五章 プロローグ 逃亡者たち
倉庫のような薄暗い部屋の中でエルドアはジェダに電話をかけていた。
『――そちらの様子はどうだ。エルドア』
「どうもこうもない。騎士の追手がしつこくてかなわん。追手がかかることは予想していたが、なぜこんなに早いんだ? しかもラグナ・グランウッドと直接相対したお前はともかく俺達が生きていることや人相まで奴らは把握しているようだぞ。まあ全員というわけではないようだが……」
『どうもデップが生きていたようでな。奴から情報が漏れているらしい』
「……デップが……ブラッドレディスとの戦いで死んだと思っていたが……まさか生きていたとはな」
『そうだな、今回のことは俺にも予想外だった。だが計画に変更は無い。少し早まっただけだ。お前たちには予定通りグラトニーワーム起動までの時間を稼いでもらう』
「……ああ、わかっている」
『では例の町に向かい騎士共の迎撃準備を整えろ。町に着いたらまた連絡してくれ。ではな』
そう言うと通話が切れエルドアは周囲にいた二人にデップのことを話した後、ため息をつく。
「……まったく……俺達の情報が漏れないようにとゲルギウスの部下を皆殺しにしたというのに……これでは意味がないだろうが」
「まあいいじゃんか。デップが生きていたとしても奴が知ってるのは俺らの顔ぐらいで本当の能力までは知らねえんだし。それにたいていの物事ってのは予定通りにはならないもんだろ? ラグナ・グランウッドのこともそうだ。ジェダたちは当初ラグナ・グランウッドの実力を観察してそれを踏まえたうえで隠れて奴に加勢するつもりみたいだったが、その必要はなかったって話だし。というか奴が強すぎてあのままだとゲルギウスに加勢するかもしれなかったとかゾルダンは言ってたっけ」
ぼやくエルドアに軽く言ったのはブリック。
「……神の力とやらを除いたラグナ・グランウッドの実力がジェダやゲルギウスの予想を上回っていたという話か」
「ああ。けどその前にゲルギウスがアイランドタートルを起動したから未遂に終わったけどな。その後は計画通り、グラトニーワームやら『使徒の血』やら他の『魔王種』を連れて生き残った部下と一緒に潜水艇でゲルギウスは島の外に逃げたわけだ。後は知っての通りジェダがゲルギウスを殺して『グラトニーワーム』と『使徒の血』を奪い、俺らでゲルギウスの部下を皆殺しにして残りの『魔王種』を頂戴した。な? 最初こそ予定とは違ったが無事計画を遂行出来てるじゃねえか。今度だって一緒さ」
「……顔が割れていようが、追手の追跡が早かろうが関係ないと? ……大した自信だな」
「俺らは『使徒の血』を持ってるんだぜ? 普通の騎士なんざ物の数に入らねえよ。第一やることもラグナ・グランウッドたちの注意を引き付けて時間稼ぎの足止めをするだけでいいときている。余裕だろ」
「……だが奴は『黒い月光』の使い手だ。侮れば手痛いしっぺ返しを受けることになるぞ」
「侮ってなんかいねえさ。それを考慮に入れてジェダが計画を練ってるんだろ? 奴の言う通りに動いてれば問題ねえって。だいたい今回戦場になる場所はラグナ・グランウッドが全力を発揮できないような場所だ。俺らの方が有利だぜ。なにせ俺らは周りの被害なんか気にせず戦えるからよぉ」
「…………」
残忍な笑みを浮かべるブリックに対してエルドアは表情を曇らせる。
「……おっと。アンタはあそこで戦うのは反対なんだったっけ。だがジェダの決定は絶対だ。アイツが俺らのボスなんだからな」
「……わかっている」
「ならいいけどよ。……しっかしわからないねぇ。俺はともかくアンタほどの男だったら別に誰かの下になんかつかなくても自力で頂点を目指せるんじゃねえの? まあ、くだらねえこだわりを捨てればの話だけどよ。なにせアンタは――」
「…………」
言いかけてブリックは言葉を途中で止める。エルドアの眼光が鋭く光っていたのだ。これ以上喋れば殺す、とその眼は語っていた。
「……っと、これ以上言うと殺されそうだから辞めておくぜ。クソチビをぶっ殺す前に殺されんのは勘弁勘弁。じゃあ俺は先に行ってるぜ。目的地で合流な」
おどけたようにそう言うとブリックは倉庫から出て行った。それを見届けたエルドアは殺気を収めるとため息をついた。そんな様子を見て壁際で気配を殺していたヒスイが心配そうに声をかけてくる。
「……師匠」
「……少し感情的になってしまったな。すまない」
「いえ……それよりも本当によろしいのですか? ……町中におびき寄せて戦うなど……関係の無い市民まで巻き添えを食う可能性が……」
「……俺達は今ただの犯罪者、悪人だ。そんなことを悪人は気にはしない。そうだろう?」
「……ええ。そう……ですね。……ところで『グラトニーワーム』を目覚めさせるためにジェダたちはアトランティカに向かったとは聞いているのですが……時間はどれくらい稼げばいいのでしょうか?」
「わからん。どんなエネルギーを使うかは知らないが、目覚めさせるにはかなりのエネルギーを要すると聞いている。少なくとも二、三日の話ではないだろうな。一週間、一月、もしくはそれ以上かもしれないな。連絡が来るまでは指示通り奴らを引き付けるしかないだろう」
「……しかし……それほど時間を要する『グラトニーワーム』とはどんな怪物なのでしょうか……」
「さあな。俺達を警戒しているのか、信用していないのか……理由は定かではないがジェダはあまり『グラトニーワーム』の話をしなかったからな。……とにかく俺達も例の町――『カルダバレー』に向かうぞ。長居すれば騎士に嗅ぎつけられるかもしれんからな」
「了解しました」
エルドアとヒスイは話を打ち切るとフード付きのローブを羽織り倉庫から出て行った。
一方薄暗い研究施設にジェダとゾルダンはいた。目の前には緑色の液体で満たされた巨大な円筒状の容器の中に浮かぶ白い卵の姿があった。
「――ゾルダン、追手の様子はどうなっている?」
「エルドアさんたちの方に集中してくれてるみたいでこっちにはまだ気づいてないですよ。それに万一に備えてランドホークさんに索敵してもらってるんで何かあったとしても問題ないかと」
「……そうか」
「そっちの方はどうですか? ちょっとは起きる気配とかは……」
「無いな。まだ圧倒的にエネルギーが足りていない。やはり相応の時間が必要だろう」
「そうですか……ところで少しお聞きしたいんですけど……」
「なんだ」
「いやね、ちょっとした噂話をちょっと前小耳に挟んだんですけど……その『グラトニーワーム』が『ラクロアの月』の幹部を殺したって本当ですか?」
「事実だ」
簡潔にそう言ったジェダにゾルダンは眼を瞬かせて驚く。
「え、マジですか?」
「……五年ほど前に『ラクロアの月』は最初の『魔王種』として二体の『グラトニーワーム』を完成させた。当時の幹部たちは究極の生命体が出来たと喜んだそうだ。だが二体のうち一体を目覚めさせてすぐに気づいた、自分たちの手には負えないということに。事実目覚めた『グラトニーワーム』は敵味方問わず周囲にあるものを全て攻撃しアジトだった研究施設の一つは壊滅。その後も暴走は続き事態を重く見た幹部たちは五人がかりで『グラトニーワーム』の駆除にあたったが相当苦戦したらしい。そしてその際の戦いで二人の幹部が死亡した。だがその犠牲の甲斐あってか『グラトニーワーム』はどうにか駆除できたそうだ」
「へえ……あ、じゃあもしかしてその死んだ二人の穴埋めとして入ったのが……」
「ああ、フェイクとゲルギウスだ。その後どこで聞きつけたのか厳重に保管され封じられていた最後の一体をゲルギウスは見つけ出し他の幹部たちに黙って持ち出したらしい」
「なるほど……そういうことだったんですか。しかし『ラクロアの月』の幹部を二人も殺すとは……完全体になった『グラトニーワーム』はそれほどの危険性を持っているのですね」
「違う」
「……へ? 何が違うのですか?」
「『グラトニーワーム』は完全体などではなかった。目覚めたそれはほとんど未成熟の状態だったと聞いている」
「……未成熟……ですか……あ、もしかしてその死んだ幹部というのは実は滅茶苦茶弱かったとか?」
「いいや、かなりの実力者だったそうだ。ゲルギウスとは違う」
「え……ってことは……」
「そうだ。未成熟の『グラトニーワーム』に幹部が五人がかりで挑み苦戦したということだ。もっともその場には最古参のシャルリーシャやロットチェットはいなかったようだ。奴らがいればまた結果も変わっていたのかもそれない。……しかし……もし完全体になっていた場合、誰の手にも負えなかったかもしれないと囁かれているのもまた事実」
「……ええ~……『グラトニーワーム』の制御に失敗したからその教訓を活かして制御可能な『魔王種』が作り出されたとは聞いていましたけど……そこまで危険な存在だったとは……っていうかそんなの起動しちゃって本当に大丈夫なんですか……」
「問題ない。制御方法は聞いている。あれから年月が経過しある程度までならば御せるようになったらしい。それに……通常の『魔王種』程度では神の力に対抗など出来ないだろう」
「それは……まあ確かに。でも『最上級魔王種』であるアイランドタートルが一撃で沈みましたし、同じ『最上級魔王種』のグラトニーワームでもアレを真正面から受けるのは流石に無理なんじゃないですかね」
「いや、それは無い。確かに同じ『最上級魔王種』に分類されてはいるが、グラトニーワームの『能力』はアイランドタートルとは比較にならないほどに危険だからな」
「『能力』……ですか。幹部が死んだ話が本当ならその『能力』の噂も本当っぽそうですね。ひえ~おっかない。そしてそんなものを平然と目覚めさせようとする貴方もおっかないですよジェダさん」
わざとらしく震えながら言うゾルダンを見て呆れたようにため息をついたジェダは言う。
「いづれにしろ目覚めるまでには時間がかかる。そう身構えずに待っていろ。まあその前にエルドアたちがラグナ・グランウッドを倒してくれればこんな危険生物を目覚めさせる必要も無くなるのだがな。奴の左腕を奪う手間もはぶける」
「そうですねぇ。エルドアさん――彼が『本気』を出してくれればそれも可能かもしれませんねぇ」
「ああ。だが……それは難しいだろうな。だからこそ足止めを頼んだ。今はそれ以上は求めないさ」
「難儀なものですね」
その後、二人はわずかに揺れた卵をしばらく無言で見つめ続けた。
洞窟のような場所でピエロはある人物に電話で報告を行っていた。
「――あ、もしもし。ボクです。ジェダ君たちは無事『グラトニーワーム』とか諸々を持ち出せたみたいですよ。……ええ、アトランティカで『グラトニーワーム』の起動を行ってるっぽいですね」
『――――』
「でもでもぉ、ちょーっと心配でしすねぇ。なにせアレを目覚めさせるには莫大なエネルギーを要しますし。何よりそんなエネルギーを与えるとなると当然周囲に影響が出るでしょう? そうなると騎士団が勘付く可能性も高くなりますよ?」
『――――』
「いやまあそれはわかってますよ。けどエルドア君たちが派手に陽動したとしても、アトランティカでそれ以上の騒ぎになりかねないんじゃないですかね。なにせ『グラトニーワーム』はその名の通り大喰らいですし。なによりエルドア君たちで本当にラグナ君やブラッドレディスさんを足止め出来るかわからないじゃないですか」
『――――』
「……仕方ないですねぇ。わかりました。その時はボクも働きますよ。貴方との約束がありますしね」
『――――』
「ボクの方ですか? いやいや大丈夫ですよ。ちゃーんとアイランドタートルの上で仕事はしましたから。キチンとクローム・ロクミッツには死んでもらいましたとも。……それより貴方に一つ文句があったことを思い出しました」
『――――』
「何って……例のヤツですよ! なんですかアレは! ひどすぎるでしょう! 見た瞬間に酷すぎて眩暈がしましたよ! だから思わず手を加えてしまいました! 指示するならちゃんとやるように言ってくださいよ! あんな愛の無いものをボクは作りませんから!」
『――――』
「……まったく……じゃあボクが気に入らなかったらその都度手を加えさせてもらいますけど、構いませんね!?」
『――――』
「……もちろんバレないようにやりますよ。最後の演出はボクも割と気に入ってますからね。それまでは正体は明かしませんとも。……ええ、それじゃあ」
ピエロは通話を切ると盛大にため息をついた。
「……どいつもこいつも好き勝手やってくれちゃって……ボクの気持ちも考えないでさ……酷いよ……きっとボクの気持ちを理解できるのは同類の君だけだよ。ねえ――ラグナ君」
ピエロはそう言うと不気味な笑みを浮かべたのだった。




