プロローグ
地球規模の災害でした。
でも神様が頑張って「ごく一部での不幸な事故」レベルまで調整しました。
運悪く調整された事故で死んでしまった人たちが、お約束の異世界転移です。
とりあえず、第1部は5人が再会するまで。
夕方からの進学塾の前に、妹とともにコンビニに立ち寄るのが萩森彰良の習慣だ。飲料ケースからボトルを一本選びだした彼に、呆れを含んだ声が近づいた。
「またお水だけなの?」
彼の妹はチョコ菓子を二つ手に、どちらがいいかと問う。
「咲月の好きなのを選べよ」
「お兄ちゃんの好きなのを聞いてるんだよ?」
選択を迫るくせに咲月は両方とも選ぶ。そして買うのは彰良だ。一緒にレジするつもりで伸ばした手から彼女はするりと逃げ出した。
「プリンも欲しいの」
甘え上手な咲月は、既に一つ向こうの商品棚に向かっている。天然水のミネラルウォーター一本しか買わないのも、妹のおやつの支払いをするのも、萩森彰良のいつもの習慣だ。
+
三木浩明は塾友のシスコンぶりを微笑ましく見ていた。他人にも自分にも厳しい彰良がワガママを許す相手はかなり少ない。
「相変わらずアキは妹に甘いんだな」
「……これから塾じゃないのか?」
彰良は彼の含み笑いに顔をしかめたが、その荷物を見て「サボりか」と問うた。浩明はいつもの塾バッグだけでなく、竹刀と道着袋を肩にかけている。これから四時間、塾で勉強するとは思えない大荷物だ。
「ムカつく事あったから発散してきた」
「そのわりにすっきり爽快って顔じゃないぞ」
受験のために剣道部を引退した浩明だが、今日は鬱憤を晴らしたくて道場に寄ってきたのだ。だが完全にスッキリしたとは言いがたい表情だった。
「ストレス発散に道場を使うなって先生に怒られたんだろ?」
「アタリ」
ストレスの原因も吹っ切れなかったし、先生に喝をいれられさらに気分は落ち込んだ。
「聞いてくれよ、酷いんだぜ」
浩明は彰良とともにレジ列に並びながら愚痴りはじめた。
+
デザート系の棚で見つけたコラボ・シリーズのスイーツを前に咲月は悩んだ。全部食べたいが買ってもらえるのは一つだろう。兄は妹に甘いけれど、流石に全種類はワガママが過ぎる自覚はあった。
ぴろん。
スマホの音に反応して画面を見れば、親友からメッセージだ。
こずえ:二番町の交差点まで着いたよ♪
中学時代からの親友とは、兄と同じ高校を選んだことで進学先が分かれてしまった。だが幸いに互いの高校はそれほど遠くなく、放課後に待ち合わせることも多かった。
「お兄ちゃん、これお願いね。梢ちゃんのトコ行ってくる」
濃厚クリームプリンとチョコ菓子二つをレジ列に並ぶ兄に渡し、咲月はコンビニを出て親友の姿を探した。
大井梢はコンビニから出てきた親友に手を振った。
ブラコンの親友は兄を独占したいがために進学先を決め、また同じ塾にも通っている。彼女の兄は勉強もできて女の子にも優しい、容姿もその辺のアイドル以上に整っているので、咲月が独占したがる気持ちも理解できる。だが梢は「そろそろブラコンは卒業したら?」といつ忠告するべきか悩んでいた。
「洋くん、そんなに嫌そうな顔しないで」
道路の反対側で待っている咲月を見て一緒に居た澤谷永洋が身構えた。幼馴染の永洋は咲月が苦手らしい。以前から「梢と趣味が合わなさそうだ」とブツブツ言っている。
「咲月はすごくいい子だよ」
彼女は梢が目指したい女の子像そのものだ。やわらかなスポンジケーキみたいな、真っ白で甘いクリームのような。
咲月のブラコン問題以上に、大好きな幼馴染が親友を嫌っている状態を何とかしたいと梢は常々悩んでいた。
+
小さい頃から男兄弟ばかりの永洋たちと一緒にいた幼馴染は、高校生になって少し身長が伸び、まろやかになり、大人っぽくなった。
「梢ちゃん、借りてた本を返すね」
「どうだった?」
「イマイチ、かな。梢ちゃんの趣味は私のとはちょっと違うかなって」
幼馴染との登下校を邪魔するのは梢の親友だ。話したことは殆どないが永洋は彼女に対して苦手意識があった。いつも一行のメッセージや短い電話一本で梢を振り回しているのが気に入らない。
「そうかぁ。うん、じゃあ次のは方向を変えたの選んでみるね」
永洋には二人の趣味がズレているように見えるのに、親友だというのだから不思議だ。永洋の視線に気づいた梢は、何を思ったのか萩森から返してもらった本を差し出した。
「洋くんも読む?」
「俺はそういうのは苦手だ」
ドレス姿の女の子がイケメンに手を取られ微笑んでいる表紙の文庫本。ラノベは嫌いじゃないが、キラキラした女子向けを読みたいとは思わなかった。
楽しげに話す二人の脇に立っていると、疎外されているようで気が沈んだ。子供の頃の梢は活発で、自分たちと同じことを楽しみ、面白がり、一緒に行動するのが当たり前だった。けれど成長した梢は、隣にいるのに彼の知らないものを見て楽しんでいる。永洋はそれがとても寂しかった。
+
そんな五者五様の夕方は、突如として終わりを告げた。
誰かが「熱い」と叫んだ。
痛いと。重いと。冷たいと。鼓膜が破れそうな音だと、立っていられない振動だと。
助けを求める声が、悲鳴が、交錯する。
足掻くだけの時間も与えられなかった彼らは、暗闇に飲み込まれた。
『……というわけで、創造神の夫婦喧嘩で小さな星が落ちてしまいました』
目を開くと、真っ白な世界だった。
『直撃寸前で「ありえる状況と規模の損害」にまで調整したのですが、多くの人命を巻き込んでしまいました』
ぼんやりと多くの人影が見える。百数十人ほど居るだろうか。
『終わるべきでない命が、終わらざるを得ない結果になりました』
トン、と肘で脇を突かれ振り向くと、隣にいた影の、色と形が鮮明になった。
「浩明……」
「なあ、これってアレだろ」
「アレ?」
彰良は何処からともなく聞こえてくる声の主を探して周囲を見回した。
『多くの歪みを正すため、終わるべきでない方々の命を継続いただく場をご用意いしました』
「異世界転生とか、転移とか」
「なんだそれ」
「あれ? アキはラノベとか読まないのか?」
「読んだことはあるが、フィクションだろ」
「フィクションだよなぁ」
普通に考えるなら、と浩明は自分の頬をつまんだ。
『しかし我々に許されている力には限りがございます』
「でもこの状況って、まんまじゃね?」
ちょっとしたミスで死なせちゃった、ゴメンね。転生先を用意するからそっちで頑張って! そんな副音声が聞こえてきそうだ。
「いや、まさかそんな」
ありえないだろうと続ける前に、フィクション定番の台詞が聞こえてきた。
『どうぞ、あなたの新しき人生のために、小さな選択を』
声の直後に小さなポップアップウインドウが現れた。周囲の影からも、驚きや歓声や戸惑いの声があがっている。
「種族?」
浮かび上がった小さな画面を見た彰良の顔が歪んだ。
「ほら、やっぱり異世界転生だ!」
「……楽しそうだな」
半眼で睨みつけてくる彰良に「諦めろ」と浩明は笑って返した。
「集団で幻覚を見てるんじゃないなら、あの衝撃もこのウインドウも現実だぜ」
コンビニにいたあの瞬間、浩明はとてつもない重みを感じて意識を飛ばし、彰良は熱の塊を胸に受けて目の前が真っ暗になった。
ここに居る百数十の影は、正体不明の声が言うように「死んだ人間」なのだろう。隕石落下なんて地球規模の壊滅危機案件だが、寸前でありえる損害に調整したと言うのだから、クレーン重機の落下やガス爆発のような、事故か何かで自分たちは死んでしまったに違いない。
「夫婦喧嘩のとばっちりなんて理不尽すぎるだろ」
「続きが補償されてんだから、そこは寛大になろうぜ」
ラノベならステータスや特典がついてるんだけどな、と浩明がポップアップを指先で触る。
「選べるのって種族だけ、人族に亜人族の二つしかねぇのか」
残念そうに呟いた浩明は、どちらにしようかなとスクロールした。
「あ、亜人族を選んだらエルフとかドワーフとか、おおっ、獣人も選べる」
獣人は哺乳類、爬虫類、両生類、魚類と選択が進むようだ。ケモ耳は嫌いじゃないが、成るよりも愛でる方がいい。浩明は悩んで一旦キャンセルし最初の選択に戻った。
「折角だからアキも冒険してみようぜ」
ポップアップを触ろうともしない彰良の代わりに、浩明は横から手を伸ばし、ちょいちょいと操作した。
「アキはこっちの方が絶対に似合うと思うんだよな」
「おい、戻せよ」
「キャンセル押せば戻るぜ」
新しい人生をはじめるのだ、デフォルト・スタートなんてつまらないじゃないか。
「さて、俺はどうしようか」
浩明は自分のポップアップに向き直った、その直後だった。
『これより新しい世界へ皆さまをお送りいたします』
アナウンスが終わると同時に、周囲の影が次々と消えてゆく。
「お兄ちゃん!!」
「咲月?」
彰良は妹の叫びを聞いて振り返った。
少し離れた位置にいた黒い影が、消える瞬間に愛しい妹の姿に見えた。
一瞬だけ目が合ったが言葉を交わす間はなく、すぐに彰良の視界は歪み、瞬きの次には、世界は緑に変わっていた。