王都 沼にはまったお嬢様
指名依頼の実行日初日。
夜の間に降った雨で蒸し暑く感じる中を、いつもの狩猟用の装備でギルドに出頭した六人は、特別応接室で十五日ぶりに金髪美少女と再会した。
「お待ちしておりましたわ」
豊かな金髪を複雑に編みこんでリボンを絡め、白をベースにした襟の詰まった上着と細身のズボン、緑に染めた胸当てには金で細やかな模様が描かれているし、ブーツの紐にはタッセルが揺れている。森でも草原でも山岳地帯でも洞窟でも、決して埋没せず目立つスタイルの王女様は、新たな冒険に出るのが余程待ち遠しかったのか、翠の瞳を潤み輝かせていた。
「お待たせして申し訳ございません」
予定の四の鐘に半刻も早いというのに、待たせたのはこちら側になるらしい。コーデリアの背後に控える黒服の女性四人が「無礼者め」とでも言うようにコウメイたちを睨みつけていた。
「それでは本日よりコーデリア様をサポートするN629をご紹介いたします」
純粋な期待と過剰なまでの警戒、既に嫌気が差して相槌をうつことすら放棄した人間の揃う居心地の悪い空間、そのちぐはぐな雰囲気を無視してラッセルがサクサクと六人を紹介していった。
「わたくしとても楽しみにしておりましたの。さっそく参りましょう」
「あの、コーデリア様は森で何をしたいんですか? 薬草採取ですか、それとも狩り?」
男性が話しかけるよりも女性の方が黒服たちの警戒が解けそうだと判断し、パーティーリーダーのコズエが代表してコーデリアに意向を尋ねた。依頼主からは「望みを叶えること」が最重要項目として強く依頼されている。
「わたくし、アキラとシュウが二人で竜を倒すところが見たいのです」
「……は?」
「竜を、倒す」
コーデリアの瞳は溢れんばかりの期待でキラキラと、まるでエフェクトがかかったかのように眩しく輝いていた。
「そうですわ、流れ人と狼族の王が病に狂った古の竜を倒すのです」
「……すみません、本気ですか?」
コズエはコーデリアではなくその後ろに控えた黒服女性に尋ねた。この王女様は一体何を言っているのだろう。
「ひ……お嬢様、竜ははるか昔に絶滅しておりますので難しいかと思いますよ」
絶滅していなければ竜退治させるのか、そうか……。
黒服の一人の進言を聞いたコウメイは目を細め、アキラは作り笑いを深くし、シュウは視線を逸らせた。「違う、そうじゃない」という言葉を飲み込んだヒロは爪で手の平に押しつけ、サツキは小さく口をあけたまま固まっている。
「あの……私たちの力じゃ、竜退治は無理ですよ?」
この世界に竜が存在していた事も、すでに滅びていない事も初めて知ったが、絶滅していて良かったと心底思った。国家権力に無理強いされて竜退治とか、即死コースだ。
「そうですの? では一つ目巨人族との攻防を再現してもらうのはどうかしら」
サイクロプス、あるいはキュクロープス。ギリシャ神話の単眼の巨人だ。神族の末席に引っかかっている伝説の生物だが、ゲームなどではボスキャラに設定される事も多い。
「ここってそんなのも居るの?」
「しらねぇよ」
真面目を取り繕うのも面倒になってきたコウメイは苛立ちを誤魔化すように頭を掻いた。
「ひ、お嬢様、巨人族は三百年も昔に新たな大陸を目指して旅立ちました。この大陸にはもう残っておりません」
「ああ、そうでしたわね」
いるんだ、巨人族。
「あの、さっきから気になってたんですけど、再現って、一体何なんですか?」
恐る恐るに尋ねたコズエに、コーデリアは膝の上に置いてあった荷袋の中から豪華な革装丁の本を取り出して掲げて見せた。
「これですわ! 『帰還を望む流れ人と森の聖女』の名場面をこの目で見たいのですっ」
+++
「初めての野営で狼族の王の作った料理を恐る恐る食べるシーンですわね」
王女様が愛読する本のお気に入りの場面は、手に汗握るアクションシーンばかりだった。それらを実際に見たい、そんな無茶振りをアキラの作り笑顔で気を逸らせ、コウメイの誘導で「森での食事を再現」にすり替えることに成功した。どうやら求められているのは狼族の王を演じるシュウと、流れ人を演じるアキラらしかった。
「おい、俺は料理なんかできねーぞ」
「下ごしらえは俺がやるから、シュウはそれっぽく焼くフリしてればいいから、な」
「それをお兄ちゃんが美味しそうに食べないといけないんですね」
「……」
「アキラさん、青筋浮いてますよ。笑顔です、笑顔」
初心者の森への移動もひと騒動だった。平民の冒険者なら歩いて行くのだが、コーデリアの護衛たちは馬車を使うと譲らない。突拍子のない言動の王女を隔離しておきたいのか、あるいは王女の身を守るために必要だと考えてのことなのかはわからない。身の安全を第一に考えるのなら、目立たないようにするのが肝心だ。
「申し訳ないんですが、護衛の方たちのおそろいの黒服はとても目立ちます」
コーデリアも別の意味で目立つが、こちらについてはもう諦めた。
「ダレスカン商会のご隠居さまの本当のご身分は、街の人々に周知されているのでしょう? ご隠居のそばにいつも控えている黒服がコーデリア様のそばにも居るとなれば、本当のご身分は知れ渡ってしまいます」
それでもいいのか、とアキラが指摘すると、姫君は嬉しそうに手を叩き「皆も変装すれば良いのです」とラッセルに命じて冒険者の装備一式を揃えさせてしまった。
「やんごとなき御方の護衛には見えなくなりましたね」
「新人冒険者って感じでもないけど」
元黒服たちが先に森に入って安全を確保した後にアキラとシュウが王女様をエスコートする。その後をコウメイたちが必要物資を背負って追った。
冒険者なのだから食材も現地調達しようとしたが、護衛たちに言語道断だと叱られた。繊細なお嬢様が獣の血贓物を目にしたら倒れてしまう、だそうだ。
「アキに竜退治して見せろつった奴の何処が繊細だよ」
「鈍いですよね、とっても」
美しい木漏れ日の眺められる場所にピクニックシートを敷き、コーデリアを座らせた。火を起こしたコウメイとシュウに、護衛から小声で「メニューは角ウサギ肉のサンドイッチだ」と指示が出た。どうやら作中の「初めての野営料理」がそれらしい。コウメイにしてみれば手のかからない料理で助かるのだが、果たして硬い黒パンのサンドイッチが王女様の口に合うのだろうか。
「黒パンは口の中の水分を奪うからなぁ、そのへんちょっと工夫してみるか」
コウメイはヒロとコズエが隠れて狩ってきた角ウサギ肉を手早く調理にかかった。シュウが料理しているように見せかけるため、コウメイは小声で細かく指示を出してゆく。コウメイの手元を確認しながらシュウは肉を串に刺し、特性のスパイスブレンドを振りかけて火にくべる。
「うふふ、美味しそうですわね」
「お口に合うかどうか分かりませんよ」
「美味しいに決まっていますわ。狼族の王はとても料理が上手なんですもの」
それは俺じゃねーよ、と王女の会話に思わず突っ込みを入れそうになって、シュウは慌てて串肉をひっくり返して誤魔化した。お抱えの料理人が作る食事に慣れている高貴な舌が、肉を焼いて挟んだだけの昼食に果たして満足できるのかと不安になる。助けを求めてコウメイを見れば、王女に見えない場所でもう一つ火を焚き、鍋で芋を茹でていた。茹で上がった芋を潰し、植物油と調味料で味付けして練ってペースト状にし、薄くスライスした黒パンに厚めに塗る。
「これで串肉を挟め」
「お、おう」
毒物や不審な食材はないかと厳しい監視の目のなかで、コーデリアに手渡す分だけはシュウが作ったように見せかけた「角ウサギ肉のサンドイッチ」ができあがった。
「わたくしではありませんわ。お二人がお食事するところを見たいのです」
シュウが手渡そうとしたサンドイッチはアキラの手に渡った。コーデリアはアキラが口にするのを待って見つめ続けている。期待に満ちた視線を浴びながらアキラはひと口かじった。パサつく黒パンがマッシュポテトによって乾燥を感じさせず、角ウサギ肉の肉汁も吸い込んで旨味を閉じ込めていた。
「美味しいですか?」
「もちろんです」
コウメイの料理が不味かった事はない、これだけは正直に答えたアキラの様子に、コーデリアは頬を染めて嬉しそうに微笑み、自分もサンドイッチを口に運んだ。
「……」
「どうかしましたか?」
「ひ、お嬢様、なにかございましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
そう言いながらもコーデリアの表情は芳しくない。サンドイッチとシュウとアキラを順番に見て、もう一度ひと口かじってもぐもぐと咀嚼する。どうやら高貴な方の舌には合わなかったようだ。ちなみに護衛たちにもサンドイッチを渡していたが、こちらは不満を言うどころか、意外に美味いとでもいうように表情が緩んだのをコウメイは見逃さなかった。
「……何か、違いますわ」
ぽそりと零したコーデリアの呟きが恐ろしいと、側にいたコズエが慌てて話題を変えた。
「コーデリア様が持っているその本はどういう内容なの?」
「これは読み物ですの。今まで読んだ事のないすばらしい物語なのですわっ」
コズエが出会ったこちらの世界の書物は、研究書か教書か老人の回顧録がほとんどだ。読み物、つまりは純粋に楽しむためだけの本は存在しないと思っていた。だが小説は、娯楽のための物語は存在したのだ、高貴な人の手の元に。コズエは好奇心のままにコーデリアに尋ねた。
「その物語は、帰還がどうにかする人と森の聖女のお話なんですか?」
「『帰還を望む流れ人と森の聖女』ですわ」
本好きは自分の愛読書に興味を持たれたことを喜ぶ。あなたもこの素敵な作品の虜になってしまいなさい、と語りたくなる。それは日本人も異世界人も同じだった。それまでアキラとシュウしか見ていなかったコーデリアが、コズエを振り返って力強く語り始めた。
「この読み物は、異世界から流され迷い込んだ殿方の物語ですの」
……ん?
「不幸なきっかけで異なる世界から流されてきたシンジは、この世界で魔物に襲われるのです」
聞き耳を立てていたコウメイが固まった。それは一体どういうシチュエーションなんですかね? もの凄く身に覚えがあるというか、それは本当にこの世界の読み物なんですか? アキラとシュウから作り笑いが消えていたし、ヒロとサツキも困惑に指先が遊んでいた。
「オーガに襲われたシンジは、あわやと言うところで獣人の王であり冒険者でもあるケイオール様に救われるのです。シンジはケイオール様に教えを請い冒険者として身を立てる術を学び、ともに旅をしながら二人は友情をはぐくみ、やがてシンジが自分の世界に戻る方法を探すことを決意するのです」
あらすじは異世界転移もしくは転生の友情モノだった。
「二人は旅の途中で失われた妖精の森に迷い込んでしまい、そこで呪われた妖精の女性と出会います。二人は彼女を救うため呪いの主に戦いを挑みました。戦いは熾烈を極め何とか勝利するのですが、二人は瀕死の重傷を負ってしまいます。そこで呪いから開放されたシャーリーンが聖なる力で二人を癒すのです」
ヒロインが登場です。しかも妖精の聖女。属性が多い。
「シャーリーンはわが身を救ってくれたシンジたちの旅に同行します。妖精の森に伝わる流れ人の顛末を知る彼女は、シンジが自分の世界に帰るためにの方法を知っていました。シンジが戻るためには世界中に散らばった七つの宝石を集め、古代竜の長老に道を開いてもらう必要があるのです」
ド○ゴ○ボール……。
「苦難を共にするあいだに、三人の間には特別な絆と感情が生まれ育ってゆきます。恋しい人を巡って友情が危うくなり、恋よりも深い愛が芽生え、そして……っ!」
両手で頬を包んだコーデリアは興奮に震えていた。
コズエもまた興奮し、目を輝かせ続きを迫った。
「そしてどうなるの?」
「続きは秋に刊行されるので、それまではシンジとケイオールとシャーリーンの誰が誰と結ばれるのか、わからないのです」
以下、次号。
「そんなぁ、結末が気になるじゃないですか」
「気になりますわよね、古代竜との対決も、恋の行方も、気になってたまらないのですわ」
さり気なく顔を背けたアキラは額を押さえていた。シュウはがっくりと項垂れ、コウメイは笑いを堪えてプルプルと震えている。王女と読書談義に夢中のコズエを冷めた目で見るヒロと、もうどうにでもなってしまえ~と開き直ったサツキ。
内容が気に入ったなら作者を知りたいのは当然だろうとコズエが尋ねた。
「コーデリア様、その物語の作者は誰ですか?」
「先代伯爵夫人が後見するナツコという作家ですわ」
ナツコ。
奈津子なのか夏子なのか菜都子なのかはわからないが、日本人確定の名前だった。
「こんなところに転移者がいたぜ」
「娯楽の提供者として受け入れられているようで何よりだな……」
コウメイとアキラの声は王女たちには聞こえないように囁かれた。
「今ナツコはお友達の間で話題なのです」
先代グレゴワール伯爵夫人の後見する新進気鋭の物語作家の作品は、上流階級で人気なのだそうだ。騎士職たちには臨場感ある戦いの場面がうけ、女性達は自らをヒロインに重ねて微妙な三角関係に胸を高鳴らせ、数多く登場する失われた伝説の生物の描写は、新しい解釈だとして頭の固い研究職にも受け入れられているらしい。
「お友達の間では、シャーリーンがどちらと結ばれるのか意見が分かれているのよ。コズエはシンジとケイオール様のどちらだと思う?」
「私はその物語を読んでいないのでなんとも言えないんですけど」
「あら、それでしたらこの本を差し上げましょう」
「いいんですか?」
貴族の持つ本は高価な装飾品であり芸術品でもある。コーデリアが持っている『帰還を望む流れ人と森の聖女』も革張りの上製本だし、装飾も華美に走りすぎず上品で美しい。おそらく小金貨が何枚か必要なお値段だろうと推測できる。
コズエは差し出された本を受け取るのを躊躇った。ひと財産とも思える高額な本に対する恐れもある。だがそれよりも恐ろしいのは、護衛たちの怒りの視線だ。
「どうしました、遠慮をすることはないわ」
王族から直々に品を下賜されるなど、余程の功績があって初めて賜れる名誉だ。それをぽっと出の冒険者風情が、おこがましくもねだり得るなど言語道断、王家への不敬罪である。姫さまがお役御免にしたあかつきにはこの手にかけてくれようぞ、という殺気がコズエにグサグサと刺さっているのだ。
「コ、コーデリア様の宝物をいただくのは申し訳ないので」
「あら、心配なさらないで。わたくしはもう二冊同じ本を持っておりますもの。以前は五冊購入して、お友達に贈りましたところとても喜んでいただけたの。今はともに秋を待ち遠しく語り合う仲間ですのよ」
なるほど、保存用と自分用と布教用と言うことですね。どうしよう、この王女様がとてもよく理解できる、とコズエは笑みを引きつらせた。
「お気持ちはとても嬉しいのですが、私には高価すぎますので頂くわけにはゆきません」
コズエはその物語を読みたかった。上巻だけで結末が分からない本だとしても、コズエは久しぶりの娯楽読書がしたかった。しかしこのプレッシャーの中で王女から物を貰うほどの度胸はない、そう決断し笑顔の下で泣きながら断わったのに。
断わったのに!
コズエに断わられたコーデリアは瞳に薄く涙を浮かべ、悲しげに目を伏せた。と同時に護衛たちの殺気からコズエの身体が逃げていた。好意を受けても駄目、断わっても駄目、どうしろと言うのだ。
「……コーデリア様、その本をお譲り頂くのではなく、お貸しいただくことは可能でしょうか?」
「貸す、のですか?」
困りきっているコズエから気をそらせるためにか、アキラは穏やかでまろやかな笑顔を王女に向け、やさしく語りかけた。
「庶民にとって本はとても高価なものです。庶民の我々は友人に本を読んでもらいたい時は、貸すのです。貸した本はいずれ返ってきます。そのときに互いの感想を語り合うのも楽しいものですよ」
「そ、そうですわね」
庶民、という言葉に、自分がダレスカン商会の孫娘であるという設定を思い出したらしいコーデリアは、小さく咳払いをしてコズエに向き直った。
「この本をお貸しするので、次の時に感想を聞かせてね」
「は、はい」
コズエは震える手で王女の愛読書を受け取った。汚さずに読めるだろうかと不安になる。
庶民同士なら当たり前のやり取りだとアキラに暗に釘を刺され、護衛たちは仕方なく殺気を引っ込めたが不満は全身からたち上がっている。
「シャーリーンが誰と結ばれると思うか、コズエの予想を教えてね?」
「コーデリアさまは誰と誰が結ばれて欲しいんですか?」
何気なく尋ねたコズエに、思いのほか真剣な答えが返った。
「帰ってしまうシンジを選べば別れが約束されていますし、ケイオールとは種族の違いがあり結ばれても幸せな未来は描けませんもの、どちらを選ぶのも難しいと思いますわ」
「物語にシンジがこの世界に残るという結末はないのかな?」
「まあ、そうなったら素敵ですわね。恋も友情も、世界で隔てるには悲しすぎますもの!」
森のピクニックを終えると、王女様は満足そうに帰って行った。
「またご連絡いたしますわ」
との言葉を残して。
+++
「……」
「お疲れ」
「……いつまで続くんだ」
「王女様が飽きるまで、だろ」
「逃げるぞ」
「そうです、逃げましょう。大至急これ読みますから、終わったら夜逃げしましょう」
「逃げたいけど読むのか」
「面白そうな本があって読まないなんてありえませんよ?」




