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新しい人生のはじめ方~無特典で異世界転移させられました~  作者: HAL
第4部 それぞれの選択

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港町 エンダン4


「固まってるな」

「はい、固まってます」


 赤い煮汁の鍋に玉杓子を突っ込んだコウメイは、ぷるぷるとした煮汁をすくいあげて皿に移した。指でつついて硬さを確かめ、崩れた欠片を摘んで口の中に放り込む。


「ん、寒天だ」

「本当ですか?」

「サツキちゃんも食べてみろよ、これ寒天の食感にそっくりだぜ」


 コウメイにすすめられ半透明のひとかけらを食べてみた。噛むと口の中でほろりと崩れる食感はゼラチンではなくまさに寒天だ。


「どうしよう、プリンじゃなくて牛乳寒を作りたくなりました」


 コズエからリクエストと共に差し入れられた卵と牛乳がある。プリンを作って残った牛乳で少量でもいいから試してみたい。


「寒天の方は慌てなくてもいいんじゃねぇか。赤い海草も干して持って帰れば、貸家でじっくり試作できるだろうし」

「そうですね。固まるのに丁度いい分量とか、温度とか、色々試したいです」


 キラキラと目を輝かせるサツキは、台所に持ち込んだ赤い海草を丁寧に洗い乾燥させるために砂浜へと向かった。おばけ海草を選別した時に廃棄を決めた山の中に残っていないか探すつもりもあるようだ。


「とりあえず即効性の毒はなさそうだな」


 他の煮汁もひと口ずつ味見してみたが、身体に痺れや痛みは感じない。味は良いが香りに生臭さが残っている。やはり乾燥させてからでないと風味の良い出汁は取れないのかと、期待していたぶんガッカリ感が大きかった。


「ワカメの方は酢醤油で食うと美味そうなんだよな」


 鮮やかな緑色の海草は彩にも使えそうだし、手に入れた魚醤を使ってなんとか夕食までに食える一品に仕上げようと思った。


   +++


 早朝から肉体労働で疲れていたコズエたちは、昼食後に眠気と満腹感に負けて昼寝をした。疲労が回復し目が覚めたが、特にすることのないコズエとヒロとシュウは浜辺の散策に出かけた。


「海がキラキラしてて眩しいです」

「気持ち良さそうだよなー」

「日中は結構暑いかも」

「このあたりの砂浜って、海水浴場みたいじゃない?」

「こっちの世界の人たちって海水浴とかしないんですかね?」

「あんまり泳いでるところは見たことねーな。王都の川は泳げるようなところじゃねーし」


 シュウ自身はたまに城壁の外の川で泳いだことはあったが、この世界の川も海も湖も、危険な魔物がいて純粋に泳ぎを楽しむのは難しい。


「このあたりのサハギンは退治しちゃったから、少しなら泳げそうな気がするけど」

「コズエ、こっそり一人で泳ぎにきたりするなよ」

「こっそりはしないよ。堂々と泳ぎにくるから」


 ヒロの釘をするっと抜いたコズエはなだらかな浜辺を見た。


「漂流物が多いなぁ」

「ビーチって感じじゃねーよな」

「あれっておばけ海草が打ち上げられてるんじゃないか?」


 昨日と今朝に刈りとられそのまま海に捨てられた海草が、海流に流されて浜辺にたどり着いていた。


「かなりの量があるのね。コウメイさん欲しがるかな?」

「いま干してる昆布だけで十分だと思うけどな」


 念のため知らせておこうと三人は出張所に戻った。


   +


「丁度良かったよ。海岸の掃除の依頼が入ってんだ」


 机に座って暇そうにしていたドリスが、帰ってきたコズエたちを見て板紙を手ににっこりと微笑んだ。


「浜に打ち上げられたおばけ海草を集めて、街外れの集積場に捨てに行ってくれ。いま浜に上がってるのは昨日の分で、今朝の分は明日には打ちあがるだろうからさ」


 普段は漁師たちが漁を終えた空き時間に拾い集めているのだが、今日の漁師どもは使い物にならないとドリスが断言した。


「輝魚亭が営業再開したし、麗しの夢亭は昼間から酌婦がサービスしててお祭り騒ぎなんだよ」

「今朝でっかい仕事終わらせたばかりなんだぜ、明日じゃ駄目なのかよ」

「あんた達が明日も町に滞在するなら明日まとめてでいいんだけどね」


 具体的な滞在期間は決めていなかったが、当初の目的である魚は食べたし、今夜の夕食で刺身を味わえたら港町にもう用は無い。


「今日の分だけでも引き受けてもらえると助かるんだよ」


 夕食までは散歩くらいしかすることもないし、引きうけてもいいだろうと返事をしようとした所に、台所で話を聞いていたサツキが割り込んだ。


「そのお仕事、やりますっ!」

「サツキ?」

「欲しい海草は貰ってもいいんですよね?」

「ああ、どうせ集積場で乾かしてから焚きつけに使うんだし、欲しけりゃ好きなだけどうぞ」


 キラリとサツキの瞳が鋭く光ったように見えた。


「行きましょう、コズエちゃん」


 スライム布で作った大きめの巾着袋を手にしたサツキは、コズエの腕をがっしりと掴んでいた。


「ヒロさんも、シュウさんも、手伝ってくださいね!」


 有無を言わさぬ勢いで出張所から引きずり出され、コズエたちは海草の打ちあがった浜辺に戻った。黒と褐色に占められた浜辺を見たサツキが満面の笑みで三人を振り返った。


「この中から赤くて枯れ枝みたいな海草を探してください」

「昆布とかワカメみたいなのじゃなくていいのか?」

「私が欲しいのは赤い枯れ枝の方です。コウメイさんと実験してて分かったんですが、赤い海草を煮ると寒天が作れそうなんですよ」


 寒天、と聞いてコズエがサツキを振り返った。


「それって、あんみつが作れるかもってこと?」

「餡子が作れればできるわよ。牛乳寒天も、フルーツ寒天も、甘芋を使って芋ようかんも作れます!」


 聞いているだけで唾液がこぼれ落ちそうになっているシュウが、自分の好物はどうなのかと尋ねた。


「な、なあ。寒天って心太もつくれるんだよな?」

「もちろんです。作る手間は心太が一番簡単です」

「よし、赤くて枯れ枝みてーな海草だな?」


 プリンも楽しみだが心太の誘惑には抗えない。シュウはおばけ海草に向けて駆け出していった。


   +


 海岸に打ちあげられているおばけ海草のほとんどはコウメイが「昆布」と呼んでいるブブスル海草といい、サツキがかき集めている赤い枯れ枝のような海草はチェリ海草という。ともに海の雑草だとアキラの植物図鑑に書いてあった。


「ブブスル草の間に挟まってるかもしれないから、一枚一枚めくって確認してくださいね」


 ただおばけ海草を集めるよりも数倍の労力のかかる作業だが、だれからも不満は出なかった。


「やっぱり夏は心太だよな。何杯でも食えるぜ」

「心太は確かに美味いけど、流石に何杯もは無理ですよ」

「黒蜜の濃厚でしつこいところが、心太のツルっとしたので食べやすくなるだろ、アレが好きなんだよな」


 心太を酢醤油で食べるヒロにはおかわりは論外だったが、黒蜜で食べるのならデザート感覚で何杯もいけるというのは納得だ。コズエがシュウと同じようにおやつ感覚で黒蜜心太を食べていたからだ。


「シュウさんは黒蜜派なんですね。私は出汁と薬味です」

「出汁?」

「鰹出汁に醤油で味をつけた汁におろし生姜とゴマをのせて食べるんです」

「サツキのところはお父さんのお母さんも関東なのに、酢醤油じゃないんだ?」


 食の基本が関東ベースのサツキが謎の出汁派、しかもおろし生姜と聞いて驚いた。


「小さな時は酢醤油で食べてたのよ。でもお父さんが単身赴任先で食べた心太が良いってワガママを言って、アンテナショップで購入して食べたら美味しくて。それ以来うちは家族全員出汁派なんです」


 黒蜜も嫌いではないが、冷たい出汁でつるりと流し込む心太の美味しさは格別だとサツキが熱心に語る。


「コウメイさんはやっぱり酢醤油でしょうか?」

「黒蜜って感じゃねーよな」

「意外と出汁だったりして」

「あれだけ食の知識があるなら、全部食べたことありそうな気がします」


 心太談義に花を咲かせながら、四人はチェリ海草を集め、その他のおばけ海草を集積場へと運び込んだ。狭くはない砂浜から海草が消え去ったのは、太陽が沈み始める八の鐘の鳴る頃だった。


   +++


「俺は酢醤油だな」


 テーブルに料理を並べながらコウメイはそう言った。


「出汁も黒蜜も食べたことあるけど、黒蜜はサイコロ寒天に白玉添えてる方がいいし、出汁は素麺食ってるみたいで落ち着かなかったわ」


 コウメイが並べたのは茹でて刻んだワカメを添えたサハギンの刺身盛り合わせ。ブブスル海草の出汁で作ったスープには魚のすり身団子が浮かんでいた。そして椀に盛られた褐色の粒。野菜がないのは我慢してもらおう。


「これ、麦ご飯ですか?」

「そう。買ってきて貰ったハギの粒を米みたく炊いてみた。ちょっと硬くてパサついてるし、味も白米とは比べ物にならねぇけど、ご飯食ってる雰囲気にはなれるだろ?」


 粒が硬くかなり噛まなくてはならないが、パンで刺身を食べるよりはずっといいとコズエたちは目を潤ませていた。


「治療薬は持ってるな?」

「もちろんです」

「それじゃ、食中毒覚悟の自己責任だ」

「おうっ」


 持参した箸を前に、手を合わせる。


「「「「「「いただきますっ!」」」」」」


 食前の掛け声にしては物騒な単語が並ぶも、全員揃っての食事が始まった。


「わぁ、本当にマグロの味がします」

「サーモンですよ、サーモン!」

「山葵が欲しいな」

「鯛刺しなんて贅沢な」

「んー、やっぱり魚醤は刺身醤油にはならねぇな」


 これまででは考えられなかった日本食に近づいた夕食だというのに、コウメイは満足しきれないようだ。


「食後のデザートはプリンです」


 本当はおやつに出そうと思っていたのだが、サツキがチェリ海草の回収に夢中になってしまい作りそこねていたものだ。コウメイが夕食の支度をしている横で、慌てて作ったプリンだが、シュウにはとても喜ばれた。


「こっちの菓子って、プリンとかゼリーみたいなのがねーよな」

「冷蔵庫的な魔道具は一般家庭に普及してませんし、砂糖や蜂蜜は贅沢品ですから仕方ないですよ。食材店でもゼラチンらしいものは見たことないのでレシピも無いと思います」


 だがチェリ草と言うテングサに酷似した海藻が見つかったのだ、寒天を使った生菓子もそのうち普及してゆくだろう。そうサツキが言うとシュウは信じられないとでも言うような驚きを見せた。


「え、寒天のことオープンにするのか、もったいなくねーか?」

「もったいない、ですか?」

「これを元手に大儲けとか、そーいうの狙うのもアリだと思うけど」


 シュウは寒天がこの世界での経済基盤を固めるために使えるネタだと思っている。ギルドで登録して販売や製造の権利を確保した方がいいとサツキに助言した。


「ラノベでそういうのありましたよね。転生した先の異世界で、食の革命を起こしてくストーリーとか」

「それもコズエの読んだことのある小説か?」

「うん、現地の協力者と一緒に香辛料を流通させたりとか、レシピをどんどん広げて行くのとか。他にも日本で当たり前にある道具を再現して大儲けとか。世界を救う系じゃなくて、異世界で人生やり直し系にそういうの多かったかな」

「やろうと思えば出来そうだよな」


 コウメイが考え込んだのを横目に、アキラは困りきった様子の妹に静かに問いかけていた。


「サツキはどうしたいんだ?」

「どうって」

「寒天の材料と製法を無料で公表したいのか、シュウのアドバイスのように権利を登録して稼ぎたいのか」

「私は……」


 わずかに迷いを見せたサツキは、兄の励ますような眼差しを受けて自分の思いを口にした。


「私は美味しいお菓子を作ってみんなに食べてもらいたいだけなんです。こちらの世界に協力を頼めるほどの伝手もありませんし、チェリ草で儲けるといっても何をどうすればいいのかわからないし……あんまり変な事をしたら目立ってしまいますよね?」


 転移した後の生活は目立たず堅実に、をモットーにしてきた。自分たちでは地味に暮らしているつもりなのに、トラブルに巻き込まれたり危険な目にあったりしてきている。サツキは寒天によって自分たちの名前が広がることで、余計なトラブルを招き寄せるのではないかという不安を口にした。


「寒天がこの世界に知られていないのなら、間違いなく注目されるだろうな」


 コウメイがそう断言し、コズエとヒロも顔を見合わせてから頷いた。


「私はあまり目立ちたくないから、しばらくは私たちの間でだけ寒天を楽しんで、転機がきたらどうするか決めたいと思います。わがまま言ってごめんなさい」


 先送りになるがそれでは駄目だろうかと、サツキは不安そうに仲間を見た。


「サツキがそう思ってるならそれでいいと思うよ」

「自分でいろいろやって大儲けするのはサツキちゃんには向かないだろうな。金に困ったときに素材と製法を儲けたい商人に売りつけるのなら簡単だし、そういう時のための隠しカードだと思って持っておけばいいんじゃねぇか?」


 コズエとコウメイは真っ先にサツキの意思を優先すると言い、ヒロも同意してゆっくりと頷いた。


「サツキちゃんはわがままなんか言ってないだろ」


 追い詰めるつもりはなかったのだと、シュウは申し訳なさそうにサツキに向けて頭を下げた。


「黒蜜たっぷりの心太を食べたいって俺のわがままなんだからさー」

「王都に戻ったら黒蜜も作ってみんなに心太をご馳走しますね」


 黒蜜派のコズエは「やった」と笑顔をはじけさせた。兄のためには出汁を、コウメイとヒロのためには酢醤油をなんとかして作らなくてはならない。魚醤で醤油の代用にできるのか、あとで教えてもらわねばとサツキは頭の片隅にメモするのだった。


   +


 食事を終え交代で洗い場を使って汚れを落とせば、後は寝るだけだ。

 それぞれの部屋に戻り、後は毛布にもぐりこむだけだという頃にドアがノックされた。


「まだ起きてますか?」


 コズエの声だった。コウメイは灯りを増やして部屋を明るくし、ヒロが扉を開けに行く。


「どうしたんだ? 何かあった?」

「明日の事で忘れてたことがあって」

「浜で海草を集めるんだったよな?」


 食後のミーティングで大雑把ではあるが明日の予定を確認したはずだ。ドリスから請けた依頼を終わらせるついでにチェリ海草を拾い集めること、それ以外に何かあっただろうか。


「せっかく海にきたのに、私たち全然遊んでないでしょ。お魚食べて、海で遊ぶつもりだったからこれ作ってきてたの。どうせ海草を運んだり引き上げたりするのに海に入るんだから、みんなに着てもらえたらなって」


 はい、とコズエに手渡された衣類の布地に見覚えがあった。サツキと一緒に買い物をした時にヒロ自身が選んだ布だ。


「水着とパーカー作ってきたの。明日はこれ着て仕事しましょう。それで早めに終わらせて海水浴です!」


 ドアの前での会話は室内のコウメイらにも届いていた。


「いいねぇ、海水浴」

「せっかく海にきたのに遊べてねーしな」

「慌てて作ったからみんな色違いのお揃いになっちゃったんですけど」

「コズエちゃんが作ってくれた服に文句は言わないよ」

「女の子たちはどっちもすげーな」


 港町に行くと決めて数日で服を作りあげるなんてシュウでは考えられないことだ。サツキといいコズエといい、彼女たちはチートなんじゃないかと呆れ顔のシュウだ。


「ふふ、もっと褒めてくださいっ。えーと深緑の海水パンツがヒロくんので、濃紺のがコウメイさん、濃い紫色がアキラさんで、小豆色がシュウさんのです」

「え、俺のもあんの?」

「もちろんですよ」

「うわー、すげー嬉しい」


 寝転がっていたシュウは飛び起きてヒロの横に立った。小豆色の海水パンツを選び出して広げ身体にあてがってみる。よくよく見てみれば尻の部分には尻尾を出せるようにスリットがつけてある。


「ありがとうな」

「みんなで楽しむためですし、私洋服とか作るの凄く好きなんです」


 ハーフパンツの水着は直線縫いだけで難しいつくりではないし、フードつきのパーカーは以前アキラのために作った時の型紙をそのまま流用しているから手間もかかっていない。


「それじゃ、また明日。おやすみなさい」

「おやすみ!」


 コズエが去ってからもアキラをのぞく三人はハーフパンツとパーカーを手に、明日の海水浴への期待を口にして過ごしたのだった。



※アキラは既に熟睡中です。

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