱気になり始めたラグナに足元から声が響く、ブレイディアの声だ。どうやら表情から気持ちを察して声をかけてくれたらしい。
「ラグナ君……! 諦めちゃ駄目だよッ……! 君は一人じゃないッ……! こんなことしかできないけど私がついてるッ……! それにここにいなくとも君の友達だって、君の事を想ってるはずだよ! だから諦めないでッ……!」
(ブレイディアさん……そうだ……俺は一人じゃない。ブレイディアさん、ジュリア、リリ――先生が弔おうとしているアルロンの人たちに比べれば数こそ少ないのかもしれない。けど確かに俺を支えてくれる人たちはいるんだ。なら負けられない、まだ負けるわけにはいかないッ!!!)
そう思った瞬間体から黒い光が溢れ出しラグナの術が強化され、黒い太陽を押し返し始めた。ハロルドはそれを見て顔を歪ませる。
「こんな……馬鹿な……ッ! 私が、私の復讐がこんなところで終わるはずないッ……終わっていいはずがないッ……!!!! 私は、私は勝たなければいけないのよォォォォォォォォ!!!!!」
「先生、あなたを勝たせるわけにはいきませんッ……! これ以上あなたを苦しませたくないッ……! あなたの罪の意識も、悪夢も、十七年間続いた苦しみも、全て――俺がここで消し去るッ!!! だから『黒い月』よ――もっと俺に力をよこせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!」
ラグナの絶叫に答えるように『黒い月痕』と『黒い月』が強く輝いたその時――肉体に纏っていた黒い光が爆発的に膨張し始めたのだ。同時に剣から放出されていたエネルギーも今まで以上に増幅する。その影響か、さらに剣から放たれていた黒いエネルギー波は形状を変える。螺旋状にねじれドリルのように変貌したそれは黒い太陽を削り、やがて貫くとそのまま球体内部を進み突き出るとハロルドがいる領域までついに達した。その瞬間、黒騎士は静かに呟く。
「……アルロンの皆……ごめんなさい……」
ハロルドが涙を流した数秒後、黒い光がその肉体を飲み込む。そして押し返され貫かれた黒い太陽が遥か上空で爆発した。その衝撃波は凄まじく、時計塔がきしむ中で三人は吹き飛ばされそうになっていたがギリギリのところで助かる。それからどれほど経ったのかわからないが揺れと衝撃波が収まり、天を満たしていた黒い光が晴れた後のことだ。鎧が完全に破壊され服もボロボロの女性が天から落ちて来た。ラグナはそれを見つけた途端、叫びながら走り出していた。
「先生ッ……!!!!!!!!!!!!!!!!」
いつの間にか身に纏っていた『黒い月光』は無くなり、体にはもう力がほとんど残っていなかったがそれでもラグナは走った。時計塔から逸れて地上に落下していくハロルドに手を伸ばす。しかしあと一歩のところで届かず恩師の体は手から離れて行った。もう間に合わない。そんなことはわかっていた。それでもこのまま見殺しにするくらいなら――そう思った瞬間、体は重力に囚われ地上から五百メートルの空中に投げ出される。
飛び降りたラグナは血まみれのハロルドをどうにか空中で捕まえると、その体を抱きしめた。そのせいかはわからないが、閉じていた目蓋が開かれ虚ろな目が抱擁する相手をとらえる。
「……ラグナ……どうして……」
「もう一人で苦しまないでください。これからは俺がそばにいますから。ずっと」
「……ごめんなさい……結局あなたを巻き込んで……迷惑をかけてしまったわ」
「いいんですよ先生。そんなこと気にしなくても。それに迷惑をかけ合うのなんて当たり前のことです。だって俺達は――家族なんですから」
「……」
その言葉を聞き安らかな顔で再び気絶したハロルドをさらに強く抱きしめたラグナは自らに迫る死の運命を心の中で受け入れると、静かに目を閉じた。高速で真っ逆さまに落下する二人の体は徐々に地上へ近づいていき街の地面に敷き詰められた石畳に顔がぶつかるその間際――なぜか二人の肉体が空中で静止する。
「……あれ……? どうして……ってブレイディアさんッ!?」
「ぎ、ギリギリ、セーフみたいだね……よ、よかったぁ……」
顔を動かし上を見ると空気の膜のようなものに体を包まれたブレイディアが空中に浮いていた。さらによく見るとラグナとハロルドもその中に入っており、どうやらこのシャボン玉にも似た空気の膜が空中で静止出来た理由らしい。
「ブレイディアさん、これは……?」
「私の使える『月光術』の一つだよ。この空気で出来た丸い空間に入ってる間は空中を移動できるの。これを使って君たちを追いかけてきたってわけさ」
「そう、だったんですか……」
納得すると同時に空気の膜は地面にゆっくりと着地し、三人は無事に地上へ降り立った。その後ラグナはハロルドを丁寧に地面に寝かせるとブレイディアと共に安否を確認する。
「……大丈夫。かなりズタボロだけど命に別状はないみたい。あの爆発でこの程度なんて奇跡だね。パワードスーツのおかげか、二つのエネルギーが衝突して威力が弱まっていたからなのかはわからないけど、とにかく平気。まあ病院には連れてったほうがいいと思うけどね」
「そうですか……よかったぁ……本当に……よかったぁ……」
ラグナは溢れ出る涙を袖で拭うとブレイディアに向き直った。
「……ブレイディアさん。助けていただき、本当にありがとうございました」
「気にしないで。それにこっちこそこの国の人々を代表してお礼を言わせて欲しい。この国を救ってくれてありがとう。君のおかげで大勢の命が救われたよ」
「俺だけの力じゃありません。ブレイディアさんやここにはいないけど、俺の友達――ジュリアとリリのおかげでなんとかなったんだと思います。俺一人だったらどうなっていたかわかりません」
「まったく……君は本当に謙虚だね。でもそう言ってくれると嬉しいかな。ま、何はともあれ――」
ブレイディアの差し出した手を見て一瞬キョトンとしたラグナだったが、次に発せられた言葉を聞いて微笑む。
「――お疲れ様。これで本当に解決だよ」
「……お疲れさまでした」
差し出された手を握り返し、今度こそ戦いが終結したことを悟ったのだった。
全ての事件に決着がついた二週間後、ラグナはブレイディアと公園で待ち合わせをしていた。待ち合わせの時間は午前十時。だが公園に設置されていた時計の針はすでに十時を超えてから十分ほど進んでいた。きっと忙しいのだろうと待っていると、暴風にも似た勢いで小さな騎士が公園の入口から、こちらにやってきた。そして座っていたベンチの近くに来るなり金色の髪をなびかせながら頭を下げる。
「お、遅れてごめんッ! 待たせちゃったよね……?」
「いえ、俺も今さっき来たばかりですから。気にしないでください。それより俺なんかと会ってて大丈夫なんですか……? ブレイディアさんは騎士なんですし、事件の事後処理とかでお忙しいんじゃ……?」
「忙しいっちゃ忙しいんだけど、ラグナ君にあれからラン――ハロルドとディルムンドがどうなったのか報告する義務があるんじゃないかと思ってさ。だって君は事件の渦中にいて、なおかつ事件解決の立役者なわけだし。それに……色々言わなきゃいけないこともあるしね……」
「……?」
「ううん、なんでもない。とりあえずこうやって会うぶんには大丈夫。私が会おうって君に言ったわけだし。事務の仕事も一時的に別の人が私の代わりにやってくれてるからさ。遅れて来て申し訳ないんだけど、それじゃあ早速話そうか」
「はい」
ラグナとブレイディアはベンチに腰掛けると事件の結末について話始めた。
「そういえばラグナ君とは二週間前にハロルドとディルムンドを連れてった病院で別れたっきりだもんね。昨日まで連絡できなくて本当にごめんね。それで、まずどこから話そうかな。えっとじゃあとりあえずディルムンドについ話すね。アイツはなんとか命を取りとめたよ。ラグナ君がハロルドと山で戦ってる時に私が傷の応急処置をしておいたからそれが理由で助かったみたい。いやぁ~、でも普通の『月詠』だったら死んでたと思うよ絶対。ゴキブリなみの生命力だね。で、今は騎士団付属の病院に入院してるんだ。怪我が治りしだい処分が下されると思う」
「ご、ゴキブリ……そ、そうだったんですか、でも生きていてくれてよかったです。敵対したとはいえあの人は俺の憧れの人でしたから。それで……先生の方はどうなったんですか? 病院に連れて行った数日後に騎士団が先生の身柄を預かるって急に騎士の人達から聞かされて……その後は何度面会に行っても会わせてもらえなかったので」
「そうだよね。そのことについてはもっと早く教えるつもりだったんだけど色々と事情が入り組んでて今日までラグナ君に伝えられなかったんだ」
「入り組んだ事情……ですか……?」
「うん。まず結論から言うとハロルドは体の回復を待って独房に収監されることになったんだ。一週間ほど前に決まったことなんだけどね」
「独房……そう……ですか。いや……そう……ですよね……」
大勢の命を奪おうとしたのだ、当然といえば当然のこと。だが家族でありその背景を知るラグナにとってはとても納得できる結末とはいえなかった。国家反逆罪は最も重い極刑が科せられる。つまり国や友人、大切な人たちを救う代わりに、ハロルドを殺す結末へと導いてしまったのだ。騎士団が病院に現れた時から覚悟はしていたが、言葉にして告げられるとやはりショックを受けてしまう。もっと他に上手い方法はなかったのかと悔やみ拳を固く握っていると、それを察したブレイディアが声をかけて来た。
「あのねラグナ君、ハロルドは自分の意思で騎士団に捕まったんだよ」
「……え……? 自分、の……意思で……?」
「うん。実は騎士団に通報して身柄を拘束させたのは彼女自身なの。ラグナ君の前では寝てたフリをしてたみたいだけど、結構前に意識自体は戻ってたらしいの。自分でそう言ってた。それで自分の携帯端末で騎士団に連絡して色々と自白したんだって」
「自白……先生が……」
「……実は騎士団に連絡する前にハロルドは私に電話してきたんだ。自分の復讐は失敗したから大人しく捕まるっていう内容だったんだけどね。それで君にも伝言を預かってる」
「俺に伝言ですか……?」
「そう。自分で言った方がいいんじゃないって私は言ったんだけどね……合わせる顔がないってさ。それじゃ伝えるね――『迷惑をかけてごめんなさい。もう私のことは忘れて生きてほしい』――」
「そんな……先生……俺は……結局、何も……」
ハロルドの心までは救うことが出来なかったのではないかと嘆くラグナにブレイディアは優しく微笑んで続きを読む。
「――それから最後に――『ありがとう』――だってさ」
「……ッ!」
「電話で聞いたハロルドの声ね、とても穏やかだった。ラグナ君――私ね、思うんだ。この国に復讐したいって気持ちは確かに彼女の中にあったと思うけど、でもそれ以上に彼女は自分の事を誰かに止めてほしかったんじゃないかなって。ハロルドは正真正銘の天才。今回の計画だってやろうと思えばもっとうまいやり方があったはず。私やラグナ君を倒す機会なんてそれこそたくさんあったのに、それをやらなかった。それはきっと彼女の中に迷いがあったからだよ。そして最後の最後で踏みとどまることが出来たのは君が頑張ったから。だからさ、自分自身を責めないで。君のおかげで彼女は救われたんだから」
その言葉を聞いた瞬間、冷たい雫がラグナの頬を流れ落ちた。ブレイディアはそれを見ると涙を流す少年に赤いハンカチを手渡す。
「ハロルドの言葉、ちゃんと伝わったかな?」
「……はい……」
目に溜まった涙をハンカチで拭ったラグナは姿勢を正しブレイディアに向き直る。
「教えていただいてありがとうございました。これでもう気がかりはありません。それで、実は俺もブレイディアさんに話があるんです。聞いていただけますか……?」
「話? うん、いいよ。何……?」
「……俺が十年前に孤児院で起こした事故についてです」
「……『黒い月光術』が暴走して孤児院を巻き込んだってやつだよね?」
「はい。話したと思いますが俺はその時、大勢の人の命を奪いました。事故とはいえこれは罰せられるべき罪です。ずっと迷ってましたけど今回の事件で決心がつきました。それに先生が罪を認めて刑に服するというのなら、あの人に偉そうなことを言った俺も過去の罪をここで清算するべきだと思うんです。ブレイディアさんは俺が孤児院での出来事を話した時、相談に乗ってくださると言ってくれました。だから全てに決着がついた今ならその件についてお願いできるんじゃないかと思って。それに……俺はゲイズを殺しました。正当防衛なのかもしれませんけど、殺人は殺人です。緊急事態だったとはいえ騎士の資格を持っていない俺が人を殺した以上それについてもきちんと騎士団で取り調べを受けるべきだと思います」
「……」
悲しそうな顔でラグナをじっと見つめたブレイディアは首を横に振った。
「ラグナ君……ごめんね。それはできない」
「え――ど、どうしてですか……?」
「……私、さっき色々言わなきゃいけないことがあるって言ったよね……?」
「ええ、聞きましたけど……」
「……これはハロルドの今後についての話なんだけど、君にも大きく関係しているんだ」
「俺にも……?」
「そう。ハロルドは捕まった。通常なら取り調べの後、起訴されて裁判って流れになると思うんだけど……彼女は裁判にはかけられない」
「え、どういうことですか……?」
「裁判になれば彼女の口からアルロンの街の真実が口外されるおそれがあるからだよ。この国の上層部はそれを恐れてハロルドを秘密裏に処理することを決定した。幸いにも彼女は死人ってことになってるからね、全ての罪はディルムンドに被せて彼女の存在は伏せられたまま事件は終わることになると思う」
「そんな……そんなことって……それじゃあ先生の想いはいったいどうなるんですかッ……!?」
「……」
ブレイディアに言葉をぶつけてラグナは後悔した。黙して語らないその顔からは自分と同じかそれ以上の悔しさと悲しみが感じられたのだ、ゆえに謝罪する。
「……すみません。感情的になってしまって……」
「ううん。君は正しいよラグナ君。間違っているのはこの国。……話を続けるね。それでハロルドは裁判を経ずに独房に入れられることになったんだ。でも悪い事ばかりじゃないんだよ。アルロンの件とは別に、彼女の持つ天才的な頭脳を失うことを惜しんだ上層部はハロルドに司法取引を持ちかけた。で、その内容は、継続的な技術提供と引き換えに彼女は極刑を免れるっていうもの。そしてそれを彼女は受け入れた」
「じゃ、じゃあ先生は処刑されずに済むんですか……?」
「うん。終身刑みたいなものだけど命の保証はされたよ」
ブレイディアの解答に一瞬ホッとしたラグナだったが、ハロルドの心境を考えると手放しで喜べるものでもないのかもしれない。
(……先生が殺されないのは嬉しい……でもこれは先生から大切な物を奪った連中に飼殺されるということ……先生にとっては殺されるよりつらいことかもしれない。それでもその提案を受け入れたのはきっと……俺に責任を感じさせないためだ)
ラグナが暗い顔をしているとブレイディアが言いづらそうに話しかけて来た。
「……あのねラグナ君。ハロルドが生かされた理由は確かに彼女の技術を期待してのものなんだけど、もう一つ理由があるの」
「え……?」
「……今回ディルムンドの反乱は大衆に一時的に伏せられた。けどいくら隠してもディルムンドの失脚はいづれ必ず国民に明らかになる。そうなったら国民は混乱すると思うの。あんな奴でもこの国の人間にとっては英雄で最高戦力の一人だったからね。英雄っていうのは人々の憧れであり、国を守る守護の象徴。それを突然失えば人々の心は酷く乱れる。そのうえ英雄の失脚は他国に付け入る隙を与えるかもしれない。だから上層部はディルムンドに負けないほどの、代わりの英雄を欲した。ディルムンドという英雄を塗りつぶすほどの、強烈な力を持つ最強の英雄をね。そしてその条件に該当する人物を見つけたの」
ブレイディアの悲しみに満ちた視線がラグナを貫き、その結果理解する。
「それって……まさか……」
「うん。君だよ、ラグナ君。伝説の『黒い月光』を使いこなし、ディルムンドを打ち倒した英雄。これほどの話題性は他にないよ。国民の混乱を鎮めるため上層部は今回の事件の功労者として君を騎士に取り立て、英雄に仕立て上げようとしているの」
「じゃあさっき俺の相談に乗れないって言ったのは……」
「そう、上層部がきっと取り合わないから。君に自首なんてされたら計画が台無しになる。それにハロルドから聞いたんだけど『黒い月光』はアルロンの街の事件の副産物なんだってね。だったら余計に自首なんてさせないよ。上層部はアルロンの件を秘密にしたいからこそハロルドを裁かなかった。君を捕まえてしまったら調べる過程でアルロンの件に必ず繋がってしまうもの」
「そんな……これじゃ罪が償えない……それに俺が英雄なんて、考えられないですよ」
「……実はね、君に今日連絡を取れって言ってきたのは上層部なんだ。面識のある私が君を説得しろってね。それで説得する過程で、あることを教えろってさ」
「あること……?」
「それが今さっき言ったハロルドを生かしたもう一つの理由だよ。上層部は君と彼女の関係を知るや否やそれをカードにした。そして君を説得する際にそれを使えってね。カードの内容はこう――『君が騎士として我々に従う限り、ハロルドの安全は保障される』――」
「なッ! それって――」
「人質、ってことなんだろうね。心底ふざけた連中だよ。この国を救ってくれた人にかける言葉とは思えない。誠意って言葉を知らないんだろうねアイツらは。ハロルドの技術とラグナ君の『黒い月光』の力、両方を手に入れようっていうんだから。反吐が出る」
ブレイディアの表情は嫌悪感に満ちており、心の底から怒っているようだった。ラグナはその脅迫を受けて考え始める。
(俺が要求を呑んで騎士になれば先生の命は保障される……この事件に関わる前までの俺だったら喜んで騎士になっていただろう……けど過去の罪を認めてしまった以上俺に騎士になる資格があるとは思えない……どうすれば……)
ラグナが悩んでいるとブレイディアが話しかけてきた。
「答えなんて出ないよね。君は騎士になりたいって気持ちを抑えて過去にケジメをつけるために自分の罪を認めようとしたっていうのに、汚い連中にその覚悟を穢されたんだもん。最悪の気分だよね」
「……ブレイディアさん。俺、どうしたらいいんでしょう。先生の命は助けたい。けど今騎士になったところで俺自身納得できない。こんな中途半端な気持ちのまま騎士になっていいんでしょうか……罪を償うこともできないままで……それとも騎士になることで俺が犯した罪を償うことができるんでしょうか……俺、わからなくて……」
ラグナの問いに対して一分ほど考えたブレイディアはその考えを口にする。
「……ラグナ君。これはこの国の上層部とかハロルドとか関係ない私の気持ちだと思って聞いてほしいんだけどね――私は君に騎士になって欲しい。騎士になったところで君の言う償いになるかはわからない。けどね、君だったらきっと過去の事件で失われた以上の命を救うことが出来るって私は考えてる。でも……やっぱり決めるのは君だからさ。仮にどんな選択を選んでも私はそれを尊重して、全力でサポートするよ」
「ブレイディアさん……」
「君には本当に助けられたからね。今度は私が君を助ける番だよ。君も今痛感してると思うけど、ディルムンドやハロルドが言ってたようにこの国には腐ってる部分が確かにある。こんな国の騎士になるのは嫌って言われても仕方ないもん。でもね、もし、ほんの少しでも騎士になりたいって気持ちがまだ残っているのなら――」
ベンチから立ち上がったブレイディアはラグナに手を差し伸べた。
「――騎士になってほしい。誰の為でもなく自分の為に。君ならきっと王侯貴族が仕立てあげる虚構の英雄なんかじゃなく、誰もが認める真の騎士になれるって私は思うから」
「……真の騎士……」
「そう。かつてのヴァルファレスのような真の騎士に」
ブレイディアの差出した白い包帯の巻かれた手を見ながらラグナは考え、そして決断を下した。
「……俺は――」
ラグナの解答は静かな公園に響き渡った。