王都 獣人とエルフ
『帰還を望む流れ人と森の聖女』上巻を読み終えたコズエは、悔しそうに息を吐いた。物語はそれぞれが恋心を意識し、残り二つの宝石を集めるだけとなったところで、三人が感情の乱れから一時的に別離してしまったところで終わっていた。
「続編は秋でしたっけ?」
「気になるところで以下次号って、煽りまくってんな」
コズエの次にナツコの著書を読み終えたコウメイは一番最初のページに戻りその注意書きに再び目を落とした。
「この物語は作者の想像力によって作り上げられた架空の物語です。登場する人物・団体・国家・名称等は実在のものとは関係ありません」
革表紙をめくって最初のページに書かれた一文が虚しい。
「王女様は主要登場人物にアキとシュウを重ねて見てるようだし、こりゃしばらく開放されそうにねぇな」
「全然違うのに思いこんじゃってますよね」
「しばらくって、どれくらいだ?」
「新刊が出て読みつくして飽きるまで、かな」
「付き合いきれないな」
身分を忘れて無邪気に楽しむ王女は、冒険者スタイルでいる間は自身も平民として振る舞えていると思っているようだが、彼女の護衛はそうではない。護衛たちにとっては主君であり権力と崇拝の象徴だ。
「王女はともかく、護衛たちが黙っていないだろうな」
「殺気を隠そうともしてなかったぜ」
流石に今日明日で暗殺される事はないだろうが、王女様の接待が必要なくなった頃が一番危ないだろう。
「シュウ、白狼亭の親父さんに例の件頼むって言っといてくれ」
「りょーかい」
王女様接待業務の初日を終えた六人は、本格的な逃走計画を練りはじめたのだった。
+++
二度目の接待業務を命じられたのは二日後だった。
「今度は狩りをしたいとのご要望です」
「獲物の希望は?」
「できるだけ大物をご所望のようです」
「それで安全を確保しろって?」
護衛たちも王女の無邪気なわがままに困っているようだった。
アキラの作り笑いと流し目で王女には草原モグラを標的にすることを納得させた。「あなたの身が心配なのです」と悲しげに微笑んで説得に当たったアキラに鳥肌が立っていたことは仲間以外には気づかれなかった。
ヒロとサツキが隠す陰でこっそりと土魔法を使ったコズエが、地中の巣穴から草原モグラを追い出す役目を担った。
「きゃあっ」
「コーデリア様っ」
突然飛び出した草原モグラを相手に細剣で果敢に挑む王女様は、見た目は立派な冒険者だったが戦闘経験はゼロ。角のような攻撃力はなくとも、正面から突進されれば強打転倒による捻挫負傷コースは避けられない。
「まかせた」
「ほいほいっと」
シュウが素早くコーデリアの前に立ち草原モグラを一撃で打ち倒す。二頭目、三頭目と巣穴から飛び出す草原モグラをアキラとシュウで手早く屠っていった。血の穢れを王女に見せるなという厳命があったため、全て殴打による狩りだ。二人が急遽ギルドから借りた武器は、金属の棒先に握り拳ほどの球体が付いているメイスだ。グリップ部分に布を巻いて扱いやすいようにした殴打武器は、草原モグラの頭蓋骨を容赦なく打ち砕いていった。
「お二人ともとても強いのですね」
ほとんど息を乱す事もなく五頭ほどの草原モグラを屠った二人に、コーデリアは潤んだ瞳を向けた。普段武器を持った二足歩行の魔物を相手にしているアキラたちにとって、混乱状態で巣から飛び出したカピバラは敵ではない。
「ご満足いただけて幸いです」
カピバラは王女に危害を加えないが、ゴブリンやオークはそうではない。大物との戦闘シーンの再現を希望していたようだが、間近で見る草原モグラの大きさとアキラとシュウの隙のない動きには迫力があり、目に妄想のフィルターを下ろしたコーデリアは十分に満足できたようだった。
「それでは昼食にしましょう」
コウメイたちは少し離れた場所で火を焚き料理を作り始めている。コーデリア様ご一行とアキラとシュウの二人は、護衛が持ち込んだ弁当を広げていた。
「専属料理人にシャーリーンの作った料理を再現させましたの」
さあ召し上がれ、と王女にすすめられた二人は、キレイに装飾された料理の数々を見て作り笑いを引きつらせた。作中でシャーリーンが作った料理とは似ても似つかぬ豪華な弁当だ。同じなのはメインの食材だけだとアキラは見抜いていた。念のためにとコウメイが読み終わった後に『帰還を望む流れ人と森の聖女』を読んだせいで色々と気づいたことがある。コーデリアは自らの服装や装備を、作中のヒロインのスタイルを丸ごと再現していた。
「……なりきりプレイとか、勘弁してくれ」
自分ひとりで楽しむのならなりきりでもコスプレでも好きにすればいいと思うが、他人を強制的に巻き込むのはやめて欲しい、本当に。
「いいなぁ、あれ」
シュウはコウメイたちの昼食風景を羨ましそうに見た。草原モグラの肉を使った串焼きにコウメイ特製の香辛料が振りかけられている。焼きたての肉にスパイシーな調味料。思わず喉が鳴るのも仕方ない。
ちょっとした戦闘に参加し、作中の食事を再現してふるまった事で今日は満足したらしい王女は、街への帰路ではコズエを相手に『帰還』談義で満足したようだった。
「またご連絡いたしますわ」
西門で待ち構えていた豪奢な馬車に乗りこんだコーデリアは、今日もご機嫌で護衛ともども立ち去った。
「……なんか、暴れたりねーんだけど」
「丁度いい、あそこに暴牛がいる」
草原の遠くに牛群の背中が見えている。
積もり積もった鬱憤を晴らすべく、アキラとシュウはコウメイたちの返事を聞かずに草原へとUターンしたのだった。
+
草原モグラ五頭と暴牛一頭の報酬を受け取ったコズエたちは、ラッセルに捕まる前にと急いでギルドを出た。
「やっぱり居るな」
「まだ尾行がついてるんですか?」
「監視、だろうな。逃すつもりはないという事だろう」
コズエと並んで歩くアキラはここ最近硬くなった表情筋を揉みほぐしながら、さりげなく口元を隠しシュウに言った。
「白狼亭の旦那に、建国祭での王族のスケジュールを調べてもらうように伝えてくれ」
「分かった。先に宿に戻ってから飯時にそっちに行く。九の鐘くらいでいいな?」
「おう、その頃なら飯も出来上がってるぜ」
シュウがコウメイたちから離れると、監視も二手に分かれた。買い物をしたいからとコズエとヒロが分かれ道で方向を変えると、再び監視はさらに人を分けそれぞれについた。
「いったい何人で見張ってんだか」
「それだけ本気だという事だろう」
「無理しないでね、お兄ちゃん」
兄が王女を相手に神経をすり減らしてることに気づいている妹は、案じるようにアキラの腕に触れたのだった。
+++
急いで作ったにしてはなかなかの出来上がりのハンバーグに、細かく刻んだ根菜のスープ、エレ菜とピリ菜のサラダには柑橘の搾り汁で作ったドレッシングがかけられている。
「「「「「「いただきます」」」」」」
いつもより少し遅い夕食の時間はコミュニケーションをとる団欒の場であり、戦略を練る時間でもある。
「親父さんからの伝言、明日の夜には渡せるってさ」
「早いな」
明日の夕食は情報の受け取りがてら白狼亭でと決まった。
「宿屋のご主人なのに情報屋さんみたいなことしてるの?」
王族のスケジュールなんてトップシークレットを探れるものなのかと驚くコズエだ。
「元は名のあるパーティーに所属していたらしいぜ。引退してもその辺の繋がりは生きてるし、宿屋にはいろんな旅人や冒険者が泊まるからな。情報を集めようと思ったら難しくはないらしいぜ」
「それより王族のスケジュールを調べるのは何故ですか?」
ヒロの問いに同意するように頷いてコズエとサツキも答えを求めアキラを見た。
「建国祭というのは国を挙げたお祭りなんだろう? 当然地方の領主や他国の使者が招かれているはずだ。祭りの行事もあるし、賓客への対応を国王一人でするはずはないだろう」
「五番目の王女様も社交行事やらが忙しくなって、こっちに係わってる余裕はなくなるだろうってことだな」
「そうだ。騎士達も本来の業務が忙しくなるだろうから、こちらの監視が手薄になる……と期待したい」
「それじゃ、スケジュールが分かれば夜逃げの決行日が決まるんですね」
「ギルドの口座にはほとんど金は残ってないし、あとはいつ姿を消してもいいと思うぜ」
「船便の出航予定は調べてありますよ」
コズエが板紙のメモを取り出すと、それを読んだサツキは不安そうに顔をしかめた。
「乗船は予約が要るのかしら?」
「個室を確保するなら予約が必要だそうだけど、大部屋なら当日先着順らしいです」
旅船の客室は料金次第で大きく差が出る。ベッドつきの個室は各旅船に数室しかなく、貴族や大金持ちが利用する。ベッドのない部屋だけの個室は、貴族の召使達や商団に人気である。個人の客は大部屋に雑魚寝だ。
「個室がいいが、予約するのは危険だな」
「ギリギリまで痕跡は残したくねぇんだが」
「王都を出た先まで追跡されると思いますか?」
王族や貴族が本気になれば、逃亡先で属するギルドを調べ出す事も難しくはないだろう。
「孫娘可愛さに暴走気味のジジイだけど、王女と違って無節操な権力行使はしないだろうぜ」
「腐っても元国主だ、暴君だったという話はないようだし、お忍び中の評判も悪くはない。まあ追跡されないように痕跡をできるだけ残さないのが一番いいが」
「問題は関所を通るのにも旅船に乗るのにも身分証明が必要だってことですよね」
「冒険者の身分証って誰にでも作れて手軽だけど、きっちり管理されてますし」
「余所のギルドで別名で登録しようとしてもバレるんだよな」
王都を出る時に痕跡を残したくないが、その方法が思いつかなかった。
「ここのギルドには相談できる人いないのがキツイですよね……」
ふとナモルタタルを思い出した。エドナはギルド職員ではあるが冒険者の味方だったなぁと懐かしく思い出す。
「ギルドには頼れねーけど、他で頼れる先はあるんだ、大丈夫だって」
その筆頭がシュウの泊まる白狼亭の主人ネイトだ。元冒険者の彼はさまざまな伝手を持っている。シュウが太鼓判を押したように、翌日の夕飯時に白狼亭を訪れたコウメイたちに、ネイトはあっさりと答えた。
「船に乗るだけなら、伝手はあるぞ」
白狼亭の主人は料理をコウメイの前に置き、声をひそめて言った。
「ただし、行き先はナナ」
「親父さん、詳しい事は上でいいか?」
コウメイがネイトの言葉を遮り、二つほど離れたテーブルの三人組を横目で見た。冒険者風の男達だが、宿の宿泊客ではない。白狼亭には飯を食うだけの客も多いが、ネイトは彼らを見るのは初めてだ。コウメイたちの席へあからさまな視線は向けていないが、意識はこちらに向いている。
「なるほど……そうだな、ちょっと頼みたいことがある、手が空くまでシュウの部屋で待っててくれるか」
了解、と手をあげてコウメイたちは魔猪肉のソテーとマッシュポテトの夕食に専念した。
+
シュウの借りている部屋は狭かった。広さにして四畳くらいだろうか、ドアを開けてすぐ左側の壁沿いにシングルベッドがあり、正面には縦長の窓、右側の壁沿いに荷物を収納する箱と小さなテーブル、背もたれのない丸椅子が一脚。ここに六人が入るとなかり窮屈だ。
「おい、なにやってんだ?」
アキラは全員が部屋に入りドアが閉まったのを確認すると、ベッドや収納箱を動かして部屋の四隅に何かを置いた。
「それ、魔石か?」
「魔石で作った簡易結界だ」
角に置かれた石を覗き込んだシュウは、磨き削られた魔石の表面に模様のようなものが書かれていることに気づいた。
「この模様、洞窟ん時のアレに似てるな」
「あの結界術式を写し取っておいたのを模写しただけだ。魔石の魔力を使い切るまでの間は外からは見えないし聞こえない」
「盗聴の心配してんのかよ」
「ここの壁は薄いからな」
以前に宿泊した事のあるコウメイは、客室の壁が見た目よりも薄いことを知っていた。余程声をひそめていなければ隣の部屋の会話など筒抜けになるし、監視たちなら盗聴するための道具くらい使うだろう。
「しっかし、アキラってそんなすげーことできんの?」
「俺は魔力と親和性があるからな」
そう言うとアキラは両耳の耳飾を外した。
一瞬、接続障害かと思うようなノイズが見えたような気がした。
シュウが瞬きの次に見たのは、長く伸び尖った耳だ。
「お、おまえ、エルフだったのか!?」
「不本意ながら」
自分以外の他種族をはじめて見たシュウは、興奮気味にアキラに詰め寄った。
「今まで隠してたのかよ。ひでーよ」
「すまない」
「それどういう仕組みだ? やっぱり魔法か?」
「落ち着け、まずは座ろうぜ」
アキラの耳をぺたぺたと触るシュウを引き剥がしたコウメイは、コズエとサツキをベッドに、シュウを丸椅子にヒロを収納箱に座らせ、自分は扉にもたれかかった。
「これはアレ・テタルの錬金魔術師に作ってもらった魔武具だ」
アキラは繊細な銀細工と魔石の小さな耳飾を手の平の上で転がしながら、簡単に魔武具の効果をシュウに説明した。
「へー、エルフ耳を隠す特注品なのか。獣人よりもレア種族のエルフなら、そりゃ隠したくなるよな」
「アキは簡易結界なんか簡単に作っちまうくらいには魔力がでけぇからな、エルフの希少性もあって色々面倒なこともあったし、隠しといた方が安全なんだよ」
「あのさー、その耳飾って俺がつけても幻影の効果あると思うか?」
「さあ、どうだろう」
「試させてくれねーか? 頼む!」
ケモ耳と尻尾のせいで生き辛さを感じているシュウは、自分の姿もアキラのように見た目だけでも変えられるなら変えたかった。エルフほどではないが獣人族であることで煩わしさを感じていた。信頼できる数少ない人々とこの白狼亭に出会わなければ自棄行動を起こしていただろう。この街を出ると決めたが、他の場所でも煩わしさを経験したくはないと思うシュウがアキラのピアスに可能性を求めるのは当然だった。
「ピアスだから耳に穴を開けるが、大丈夫か?」
「お、おう」
獣人族の耳は繊細で敏感だ。触られたときの感覚は他の部分よりも敏感なため、痛みも当然数倍大きく感じられる。ガチガチに緊張したシュウの前で、アキラは氷の針を作り出し、まずは右のケモ耳にブサリと刺した。
「いっ」
シュウの身体が跳ね、尻尾が硬直した。アキラは開いた穴にピアスを着けると、もう片方の耳にも容赦なく穴を開けた。
「手加減してくれよ」
「さっさと済ませたほうが楽だろうが」
手早く左耳の穴にもピアスを着け、一歩さがってシュウの見た目に変化を待った。
「どうだ? 俺の耳も人間の耳にみえるか?」
期待のこもった視線を向けられたコズエは逃れるように目を伏せた。
「……変わってないです」
「狼の耳のまま、ですね」
「そんなっ」
これは使用者が限定されたマジックアイテムなのか。振り返ってアキラに問うと、彼は少し考えてから首を振った。
「それを譲り受けた時に、体内の魔力を使って幻影の魔術を発動する、というような説明があった。獣人族は魔力がないから魔術が発動しないんじゃないかと思う」
「……魔力か、くそー」
ガシガシと頭をかいたシュウは、耳からピアスを外してアキラに返した。がっくりと肩を落とし、手で頭を支えてなんとか平静を保とうとした。
「ダメ元のつもりだったのに、やっぱ期待してたんだなー。キツイわ」
魔力が湧き出るエルフと皆無な獣人では魔術の発動の仕組みから異なるはずだ。ミシェルならその辺りを考えて製作できるのではないだろうか。ピアスを着けなおしたアキラは、落胆を誤魔化すように笑っているシュウに言った。
「この魔武具は俺が身につけることが前提のオーダー品だ。獣人のシュウに合わせた魔武具をオーダーしてみるか?」
「できんのか?」
「分からないが、製作者に聞いてみる価値はあると思う」
錬金魔術師がいるのはアレ・テタルだ。王都から船に乗って他国へ逃げる予定が変わってしまう。しかもアキラたちが事件に巻き込まれ死にかける経験をした街に戻る事になるのだ。流石にアレ・テタルへ行きたいとは言い出しにくかった。
「どうした、えらく静かじゃねぇか」
コウメイが扉を開けるとネイトは人数分のグラスを載せた盆を渡して部屋に入った。土産に貰った暴牛肉の礼だとコレ豆茶のグラスを皆に配り、ネイトはすぐに話を切り出そうとした。
「それで船の手配なんだが」
「ああ親父さん、実は逃亡先が変わったんだ」
コウメイがネイトに頭を下げた。
「アレ・テタルに戻る事になったんだ。色々働きかけてくれてたのに、申し訳ない」
えっ、とシュウが驚いてコウメイを見あげた。
「いいのか?」
「いいんじゃねぇか? なあ?」
「いいと思いますよ」
「勝手知ったる街ですし」
ネイトは呆けたようなシュウの顔とニコニコと笑っているコズエたちを見比べた。
「どういうことだ?」
アキラがエルフであることは隠し、シュウが幻影の魔武具を手に入れるために、アレ・テタルに戻って知り合いの錬金魔術師に会うことになったと手短に説明すると、ネイトは目を見開いて驚いた後、呆れたように息を吐いた。
「お前らえらく強力な伝手を持ってるんだな」
「そんなに強力ですか?」
「アレ・テタルで凄腕の錬金魔術師ったら、ミシェルだろ」
ネイトの口から出た名前に、今度はコウメイたちが驚いた。
「親父さん知ってるのか」
「……俺が現役の頃、同じパーティーだったんだよ」
サットン兄妹と共に数年ほど冒険者として活動していた、とネイトは短く話した。少しばかり表情が暗かったのは、サットン兄の狂気が耳に入っていたからだろうか。意外なところで繋がりがあると驚いたコウメイたちは、改めてネイトに無駄な仕事をさせてしまった事を謝った。
「それはいいが、シュウよ、お前金はあるのか? ミシェルはぼったくるぞ」
「魔武具ってそんなに高いものなのか?」
「……銀板の修理を頼んだ時は、調査分析だけで五万ダルって言われたな」
「修理可能な場合は追加で費用が発生するとも」
結局スマホは修理不能だったのだが、もし修理をしていたらどれくらい吹っかけられたのだろうか。具体的な金額を聞いてシュウが頭を抱えた。
「何だよそれ、絶対無理だろー」
シュウの全財産はかき集めて二万ダルと少しというところだ。
「値切れねーかな?」
「やめておけ。値切るってことはあいつの作品に価値を見出してねぇってことになるし、他の魔術師の仕事の単価を下げる事にもなる。ギルド長になっちまったし、身内の評価を下げるような事はできねぇだろうな」
ネイトの言い分は正しい。値切った安い仕事にはその値段相応の結果しか得られなくなる。
「真面目に貯金してりゃ良かったなー」
「打診してみるだけでもいいんじゃねぇの?」
「シュウの望む物が作れるかどうかを確認してからでも遅くないだろう。必要なら金は貸すぞ」
「うー、すげーありがたいけど、友達に借金はしたくねーよ」
コウメイたちの所持金でも足りるかどうか分からないぞ、とはネイトの忠告だった。
「アレ・テタル行きは決定のようだが、そうなると話が変わってくるな」
ネイトはコウメイたちに船旅前提の脱出スケジュールをすすめるつもりだった。だが目的地が変われば最善も変わってくる。
「北へぬけるなら関所の警備が厳重になる前に抜けたほうがいいが、監視の目をくぐり抜けるのは難しいか?」
「監視とか尾行とかの得意そうなのが何人もついてるから、姿を消したらあっという間に指名手配されるだろうな」
「監視が緩むとしたらいつぐらいでしょうか?」
「本祭直前だろうな。人手が足りなくなるだろうし、祭りのドサクサなら逃げやすい」
本祭の数日前から王族の警備体制は厳重になり、街の警備体制も増員され厳戒態勢になる。優秀な騎士や憲兵はもれなく治安維持に回され、その分コウメイたちの監視までは手が回らなくなる、とネイトが断言した。
「タイミングが合わねぇなぁ」
「コウメイが言っていたように、先に打診だけしてみるのはどうだ? 今全員で街を出ると目立つが、シュウ一人なら誤魔化せるだろう。シュウの足ならアレ・テタルまで三日ほどで往復できるんじゃねぇか? 関所が厳しくなる前にミシェルに魔武具が作れるかどうかを確認して、可能だったら北へ動くことにすりゃいい」
ネイトがミシェルへの紹介状をギルドを通じてシュウに託す事で関所の通過は容易になるし、コウメイたちが残っている事で監視の目も分散される。ミシェルの返答次第で改めて逃亡先を決めれば脱出の方法とタイミングも決めやすい。
他に最善を考え付かなかったコウメイたちは、白狼亭の主人のアドバイスを受け入れることにしたのだった。
+++
白狼亭のネイトは、シュウへの指名依頼の発注のため朝一番に冒険者ギルドを訪問した。
シュウは現在やんごとなき指名依頼を請けている最中だ、そちらが優先されるとギルドはネイトの依頼を断わろうとした。しかし配達先は魔法使いギルドのギルド長だ、魔石の大口販売先への依頼を無碍に断わると後々困る事になりかねない。またネイト自身の個人的コネも侮れないもので、打算に走ったギルドは、渋りながらも指名依頼を受理したのだった。
「心配するなって、俺の脚なら往復は三日もかからねーよ」
「本当に三日で戻ってこれるんですね?」
「余計な妨害さえなけりゃ、もっと早いんじゃねーの?」
含みのあるシュウの一言に、ラッセルはずれたメガネを押し上げながらすうっと息を吸い込んだ。
「分かりました。できるだけの便宜を図るように伝えておきますので、可能な限り早く戻ってきてください」
何処にどう圧力をかけたのか、ラッセルが手を回した便宜とやらの効果は絶大だった。関所を出るときも、入るときも、ほとんど足止めされなかった。審査の列に並んで待っていたのをわざわざ引き出され、優先して通されたほどだ。
シュウは往復わずか二日で王都に戻ったのだった。
この話は、後半部分を修正する可能性があります。




