王都 警戒
鉄格子の部屋は人生において二度目だ。
一回目は狭い牢屋に六人が詰め込まれたときで、嫌な思いはしたが不安はなかった。
二度目の今回は独房だ。半地下にある四角い部屋には板張りの狭い寝台があるだけで、室内にトイレはなく、数時間毎に兵士に連れ出される時に生理現象は全て解決しなくてはならなかった。
一日三食、毎回冷めた味のないスープと硬いパンだけなのは、ナイフやフォークといった武器になりそうなカトラリーを避けるためだろうか。自由にトイレに行けないことを思うと、スープは飲む気になれず、硬くて噛み切れないパンを柔らかくするためだけに使った。
「これで十二回目ね」
コズエはスプーンで壁に縦棒を書き加えた。食事のたびに棒を書き加えていき、今回の食事で正の字が二つとTが一つになった。
スープの残った器を鉄格子のそばへ置き、ベッドに上がって膝を抱えた。
「みんな、大丈夫かなぁ」
東門で兵士達に囲まれたとき、コウメイが「抵抗しない」と決めたことに従ったのは間違いではないと思っている。あのとき兵士を返り討ちにしていたら、犯罪者として追われることになっていた。もっとも今の状況も犯罪者と同等の扱いを受けているのだが、取調べが続いている限りは容疑者だ。疑いが晴れれば解放されるという望みはあった。
「そもそも何で捕まえられたのか、教えてもらえないのはムカつくのよね」
毎日のように取調べが行われていたが、役人がコズエたちから何を聞き出そうとしているのかがわからなかった。いつから王都にいるのか、森で何をしていたのか、あの日あの森に入った動機は何か、どうしてあの少女を縛り付けたのか、あの少女が誰か知っているのか、危害を加えてはいないか、金に困っていないか、等々。
「毎回同じ事を聞かれるのにも飽きちゃった」
独房生活も四日目、次の食事が運ばれてくれば五日目に入る。取調べで呼ばれるたびに、質問する役人は変わったが質問内容は同じことの繰り返しだ。取調べの後に「何か希望はあるか」と聞かれるたびに「仲間に会わせて」と頼んだのだが一度も叶えられてはいない。
「いつになったら出られるんだろうなぁ」
仲間が恋しかった。みんなで囲んだ食卓が恋しい、コズエの代わりに殴られたヒロが心配だった。
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膝を抱えたまま寝てしまっていたコズエは、ガシャンと鉄格子を開ける音で目が覚めた。びくりと跳ね起きると、兵士が「出ろ」と短く命じる。また取調べだろうかと溜息をついたコズエは、ゆっくりと兵士の後をついていった。
通いなれた取調室ではなく会議室のような部屋に通されたコズエは、座って待つようにと命じられた。兵士はコズエを置いて出て行ってしまったが、すぐに荷物を持って戻ってきた。
「預かっていた荷物だ。間違いないか確認しろ」
奪い取られた、の間違いではないかと思ったが余計なことは言わない。コズエは背負子に括りつけられた荷物を順番に調べていった。
「なくなっている物はないけど、捨てたいものはあるわね」
コズエが預かっていた魔猪肉が腐臭を発していた。角ウサギや魔猪の皮も最低限の処理しかしていなかったため、少しばかり不味い状態だ。これをギルドに持ち込んでも買取ってもらえるかどうか分からない。大切な大蜘蛛の糸袋も状態は良くない。野営中に暇を見つけて糸化しておけばよかったと後悔した。
「荷物を返してもらえたということは、出て行っていいの?」
「しばらく待て、他の者たちもやってくる」
その言葉通りに、サツキが兵士に連れられてきた。四日ぶりの再会だ。
「良かった、無事だったのね」
「何とかだね。サツキも大丈夫だった?」
痩せたみたいだよと言うと、コズエちゃんもやつれてるわよ、と返された。お互い満足な食事が出来ていなかったようだ。抱き合って再会を喜ぶ間にも、シュウが合流し、続いてヒロが荷物と共に部屋に入ってきた。
「ヒロくん!」
「どうしたんですか、その顔の傷は!?」
「腫れてるぜ、ひでーな」
ヒロの左顎はわずかに腫れており、皮膚の色は青黒く変色していた。
「初日に取調官に殴られた」
「酷いっ」
口の中にも傷があるらしく、喋ると未だに痛むのだという。
「なんでヒロが殴られて俺は何もされてねーんだ?」
ヒロの傷が見えていない所にもあると察したシュウが、兵士に探るような視線を向けた。もしもあの少女から供述が取れていたなら、パニック状態の身体を押し付け更なる恐怖を与えたのは獣人だという証言がされているはずだ。兵士に捕らえられたときに少女をかついでいたのもシュウだ。兵士らの怒りがヒロに向くのはおかしい。
コウメイとアキラが現れる前に、先に全員の荷物が運ばれてきた。生ものはどれもこれも悲惨な状態だった。コウメイとアキラの荷物を確かめているところに、二人が揃って入室した。
「お兄ちゃんっ」
悲鳴を上げたサツキがアキラにしがみついた。
「コウメイさんも、かなり腫れてますよ」
「痛みは?」
「たいしたことねぇよ」
コウメイは左の頬から目じりの辺りまでが腫れあがっていたし、アキラは唇の端が大きく切れ血が滲んでいた。なにより歩き方のバランスがわずかに狂っている。ヒロと同じく服で見えない部分にもっと酷い負傷が隠れているのだろうと、シュウは腹の底から湧いてくる怒りを堪えた。
「全員揃ったところで、いいかね」
見るからに下っ端ではない豪奢な制服姿の兵士が、下っ端を引き連れて現れた。
「君たちにかけられていた嫌疑は晴れた、これをもって解放する」
「何の嫌疑をかけられていたのか、教えてもらえないのか?」
「これは長く留め置いた対価だ、受け取れ」
コウメイの問いに答えることなく、下っ端に顎で指図して小さな巾着袋を渡してきた。
「俺たちの武器が返されていない」
「それは冒険者ギルドに送ってある」
ここで武器を返して反撃されるのを恐れているということは、コウメイたちに対し後ろめたい事をしたと認めたようなものだ。役人たちは「さあ出て行け」とばかりに六人を追い立てる。
これ以上ここで何かを言う気にもなれなかった。下手に口を開けば罵詈雑言しか出てこない。ぐっと堪えて六人は無言で憲兵舎を出た。
+++
「コウメイたちは真っ直ぐ貸家に戻ってろ。俺が武器を受け取ってくる」
そう言ってギルドに向かおうとするシュウを引きとめたコウメイは、コズエたちには聞こえない小声で治療薬の購入を頼んだ。パーティーが保有する治療薬は貸家にある予備も含めて五本、それでは全ての傷を治せないと。
「十本で足りるか?」
「……念のため十五本頼む」
どれだけの負傷箇所があるのかとシュウは声をあげそうになった。仲間がこれだけ痛めつけられているのに、何故自分だけが無傷なのかと奥歯に力がこもった。
「急いで頼むぜ」
シュウと分かれた五人は貸家に戻り、まずはありったけの治療薬で目に見える部分の傷を癒し、一週間ぶりの風呂でたまりにたまった全身の汚れと怒りを洗い流した。女の子二人が風呂に入っている間にシュウが戻ってきたので、服に隠されたいくつもの傷を治療薬で消した。
「シュウも風呂入っていけよ。俺らのはタライがでかいから風呂っぽくて気持ちいいぜ」
どうせ夕食を食べに戻ってくるのだ、一度宿に帰ってからまたやってくるのは面倒だとシュウはありがたく風呂を借りることになった。
「もったいないけど、仕方ないよね」
裏庭に穴を掘ったコズエは、そこで廃棄せざるをえなくなった肉や素材を燃やしながら嘆いた。オーク肉に魔猪肉と毛皮数枚、大蜘蛛の糸袋、乾燥して使えなくなった薬草の数々、ざっと計算しても五千ダル近い損失だった。
「簡単なものになって悪いが、我慢してくれ」
コウメイがそう言いながら食卓に出したのは、乾し肉と乾燥野菜をもどしたスープに、蒸した芋と小麦粉を混ぜて作った団子を入れたやさしい味付けの一品だった。食材の買出しをせずに保存食だけで作ったにしては極上の夕食だった。
「美味しい……」
「牢屋の食事、酷かったもんね」
「パンは硬くてスープは不味かった」
「しかも毎食同じだった、あれはキツイって」
乾し肉も乾燥野菜も細かく刻まれていて胃への負担を極力なくし、もっちりとした芋団子は柔らかい食感が顎に優しい。ひと口食べるごとに感嘆の声がでるのを止められない。
「デザートもあんまり手の込んだものが出来なかったんですけど」
「おお、寒天」
「蜂蜜ソース美味しい」
「くうぅ、幸せってこういうのを言うんだよね、ね?」
サツキのデザートを堪能し終わり、全員が満足したところでミーティングが始まった。
「まずは洞窟掃除の依頼だ。今夜中に報告書を書き上げるので、明日提出してしまおう。討伐報酬はゴブリンが二十三体に大蜘蛛が六匹、魔石の分も含めるとだいたい九千ダルくらいか……赤字だな」
「素材が全部駄目になったのが悔しいです。糸袋は貴重だったのに」
「肉を処分するしかなかったのは悔しいぜ」
温度と湿度を管理して寝かせれば肉は熟成して美味くなるが、スライム布に包んで放置した肉はただの腐敗肉でしかない。貴重な食料を自らの手で処分せざるを得なかったコウメイは理不尽な投獄への怒りが再燃していた。
「明日と明後日は休養日にしたいがいいか?」
「賛成です。ちょっと疲労がとんでもないことになってますし」
「疲れたよね、ほんと……」
じめじめとした異臭のする部屋で、板を置いただけのベッドではまともな睡眠もとれず、食事は粗末を通り越し残飯と言っていいほどの酷さ。四日間の牢獄生活よりも魔物討伐と野営の方が健康的な生活だった。
「そういえばコウメイさん、あの偉そうな兵士さんがくれたのって、やっぱり口止め料ですか?」
「ジャラジャラ音してましたけど、いくら入ってました?」
「知らねぇ、捨ててきたから」
「捨てたんですか?」
「憲兵庁舎のロビーに飾ってあった植木鉢の根元にぽいって」
そういいながら投げ捨てるジェスチャーをしたコウメイは不敵に笑っていた。
「あんなはした金で何を口止めしたかったのかわからねぇが、ムカついたからな。幸い金には困ってねぇし、あれを受け取ったことで変に縛られるのもゴメンだろ」
賄賂にしても口止め料にしても、一度受け取ってしまえば言い逃れは出来なくなるし、逃れられなくなってしまう。
「……コウメイさんは、何か面倒ごとに巻き込まれるって思ってるんですか?」
「既に巻き込まれてるだろ」
森で新人冒険者を助ける、冒険者生活をしてる者なら一度や二度は経験しているよくある事だ。だが助けた相手が最悪だった。
「私たちが捕まったのって、やっぱりあの女の子が原因ですよね」
「彼女が証言してくれたらもっと早く解放されかもって思うと……」
森では少女に対し同情し気を配っていたコズエとサツキからも、少女に対する恨み言が零れた。
「何の嫌疑だったのか教えられなかったが、推測はできるぜ」
「金銭目的の誘拐あるいは拉致、何らかの要求目的の誘拐、あたりだろうな」
アキラの声は冷たく鋭かった。
「金に困っていないかってしつこく聞かれましたね」
「たぶんギルドの口座も調べられたんじゃねぇかな」
権力に開示を命令されて突っぱねられるだけの力がギルドにあるとは思えなかった。
「誘拐ってことは、あの子はお金になる身分ってことですか?」
「それ以外に考えられねぇな」
「大金持ちのお家の娘さんだったのかな」
「どっちかというと、貴族なんじゃねぇかと思うぜ」
「貴族は冒険者登録できないって規則がありますよ」
「そりゃ建前に決まってるだろ。貴族街と平民街が隣接してる王都だぜ、金を積むか、それこそ権力使って冒険者登録してる貴族くらいいても不思議はねぇよ?」
面倒くさいから絶対に近寄りたくないけどな、と言ったコウメイの言葉に全員が深々と頷いた。運悪くお貴族様の冒険者ごっこに係わってしまっただけでこれだけの目に遭ったのだ、二度目は絶対にお断りだ。
「あの子、また森に出かけるんでしょうか」
「流石に懲りてると思いたいが」
今度は護衛を引き連れて森を荒らしそうで笑えないと、アキラは眉間を揉みながら新たな狩場をどこにするか考えた。
「しばらく東門と森は避けたほうが良さそうだな。北東門を使って山岳付近の魔鹿を狙ってみるか? 討伐報酬はないが肉は美味いし、皮と角は高値になる」
「西門から草原で暴牛はどうですか?」
「あー、貴族を避けるんなら西門はやめた方がいいぜ。あっち側の北に騎士団の訓練地があるんだ」
訓練地は憲兵士も使用しているので、運が悪ければ自分たちを取調べした兵士らと鉢合わせる可能性があるとのシュウの指摘に、北東門での魔鹿狩りに決まった。
「鹿肉か、何を作ろうかね。ローストして、煮込みとカツもいいかな」
「ソーセージどうですか?」
ジビエ料理にハマっていた母親が取り寄せ通販した鹿肉ソーセージの味が忘れられないとコズエがリクエストすると、われもわれもと食べたい料理名が出された。
「トマト煮込みがいいです」
「ハンバーグ、ハンバーグで!」
「エール煮だ」
牛肉のビール煮やコーラ煮は聞いた事あるが、この世界だとエール煮になるのか。試しに作ってみるのも面白そうだとコウメイはレシピを考え始めたのだった。
+++
洞窟掃除のレポートを一晩で書き上げるつもりだったアキラだが、兵士達から受けた暴力の痕が治療薬で完治しきってないとコウメイに見抜かれ、用紙を取り上げられ執筆を断念した。
休養日初日は全員が身体を休めた。二日目にはそれぞれが思いのままの休日を過ごした。次の狩りの準備をしたり、市場で買い物をしたり、読書に没頭したり、久しぶりに手の込んだ料理に挑戦したりと、心身を癒すことだけを考えて過ごした。
休養日開けには朝一番でレポートの提出と討伐部位の精算を行った。
「色々と大変でしたね、お疲れさまでした」
顔見知りのギルド職員らはコウメイ達を見るたびに、ホッとしたように労わりの言葉をかけた。誘拐犯扱いで捕らえられていたことは知れ渡っているようだった。査定と精算の職員はコウメイたちに同情的だったが、あまり接したことのない職員や冒険者達からは好意的とはいえない視線が向けられていた。
「討伐部位の報酬はパーティー口座へ入金でよろしいですね? 報告書については依頼主が内容を確認した後に報酬が支払われます。だいたい一週間くらいかかりますのでご了承ください」
がら空きの精算窓口で換金処理を終えたコズエたちに、ひょろりとした体型のギルド職員が声をかけた。
「お久しぶりですね」
「確か……管理部の、ラッセルさん」
「こんにちは。受付フロアに居るのは珍しいですよね」
一瞬誰だっけとなったのも仕方ない。彼とは現在住んでいる家を借りるとき以来だった。
「皆さん、今日はどちらへ狩りに出かける予定ですか?」
「どちら、とは?」
満面の笑顔を作ったコウメイが質問に質問で返した。
「皆さんは双尾狐やゴブリンを得意とされているので、今日もゴブリンを?」
「いいえ、しばらく留守にしていたせいで食料庫に肉がないんですよ。だから今日は自分たちが食べる肉を狩る予定です」
「そうですか。オークはとても面倒な相手ですからね、お気をつけて」
ラッセルに見送られギルドを出た六人は、笑顔を強張らせていた。
「すっごく不自然だったんですけど、なんなんでしょうか?」
「そりゃ言葉通りの意味だろ」
オークの森には面倒事が待っているので気をつけろ。
コウメイは笑っていたが、物騒な発言に困りきったコズエは助けを求めてアキラを見た。
「今日のところは予定通りに肉を狩りに行こう」
「そんなに不安そうにしなくても大丈夫だって。幹部職員が敵じゃねぇって分かっただけでこっちに分はある」
「北東門を出たら走るぞ」
「そうだな、牢屋生活で落ちた筋肉を戻さないと、イザって時に動けなかったら困ることになりそうだ」
「それはつまりイザって時が近いってことですね」
戦略はコウメイとアキラに任せた、自分は指示通りに動ける身体を早急に取り戻すことが最優先課題だとヒロは拳を握り締めた。
「物騒だなー」
「他人事じゃねぇぞ。シュウも巻き込まれてんだ、覚悟しとけよ」
「なんかコウメイと合流してから波乱万丈すぎてついてけねーんだけど?」
シュウは指折り数えながらあげていった。
「アレ・テタルで事件に巻き込まれて、関所で賄賂要求役人に不当勾留されて、人助けしたのに捕まって四日もの牢屋生活」
「不可抗力ばかりですよね」
「だから逆にすげーと思うぜ。トラブル引き寄せる何かがあるのかもなー」
誰がとは言わないが、と含みを持たせたシュウの指摘に、全員が口をつぐんで視線を逸らせた。シュウと合流以前にも色々と面倒ごとに巻き込まれてきている六人には直視しがたい事実だった。
「それでどーすんだよ、今回の面倒事」
「警戒だけは怠らないようにして、しばらくは様子見だな。とりあえず今日は最低でも三頭はしとめて換金しねぇと家賃がヤバイ」
「できれば六頭欲しいです。背負子の分は回収できましたけど、治療薬分が丸々赤字だったし」
「厳しいな。モミジは逃げ足が速い」
「そこは俊足のシュウの足に期待するしかねぇだろ。頼むぜ」
「モミジってなんだ?」
鹿肉のことだよ、とコウメイが口元を隠しながら小声で言った。街中にいる間は警戒を緩めるつもりはない。
「ちなみにサクラはディー○インパクトで、ボタンはジ○リのタタリ神な」
「なるほど、そーいやボタン鍋っていうよなー」
「いい肉が手に入ったらモミジ鍋やりませんか?」
「鍋にはちょっと暑くないか?」
分かりやすく逸らされた話の流れに乗りながら六人は北東門から街を出た。門から離れるとアキラの号令で一斉に走り出す。目指すは魔鹿の生息地、魔物が少なく冒険者が足を向けない山地の麓だ。
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魔鹿は急斜面や岩をものともせず登るが、常に足場の不安定な場所にいるわけではない。好物のタメリス草を求めて森に近い草地に下りてくる。コウメイたちはそこを狙って一気に攻撃をしかけた。
アキラとサツキの射た矢で即死が二頭、尻を打たれ動きの鈍った一頭はコズエの槍が、逃げ出す数頭をヒロとシュウで罠へと誘導し、引っかかった二頭をコウメイがしとめた。
「ロープ張っただけなのに、案外簡単に引っかかるもんだな」
「そりゃシュウの追い込みが上手かったからだと思うぜ。あれくらいの障害は鹿も焦ってなきゃ軽々飛び越えてたと思うしな」
五頭の魔鹿を解体する間に、アキラは鹿達が食べていたタメリス草の蕾を採取した。魔力回復薬の原料の中でも、最も効果の高い薬草の一種だ。採取できる季節が限られているため、乾燥させた蕾でも高値で取引されている。フレッシュな蕾ならその倍値で卸すことができるだろう。
「これで洞窟の赤字分は補填できるはずだ」
「タメリス草の蕾って、いくらぐらいになるんですか?」
「そうだな、コズエちゃんの手に乗ってるくらいの量で、五百ダルかな」
「たったこれだけの量でですか? 薬草にしたら破格じゃないですか」
薬草採取生活の長かったコズエは、両手で抱えるほどの薬草を納品してもせいぜい三百ダルくらいにしかならないことを知っている。
「いっぱい摘み取りましょう、この紫色の蕾ですね?」
「開いているものは価値が下がる、色のついているもので固い蕾がいい」
コズエは予備のスライム布巾着を取り出し、サツキと共にタメリス草の群生に向かっていった。アキラは濃い紫色の蕾を口に入れた。それを見ていたシュウが素朴な疑問を向けた。
「それ美味いのか?」
「苦いな」
美味いのならひとつ貰おうと伸ばしかけていたシュウの手が止まった。不味いのなら何で食うのかという疑問にアキラは涼しげに答えた。
「不味いが、効く」
「……何が?」
苦いと言ったわりにそんな素振りも見せないアキラは、実は味覚がおかしいんじゃないだろうか。あとでコウメイに聞いてみようと思うシュウだった。
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北東門の門限は八の鐘だ。
鐘よりも少し前に街に戻ってきたコウメイたちは、五頭分の魔鹿皮と角、四頭分の肉と相場を乱さない程度の薬草をギルドに納品した。全部で六千六百ダルと赤字の補填も八割ほどできたと会計を担当するコズエは胸をなでおろしていた。
「帰ってきて早々なんですが、実はN629への指名依頼がきているんです」
精算待ちのわずかな時間、奥から出てきた職員がそう言ってコズエに一枚の板紙を差し出した。自分たちを指名するのは港町の漁師くらいしか思いつかない。受け取って内容を確認しようとしたコズエの手を、コウメイが横から引いて止めた。
「コウメイさん?」
何事かと振り返ったコズエは、警戒の色の濃いコウメイの目を見て口を閉じた。
「悪いが、俺たちは憲兵から受けた傷がまだ癒えてねぇんだ。しばらくは自分たちのペースで勘を取り戻す必要がある、依頼は断わってくれ」
「せっかくの指名依頼ですよ、報酬もかなり色がついていますが」
冒険者へ支払われる報酬が高いということは、ギルドの得る手数料もまた大きくなる。職員の視線は「もったいない」とコウメイを責めていた。
「折れた肋骨がまだ痛いんだ、期待された仕事はできねぇって断わっといてくれ」
差し出された板紙を一瞥もせずに押し返したコウメイは、今思い出したかのように精算カウンターの職員に言った。
「今日の報酬、全額現金で出してくれるか」
いつもパーティー口座に入金しているのに珍しいと思いながらも、精算担当者は現金を用意した。
「銀貨六枚、小銀貨六枚、銅貨三枚と銅片五つで六千六百三十五ダル、お確かめください」
いつも誤字報告ありがとうございます。




