手のひらのぬくもり
序章の続きになります。
「――お前、精霊姫か」
闇夜の静けさに包まれた庭園で、少年は私の腕を捕らえて離さない。その視線の真剣さに、腕どころか心まで捕らえられたかのようだった。
彼の言う、精霊姫とは何だろうか。私の体質ともいえるこの能力は、そう呼ばれるのだろうか?
「精霊姫って……?」
「……知らないならいいんだ。忘れてくれ」
こんなカッコ悪いのが初対面じゃ恥ずかしいからな、とぼやきながら彼はため息をつく。
腕をぱっと離されて、少年は服についた汚れをはたき落としていた。
どうやら、転んだときにも怪我がなくて済んだらしい。彼の様子に少しほっとする。
「あなたは、精霊に詳しいの?」
「詳しいっていうか……一応、精霊魔法は使えるし」
一般的に、精霊魔法が正しく扱えるようになるのは、16歳前後と言われている。そして精霊魔法を学ぶことが出来る学院への入学は、14歳からなのだ。彼と私の年齢はそう変わらなく見えるのに、既に精霊魔法を扱えるということは、彼にはとても才能があるのだろう。
「凄いんだね」
「いや?オレより凄いやつ見つけちまったし」
「そうなんだ……」
彼はすごく向上心があるらしい。いいなぁ、と純粋に羨ましく思う。
きっと、精霊魔法を自分から追い求めているのだろう。
――彼に比べて、私はどうだろうか。
初めて精霊が暴走したあの日から、家族との会話ですら、どこか線を引かれている。
精霊が意思に反して動くのも怖くて、私自身も人を避けて生きてきた。
要は、諦めたふりをしてずっと何もしなかったのだ。
「そうなんだ……って、お前のことなんだけど?……あんなに沢山の精霊たちを言葉だけで制するって、おかしいだろ」
「うん……うん?って、えぇ!?」
自分の考えに浸りすぎて、聞き逃しそうになった。
思わずすっ頓狂な声が出てしまう。
「ふっ……、くくっ……!!変な顔……っ」
「ちょっと!そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「悪い、止まんない……ふっ…」
ひとの顔を見て笑うなんて!と思うけれども、しばらく少年の笑いは止まらなそうだ。
私はそんなに変な顔をしていたのだろうか……?貴族令嬢としてどうなんだろう、それって。
怒っていたはずなのに、彼の笑顔を見ているとどうしてかほっとする。
初めて、精霊の力を知っても“私”と接してくれた人だからかもしれない。そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
「お前さ、そうやって笑ってればいいじゃん」
「え…?」
「オレはお前のことはよく知らないけど、笑顔の方が魅力的だと思う。……それに――」
ふと彼が言葉を止めて、私の背後を指差す。
その指につられて振り返ると、庭園一面に精霊たちの光が瞬いていた。
目の前に広がる幻想的な光の海に、目を奪われる。
「精霊たちも喜んでる」
「本当だ……、綺麗……」
「ほら、あっちも見てみろよ」
そう言って次に指されたのは、舞踏会の会場。
ちらりと見えた人影に、急に不安が甦る。大丈夫だから、と彼に促されて恐る恐る視線を向ければ……紳士淑女たちがこの風景をうっとりと眺めていた。
そこに、見慣れた非難の色はない。
「……みんな、見てるね」
「そりゃそうだろ。精霊が人前に現れること自体が珍しいのに、こんなに沢山いるんだから」
「そう…なんだ……」
そうだったのか。いつも精霊たちが側に居たから分からなかった。
「お前さ、精霊と人間の橋渡し役になればいいんじゃないか?」
「精霊と、人間の……?」
彼はそっと私の右手を取って、庭園の奥の方へと誘う。
暗闇をゆっくりと進めば、精霊たちもつられるように私たちの後をついてきた。
「精霊を怖いと思う人間は、もちろん沢山いる」
「……そうだね」
「でもそれは、精霊のことをよく知らないからだ。ちゃんと知ろうともしないで、相手を遠ざけて耳を塞いでしまうのは……オレは、凄くもったいないと思うんだ」
真っ直ぐな彼の言葉が、私の心に静かに突き刺さった。
確かに、そうかもしれない。精霊を知らないから恐れられる。人間――相手を知らないから、遠ざけて、何も見えない振りをする。
人間と精霊の橋渡し。そんな夢のようなことが、私に出来るだろうか…?
「……知ることも知られることも、怖いよ」
「ああ」
「でも……、ずっとこのままでは居たくない。……あと、出来れば、みんな笑顔で居られたら……いいな」
ずっと心の奥底にはあったけれど、誰にも言えなかった本音が溢れだす。
(――ああ、私はずっと、誰かに話したかったんだ……)
彼と話して、ちょっとだけ自分と向き合えた気がする。
優しく握られた手をぎゅっと握り返せば、彼はそっと振り返った。
「いいんじゃないか?最初は怖くて当たり前だろ。だって知らないんだから」
「……そうかな」
「まぁ……少しずつ、だな」
彼は両手で私の手を包み込むと、ふっと微笑む。
その掌のぬくもりが、心まで温かくしてくれるようで心地よかった。
目を合わせて微笑み合えば、周りで精霊たちがまたたき始める。
「喜んでる…?」
「みたいだな。……じゃ、オレはそろそろ行くよ」
戻らないと怒られそうだし、と私の手を離して、彼は庭園のさらに奥へと踵を返した。
急に消えたぬくもりを追いかけるように、手を伸ばしてしまう。
「待って、名前を…!」
「――秘密。……また、会えたときにな」
唇にそっと人差し指で触れて、彼は微笑んだ。
そして何かを呟くと、闇に融けるように消えてしまった。
それが、“彼”と私――シャルロット・アルヴィンの出逢い。
彼の正体は未だ分からない。
けれど、彼とまた会えたときに恥ずかしくない自分であろうと、精霊魔法を学び、家族との交流を持ち始めた。
そうして過ごすこと、5年。
私はアルヴィン公爵家の令嬢として、領民たちに精霊魔法を教えている。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!