深魔の森
全体の流れを考えて、構成を変えました。
まずは高3男子二人のターン。
塾友2人は最初からハードモードです。
「ゴメンナサイ!!」
男は砂利石の川辺で土下座していた。
土下座されたほうの男は、川の水面を凝視し、怒りに震えている。
「あの……アキ、さん?」
水の豊かな川は、水面が鏡の役割を果たすほどに穏やかな流れだ。
無言で水鏡に映る姿を睨み、立ち尽くす友人の姿に、浩明は不安を覚えた。彰良の表情は驚愕から混乱へと移り、動転がよぎってから憤怒に変化した後、今は冷然たるまなざしで水面に映る己を見つめている。
ショックが大きすぎて壊れたかもしれない。
怖ぇ、どうしよう。
「だ、大丈夫か、アキ?」
ようやく浩明の声に反応した彰良が振り返った。
大変に恐ろしくよろしい、笑顔だった。
「大丈夫なわけないだろうがっ!」
「ごめんっ!」
静かなる森に、二つの叫びが響いた。
+++
事は数時間ほどさかのぼる。
「……ここは、何処だ」
「お約束でいうなら、異世界って所だと思うぜ」
周囲には木しかない。足元の土は柔らかく、苔と枯葉で歩く足が滑る。
「異世界の根拠は?」
「そりゃ『お約束』なカミサマの誘導もあったし、この格好だし、な……」
浩明は自分の服から視線を彰良に移し、すぐに目を逸らして再び自らの衣服を確かめはじめた。
学校からそのまま塾へ向かっていた自分は学生服を着ていたはずだ。彰良だってブレザーの制服だったはず。だが今の二人の衣服は見慣れぬものに変わっている。カーキ色のズボンにシャツ、浩明は濃いオリーブ色のベストを着ていたし、彰良は丈の長い上着を着ている。
「それは木刀か?」
「俺が持ってたのは竹刀だったんだけどな。アキの持ってる水筒、もしかしてペットボトルか?」
竹刀は木刀に、防具袋はボストンバッグのような形の布袋になっていた。コンビニのレジ列で彰良が持っていたのはミネラルウォーターのボトルとチョコ菓子らだったが、それもアルミ製の水筒のようなものと小さな巾着袋に変わっている。
「咲月?」
彰良が探すように周囲を何度も見回した。
「咲月ちゃんもこっちに居るのか?」
「いる、と思う」
彰良は視界が白く焼きつく寸前に妹の声を聞いていた。このわけの分からない現象に一緒に巻き込まれたとしたら、きっと近くに居るはずだ。そう考えて彰良は辺りを探すように見回している。
木と木と木と。倒木を覆う苔、積み重なった落ち葉、木々の枝葉に光が遮られ薄暗い視界。
ウオォーン。
オウゥオーン。
遠くで獣の声がした。犬の遠吠えのような声に、違う方角で同じように答える吼え。
「ヤバイな」
ここはかなり深い森の中だ。方角も分からないし、分かったとしても人里が何処にあるのか二人は知らない。
「あっちに川がある」
彰良が緩やかな斜面の先を指差した。
「何で分かるんだ?」
「水の音が聞こえるだろう」
「聞こえるのか……そっか」
確信を持った彰良の声に浩明は大きく息を吐いた。
「その川の方に移動しようぜ。川に沿って下れば森を抜けられそうだ」
森を抜けられれば人里も目指せる。彰良の誘導にしたがい、湿った落ち葉で足を滑らせ、腐葉土に隠れていた石に躓きながら森を進んでゆく。大きな倒木をいくつか乗り越えた時だった。
「どうしたアキ?」
突然足を止め、警戒するように左前方を睨みつけている。
「獣が、くる」
浩明は手に持っていた木刀を握りなおし、彰良の前に出て構えた。
「狼か!」
黒い毛皮に銀色の筋の入った一頭の犬。獲物を狙う目と凶暴なほどに尖った牙を持つ犬が普通の犬のわけがない。
「逃げろっ」
飛びかかる獣をかわし、木刀で間合いを取る。
あの牙なら自分たちを簡単に噛み殺せるだろう。折角異世界に転移したのだ、こんなところで獣の餌になって死にたくない。
向かってくる狼に何度か木刀で叩きつけたが致命的な一打にならない。
「浩明!」
彰良の声がして、大きな石が狼に向け飛んだ。
飛んできた拳サイズの石を避けた狼の頭に、浩明が木刀を振り下ろした。頭部に直撃を受けた獣は、短く鳴いて倒れた。ぴくぴくと痙攣しているところにもう二、三回と木刀で殴りつけて息の根を完全に止めた。
「……キツイわ、これ」
生き物を撲殺する感覚が手に生々しく残っている。
「大丈夫か、浩明」
「ああ、何とか」
肩で息をしているし、全身汗だくだ。腕からは震えが取れない。たった一頭の狼を相手にこの状態だ。
「急ごう。こいつの仲間がいたらヤバイ」
浩明は彰良を促してその場から遠ざかった。狼は群れを作る動物だし、他の大型動物が狼の死体を食いに集まってくる可能性だってある。
少しでも早く安全な場所へ。少なくとも見晴らしの良い開けた場所へ行きたい。二人は彰良の示す方角に全力で走った。
どれくらいの時間を走っていただろうか。木々が途切れると彰良の言っていた通り川に出た。川幅は五メートルほどか、水量は多いが深くはなさそうだ。
「手を洗いたいな」
狼との戦闘や森を走って転んだり滑ったりしたときの汚れで、二人とも土で汚れていた。
浩明は川辺に下り、石に塞き止められたような流れのない水面に手を突っ込んだ。乱れた水面に自分の顔が歪んで映っている。短く切り込んだ髪の色が青みがかって見えるのは水に映っているせいだろうか。
「あ」
ヤバイ、と気づいたが遅かった。
水面の乱れがおさまり、隣にいる彰良の姿がくっきりと映る。
「……なんだ、これは」
水鏡に映る彰良の顔は、確かに彰良であったのだが。もともと整っていた顔立ちが繊細な方向に進化をとげていたし、髪の色は光の加減によっては銀色にも見える黒髪に変わっている。なにより異質なのは長く尖った耳だ。
信じられないものを見る目で水鏡を睨みながら頬を触り、耳を触り、確かに自分なのだと確かめた彰良は、冷や汗をかいて様子をうかがっていた浩明に顔を向けた。
「浩明?」
「あー、ごめん?」
「軽い!!」
「ゴメンナサイ!」
その場で正座した浩明は、土下座で彰良に詫びたのだった。
+++
浩明が悪戯したポップアップウインドウの選択を、キャンセルする間もなく転移してしまった彰良は、繊細な容貌と人間よりも長く伸びた特徴的な耳を持つエルフとして転移していた。
「見た目あんまり変わってねぇし、大丈夫だよな」
「変わっているだろうが、何なんだこの耳は!」
「エルフってそういう種族なんだよ」
ファンタジーな知識に疎い彰良に、コウメイは手早く必要そうな知識を教えた。
「結果的にアキがエルフだったおかげで川の存在も聞き取れたし、獣の気配を察知できて危機一髪助かったんだし、悪いことばかりじゃないだろ、な?」
ファンタジー界のエルフは耳がよく気配に敏いという特性があるのだ。今回はそれに助けられて命拾いした、上手く活用できれば異世界で生き抜くのに役に立つに違いないと、浩明は長所を連ねて彰良の怒りを宥めようとした。
「……覚えてろよ、浩明」
いつかこの仕返しはしてやるからなと凄む美形が恐ろしい。浩明は引きつった笑顔で誤魔化しながら、手を洗って荷物の確認を始めた。
向こうで持っていた手荷物がほどよくこちらの世界の物に変化している。ペットボトルは水筒に、彰良の持っていた菓子も浩明の持っていたサンドイッチも同じ木の実に変わっていた。試しに殻をむいて食べてみたら、焼き栗のような味がした。
「剣道の防具はやっぱり防具なんだな」
剣道衣は着替えのシャツになっていたが、甲手は革製の腕あてだし、胴具は革製の胸当てだった。ゲームの初期装備としてはまあまあではないだろうか。
「ルーズリーフが帳面、スポーツタオルが手ぬぐい、筆記用具がペンとインクなのは分かるが」
彰良が背負っていたナイロン製のバックパックは、帆布のような分厚い布地のバックパックに変わっていた。そこから取り出す品を一つずつ確認しながら並べてゆく。
ガラスの破片のような石の入った小袋と、硬貨でいっぱいの巾着袋、端を糸で綴っただけのノートと銀色の板、小ぶりのナイフと、立派な装丁の本が一冊。
「たぶんスマホがこの銀色の板だろうな。そんで財布がこれ」
二人とも似たような巾着袋を持っていた。中の硬貨の種類や量は随分違いがある。
「アキの財布、凄くないか?」
巾着袋がずっしりと重いし硬貨の数も多い。
「ここの通貨の単位がわからないことには、どれくらいの価値があるのか判断できないだろ」
二人の衣服や手荷物を見る限り、文明は中世ヨーロッパの前期レベルと予想できるが、貨幣価値までは分からない。
「武器とするには心もとないけど何もないよりはマシかな」
ナイフを手に取り切れ味の良さそうな刃を眺めて頷いた彰良は、荷物をカバンに収め直している浩明にたずねた。
「そろそろ日も陰ってきたし、これからどうする?」
異世界への転生だ、いや転移だと楽しそうにしていた浩明なら何をどうすればいいのかわかるだろうか。
「川に沿って移動する。夜通し歩くかもしれないけど、アキは大丈夫か?」
少し考えてから浩明は自分の考えを説明した。
「できるだけ早く人のいるところに出たいけど、まずは森を出る必要があると思う。普通は川を下れば平地が広がってて、川の近くには人が住んでいるはずだ。町か村に入れたらそこからは状況によるだろうけどな」
革製の胸当てを着た浩明は、甲手が変化した革の籠手を彰良に渡した。
「こっちはアキが着けとけ」
紐で締めるようになっている籠手を彰良につけてやりながら浩明は続けた。
「どうも俺の期待してた世界とは違うみたいだから、慎重に行くぞ」
「どんな世界を期待してたんだ?」
「そりゃステータスが確認できて、魔法が使えるRPG的なヤツだろ」
「ご都合主義も過ぎるだろ、それ」
「だな。流石に隕石落下による爆発即死じゃなかっただけでも、十分ご都合主義だけどな。移転先からは自力で生き抜けって方針みたいだから、出来る事をやるしかねぇよ」
木刀での攻撃力を上げるためカバンを交換し、バックパックを背負った浩明は赤く染まる空をから視線を移した。
「獣の声とか気配とかは感じないか?」
「今のところ、危険な獣は近くに居ないと思う」
それと意識をして耳を澄ませば、エルフの耳は遠くの獣の声や体重のある足音を聞き取れる。不本意な種族変更だが、今はエルフの能力を最大限活かすことが必要だった。
「行こう」
森の日暮れは早い。
少しでも足元が明るいうちに先へ進む必要があった。
+++
夜通し歩くつもりの二人だったが、流石に星明りだけでは足元が危なすぎた。
「日本って、明るかったんだな」
夜でも足元が見えなくなることなんてなかったし、空もこんなに暗くはなかった。
二人は夜の移動を諦め、水場を求めてやってくる獣を警戒し、安全に夜を過ごす場所を求めて森に入った。地上よりは木の上が安全だろうと登れそうな大樹を探し、あたりが完全な闇に包まれる前に居場所を確保したのだった。
「寝たら落ちるな、んで死ぬ」
「土は柔らかいから死なないと思うぞ」
「獣に食われるだろ。アキは絶対に助けてくれないだろ」
「浩明みたいなデカイのを抱えて木登りなんて無理だからな」
「アキは冷たい」
「浩明はできるのか?」
「無理っ」
人間が登っても折れないような大木、安全な高さの太い枝、そんなものに登ったことなどない二人はかなり苦労した。蔓を利用して即席のロープを編み上げ、浩明を踏み台にして木に足場を作った彰良が木を登り、即席ロープを垂らして浩明をやっと引き上げ安全な場所を確保できたのだ。男二人が座ってもビクともしない立派な枝だが、流石に横になるほどの場所はない。彰良が幹に背を預け、浩明が向かい合って枝に跨っていた。
「人のいる場所に辿りついたらどうする?」
「冒険者ギルド的な組織を捜して登録、身分証明を手に入れて、後は状況次第だろ」
「なんだその冒険者ギルドって」
「ファンタジー系のラノベとかだと定番だぞ? ゲームとかでもだ」
「異世界転移に期待しすぎだぞ」
そう都合の良い世界を期待して違ったときの落胆が怖い。あとの生活の苦労も、だ。
「アキの心配も分かるけど、たぶん大丈夫だと思うぞ」
「その根拠はなんだよ」
「アキ」
「は?」
互いの顔も分からない程の暗闇で、真っ直ぐに手を伸ばした浩明は、手探りで彰良の耳を探し当てた。
「アキがエルフだから、だ。人間しか居ない世界、魔法も魔物も居ない世界なら、エルフの存在自体が在り得ないだろ」
人間よりも長く先の尖った耳をゆっくりとなぞった。
「エルフがいるんだから魔物もいるし、魔法もある。そーいう世界なら冒険者ギルドくらいあるだろうし、食うことに困ることはないと思うぜ。あとは努力と工夫次第だろ」
「……俺の種族をエルフにしたくせに、なんで浩明は人間なんだ?」
「いやぁ、ケモ耳もいいなぁと思ったんだけど」
「けど?」
「しっぽがな、処理に困りそうだなと思って」
猫でも犬でもいいが、自分の尾骶骨からしっぽが生えた場合、ズボンをどうするのかと悩んだら終わりだった。長いしっぽを丸めてズボンの中に納めておくのは窮屈そうだし、椅子に座るときに踏んで痛そうだ。逆に外に出すとしたらズボンに穴を開けなくてはならなくなる。洗濯物を干したときにみっともないに違いない。
「お前は……あんな短時間にそんなバカバカしいことを考えていたのか」
暗闇からのため息は深かった。
「いや、ケモ耳にするか、羽にするか、毒蛇まじりの特殊な獣人にするか、考えすぎてスタート地点に戻ったら移転が始まったんだよ。アキはキャンセルしなかったんだな」
「間に合わなかったんだよ。咲月に……」
浩明の触れていた耳が緊張に小さく震えた。
「咲月に呼ばれて、振り返ったらここだった」
「そう、か」
人間もエルフも、耳たぶが冷たいのは同じなんだと知った。
「咲月ちゃん、心配だな」
スタート地点の自分たちのこの状況を思えば、女の子独りじゃとても生き延びられそうにない。
「俺たちみたいに誰かと一緒ならいいんだけど」
「たぶん、友達といると思う。友達が近くに来たからってコンビニを出て行ったから」
咲月もあの不可抗力な事故でこちらの世界に転移したというなら、側にいた友達も一緒の確率は高いだろうからと、彰良は無理に平静を取り繕っているようだった。
「早いところ森を出て、咲月ちゃんを探しに行こうぜ」
「いいのか?」
「いいだろ。俺は別に異世界で勇者をやりたいわけじゃないし」
「……ありがとう」
エルフや獣人が存在し、魔物がいてたぶん魔法も存在する世界。だけど自分のステータスは確認できないし、目的を定められて転移させられたわけでもない。
何をするのも自分の選択になる世界。
二人は辺りが明るくなるまで一晩中話し続けた。
+++
視界が利くようになるとすぐに川に戻り、森を抜けるために歩き続けた。
時おり獣と遭遇することもあったが、彰良が警戒して早めに回避ルートを選べたことで無事にやり過ごした。空腹は水と栗に似た木の実で紛らわせた。運よく果樹のような木を見つけ、恐る恐る食べてみたが悪くはなかった。先々のことを考え数個の果実をバックパックに入れて歩き、森を抜けたのは二日後だった。
森から脱出を果たした安堵で二人してその場で座り込み、少し仮眠を取った。いや、寝落ちしたのだ。
二、三時間ほどの仮眠から目覚めて二人で川沿いを歩き、川に架かる橋までたどり着いた。南北の街道をつなぐ橋で旅人を捕まえ、南の街なら半日もかからずたどり着けると教わってそのまま南に街道を下った。
町門が閉まる寸前に滑り込み、門兵に紹介してもらった宿屋に入り、二人は飯も食わずにベッドに吸い込まれていた。
二人が冒険者ギルドに向かったのは翌日の昼過ぎだった。
高3男子の続きは「サガスト」まで飛びます。