ナモルタタルの街 5
街中の配達仕事からの、初めての対人戦闘。
5/22台詞などを少し修正。
ナモルタタルの街 5
「あれ、スマホが点かない?」
夕食後の部屋で購入したばかりの革防具を点検していたヒロは、コズエの呟きに顔を上げた。銀板を手に持ってサツキと二人で銀板をのぞき込んでいる。
「私のはちゃんと点いてるけど」
「えー、何でだろう。私そんなに使ってないのに」
毎日朝晩、決まった頃合に兄の所在を確認するサツキは頻繁に電源を入れている。だが必要のないコズエやヒロはほとんど銀板を手に取ることはなかった。
「もともと充電が残り少なかったからかなぁ」
「……これって充電とかできないのかしら?」
サツキが不安そうに銀板を見つめている。兄の存在を唯一確認できる手段なのだ、充電できなければ自分の銀板もいつかは動きを止めてしまう、そう思うと不安に肩が震えた。
「サツキさんのに、コズエの印は表示されてるか?」
ヒロは銀板を点けて表示を確かめたが、自分の青点の側に表示される紅い印は消えていた。
「一つ消えてる……電池切れすると表示されなくなるのね」
サツキの銀板の充電が切れれば、兄の方に表示されなくなってしまうのか。何とかして電源を長持ちさせなくては、とサツキはすぐに表示を消した。
「この板のエネルギー源は電気なのかなぁ?」
スイッチと思われる部分を繰り返し押しながらコズエは唸った。
「スマホが消えてなくならずに、形を変えて残ってるのには絶対に意味があると思うんだよね」
三人の手荷物の大半は転移時にこちらで存在すべき物へと変化していたが、変化せずに消えて無くなった物もあった。
「そういえば何故か最初から魔石を持ってたよね、私たち」
「クズ魔石だけどな」
「魔石って何が変化した物なんだろう。サツキの参考書は取扱説明書になってたけど、私の小説は消えてた……何か法則とかあるのかな。サツキとヒロくんは何かある?」
転移前に何を持っていたのか思い出そうと、サツキは頬に手を得てて考え込んだ。ヒロは眉間にシワを寄せている。
「折り畳み傘が無くなってるわ。音楽プレイヤーも」
「俺はテーピングと制汗剤は消えてるな。あとはモバイルバッテリーも無くなってるか」
「……ねぇ、魔石って、何で魔石って言うんだったっけ?」
「魔物の魔力の核、じゃなかったかな?」
知識の書にそんなことが書かれていたような。
「魔力の元になりそうなもので、日本で持ってた物って言ったら、電気かもしれない」
コズエはバッグからクズ魔石の入った巾着を取り出して中身をベッドにあけた。
「サツキは音楽プレイヤーで、ヒロくんはモバイルバッテリー。私もゲーム機を持ってたはずなのに今は無いの」
三つに共通するのは電気がエネルギー源だということ。
「ヒロくんの魔石は二十個くらいあったでしょ。あれってバッテリーが満タンだったからじゃないかな」
コズエのゲーム機は充電が不安なレベルだったし、サツキの音楽プレイヤーも要充電表示が出ていた。
「試してみるしかないよね」
コズエはクズ魔石を一つ取って、そっと銀板の表面に置いてみた。
「……」
「何も起きないな」
「おかしいなぁ。絶対何か起きなゃおかしいんだけど」
「そうそう都合よくは……」
「でもねぇ、魔力を含んだ石が売り買いされてる世界だよ、無意味とは思えないんだけどなぁ」
コズエの主張は確かに筋が通っていた。冒険者たちが魔物を屠りその体内から魔石を奪って売るのは、魔石を求める者がいるからだ。雑貨店や道具屋には魔石を使った便利な道具が売られている。魔石を埋め込むことで一定温度を保つ魔法瓶のような入れ物だとか、溜めた水を常に飲める状態に保つ水瓶だとか。道具はとても高価だったし、魔石の魔力が無くなったら新しく石を交換しなくてはならない。この世界では魔石はエネルギー源としての消耗品なのだ。
コズエが魔石道具を例に挙げてそう主張すると、サツキもヒロも納得するしかなかった。
「クズ魔石と言っても一センチくらいはある石だぞ。こんな薄い板の何処にはめ込むんだ?」
「それなのよ」
こういう物の使い方こそ「知識の書」に書いてて欲しかった、と呟きながらコズエが指ごと魔石を滑らせたときだった。
「あ」
「なるほど、ここか」
「確かにここ以外に考えられないですね」
電源ボタン的な位置に魔石が当たると、小さく光って、板に吸い込まれた。そして代わりに透明な石がポコリと飛び出したのだ。
「これが魔石の交換なのか」
「やった。電源が点いたよ。ほらほらっ」
コズエの銀板にエネルギーが供給されたためか、ヒロの地図に赤い印が現れた。
サツキは色の無くなった魔石を摘んで観察していた。
「この魔石の色が魔力なんですね。クズ魔石しか見たこと無いけど、品質の良い魔石は色が濃いのかしら?」
「多分そうだな。まあ上質の魔石に縁は無いと思うけど」
魔獣からとれるクズ魔石なら手に入れる機会はあるだろうけど、魔物を屠って得なければならない上質魔石は、薬草冒険者と揶揄されるレベルの自分たちではとても入手できそうにない。
「でも、良かった」
サツキが嬉しそうに兄の位置を表示させた表面を見つめ、安堵の息を吐いていた。
+++
「あなた達に配達依頼を受けていただきたいのですが、いかがかしら?」
ある日の夕方、薬草の納品と報酬の精算を終えた三人を、エドナが呼び止めた。
「ギルドで買い取った素材や肉を、卸し先に運ぶ職員が不足しているのです」
初心者の冒険者向けに依頼も出しているが、配達仕事は薬草採取よりも報酬が少ないため誰も引き受けようとしない。本来はギルド職員が交代でこなす仕事だが、病気で欠員が出てしまい配達業務が滞って困っていた。
「前日までに注文の入った素材を二の鐘から三の鐘までの間に配達、当日の注文を八の鐘から九の鐘までに配達しながら、翌朝の注文をとる仕事です。配達先一件につき五ダルから十ダルの報酬」
一日の配達件数は少ないときで十件ほど、多いときは三十件程あるらしい。
「病気で休んでいる職員が復帰するまでの間で結構ですので、お願いします」
ギルドに登録したときから色々とお世話になっているエドナに頭を下げられては断りにくい。
「配達先はどんなところですか?」
「薬師や革職人、神殿に肉屋や鍛冶屋が主な卸し先です」
「どうする?」
「朝と夕方だけなら、昼間は薬草を採りに森へ行けそうよね」
「配達件数が増えても三人で手分けしたら何とかなるだろうし」
「安全で確実な仕事はやっておいた方がいいんじゃないか?」
狩猟で稼ぐに自分たちは経験が足りないと自覚している三人は、薬草採取とは別の収入源を求めていた。はぐれ角ウサギに遭遇できるチャンスは滅多にないし、さらにそれを狩ることができるのは二回に一回がいいところだ。配達は安い仕事だが安全で確実性がある。
翌朝から配達と薬草採取を並行することに決まった。
+
ギルドが営業を開始する三の鐘よりも前に裏口から建物に入り、その日の朝の配達リストと荷物を確認する。
「南町の薬師さんと中央の神殿へ薬草の納品、職人ギルドへ銀狼の毛皮と魔石の納品、東町と南町の肉屋にオークの肉と魔猪の肉を納品」
「方角はバラバラだね」
「南町は俺が運ぼう。薬師と肉屋だな」
「それじゃあ東町の肉屋さんには二人で納品して、職人ギルドへは私が行くから、神殿はサツキでいいかな」
「いいよ。終わったらギルドに集合ね」
荷物を背負い配達に向かおうとした頃に三の鐘が鳴った。
「おはようございます。冒険者ギルドからの荷物です」
肉屋で大きな固まりの荷物を店主に引き渡し、納品札を確認してもらう。
「オーク肉だな。重量も間違いない。嬢ちゃんたちが運んできたのか?」
「はい。受領のサインお願いします」
「ほらよ。ついでに夜の注文も裏に書いておくぜ」
「分かりました、伝えておきますね」
返された納品の木札に日付と店主のサインが、裏には次の注文リストが書き込まれていた。
冒険者ギルドと定期的な取引があるのだろう、何処の配達先でも受け取りと同時に次の注文書きが返されてきた。
全ての配達を終えてギルドに戻り、木札の確認を受けてから報酬を受け取る。夕方の配達の荷があることも確認してから、三人は街を出て森に向かった。
「トラント草を探してね。黒縁のギザギザした葉っぱだけを摘み取るのよ」
「角ウサギがいても追いかけるなよ。まずは観察だ」
「分かってるわよ……もぉ」
森の中でも日当たりの悪い場所に自生するトラント草は、コツを掴めば見つけることは難しくない。木漏れ日でほの暗い地面の周辺を探せば、濃い緑の葉に混じって黒縁の葉が見つけられる。
「沢山採取できたわね!」
こんもりと山になったトラント草。ヒロとコズエが採取してきたものをサツキが分別して束ねてゆく。
「この辺りのは全部取っちゃったみたいね」
「取り過ぎるとマズくないか?」
「森は広いから他にも群生地はあると思うし、ここも一週間位したらまた生えてくると思う。そのために根っこは残してるから」
心配しなくても大丈夫よとほほ笑むサツキに、ヒロが不思議そうにたずねた。
「サツキさんはなんでそんなに植物に詳しいんだ?」
「私じゃなくてお兄ちゃんが詳しいの」
「彰良さんの趣味ってガーデニングだもんね」
「そこまで大げさなものじゃないよ。ベランダでプランターにハーブとか栽培してたから」
「それは」
高校生男子には珍しい趣味だと言おうとしてヒロは慌てて口を閉じた。
「お母さんが『どうせなら食べられるものを育ててちょうだい』って言ったから、バジルとかミントとかローズマリーとか育ててたなぁ」
「お兄さんは農業大学志望?」
安直な予想にサツキは笑って首を振った。
「植物が育つのを見てると癒されるんだって言ってた」
薬草の束を見るサツキの眼は兄の姿を思い出しているようだった。
「中学二年くらいだったかな、一緒にホームセンターに行った時に、枯れかけてる花の苗が半額で売られてて。それを買ったの。その頃のお兄ちゃんは全然笑わなくて、一緒にいても凄く怖くて……でも枯れかけの花の苗の面倒を見ているときは怖くなかった。苗が育って、花が咲くようになった頃にはもとのお兄ちゃんに戻ってた。それからかな、ベランダでガーデニングをはじめたのは」
「花屋さんできれいな花を見てると嬉しくなるもんね」
公園の木陰とか、満開の桜とか、植物園の庭園とか、植物には気持ちをやわらげたり幸せにする力があるよねとコズエは頷いた。
「植物に詳しいなら、薬草採取は余裕だろうなきっと」
サツキに指示されないと薬草の種類の見分けができないヒロは、間違えて千切ってしまった葉を脇へ投げ捨てた。
葉に特徴のある薬草をサツキに指導されながら、比較的見つけやすいヤーク草の白縁の葉と、ヒロの力で抜くしかないサフサフ草の根を採取し、その日は早めに町に戻った。
昼過ぎからの配達は、肉屋三件と鍛冶屋、細工職人に治療院と服飾工房への配達を請け負った。
「肉は重いから俺が全部引き受けたほうがいい。他のを頼む」
朝の配達で肉を二人がかりで運んだコズエとサツキだが、途中で何度も落としそうになった。商品を納品できなければ報酬はゼロだし、下手をしたら賠償金も発生する。
その日の薬草は百九十ダル、朝と夕の配達で得たのが七十五ダル。
「宿代九十ダルを差し引いても百七十五ダルも残ったわ。配達一件一件は安いけど、朝と夕方の空き時間を有効利用したバイトって感覚だから、そんなに負担もないし受けてよかったわね」
財布を管理しているコズエは宿の支払いをしても残る金額にホクホクだ。
三人はしばらくは配達と採取で生計を立てようと決めた。
+++
街を出て移動する手段はいくつかある。
もっとも安全なのが、護衛付きの乗合馬車だろう。ただし料金は一人千ダルとかなりの額になる。護衛の数が少ない乗合馬車はもう少し安価だが、命の危険を考えると腕に自信のある冒険者以外は選択しない。また冒険者は商隊の護衛について荷馬車に同乗することも多い。その場合は金を貰って運んでもらえるので一石二鳥だ。最も安価なのは徒歩である。だがこれにはかなりの困難を極める。ナモルタタルから街道を南に下る場合、多種多様な魔物の湧く生魔の森の脇を通らなくてはならない。
「ハリハルタの町は冒険者の町です。生魔の森に出没する魔物を討伐するために、熟練の冒険者たちが集まる町ですね」
「生魔の森にはどんな魔物が出るんですか?」
「ありとあらゆる、ですわね。ゴブリンやオークが最も多いのですが、毒鳥に火蜥蜴にヘルハウンドなども常に討伐依頼の対象になっています」
魔獣、それも角ウサギで精一杯の三人に選べる移動手段は、護衛の沢山ついた乗合馬車しかなさそうだった。
+
夕方の配達先に肉屋のような重い荷物のなかったその日。ヒロは配達を二人に任せてギルドの解体職人に動物の捌き方を習うことにした。初心者向け講習と同じく十ダルの受講料を支払い、冒険者が持ち込んだ動物や魔獣、魔物の解体の基本を実地込みで習った。
「食用になる獲物なら動物も魔物も大してかわりゃしねぇ。むしろ食用の魔物の方が遠慮なく刃を入れられるから楽だ。皮も肉も素材になる魔獣が一番解体には神経を使う」
分かりやすい指導と練習で何体か解体をさせてもらったヒロは、これなら角ウサギくらいなら何とかなりそうだと手ごたえを得た。
魔獣を捌いている時は緊張からか全く平気だったのに、講習を終えて宿へ戻る途中で気分が悪くなった。血の臭い、骨を砕く音、肉と皮を剥ぎ離す感覚。全てを思い出して胃の辺りに重みを感じた。
「パック入りの肉しか見たこと無い人間には、ハードル高かったな……」
それでもこの世界で生きるためには必要な事だとヒロは納得していたが、女の子二人にはキツイかもしれないと心配した。ところが後日、角ウサギを狩った時に解体作業を実演して見せたのだが、最初は二人とも顔色を悪くしていたのに、内臓を処理するあたりになると平然としてヒロの手元を覗き込んでくる。
「そこ、もうちょっとゆっくりと見せて」
「骨から削ぎ落とすときの刃の角度、もう一回お願いします」
「……気分悪くなったりしないのか?」
「動物の身体に刃物を入れるあたりはちょっと気持ちにクルけど、ここまできちゃうともうお肉にしか見えないからなぁ」
「お肉屋さんで骨付き肉買ったことないですか? クリスマスに鶏の丸焼きとか作ってたし、皮を剥ぐところをクリアしたら食肉だから平気ですね」
サツキは母親とともに手の込んだ料理をするし、コズエも家庭料理なら普通にできる。肉や魚の処理は慣れたものだった。
「こういう作業って、私たちの方が向いてるかもね」
「力の必要なところは手伝ってもらいたいけど、角ウサギのサイズなら任せてもらっても大丈夫ですよ」
精神的には女の子の方がよっぼと強いし割り切りも早い。大物の魔獣を狩る予定もないので、ヒロは解体作業を女子二人にお願いすることにした。
+
配達仕事を始めて数日、ほぼ決まった配達先を効率よく回っていれば顔馴染みもできてくる。
宿とギルドと森の往復と行動範囲の限られていた三人は、配達仕事で街を走り回る中での発見を楽しんでいた。
特にコズエは細工職人に教えてもらった資材屋がお気に入りだった。服地からカバン用の厚布、加工しやすい柔らかい革に様々な素材の糸や装飾のパーツ。初めて職人御用達だというその店に入ったときは、ハンクラ魂に火をつける品揃えに興奮が止められなかった。
三人のリュックの補強と改造用に柔らかななめし革の端切れを、自分の小遣いで刺繍用の色糸と針を買ったコズエは、宿で裁縫作業を楽しんでいた。特に刺繍には睡眠時間を削るほどのめり込んだ。
「そんな細かい模様をよく縫えるな」
「縫うんじゃなくて、刺す、だよ刺繍は」
コズエたちの衣服は単色の安い布地で作られた古着だ。冒険者生活にオシャレの余裕はないが、余地はあると常々考えていたコズエだ。服の襟や袖や裾にシンプルな刺繍をほどこすのが楽しくてたまらない。
「コズエちゃんって何でもできるよね。日本にいたときは椅子とかも作ってたし、石鹸も作ってたよね。編み物もするし、刺繍も上手なのね。器用で羨ましいな」
「ハンクラは一通りやったけど、やっぱり裁縫関係が一番楽しいよ」
「明日も早いんだ、あんまり遅くまでやるなよ」
「分かってるって。あ、ヒロくんのシャツにも刺繍入れようか?」
丁度出来上がった襟のワンポイントの花刺繍を見せられたヒロは慌てて首を振った。
「俺のは何もしなくていいから」
コズエが買った刺繍糸は赤だ。花柄は駄目だ、花柄は。
「えー。もっと刺繍したいのに」
お菓子作りや料理は得意でも、裁縫の腕は壊滅的なサツキは、コズエの刺繍で華やかに生まれ変わる粗末な服をうっとりと見ていた。
「糸を買ってくるから、私の服にも刺繍してもらえないかな?」
「するする、やらせて。今度一緒に糸を買いに行こうよ」
古着屋で買った最も安い粗末な服しか着ることができない、それは現実で仕方のないことだ。けれど刺繍を入れたことでやっと自分の服なんだという実感が持てた。ため息をつきながら着る服ではなく、日常着だけれど袖を通すのが楽しくなる一着になったのが、コズエは一番嬉しかった。
そして刺繍のおかげで安い古着が品のある古着にランクアップすると、街で同じ年頃の女の子たちに声をかけられる事も増えた。
「その服はどの職人に誂えてもらったの?」
「お店で売っているかしら?」
「古着なの? とても見えないわ」
そうやって街の中に知り合いも増え、顔を合わせれば挨拶するようになった。
だが目立ってしまったことで悪い顔なじみもできてしまったのには辟易することになった。
「まだ配達なんてやってんの~?」
「ケチな配達仕事なんてやめろよ、俺らが贅沢させてやるぜ」
その日の夕方の配達でも、覚えたくもない冒険者たちに声をかけられたコズエは、眉をしかめて振り返った。ニヤついた男たちの笑みには下心が露骨に浮いていて気持ちが悪い。
「仕事中だから失礼しますね」
当たり障りのない返事をして足を速めるが、二人組の男らはコズエの後をついてくる。
「配達中なんです」
邪魔するな、目の前から消えてくれ、をやんわりと伝えても理解するだけの知能はないらしい。
「俺らのパーティ、ゴブリン討伐で大儲けしたんだ。美味い酒のませてやるぜ?」
「小銭のために働かなくても、贅沢させてやるからさぁ」
ゴブリンの巣を討伐して得られる報酬は六千から一万ダルほどだ。しばらくは遊んで暮らせる額なのは間違いない。
「仕事の放棄はペナルティになるんですよ。ギルドに登録してるなら知ってるはずよね?」
「違約金ぐらい俺らが払ってやるからさぁ」
「そうそう、そんな汚ったねぇ服じゃなくて、お貴族さまみてぇな服買ってやるからさ」
花街の女なら喜びそうな言葉だが、コズエには逆鱗に触れる一言でしかなかった。
「汚ったねぇのはあんたたちでしょ!」
面倒ごとには関わらないようにと我慢を重ねてきたけれど、刺繍をすることでやっと自分の服になったものを、汚い服と言われたのだ。我慢などできるか。
「まともに顔も洗ってなきゃ、髪だって汚れで固まってて臭いし、清潔なところなんて欠片もないじゃない」
「な、なんだとっ」
「洗濯もしないで何日同じ服着てるつもりよ。金があるなら自分の着替えを買えば?」
「このアマ、調子に乗りやがって!」
「調子に乗ってるのはどっちよ。仕事の邪魔するなって何度も言ってるでしょ。あと汚い顔近づけないでよ!」
「こ、こ、このっ」
汚い男その一が真っ赤な顔で拳を振り上げた。
逆上した男の拳から逃げようとしたが、汚い男その二が逃げ道を塞ぐ。
騒ぎに足を止めていた野次馬から非難の声があがるが男は拳を引っ込めなかった。
「きゃぁ」
顔と頭を両手でかばった。
「女の子に殴りかかるなんて最低だな」
「ヒロくんっ!」
間に合って良かったと男の腕をつかんだままヒロは息を吐いた。人だかりからコズエの声がすると思って割り込んだら殴られる寸前だったのだ。
「ありがとうヒロくん」
「いくらムカついても挑発するなよ。危ないだろ」
「だってしつこかったし、汚いし、悔しかったし」
ヒロが手を緩めると男は拳を取り戻し、怒りで顔を歪ませ怒鳴った。
「てめぇら、馬鹿にしやがって!」
ゴブリンの巣を壊滅したことにプライドを持っている冒険者だ、公衆の面前で扱き下ろされて逆上しないわけがない。
冒険者同士の私闘はご法度、街中での武器を抜くことも強く禁止されている。それらの法を忘れるほど冷静さを失った男は腰の剣に手をやった。
「どいてろ」
ヒロはコズエを野次馬の方へと押しやって避難させた。
「薬草冒険者のクセに、女の前でいい格好すんな、ザコがっ」
男は自慢の長剣を本気で振り下ろした。
配達冒険者、薬草冒険者と揶揄されてもヒロは動揺しない。大振りな男の懐に素早く踏み込んで襟と腕をつかみ、そのままキレイに背負い投げを決めていた。
「さっすが~」
地面に背中から叩きつけられた男は、蛙のつぶれるような呻き声を上げて悶絶した。
「うわぁ、全体重かけてる。あれは痛い」
ヒロの出場する柔道の試合を何度も見ているコズエは、ヒロが汚い男その一を自分の体重で地面に押し付けるようにして投げたのが分かっていた。アレは痛いし、重いし、衝撃で呼吸が止まる。
「ちくしょうっ」
もう一人の汚い男が短剣を抜いてヒロに襲い掛かったが、こちらも突き出された短剣をなぎ払われ、同時に足も払われて頭から地面に落ちていた。
「二人同時にこられたら危なかったな」
「ヒロくんなら二対一でも余裕じゃない?」
「流石に武器持ったのが相手じゃ無理だ」
野次馬たちから歓声があがった。
抜刀した熟練冒険者を相手に、素手の新米冒険者が大立ち回りを演じ、あっという間にのしてしまったのだ。しかもこの汚い二人は街ではあまり評判の良くない冒険者である。常日頃からセクハラ発言にキレていた女性たちの歓声は大きかった。
しかし。
「街中での私闘は禁止だ」
騒ぎを聞きつけた街の憲兵数人がヒロを取り囲んだ。武器は抜かれていないが、投げ技を警戒してか盾で逃げ道を塞いでいる。
「全員、詰所まで来てもらおう」
野次馬からヒロたちを擁護する声があがるが、憲兵は「詰所で双方の言い分を聞く」とヒロを促した。
「暴れるなよ」
「暴れる理由がないだろ」
ヒロは素直に憲兵の誘導に従った。コズエも慌てて後を追う。
「コズエは配達済ませてこいよ」
「だってきっかけは私だよ」
「依頼の放棄はペナルティだろ」
「でもっ」
二人の会話を聞いて憲兵がコズエにも事情を聞く必要があると判断し、詰所に同行するようにと促した。
「コズエちゃん、ヒロさん?」
進行方向からサツキが心配そうに駆け寄ってきた。
何があったのかとたずねるサツキに簡単に事情を説明をしたヒロは、コズエが担当する配達を預けた。荷物を受け取ったサツキは、後で合流すると約束して急ぎ足で配達先に向かう。
「ごめんね、ヒロくん」
犯罪者として何かしらの処分があるかもしれないと不安そうに見あげてくるコズエに、ヒロは心配するなと頭をなでた。
「こっちは素手だし、正当防衛って概念があるなら罪はあっちにいくだろ」
「その概念がなかったらどうするのよ」
コズエは安心できないようだが、ヒロは自分が罰せられることはなさそうだと感じていた。もし情状を加味されず罰せられるとしたら、ヒロは捕縛されて連行されるはずだ。現に剣を抜いた二人は両手を縛られて連行されている。
「私闘禁止はともかく、武器はぬいてないから法律は破ってない。防御に徹したって主張すれば何とかなると思う」
予想通りヒロが処罰を受けることはなかった。多少の注意は受け無罪放免されたのは九の鐘の鳴る直前だった。