107話 殺人鬼
ブルーエイスの件から数週間後のある朝――ラグナ、ブレイディア、ジョイは共に朝食を囲っていた。焼いた厚切りのベーコンに塩コショウが少々かけられた半熟の目玉焼き、スープやサラダがそれぞれの席の前に並べられ、テーブルの中央には各種類のパンが入ったバスケットが置かれている。そして三つのカップに淹れられたばかりのコーヒー、その香ばしい香りが満ちるリビングで和やかな朝食が開始されるはずだったのだが――。
「――ムキィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!! なんなのこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
――ブレイディアの発狂したような奇声が響く。原因は二人と一羽が見つめる先にあったテレビ。そこには司会者と一緒にある人物が映っていた。その人物は促され得意げに話し始める。
『――ではラッセルさんはこの映像を撮ってどういう印象を持たれたのでしょうか?』
『それらもちろん恐怖ですよ。こんな危険な力を騎士団が所持していたとは驚きです。王侯貴族や騎士団はラグナ・グランウッド氏を英雄のようにもてはやしていますが、こんなことをたった一人で引き起こせる人間を英雄と呼んでいいのか疑問ですね。海を割ったんですよ、たった一撃で。これはもはや英雄というか、人間の限度を超えていますよ。我々一般市民にも危険を及ぼしかねないんじゃないですかねこの力は。それにこの黒い怪物の形状、英雄の力というよりもこれは悪魔の力とでも呼んだ方が――』
「うおらあああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
海を割った黒い悪魔を見ながらラッセルが解説している途中でいつの間にかテレビに近づいていたブレイディアの拳がその画面を叩き割り薄型テレビを貫く。それを見たジョイが呆れたように呟いた。
「おいおい……テレビ壊すなよ……」
だがそんな言葉を無視するようにブレイディアは再び叫ぶ。
「おのれラッセル・ハッシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!! 絶対に許さんぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「口調もおかしくなってんぞ嬢ちゃん……」
「ラグナ君が悪魔のわけないでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! こんなふざけた解説するなんて、この、こんちくしょうマスゴミテレビがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「おいテレビに罪はねえぞ……」
テレビを食いちぎり素手でバラバラに解体したブレイディアを見てジョイは再び呆れる。だが怒れる小さな野獣の暴走はここで終わらなかった。
「――ラグナ君、ここはお姉さんに任せて。ちょっとあのインチキジャーナリストのところに行ってナシつけてくるから」
どこから取り出したのか大量の銃火器と刀剣類を鎖で背中に括りつけたブレイディアがリビングを出て行こうとしたためラグナが慌てて羽交い絞めにして止める。
「だ、駄目ですよブレイディアさんッ……! お、落ち着いてくださいッ……!」
「落ち着いてなんかいられないよ! こんなふざけた放送するなんて絶対許せない! あのインチキジャーナリストとあれを放映したカスゴミには制裁をしなければぁぁぁ! 騎士としてぇぇぇ!」
「いや騎士としてならなおさら駄目ですからね!? 民間人に武器向けちゃ駄目ですからね!?」
「ううう……でもラグナ君は悔しくないの!? 町を守るためにやったことなのに、あんなこと言われてさ!」
「それは……多少悲しくはありますが、仕方ないと思います。実際かなり危険な力ですし」
「もう、ラグナ君は優しすぎるんだよ! ああいう手合いは放っておいたらどんどん好き勝手言ってしょうもない噂や先入観だけの決めつけを流布していくんだから! ということで――やっぱりここは多少強引にでも話し合いをするしかないんだよ! 大丈夫、お話しするだけだから!」
「いや話し合うだけならとりあえずその背中のものを置いて行ってください!」
「これが無かったらハチの巣に出来ないでしょう!?」
「やっぱり殺す気じゃないですか!?」
二人がしばらく押し問答しているとため息をついたジョイがブレイディアの前に飛んでくる。
「――落ち着け嬢ちゃん」
「だから落ち着いてなんていられないってば! 厳重な抗議をしてラグナ君が悪魔呼ばわりされてるこの状況を打開しないと! じゃないとブルーエイスの時みたいに市民団体とかがラグナ君を王都から追い出せとか騒ぎ出すでしょ! そういう事態になる前にいち早く動かないとなんだよ!」
「冷静になれって。嬢ちゃんがわざわざ動かなくとも問題ねえよ」
「どうしてそんなことが言えるの!?」
「こんな放送、七大貴族たちが黙ってると思うか?」
「あ……」
ジョイに言われて気づいたのかブレイディアはラグナの拘束から逃れるために動かしていた手や足を止め呟く。
「……そっか。言われてみれば確かに……ラグナ君を利用しようとしてる七大貴族たちがこんなの放っておくわけないよね」
「そういうこった。こんなくだらないことでラグナの利用価値を下げたくないだろうしな。奴らはラグナに『英雄』でいて欲しいんだ。自分たちの為にな。たぶん放送局に圧力がかかるのは時間の問題だと思うぜ。実際ネットでは大量の工作員を使って火消しに走ってるっぽいしな。ほれ、見てみろよ。あのラッセルって奴の映像が加工した偽物なんじゃないかとか専門家まで使って言わせてる記事まである。おそらくこういう記事や放送がこれからどんどん増えていくと思うぜ。とりあえず有名な研究者とかどっかの教授とかそういう肩書持ったお偉いさんにそれらしいことを言わせれば民衆はそれを信じるだろうし、ほとんど誰も真偽を確かめたりはしないだろうからな」
ジョイがテーブルにあったタブレットを加えて飛んでくるとブレイディアたちにそれを見せ、続けて言う。
「政府の意向に逆らってるのはラッセルって奴だ。潰されるのはあのジャーナリストの方だと思うぜ。いやー、金と権力万歳だな」
「……滅茶苦茶悪役みたいな言い方で引っかかるけど……まあ……今回はアンタの言う通りブルーエイスの件が鎮静化するのは早いかもね。私が行く必要もなさそう。……でもそれはそれとして後でテレビ局に苦情の電話は入れておこうかな」
「どんだけ執念深いんだよ……ったく……それより飯食っちまおうぜ。せっかくラグナが作ってくれたんだからよ」
「そうだね。安心したらお腹空いてきちゃったよ。ラグナ君も早く食べよう」
「…………」
だがブレイディアの問いかけにラグナは応じずタブレットに映ったラッセルの顔を心配そうに見つめていた。
「……ラグナ君?」
「え、あ、はい! なんでしょうか?」
「ご飯食べよう。これから団長と今後の方針について話し合うことになってるんだし、しっかり食べて栄養補給しないと」
「そうですね、いただきましょうか」
笑顔で頷いたラグナは席につき、二人と一羽は朝食を食べ始めた。
その後食事を終え身支度を整えた三名はいつものように団長室において定例会議を行っていた。最初に話を切り出したのはアルフレッド。
「――まず遺跡においてデップたちがもち出した物は『鍵』であることが判明した。そしてデップの記憶からわかった形状を絵にしたものがこれだ」
アルフレッドが差し出した紙に描かれていたのは砂時計のような物の中央に赤い宝玉がはめ込まれた奇妙な物体だった。それを見たブレイディアは目を丸くする。
「……へえ、これが『鍵』なんだ。でもデップが私と会った時に持ってたやつはダミーだったんだよね。ホント、してやられたよ。まさかあの時点から私たちをおびき出すための罠だったなんて」
「確かにな。デップの記憶からわかったことだが、今回の奴らの真の目的はラグナの左腕。それを手に入れることがゲルギウスの狙いだったようだ」
「ラグナ君の左腕……要は『黒月の月痕』ってことだよね。そしてそれを自分の腕に移植しようとしていた、と」
ブレイディアはラグナに確認を取るように眼を向ける。すると件の少年は神妙な顔で頷いた。
「……ええ。ゲルギウスは確かにそう言っていました。どうも『黒い月光』の力を自分の物にするつもりだったようです」
「でも他の『月詠』の腕を移植なんかしたら普通拒絶反応が出るはずなんだけどね……なんか方法でもあるのかな」
「デップの記憶からはその件についての情報はわからなかったが、おそらく方法があるのだろうな」
三人が考えを巡らせているとここでジョイが口を開く。
「……ところでよぉ、そもそもなんでゲルギウスって野郎は『黒い月光』の力を欲しがったんだ?」
「ああ、それについてだが……どうも奴は部下達と共に『ラクロアの月』を離反するつもりだったようだ」
「離反って……裏切るつもりだったのかよ……しかしどうしてまた……」
「ゲルギウスの会話を聞いていたデップの記憶では、ゲルギウスは『ラクロアの月』の首領であるシャルリーシャという人物の方針に不満を持っていたようだ。詳しい話はデップも聞いてはいなかったようだがそれが原因らしい。そして秘密裏に『ラクロアの月』を裏切る計画を進めていたようだ。だが離反するにあたって当然幹部クラスの追手がかかることも想定される。そこで奴は『黒い月光』の力を奪い対抗することを考え付いたようだ。だからこそあえてラグナを遺跡やアジトにおびき寄せた」
それを聞いたブレイディアは口元に手を当て考えた後、呟く。
「……私たちはゲルギウスの立てた『黒月の月痕』を奪う計画にまんまと乗せられたわけだね」
「そうなるな。しかし計画は失敗し奴とその仲間は全滅した。奴の仲間が全滅した要因は二つ。一つはラグナの力が奴の予想を上回っていたこと。そしてもう一つは今逃げている連中の介入があったからだろう」
「……ジェダたちだね。……ゲルギウスが『黒い月光』の力を欲しがっていた理由についてはわかったんだけどさ……結局一番の謎はジェダを筆頭に逃走した連中についてだよね。なんで奴らはゲルギウスやその部下たちを殺して『魔王種』なんかを持ち去ったのか。デップの記憶からそこら辺はわかったの?」
「いいや、依然として不明のままだ。今のところ引き出した記憶からわかった逃走者は三名。ジェダ、ゾルダン、エルドアという男だけだ。ジェダという男は部隊長で炎を操る『赤月の月痕』の所有者、ゾルダンという男は空間を移動する術を持つ『紫月の月痕』の所有者でありジェダの部隊の副隊長を務めていたようだな。そして最後のエルドアについてだが……極端に情報が少ない。どうもデップの中では対して重要な人物ではなかったようだ」
「そうなんだ……けどその情報ってあくまでゲルギウスたちの前で見せてた表面的なものなんでしょう?」
「そうだな。おそらく本来の力は見せていなかっただろう。それに加えてゲルギウスの部下達の殺害現場に残っていた痕跡から、殺害に関わり逃げている人物は他にもいると思われる。資料をデータにしてまとめお前たちのデバイスに送っておく。後程確認しておいてくれ」
アルフレッドの言葉に頷いた二人だったが、一呼吸置いてラグナが口を開く。
「……あの……デップはピエロについて何か知っていたんでしょうか?」
「例の誘拐事件の犯人か。……いや、残念ながら何も知らないようだ。しかし『使徒の血』や『神月の光』という力を持つ以上放置することは出来ない。引き続きそいつについても調査を続けるつもりだ。行方も含めて何かわかれば必ずお前たちにも伝える」
「……わかりました。お願いします」
ラグナがそう言った後、ブレイディアがアルフレッドに問いかける。
「これで報告会は終わり? それじゃ資料を確認した後、逃げてる連中の調査に向かっていい? 確か目撃情報が上がってるんだよね?」
「いや、待て。調査に向かう前に聞いてほしい話がある。そしてここからが本題だ」
「本題? ……何か重要なことでもわかったの?」
ブレイディアがそう言うと、アルフレッドは引き出しからある一枚の写真を取り出し見せた。そこには拭き取られたものの血がこびりついた痕跡の残る金属の杭のようなものが映っていた。逆十字の形をしたその不思議な杭を見たラグナは首を傾げる。
「……なんですか、これ」
「肉塊と化したゲルギウスの体内から発見された物だ」
アルフレッドの言葉を聞いたブレイディアは眼を見開き杭を凝視しながら声を震わせる。
「……これって……まさか……」
「ブレイディアさんはこれがなんなのか知ってるんですか?」
「……うん、一応ね。私も過去の事件の資料を読んだだけなんだけど……団長、この杭の正体……私の想像通りと思っていいの?」
「ああ、構わない」
その言葉を聞きジョイは息を呑んだ。そしてブレイディアは口元を手で押さえ、アルフレッドは眉間にシワを寄せる。重苦しい雰囲気の中、何がなんだかわからないラグナだけが状況を変えようと沈黙を破る。
「えっと……すみません。この杭っていったい……」
困惑するラグナの質問を受けブレイディアはここで口からようやく手を離す。
「……ラグナ君、誘拐事件の時に立ち寄ったザックウォンパーっていう小さな廃村のことを覚えてる?」
「え? は、はい……確か事件が起きて廃村になったんですよね。殺戮が起きた、ってブレイディアさんが言ってたのを覚えてます」
「……あそこで二十年ほど前に事件が起きたんだ。村人全員が惨殺されるっていう悲惨な事件がね」
「惨……殺ですか……」
「そう。死体とか見慣れてるはずのベテランの騎士ですら現場を見て吐くほどに酷い状況だったらしいよ。そしてその村人たちの体内にもこの杭が残されていたんだ。当時その事件は新聞やテレビにも取り上げられてこう言われた――『ザックウォンパーの殺戮』ってね。……でも事件はそれで終わらなかった。それが当時のレギン王国を震撼させる殺人事件の始まりだったんだよ」
「始まりって……それじゃあ……」
「君の想像通り殺戮は続いた。被害者の数は数百人から千人にのぼったらしいよ。当時の騎士団総出で犯人を追ったみたいだけど……結局犯人は今も捕まってないんだ」
「そんな……それほど大規模な殺戮を行っておきながら捕まらないなんて……そんなことあり得るんですか……?」
「普通ならあり得ないね。死体の惨状からも相手が完全にイカレた奴だっていうのは一目瞭然だったし捕まるのも時間の問題だと誰もが思ってた……けどその犯人はイカレているけどバカじゃなかったんだよ。犯行は大胆、けど絶対に自分の身元や正体に繋がる情報は残さなかった。だから現在に至るまでそいつの名前や顔はおろか性別、年齢、体格、複数犯なのか単独犯なのか、何一つわかってないんだ。わかっているのは四つだけ。人を残酷に殺すこと、死体に逆十字の杭を埋め込むこと、奴が現れると周りに深い霧が立ち込めること、そして現場に奇妙なサインを残すこと」
「奇妙なサイン……そういえばゲルギウスの死体の近くにも変なマークが……」
ラグナは眼にバッテンが付けられたような奇妙なマークを思い出し確認するためアルフレッドを見た。すると騎士団長は重々しく頷く。
「……そうだ。アレは奴が――『ザックウォンパーの殺人鬼』が殺害現場に残したものと同じサインだった」
それを聞いたブレイディアはため息をついた。
「……あのサインどっかで見たことあるなぁってなんとなく思ってたけど……逆十字の杭を見て完全に思い出したよ……」
「ま、待ってください……それじゃあ……ゲルギウスを殺した奴……あのジェダが……」
「ああ。まだ奴と確定したわけではないが、おそらくそうだろう。あの異常な殺し方、二十年前に二年ほど続いたあの忌まわしい事件を彷彿とさせる。……あの殺人鬼が現代に蘇った。それも『使徒の血』や『神月の光』などという危険極まりない力を得てな。またあの地獄……いやあの時以上の地獄が始まる前に我々はなんとしても奴を止めなければいけない」
ブレイディアとジョイは表情を硬くし、ラグナは古城で戦ったジェダの姿を思い出す。
(……奴が……殺人鬼……)
ラグナの脳裏にはその燃えるような瑠璃色の瞳がいつまでも焼き付いていた。




