幕間 ある亡霊の日記
本日をもって計画に必要なデータの全てを入手したことになる。これにより、ついに私が私に戻る時がやってきた。だが喜びの感情は無い。あるのはようやく解放されるという安堵だけだ。長い年月をかけた計画だったが、今日という日が来るまで本当に長かった。目的達成のため、あの苦しみを忘れないようにと今日までつけ続けてきた日記も、明日以降はもう必要ないだろう。非願成就まであとわずかなのだから。
私の願いが達成された暁にはレギン国は大きく変貌するだろう――だが変革による犠牲はきっと計り知れない。大勢の人々が骸となり新たな国の礎となる未来が私には見える。それは悲惨な未来だ、しかし腐りきったこの国には並みの薬ではきっと効かない。全ての膿を出し切る強烈な劇薬が必要なのだ。この国の根幹を変えるような強烈な痛みがこの国を生まれ変わらせてくれることを私は信じている。
今の私がこんなことを考えているなど昔の私からすれば考えられないだろう。近頃昔の夢を見る、夢の内容は二種類。一方は穏やかで暖かい夢だ。母が焼いたブルーベリーパイの甘い香り。父が吸っていた葉巻の独特の香り。弟や妹の笑い声。近所に住んでいた人たちの優しい笑顔――そういった思い出に溢れた楽しい故郷の――ある町の夢。
そしてもう一方は――廃墟となった町の夢――。黒い光に覆われ人々が泣き叫びながら生きたまま崩れていく悪夢。私の父や母、弟、妹も当然のように苦しみながら死んでいた。夢を見る頻度で言えば圧倒的にこちらが多い。だからなのか、最近はよく眠れない。いや、よくよく考えれば安心して眠れたためしなど『あの日』から一度も無かった。
そういえばもし過去に戻って『あの日』を変えるにはどうすればいいだろうとくだらないことを昔はいつも考えていた。だが答えは決まっていつも同じもので、考えるまでもなかったといつも無駄な脳内労働に後悔していたものだ。そう、答えはいつも、今でも同じ。もし私が過去に戻れたなら『あの日』を変えるために、きっと私は――自分を殺すだろう。
だが時は巻き戻せない。だから私は進み続ける。苦しみも痛みも全て背負いながら歩き続ける、それだけが私の罪を償う唯一の方法なのだから。そう、たとえこの国の人間全てから恨まれようと私は計画を遂行するだろう。しかしまったく負い目が無いわけではない。特に全てを隠し欺き続けた『彼女』と『あの子』には対しては本当に申し訳ないと思っている。
『彼女』は私を信じ友人として接してくれた。騎士など信用していなかった私が認めた最高の騎士、それが『彼女』だ。最初こそその破天荒な性格に驚き呆れたものだが、いつしかその存在は私にとってかけがえのないものとなっていった。だが私のやろうとしていることを知ればおそらく彼女は私の前に立ちふさがるだろう。その時は、覚悟しなければいけない。
そして『あの子』についてだが――正直私のこの感情をなんと表現していいのかわからない。愛していることは間違いない、それは断言できる。だが私にとって『あの子』は家族であり、希望であり――私の罪の象徴だ。だからこそきちんと向き合ってこれなかったのかもしれない。そのうえ私は『あの子』から全てを奪い、その体に忌まわしい『呪い』を刻み付けてしまった。きっと『あの子』にとって私は疫病神以外の何物でもない。唯一の家族である『あの子』に嫌われ憎まれることは恐ろしいけれど、計画を始める前に全てを告白しよう。私にはその責任があり、『あの子』には知る権利があるのだから。
さて――書きたいことはだいたい書いた、これが最後の記述だ。この日記を書き終えた私は計画を実行に移すだろう。それはきっと世界でも類を見ない悪魔の所業になる。世間に浸透している私に対する誤解が、そのまま本当の事になるというのは皮肉としか言いようがない。人を愛する神がいれば私の行いを止めるために英雄に神託でもするのだろうが、この世界にそんな優しい神がいないことは私が一番よくわかっている。だがもし仮に、神が私の計画を止めるために英雄を遣わしたとしても徒労に終わるだろう。かつてクロウツを倒したヴァルファレスに匹敵する伝説の英雄でもなければ私は止められない、止まることなど出来ない。
朝陽が昇る、さあ始まりの時だ。