サガストの町 1
再び高3男子のターンです。
サガストの町 1
ダン、ダンダン。
「お客さん、部屋を空けるか、もう一泊分払ってくれねぇか」
乱暴にドアをたたいた後、宿屋の主人が部屋に入ってきた。
「……あー、もう一泊で」
「二人で百ダルだ」
「はいはい。えーと、これでいいか?」
寝起きでぼんやりとする頭を振ってから、浩明は巾着袋から取り出した小銀貨一枚を主人に渡した。
「昼飯用意してもらいたいんだけど」
「うちの飯は朝と夜だけだ」
「俺らはどっちも食ってない。簡単なのでいいから何とかならないか?」
二食の飯代込みの宿泊料金を払っているのだ、多少の融通は利かせて欲しい。
「朝飯の残りでいいか?」
「頼みます。あ、それと風呂に入れる?」
「風呂はねぇよ。体を洗いたきゃ一階の洗い場使ってくれ。水は中庭の井戸を使え」
主人はこれ以上注文をつけられてはかなわないと早々に部屋を出て行った。
窓の外は明るく、太陽の位置も高い。
「よく寝たなぁ」
板張りの寝台に布団を敷いただけの簡素なベッドだったが、木の上での徹夜や野宿に比べれば天国のような寝心地だった。部屋に入ってベッドに腰を下ろした直後には二人そろって落ちていた。汚れたままの衣服で、靴も脱がずに熟睡だ。
「アキ、起きろ」
隣のベッドで熟睡中の彰良の身体を揺すった。
「もう昼だぞアキ。起きろ」
もの凄く不機嫌そうにうっすらと彰良の目が開いたが、起きたわけではなさそうだ。
「飯だぞ、飯」
「……」
「あと風呂だ、水風呂だけどな」
「……」
「宿代立て替えてるからな」
「……うるさい」
「夢じゃないからな、アキ。ここは異世界。目が覚めたら日本だったら良かったのに、とか逃避してんじやねぇぞ」
「うるさい浩明」
「やっと目が覚めたな。おはよう?」
のっそりと身体を起こした彰良は浩明の挨拶には答えず、眩しそうに眼を細めて室内を見回してため息をついた。
「とりあえず飯食って風呂はいってから話し合おうぜ」
朝食の残り物だという昼食を食べている時に鐘が鳴った。五の鐘で午前の終わりの鐘だという。こちらの季節は夏、水風呂も苦にならない気温で助かった。石鹸がないので手ぬぐいで擦って汚れを落としたが、三日ぶりの水風呂は生き返ったような気持ちになった。
「とりあえず財布出せ」
浩明の出した手に彰良の財布が乗せられた。
「この宿が一泊二食付きで五十ダル。大体五千円ってところだと思う」
「一ダル百円前後?」
「そんなところだ」
昨夜から金のやり取りについては浩明が引き受けていた。町に入るための税金、宿代の支払い、通りで見聞きした屋台の商品と値段、それらを見た感じで感覚として日本円との価値のすり合わせをした結果だ。
「で、俺らの所持金だ。俺のとアキのを合わせて大体五百ダルくらい残ってる」
「五万円くらいか。宿代を考えると多少の余裕はありそうだな」
「着替え買ったり武器を揃えるには全然足りないけどな」
浩明は昼飯を食べながら宿屋の主人にそれとなく話しかけ、武器や装備の価格帯を聞き出していた。中古の武器でも千ダルからとなると手持ちの金では手が出ない。
しばらくは浩明が財布を預かり、生活費の管理をすることに決まった。
「荷物の中で謎なのが、この銀板と本だ」
「本は……ああ、読めそうだ」
「言葉も通じるし文字も読める。この辺りは便宜図ってもらえてるんだなぁ」
ぱらぱらと本をめくって中を確かめている彰良が、じっくりと読書の体勢に入ってしまった。
「読み込むのは後にしろよ」
「けどこれは役に立つ内容だと思うぞ。この世界の植物図鑑みたいだ」
「植物図鑑?」
「浩明の本も同じか確かめたい」
出せと促され浩明はバッグから自分の荷物だった本を取り出した。
「表紙の色が違うな」
彰良の本は緑の表紙、浩明のものは赤茶色の表紙だ。
「やっぱりだ。内容が違う」
「へー、俺のは動物図鑑かよ」
自分たちの知っている動物が少し変化したような生き物の絵と説明が書かれていた。どんどんとページをめくって行くと、次第に動物とはかけ離れたイキモノの絵が増えてきた。
「魔物かもな。これはゴブリンで、これがオーク」
ファンタジー世界での定番モンスター。他にも見たことのないモンスターの絵と説明書きが載っている。
「へー、あの狼って銀狼って言うのか。魔物未満の魔獣で、皮と牙が素材として売れるらしい。この本、冒険者やるならかなり役に立つな」
何故こんな本が自分たちの荷物になったのか分からないが、追求するよりも上手く使うことを考えたほうがいい。
「あとはこの元スマホだ。電源が入らないな」
「一緒にあるこのガラスはなんだと思う?」
「宝石じゃないよな。俺のは……なんかスゲェ数あるんだけど」
じゃらじゃらと彰良の財布みたいに沢山のガラスの破片が詰まった小袋。三十個、いや五十個くらいありそうだ。
「まあその内に使い方とか分かるだろ」
+
荷物を確認している時に六の鐘が鳴った。午後二時あたりだ。
この世界は鐘の音で時間を確認し、早ければ八の鐘で仕事や店が終いをする。買い物と情報収集とギルドの登録、やらなければならないことは沢山あると、二人は宿屋を出て冒険者ギルドへと向かった。
昼間のギルドにはほとんど冒険者の姿はない。掲示板に貼られている依頼も所々にしか残っていないし、三つある受付窓口も端の一ヶ所にしか職員はいない。
「冒険者の登録、できる?」
浩明の声に顔を上げた職員は、板紙を一枚差し出した。
「もう一枚くれよ。二人だから」
「ああ、居たのか。見えなかったか……」
浩明の後ろにいた彰良を見た職員の表情が固まった。
「何か?」
驚愕のままに彰良を見つめる職員は、不思議そうに問われてもあやふやな言葉をこぼしただけだった。必要事項の記入された二枚の板紙と登録料を受け取り、緊張した手つきで登録証の作成にかかった。
「コウメイさん、人族、所属は最初に登録したこの町のギルドになります」
黒いカードを手渡されて刻印を確認した。名前と種族とサガストという町の名前だけが記された簡素なカードだ。
「そして、あ、アキラ、さん。亜人族、ですね?」
アキラにカードを差し出す職員の手が震えていた。あまりにも挙動不審な職員の態度にコウメイが前のめりになった。
「さっきから気になってんだけど、アキになんかあるのか?」
「いいえ、その、アキラさんは、え……エルフ族ですよね?」
それに何か問題があるのか、とコウメイに睨まれて職員は慌てて続けた。
「あの、僕はエルフの方に会うのは初めてなので、緊張し、て」
予想外の事を言われてコウメイは眼を見開いて驚いたし、アキラは不思議そうに首を傾げた。
「もしかしてエルフ族って珍しいのか?」
ギルドの登録項目に「亜人族」とあるので、エルフの存在もそう珍しいものではないと思っていたのだが。
「たぶんこの町にエルフが来たのは初めてのことだと思います。王都や魔法都市アレ・テタルには稀に滞在すると聞いたことはありますが、こんな田舎町のギルドで冒険者登録するなんて信じられませんっ」
興奮気味に語るギルド職員の目はアキラを見てうっとりと潤んでいた。
ギルド職員の熱意にアキラは思わず身を引いた。コウメイは広くはないギルドを見回して安堵した。空いている時間帯のおかげで冒険者は一人も居ないし、職員もカウンターにいた目の前の一人だけだ。
「エルフだけじゃなくて、亜人族自体が珍しいのか?」
「獣人族はたまに来ますね。内陸部なのでこの辺りで見かけるのは狼と熊と猫の獣人くらいです」
「エルフは珍しいのか。でも町中でそんな様子はなかったよな?」
「特に見られているという気配はなかった」
少なくともこの職員のような興奮と熱意の視線は感じなかったアキラだ。
「それは皆さんが知らないだけだと思います。生涯に一度も会わないのが普通なので、エルフ族の名前は知っていても実在すると思いませんし、姿や特徴のような知識も一般的には廃れていますから」
「職員さんは詳しいんだな」
「ギルドで仕事をするには、亜人族に関する知識は必須なんです。講習も受けていますから」
なるほど。一般的な知識ではないが、冒険者ギルドや経験を積んだ冒険者なら知っていて当然ということか。
コウメイは笑顔を作ってギルド職員にお願いした。
「俺たちは騒ぎになるつもりはないんだ。アキがエルフなのは黙っててくれるよな?」
「……分かる人には分かりますよ?」
「騒ぎに巻き込まれるのは困るんだよ、わかるだろ?」
分からない奴らには教えなければ知らないままなのだから吹聴するな。コウメイは笑顔に脅迫を含ませてお願いし、無事に約束を取り付けた。
+
依頼の貼られた掲示板の前で、アキラが非難するようにコウメイを睨みつけていた。
「この世界のエルフ設定は俺のせいじゃないぜ? クレームはこの世界を作った神様に言ってくれよ」
掲示板に残っているのは仕事の割に報酬の低いものか、常時依頼の採取ばかりだった。
「俺としてはケモ耳とかエルフがうろうろしてる世界を期待したんだけどな。ドワーフも滅多に人の町には現れないみたいだし」
折角のファンタジーなのに醍醐味がない。
そうこぼしたコウメイの足をアキラが踏みつけていた。
「しばらくは採取依頼だな。薬草と魔獣の素材集めか」
「地味だな」
「木刀で魔物退治ができるわけないだろう。この残っている依頼内容を見ても分かる、町の外はそれなりに危険だ。ある程度の装備は整えたい」
森で過ごした二日間に出会った敵が、銀狼一頭だけというのはかなりの幸運だったと今なら分かる。魔獣といわれる野生の動物よりも凶暴な生き物は、随分と人々に害を与えているらしい。大型魔獣の魔猪や暴牛の常時依頼はかなり報酬も良さそうだし、攻撃力も高そうにない角ウサギですら集団で畑を襲うために常時討伐の対象になっている。
「いざとなったら魔石を売ればいい。クズ魔石でもあれだけの数があればいい値段になりそうだ」
二人の荷物に入っていたガラス破片のようなものは魔動物から取れるクズ魔石だった。二人合わせて八十個近くあるが、半分を買取ってもらっても二百ダルにはなるらしい。
七の鐘が鳴った。そろそろ早仕舞いの冒険者たちがギルドに戻ってくる頃だ。二人は鐘の音を聞いてギルドを離れ、商店の並びに向かった。サガストは田舎の寂れた町らしく、素朴な店構えが多い。商品も流行の物や高級品は見かけず、町の住人や近隣農村の者が普段使いをするような質の物が大半だし、中古品の取り扱いも多かった。
「古着でよかったのか?」
「消耗品だと考えればこれで十分だ」
着替えは古着屋で買い揃え、石鹸などの消耗品や洗面道具も雑貨屋で調達した。
「町の門が開くのが二の鐘だから、朝イチ出発だがアキは起きれるか?」
「俺は寝過ごして遅刻したことはないぞ」
「起きなかったら蹴り落とすからな」
「できるならやってみろ」
宿に戻ってきた二人は汚れた服を洗濯して乾し、部屋にこもって図鑑の読み込みを再開していた。植物図鑑にはギルドの採取依頼にあった薬草が多数記載されていたし、魔物図鑑には魔獣や魔物の生態や魔石の位置、素材として活用できる部位の詳細なども記載されている。
「しかし、何が本に変わったんだろうな。内容が違うのも意味不明だ」
「元は塾の教本かもな」
「それなら同じ本じゃないとおかしくないか?」
「俺が植物図鑑で、コウメイが魔物図鑑か」
「あ、もしかしてアレかも」
コウメイが図鑑から顔を上げた。
「アキは薬学部志望だったよな。そんで俺は医学部。実家が外科だから、その辺りが影響したんじゃないか?」
「まさか。教本は受験用の共通内容だったのに」
「異世界転移だし、そのへんは上手く変換されたんじゃないかと思うぜ。ゲームやラノベみたいなご都合展開はないと思ってたけど、神様もそれなりに便宜図ってくれてるみたいだな」
この世界で生まれたなら当然知っているだろう知識を、本の形で補填してくれているのだろう。
「だったらこっちはどう役立つんだろうな」
元スマホの銀板だ。荷物のほとんどを確認して用途の分からないのはこれだけだった。コウメイも自分の銀板を取り出し指先でゆっくりと表面をなでてみた。
「あ、何かある」
表面は見た目はツルツルだが、触っていると指先が目に見えない窪みをとらえた。これだと確信を持って押してみれば、ツルツルの表面に絵柄が浮かび上がる。
「……どうやった?」
コウメイに教わりアキラも窪みを押して絵図を浮かび上がらせた。見覚えのある絵図、いや地図だ。ギルドの受付奥の壁に貼られていた地図に似ている。
「地図だ。この赤い印のところがサガストの町」
「マップ機能か。町を出るときに使えそうだよな」
「コウメイのに赤い印はいくつある?」
「一つだな。青の横に並んでるぜ」
「俺のは二つだ。青の横に一つと、地図でいえばずっと北に一つ」
「赤いのはアキか」
「俺のだと隣のがコウメイで、離れたこっちが咲月、かも」
アキラの目が希望に輝いた。可能性はゼロじゃないだろう、SNSで繋がっている相手が表示される機能かもしれない。
「お?」
表面を触っていたコウメイは何の気なしにスワイプ操作を試した。すると自分を示す青い印が消え、どこかの地図が現れて新たな赤い印を見つけた。
「俺の知り合いもこっちにいるみたいだ」
「誰だ?」
「わからねぇよ。コンビニに塾生は多かったけど繋がってる奴はいなかったし。近隣で誰か知ってる奴がいたとしても、転移前のあの白いところじゃ周りの奴らは影みたいにぼんやりしてたからな」
あそこでは隣にいたアキラの顔ぐらいしかはっきり見ていない。
「かなり遠そうだな」
アキラがコウメイの銀板を覗き込んで地図をじっくりと見ている。
「誰だかわからないし、コイツは後回しでいいよ。まずは咲月ちゃんだ」
翌朝一番にギルドに向かった二人は、ギルドの資料室で地図を確認し、旅程と周辺の治安を確認した。
咲月が居ると思われるのはナモルタタルという街で、サガストから北へ二つ目の街だ。徒歩で移動すれば一週間はかかる距離だったが、問題なのは距離ではなく途中にある魔生の森だ。ここは森の浅い場所からも魔物が出現し、たびたび街道近くにまで出没しては旅人たちを襲うという。魔生の森に近いハリハルタの町は、魔物討伐のため熟練の冒険者が集まり賑わっているらしい。
「歩きは俺たちには危険すぎる。護衛付きの乗合馬車には金が足りない」
ナモルタタルまでの乗合馬車は護衛がつくために料金は一人千ダルと高額だ。二人がある程度の経験と戦闘力を持った冒険者なら、護衛任務として馬車に同乗することもできるが、冒険者登録したばかりの新人には回ってこない仕事だ。
「地道に運賃を稼ぐしかないか」
焦って町を飛び出し魔物に襲われて野垂れ死になんてゴメンだ。
「薬草を探しに行こう。今からでも少しは稼げるだろう?」
「だな。地道にコツコツだ」
+++
二人が放り出された深魔の森は、凶暴な魔物が頻繁に出没する。討伐目的の冒険者たちはそちらへ向かうため、町の北東に広がる魔物の出ない森は、薬草採取に適した場所だった。
森の手前の草地からアキラがコウメイに指示を出し、色々な種類の草を採取していた。
「何で詳しいんだ?」
「掲示板で買取価格の高い薬草をチェックしてきた」
「だからって良く見分けつくよな」
「昨日薬草図鑑でこの地方に自生する種類を覚えたからな」
ボタニカルアートばりに詳細な絵図は分かりやすく、特徴を覚えるのもそれほど難しくはなかった。
治療薬の材料となるセタン草は赤くなった葉だけを摘む。ヤーク草は白の斑の多い葉の薬効が強い。回復薬に使用するサフサフ草は大きめの根を丁寧に引き抜く必要があるし、麻痺薬のトラント草は黒縁の葉だけを選ぶこと。
図鑑に書かれていた説明書きも詳細で的確だ。
「ギルドの資料庫の薬草リストの絵は下手で分かりにくかった」
「そういや俺の魔物図鑑の絵もすげぇリアルだったな。解剖図かってくらい詳細に魔石の位置が載ってたし」
トラント草から縁が黒くなったものだけを選んで摘み取っていたところに、茶色い毛皮の小動物が現れた。角の生えているウサギだ。
まるで二人を誘うように首を傾げて、草を食み背を向けて尾を振り、また草を食む。
コウメイは静かに木刀に手をやった。
魔物図鑑のおかげでコウメイは角ウサギに群れる習性があることも、一羽が囮となって人間を巣に招きよせ、囲んで一斉に攻撃してくるといった知能を持つことも知っていた。囮の一羽を深追いせずにこの場で倒す。それだけを考えてじりじりと位置を変え、タイミングを計った。
角ウサギが誘うように尻を向けた時、コウメイの木刀が角ウサギを真上から叩いた。
地面と木刀に挟まれた角ウサギが「キュウゥー」と悲鳴を上げる。
もう一打、今度は頭を狙って木刀が打ち下ろされた。
額から角が落ちるほどの衝撃で頭を割られた角ウサギは絶命した。
「やったぜ」
コウメイは転がっている角を拾ってアキラに投げてよこした。
「さすが有段者」
「おう、褒めろ褒めろ」
角ウサギの割れた頭から流れる血に顔を歪めながら、アキラがナイフで角の生えていた頭部を切り開いた。
「……魔石、あるな」
ナイフで骨に埋まった魔石を掘り出し、顔をしかめながら血で汚れた魔石を取り出した。
「角ウサギは捨てるところのない魔獣らしいぜ。角も魔石も皮も肉も売れる」
「このままギルドに持って行けばいいのか?」
「あー、解体した方がいいらしいが、できるか?」
「できるわけないだろ」
「だな」
本で得た知識はあくまでも知識。ギルドの掲示板にも「解体持ち込み歓迎」とはあったが、動物をどう解体すればいいのかさっぱりだ。
「とりあえず今日はこのまま持ち込んでみよう。解体料と買取額と、解体手順とか習えるかどうかも聞いた方がいいな」
アキラは血で汚れた指先を貴重な水で洗い流している。解体方法を覚えたとしても、血の汚れを洗い流す水が必要になってきそうだ。アキラが川を探し出せればいいのだが。
角ウサギを木に吊るして置き、二人は薬草採取を再開した。アキラが採取を指示した薬草は七種類もあった。コウメイには葉の色くらいしか見分けられなかったが、同じ色の葉でも形が微妙に違うとアキラは集められた束の中から抜き出して捨てていた。
太陽の位置を確認して少し早めに森を出た。草原に入ると二人の影が随分長くなっていて、慌てて町に向かった。
+
ギルドに獲物を持ち込んでいたコウメイがようやく宿に戻ってきた。夕食を食べずに待っていたアキラだったが、戻ったコウメイは食事はいらないと首を振った。
「角と皮で六十ダル、魔石は一個だと値がつかないから持ち帰った。薬草は合計で二百三十ダルだった。肉は買取必要量に足りないから、引き取るかって聞かれたけど」
「料理するのか?」
「できればいいけど、何もないしな」
道具もなければ調味料もないし、宿屋暮らしでは料理をする場所もない。
「だから肉と引き換えに解体を習ってきた」
コウメイは解体の手順やコツを教わり、ついでに査定部門に持ち込まれる獣や魔物の解体作業を手伝うことで実地訓練もこなしてきていた。動物の腹を割き内臓を処理し皮を剥ぐ作業は食欲を減退させていた。嘔吐を堪えて手順を繰り返しているうちに慣れたが、流石に今夜は飯を食える気がしない。
「それよりも、何で薬草を全部買取に出さなかったんだ?」
コウメイがアキラから預かった薬草の束は、森で採取した量よりも少なかった。全部買い取ってもらえれば三百ダルにはなったのに。
「ちょっと思いついたことがあったから。コウメイ、とりあえず洗い場で汚れ落としてこい」
「あ、臭いか?」
アキラに指摘され袖の臭いを嗅いでみたコウメイ。解体部屋は独特の血と脂の臭いに満ちていた。そこで一時間ほど解体作業をしていたのだ、臭いが染み付いていてもおかしくない。前日に買った石鹸で体と頭を洗い、服も洗濯して部屋に戻った。
着替えを干すロープに自分の洗濯物を引っ掛けてから、アキラの手招きに応じて隣に腰を降ろした。アキラは濃い緑色に染まったガーゼで何かを包んだ物を左手に握っていた。
「両手を出して」
言われるままにアキラの前に手を出した。ひっくり返せと言われて甲を見せる。
「傷はないか。実験したいから、ちょっと切らせてくれ」
「うわ、待て待て」
「一センチ位でいいから」
「何の実験だよ! いや、刃物向けられるのは気持ち的にアレなんだけど」
解体練習で散々刃物で生肉を切りまくってきたのだ、刃物が肉を割く感触もまだ生々しく残っている。
「だいたい何の実験だ?」
「これが効くかどうか、確かめようと思って。俺の手を見てくれ」
そう言ってアキラは手を開き緑のガーゼを持ち上げた。左手の真ん中に赤い一本の線がある。
「怪我してたのか?」
「違う。コウメイが風呂に入っている間に実験していた。ナイフで切って、傷の上にこれを乗せておいたんだが……もう治っている」
手ぬぐいで赤い線を拭くと傷の存在は見分けられなくなった。アキラの手からガーゼを取りあげて臭いをかいだ。ツンとくるような野生の臭いがした。
「ギルドに卸さず残しておいた薬草を混ぜて作ってみたんだ。治療薬の材料のセタン草とユルックの茎とヤーク草を千切って、ガーゼで包んで揉んだのがソレ」
「俺が洗い場に居たのって二、三十分位だよな?」
「そのくらいだと思う。深めにずぶっとやったのに」
薬草の汁で緑色に変色したガーゼは、絞るように摘むと液体がこぼれそうになった。
「凄いな……これも薬草辞典に載ってたのか?」
「いや。角ウサギの魔石をナイフで掘り出すときに、指先を切ったんだ」
そういえばアキラがやけに丁寧に血の汚れを洗い流していたなと思い出した。自分たちの常識では傷口に動物の血液、ましてや寄生虫や病気が心配される未知の獣の血液など危険極まりないことだ。この世界の医療レベルがどの程度なのか分からないが、病気も怪我も避けられるなら避けるべきだろう。
「あの後、薬草を採取して帰ってきただろ。町に入る前に薬草整理していて、傷がないことに気がついた。まさかな、とは思ったんだけど」
だからアキラは一部の薬草を手元に残して宿に戻った。宿で薬草採取の時についた草汁の汚れを落として確かめれば、確かに指先にあった傷はなくなっていたという。
「骨とナイフの先で少しえぐるようにしてしまったから、数時間で消えるような傷じゃなかった」
「そんで薬草の汁を使って実験か」
「ああ。傷の治りの早いのが、この薬草の効果か、それとも俺がエルフだからなのか、分からないだろ」
エルフの特性なのか、それとも人間でも効果があるのか確かめたい。そう言われてしまうとコウメイは拒否できない。空いている手をアキに突き出し、ナイフの先が手の平に傷を作るのを見ていた。チクリと感じる痛みと膨らむように溢れ出た血。
「傷の上にこれを置いとけばいいのか?」
滴の垂れそうな緑色のガーゼを傷口の上に乗せた。握っておけと言われたので軽く指を閉じる。
「ギルドで売ってる液体薬って、結構な値段だったよな?」
「回復薬と治療薬は五百ダル、解毒薬は四百ダルだったかな」
「薬草の絞り汁で効果があるなら、これ売り物にできないか?」
薬草を卸すだけよりずっと稼げそうだとコウメイが言うと、アキラは少し考え込んでから首を振った。
「薬草そのものにそれなりの治療効果があることは、冒険者ならみんな知っている気がする。街の薬屋にはもっと安い薬も沢山売ってるのに、ギルドで五百ダルもする薬が売られているのは、普通に手に入れる物より優れた効果を求められてるからだと思う。今すぐ傷が治らないと死ぬレベルにも効くような」
「ポーションかエリクサーみたいだな」
飲んで体力回復、傷にふりかけて傷が完治とか、ファンタジー要素はこういうところに強く出ている。
「冒険者稼業には必要な装備なんじゃないかな。だから小さな傷の治癒に三十分もかかるようじゃダメなんだと思う」
「今の俺たちにはかなり役に立ちそうだけどな。薬草の分量とかどうなんだ?」
「今日のは全部同量で作った。配合量とかは薬屋が握ってて教えてもらえないと思うから、できたら毎日実験したいんだけど」
薬草の分量を変え効果に差があるのか確かめたいと言うアキラに頷いて了承し、薬草ガーゼを握っていた手を開いた。
「俺より早いみたいだ」
ガーゼを摘み上げたアキラが手ぬぐいで傷を拭って確かめる。
「痕は残ってるけど、ほとんど治ってる」
ナイフで傷を作ってから十分ちょっとくらいだろうか。時間を測る正確な道具がないのでハッキリしないが、二人で喋っていた時間はコウメイが洗い場に戻ってくるまでにかかった時間よりもずっと短い。
「大きな傷だと、どうなんだろう?」
ぽそりとこぼしたアキラの言葉を聞いたコウメイは冷や汗をかいた。
「それは危険すぎるからやめとこうぜ」
アキラの声に本気の色を感じ、コウメイは委ねていた手を取り返した。手の平をちょっと傷つける程度の実験ならいくらでも付き合うが、致命傷になりかねないような傷で試すのはヤバ過ぎる。
「アキって、マッドサイエンティストの気があるんだな」
口の中だけで呟いたつもりの声を、エルフの聴覚がしっかりと聞き取っていた。
「……あ、丁度いいところにナイフがある」
「ぶっ刺そうとすんなよ!」
「実験に付き合ってくれるんだろ?」
「治らなかったらどうすんだよっ」
「死なない程度に加減するから安心しろ」
「ゴメンナサイ、失言でしたっ」
座っていたベッドに正座して深々と土下座するコウメイだった。
人体実験の回でした。