サガストの町 3
ハードモード、始まります。
サガストの町 3
コウメイの気合はその後数日間も空回りし続けた。
魔猪はそうそう都合よく発見できないし、発見できても複数体の群れでは二人には荷が重い。薬草と角ウサギでも一日に三百ダル程度は稼げたが、魔猪一頭と比べてしまうと格段に安いのだ。
朝早くに森に入り、薬草を採取しながら魔猪を探す。角ウサギを発見してもスルーして二人は単独行動の魔猪を探した。昼飯時に角ウサギを狩って食い、その後も魔猪を求めて森を歩く。帰りの時間を計算して、門が閉められる八の鐘にギリギリ間に合う頃まで魔猪を探し、仕留められずに角ウサギを狩って稼ぎの足しにする。
そんな日が何日も続けば、二人に焦りが生まれるのも仕方のない事だった。
「確かこの辺りのあったと思ったんだけど」
落ちている小さな木の実を探して魔猪が移動しているとアキラが気づき、最初に魔猪を仕留めた場所に多く生えていた木を探して二人は森を歩いていた。
「この木じゃねぇか?」
「木の実は落ちてないな。全部食って移動したみたいだ」
見上げた先の枝にはまだ青々とした木の実が残っている。今は木の実が自然に地面に落ちる季節ではない。幹には猪が体当たりした傷跡があり、乾いた地面には葉だけが散らばっている。魔猪が木を揺らし落してから食べているようだ。
「足跡とか、わかるか?」
自分たちの足跡をやっと見分けられるようになったレベルだ、魔猪の足跡などわかるわけがない。
「近くにいるのは間違いないんだけどな」
「アキの耳でそれらしい音とか聞き取れないのか」
「今日は風があるし、いろんな音が混ざってて難しいんだ。多分そうかなというのが三つくらいあるから」
「近いのはどっちだ?」
とにかく近いところから潰していくしかないだろう。二人はアキラが聞き取った魔猪かもしれない気配の場所に向かった。一つ目は角ウサギの巣だった。二つ目は人間と同じサイズの巨大な蜘蛛。最後の場所は森をさらに奥へ進むことになる。
「そろそろ戻らねぇとまずい時間だけど、後どれくらいかかる?」
「その茂みの向こうに見える木、あれが実を落としていれば、多分居る。手早く狩って解体しないと閉門に間に合わなくなるな。どうする?」
「ここまで粘ったのに、手ぶらで帰るのも悔しいだろ」
二人は魔猪を優先し遭遇した角ウサギを狩っていない。今日の採取物は薬草だけだ。あと少しで魔猪を発見できる好機を諦めることはできなかった。
音を立てないよう細心の注意を払い、茂みの隙間から魔猪を探した。
「いたぜ」
地面に落とした青い実を鼻先で寄せ集めては食んでいる緑色の毛皮の猪。
幸いにも風下だし、距離は思ったほど空いていない。
コウメイがいつでも飛び出せるよう剣を持ち身構えた。
石を拾いながら左へと位置を変えたアキラは、コウメイに合図を送る。
視線を合わせ、頷き合ってスリー・カウント。
「おらぁーっ」
コウメイが飛び出すのと同時にアキラが魔猪に向けて石を投げる。正面からの威嚇と、横からの痛みとで反撃対象を迷った魔猪には一呼吸分の隙ができる。
最初の一打は斜め下から剣を振り上げ顎を狙った。返して振り上げた剣に体重を乗せ、そのまま頭部に叩きつける。太い頚骨を叩き斬る事はできなかったが、コウメイが避けて空いた位置にアキラが木刀を叩きつけ、倒れた魔猪はぴくぴくと痙攣したように足掻いている。
「どけ、アキ。とどめを刺す」
木刀ごとのしかかるようにしていたアキラが退くと、コウメイが魔猪の首に剣先を突き刺した。
「急ごう、時間がないぞ」
「もうこのまま運んだ方がいいんじゃねぇか?」
「解体料は必要経費だな」
急いでロープで魔猪の四足を縛り、木刀を通して二人で持ち上げた。血抜きもできていないし、不要な内臓も骨も残した丸々一頭の魔猪はいつもよりずっと重い。走るのに近い速さで森を抜け、赤く染まりつつある草原を町に向かって進んだ。
鐘の音が聞こえる。
「ああ、くそっ。間に合わなかったか」
閉門を告げる八の鐘が聞こえた。二人のいる場所から町の防衛壁は見えないが、鐘の音が聞こえる距離まで戻ってきていたというのに。
「どうする?」
町の外での野宿は決定だが、場所が問題だ。
「森まで戻るのは危険だろ」
夜は魔物の動きが活発になる。魔猪の血は魔物を呼ぶのだ、とても森で夜を過ごせない。かといってこのまま町に戻って門の前で一晩過ごすのも、町に魔物をおびき寄せることになりかねないのでできなかった。
「とりあえず、一番近い水場に戻って解体するしかないだろ。臭いを消す効果のある葉で包んで誤魔化すしかない」
完全に日が暮れてしまう前に野営する場所を決めなければならない。手早く魔猪を解体したコウメイは、アキラが採取してきた笹の葉よりも大きな消臭の葉で魔猪の肉を包んで荷造りした。骨や贓物には土をかけて簡易的に誤魔化し、水場で血の汚れを落としてから再び草原に戻った頃には空に星が見え始めていた。
「この辺りで野営するか」
森からは距離があり、街道が見える位置に腰を降ろして火を起こした。森で拾った薪や枯葉を糧に小さな炎が燃える。夕食用に削ぎ切っていた魔猪の肉を串に刺して火にくべた。
「こっちに飛ばされたとき以来だな、こーいうの」
「あの時は食べ物がなかったし、火もなかった。野営環境はかなり良くなってるよ」
溶けた脂がポトリポトリと落ちて炎がジュウッと音をあげる。食欲をそそる肉の匂いに思わず喉が鳴った。二人は焼けた肉に塩を振って食べ、また肉を焼いて食べと満足するまで魔猪肉を味わった。
この世界の夜は光と音が少ない。月と星の光、風と、人間以外の生き物たちの息吹き。目の前の焚き火が爆ぜる音が闇の恐怖を和らげていた。
「薪は足りそうか?」
「ああ、枯れ枝をたっぷり拾ってきたから大丈夫だ」
アキラは植物図鑑をパラパラとめくっている。
「焚き火の火じゃ暗くて読めねぇだろ?」
「忘れないうちに確認しておきたくて……あった」
火の側ギリギリに図鑑を近づけたアキラは樹木のあるページを指差した。
「この木だ、魔猪が食べる実の生るカルカリの木というらしい。ドングリみたいな実がなるらしい」
「ドングリ食ってる猪って、イベリコ豚かよ」
どうりで美味いはずだ。
「カルカリの実は食用にもなるらしい。魔猪が好んで食べるから、秋から冬の採取時期は注意が必要、と書かれている」
「つまり、ドングリは食えるし、魔猪を狩りたけりゃドングリの木の周辺を探せってことか」
次からはもっと早く魔猪を発見し狩れそうだ。だが。
「二人でも運べるのは魔猪一頭分がせいぜいだよなー。マジックバッグとか無いのかな、この世界」
「マジックバッグ?」
「重量もサイズも容量もたっぷりある魔法のカバンだよ。ゲームとか小説とかでそういうアイテムがあるんだ。そいつがあれば魔猪を何頭狩っても楽に運べるぜ」
ゲームだと迷宮のラスボス倒して入手できたりする。異世界転移ものラノベなら主人公の初期装備であることが多い。
アキラは図鑑を閉じてカバンに仕舞った。焚き火に枝を足しながら町の方角を見た。
「町にいる冒険者でそんなカバンを持ってそうな奴は見たこと無いな」
「俺もねぇよ。防具屋にもギルドの売店にもそれっぽいカバンは無かったし。この世界に存在してるとしたら、すっげえ魔物を退治した時とかだろうな」
この世界には便利なアイテムは見当たらない。冒険者ギルドの登録証だってそうだ。あくまでも身分を証明するものでしかなく、コウメイの期待していたような個人のレベルやランクの表示は一切無かった。
「俺らのレベルってどれくらいなんだろうな」
レベルの概念やシステム自体が無いと知っているが、コウメイは暇つぶしにそんな話題を振った。
「二とか三くらいじゃないか?」
「えー、俺ら魔猪狩れるんだぜ、もうちっと上がっててもいいと思うけど」
「MAXでレベルいくつかによるんじゃないか? 十がMAXなら二でも高すぎると思うけど」
「いやいや、上限百くらいで考えようぜ、夢がない」
「夢ねぇ。この世界でどんな夢を見るつもりなんだコウメイは」
突然放り込まれた異世界で、生き延びる以外の夢を見る余裕があるのかとアキラが面白がるようにコウメイを見た。
「夢って言うか、選択の自由しかなくて困ってるくらい、なんでもしてみたいんだよ俺は」
返事が予想外だったのか驚いたアキラに、苦笑いを返してコウメイは続けた。
「俺の家は一族全員医者で、実家も病院経営してて、俺も当然医者になる前提で進路選択してたんだ。不満なんて無かったと思ってたんだけど、こっち来てからすげぇ楽なんだよ」
早朝に起き、一日中危険を警戒しての肉体労働、獣の解体作業を覚え、金策に頭を悩ませる。喉が渇けばすぐにコンビニで水を買え、食事が用意されており好きなときに食べることができ、清潔な服があり毎日風呂に入れて、柔らかいベッドでぐっすりと眠れた日本。
「毎日走り回ってて打ち身や切り傷だらけだし、宿のベッドは硬いし朝は早いし、ランチは毎日塩味のバーベキュー。うっかり門限に間に合わなくて野宿することになって、魔物警戒しながら徹夜なのに、あっちにいた頃よりもずっと今が楽しいんだよ、俺」
「満喫できてよかったな」
パチパチと爆ぜる炎が満面の笑みのコウメイと、控えめなアキラの笑顔を照らしていた。
「ならコウメイの夢はこの世界で世界征服か?」
「征服なんて面倒なことしねぇって」
「じゃあ武勇で立身出世して、将来は騎士?」
「べつに誰かに仕えたいとか思わねぇし」
「金稼いで大金持ち」
「大金背負って移動なんてしたくねぇ、成金趣味の金持ち思い浮かべてるだろアキ」
「ギラギラに飾り付けた豪邸とか、コウメイに似合いそうじゃないか?」
「アキ、悪趣味!」
コウメイはぺしっと小枝でアキラの肩を叩いた。
「それよりアキはどうするんだよ。咲月ちゃんを探し出した後はどうする?」
「さあ、考えてな……」
中途半端に言葉を切ったアキは、警戒するように表情を引き締めていた。
「アキ?」
声を潜めたコウメイは、体から離していた剣の場所を確かめて右手を置いた。
「何かが、近づいてくる」
「魔物か?」
アキラは無言で首を振った。人よりも優れたエルフの耳は遠くの物音を聞き取るが、それが人の足音なのか動物のものか魔物のものかは分からない。コウメイに習ってアキラも腰のナイフの位置を確かめた。
「コウメイじゃないけど、経験を積めば人なのか魔物なのかの聞き分けができるかもしれないな」
「頼りにしてるから頑張ってくれよアキ」
囁くほどの小さな声で話している間に、コウメイも近づいてくる気配を感じとった。動物や魔物ではない、人だ。
「助かったよ、良かったら俺も火に寄せてもらえないか?」
農夫か冒険者か、三〇代くらいに見える男だ。森で拾ったらしい薪と焚き付け用の細針木の枯れ葉が詰まった大きな籠を背負っている。
「朝まで火を保つのに薪が足りなくなりそうだったんだ。その薪を少し提供してくれるならいいぜ」
コウメイがそう言って頷くと、男はホッとしたように背負い籠を降ろし、二人の向かいに座った。
「あんたも閉門に間に合わなかったのか?」
「ああ、薪やら焚き付けを集めていてうっかりとな」
いつも薪集めをしている子供が病気で寝込んでいて、男が仕事を終えてから薪を拾いに森へ出て閉門に遅れてしまったと男は笑いながら話した。
「子供が心配ですね」
「町に入れないんじゃ仕方ない。まあ大人しく寝ているだろうさ」
男は背負い籠から細針の葉を掴んで焚き火にくべた。
パチパチと跳ねるように火花が散った。細針木の樹液は油分多い。葉は特に油分があるからコウメイらも森で火を起こすときには焚き付け用によく利用していた。
だからコウメイもアキラも不審には思わなかった。
やけに焚き火から煙が出ているな、とか。かすかに甘い臭いがするな、とか。些細な異変に気づいた頃には、手遅れだった。
「銀狼は普段は群れで行動しているから、一頭だけを狙うのは難しい。あの毛皮、革、製品に、ると、頑丈、……」
昔冒険者をしていたという男の話が、だんだんと頭に入ってこなくなった。
意識が沈み込むような、そう、こちらに転移して不眠のまま森を抜けたところで我慢しきれずに寝落ちしたときのような、抗えない強力な睡気に似ていた。
「……コウ、メイ、っ!」
切羽詰ったアキラの声が聞こえたような気がした。