はじまりの日
はじまりの日
九の鐘が鳴る頃には、子供達の姿が町から消える。
これからは大人たちが呑んで食って騒ぐのだ。夜通し楽しんで一年の終わりを惜しみ、新しいはじまりの日を迎えるのである。
広場に設置された舞台には、昼間にはない酒と色の匂いのする踊り子達が乱舞し、派手な音楽とリズムに囃し立てられて見物客たちも踊りだす。
着飾った女達は意中の男に近づき、普段よりも身なりを整えた男達も想いを寄せる女に声をかける。想いを伝え、贈り物をし、気持ちの通じ合った男女はやがて広場から消えていく。
「なんだ、酔ってねぇじゃねえか」
銀葉亭の食堂でおとなしく夕食を食べていたコウメイたちの側に、酒瓶を持ったランスが腰を降ろした。
「せっかくの祭りなんだ、もっと羽目外して楽しまなきゃもったいないぞ」
かなり酔いが回っているらしく、豪快に笑いながらコウメイのカップに酒を注ぐが、半分以上がテーブルにこぼれてしまっている。
「おっさんは羽目外しすぎだろ」
ギルドの幹部職員が冒険者ばかりの宿で醜態を見せていて大丈夫なのかと辺りを見回すと、銀葉亭の親父と目が合った。視線と顎で「放っておけ」と合図されたので、ふらふらと揺れるランスの身体を押し離し無視を決めた。
「お兄ちゃん、アリエルやレベッカたちと広場を見てくるわね」
「屋台が楽しみ!」
サツキとコズエが席を立ち、迎えに来た女友達と一緒に宿を出て行った。
「心配そうな顔すんな。見回りの憲兵もいるんだ」
「そうそう、あんな可愛い娘っこたちに酷い事する野郎はいないぜ」
「冒険者にも街の男にもコズエやサツキに惚れてる奴らはいるんだ。別れの挨拶くらいさせてやれよ」
周りの酔っ払いからの声でアキラとヒロの腰が浮いたが、馴染みの冒険者達が肩を抑え腕を引いてその場に止めた。
「結局、お前達を街にとどめることができなかったなぁ」
泥酔して寝ていると思っていたランスの声は素面に近いしっかりとした口調だった。
「この街の女に惚れてくれたらなぁ」
「まだ言ってんのかおっさん」
「ヒロもだぞ、コズエでもサツキでも街の娘でも、嫁にもらい放題じゃないか」
「……二股三股かけてるような言い方やめてください」
アキラの視線が痛いとヒロが肩をすぼめた。
「この街はいい街だぞ。お前達くらいの腕があれば、狩りでも討伐でも稼げるし、交易中継地だから物資も豊富で暮らしやすい」
それはコウメイたちも分かっている。
「コウメイは十八だったろ、所帯を持ってもいい歳だ。なんでその気にならねぇ?」
「俺達の故郷じゃだいたい二十七、八歳くらいで結婚だぜ」
遅けりゃ四十手前、一生独身も少なくは無い。そう言うと妻帯者からは「遅い」「孫がいる年だぞ」という声が、独身者からは「結婚はたっぷり遊んでからでいい」「したくても出来ねぇんだよ」という声があがった。
「おっさんも元冒険者なんだろ? 結婚して街に定住したのは何歳だよ?」
「……三十五だ」
自分を棚上げして好き勝手言うなとコウメイがランスを睨みつけた。
「元冒険者だから言うんだよ。諸国放浪して酒と女と争いに明け暮れるのも楽しかったが、嫁と二人での定住も別の楽しみがある。ギルドで後進が育つのを見るのも面白いしな」
「おっさんが三十五にならなきゃ分からなかった事を、今の俺らに理解しろってのが無理だと思わないか?」
「分かってるから強引に引き止めたりしてねぇだろ?」
ニヤリと笑ったランスの企んだような顔に、成功しなかったハニートラップ計画を思い出した。
「気が済むまで冒険者生活を楽しんでおけ。そんで落ち着く気になったらナモルタタルに戻って来い」
バンバンとコウメイの背中を叩いて、ランスは確かな手つきでカップに酒を注いだ。
+++
十一の鐘が鳴った。
広場の舞台を堪能し、屋台で買い食いをしながら祭りを堪能していたコズエとサツキは、鐘の音と同時に人々が歓声をあげて抱き合うのを見た。
「一年の最後の時間にさよならを言って、新しい一年を歓迎しているのよ」
ケイトがサツキをハグしながら教えてくれた。
「一年間ありがとう。新しい一年もよろしくね、ってこと」
レベッカの力強いハグに、同じように抱き返したコズエが教えられた言葉を繰り返す。
「モナッティークに祝福を!」
時をつかさどる女神に感謝をし、はじまりの日を歓迎する声が街中に広がっていった。
+++
街中が酒臭く酔っ払いどもが路上で寝転がっていても鐘は鳴る。
八の鐘が鳴ってすぐにコズエたちは街門をくぐった。ギルドで借りた二頭の馬と、幌付きの四輪馬車に乗り、ナモルタタルの街を出る。
別れは昨夜のうちに済ませてあるのに、ギルドの顔なじみや街の女友達が門で五人を見送ってくれた。
「いつかまた会えるわよね?」
「近くに来たら必ず寄ってね」
通信手段は配達に一ヶ月以上もかかる手紙しかない世界。命がけの放浪冒険者を見送れば、次の再会はいつになるのかわからない、下手をすれば今生の別れとなることを見送る側の人々は理解していた。
「死ぬなよ」
「戦果を焦るんじゃねぇぞ」
御者席に座ったコウメイは苦笑いで手をあげた。
「元気でね!」
幌馬車から身を乗り出してコズエが見送りの人々に大きく手を振る。サツキとヒロもその横から顔を出し、同様に手を振った。
訓練された馬達の引く幌馬車は西へと進路を取り、街門はゆっくりと遠ざかった。
+++
「馬車って思ってたよりゆっくりですね。歩くのとほとんど変わらない気がします」
幌馬車の後ろで辺りを見張りながらサツキが素直な感想を口にした。流れる景色は草原と遠くに見える森とで代わり映えしない。歩く速度とはいえ馬車はカタン、カタンと小刻みに揺れ、時おり大きく跳ねている。
「スピードを上げたらもっと揺れるから、これくらいでいいと思う」
サツキとともに見張りについているヒロが以前の経験を語ると、乗り物酔いしやすい自覚のあるサツキは幌の端をぎゅっと握り締めた。
「はじまりの日を境に一気に春になるってのは不思議な光景だな」
数日前に見た草原は、枯れ草と土で茶色に雪が積もった風景だったのに、今は一面が若草色に染まり、明るい色の花があちこちに咲いている。
「前日まで吹雪でも、はじまりの日は必ず『春』だそうだ」
「そういう意味ではファンタジーなんですよね、ここ」
夏から秋、秋から冬への季節の変動は自然に移行していたのに、冬から春に変わる時だけは一晩で芽吹き花が咲く。まるでこの日が境界だと世界が示すように。
「だから『はじまりの日』って事なんだろうぜ」
暦ではなく、春の始まる瞬間から新しい一年が始まる。
「なんだか『新学期』って感じですね」
新しい学校、新しい学年、新しいクラス。
ワクワクします、と顔をあげたコズエは、馬の進行方向に動くものを見つけた。
「あれ、何でしょう?」
目を細めたアキラが、耳を済ませて遠くの音を聞き分けようとする。
「ゴブリンっぽいな」
「春になったから湧いて出たのかな」
「街を出てすぐに魔物と遭遇か。運がいいのか悪いのか」
この辺りは前にゴブリンに襲撃された村に近い場所だ。殲滅した巣に再びゴブリンが住み着いたのだろうか。
コズエは置いてあった自分の獲物を手に取った。
「あのゴブリンと戦ってきてもいいですか?」
一ヶ月以上も製作にかかりきりだったコズエは、槍を使う感覚が分からなくなりはじめているのだと言った。
「勘を取り戻したいの。今のうちならリハビリも楽だと思うし」
「分かった。サツキちゃんとヒロも一緒に行っておいで。旅支度で随分と金を使ったから、討伐しながらの旅にしようか」
サツキが自動弓を構え、ヒロも剣を持って重さを確かめた。
「ゴブリン二体まで五十メートル。不意打ちは無理だ」
「はい。行ってきますっ」
幌馬車から勢いよく飛び降りたコズエたちは、ゴブリンに向かって走っていった。
第2部、終了です。




