殿下の毒牙
ナッシュ様は珍しくムスッとした顔で私を睨んでいる。私は書き物をしていた手を止めてナッシュ様を見た。
「予定通りシテルンの視察は行くわよ?」
「大丈夫なの?」
「無理はしないし…ハッキリ言っていいかしら?このシテルンの視察に行きたいが為にあなたの仕事の手伝いしてるんじゃないの!この視察に連れて行かないって言われたら暴れるわよ?」
ナッシュ様は慌てて立ち上がった。
「あばっ…それは危ないよ!」
「ものの例えよ、いいわね?絶対ぜーったいシテルンの視察は行きますからね。ああ、忙しい~カデちゃんに視察の日程を教えなくちゃ~」
話しを強引に打ち切るとタクハイハコにシテルンの視察の日程表を入れて、お手紙と共にカデちゃんに送った。
婚姻式の日から4日過ぎました。
お腹の赤ちゃんも順調です。まだ実感は湧かないけど…慎重に行動しています、はい。
さて、ガレッシュ様ですが満島ミューズを必ず召喚してみせる!と宣言し、熱心に魔術師団のホーガンス師団長の元で魔術について学んでいる。
冒険者としてはSSSクラスで敵なしだけど、魔術や体術、剣術などもすべて独学なので一から学び直すのだと大変張り切っておられます。
まあ、頑張るのは良い事なのだけど…
ちょっとここら辺りで釘を刺しておきましょうかね。私はナッシュ様といつも通りに詰所に出勤した。
「おはようございます~」
「おはようございます、アオイ様」
私より早めに出勤していたジャレット君がにこやかに微笑んでいる。
まずは積み上げられた書類に目を通して決済を済ませたら各部署に返却に回る。ナッシュ様がすごい目で睨んでくるので走ることはしない…ように気を付けている。ちょっと疲れてきたらジャレット君に頼んで外回り?に出てもらうこともしている。
さてお昼休み…今日は食堂で昼食をとることにした。
普通は皇太子夫妻が食堂に入ってきたら場の空気が変わりそうなものだけど、それは全くない。勿論、ナッシュ様の近くを通る直接の顔見知りの兵士さん達は「オツカレッス」みたいなフランクな挨拶をしてくるけど、それだけだ。遠くにいるメイドや兵士もこちらの存在には気づいているけど騒ぎはしない。
多分ナッシュ様がこの空間にいることに慣れているのよね~まだ新規採用の職員が入宮していない時期だからなのかもだけど、そういえば後10日くらいで新規の方が増えるわよね?
その時期には流石に、生殿下を見て興奮する輩が出るらしい。
「毎年、殿下が食堂に入られたら駆け寄って来たり…時々詰所に押しかけて来る女性も出る時期なのですよね~勿論、詰所内には入れませんよ?殿下の魔物理防御壁がありますからね」
コロンド君…私思うんだけどさ、何もナッシュ様目当ての人ばかりじゃないと思うのよ?コロンド君目当ての追っかけもいそうな気がしてるのよ。現に手紙を渡してくれ…って何度も頼まれているし…私は自力で渡せ!その方が印象に残るし、好感度が高い!と女子達を応援してあげているのだけれど…
だけどね、今年に入ってからはその追っかけの方向がいつもと違う訳よ。
原因ははっきりしているね、あれよ、あれ。
「兄上~義姉上~オツカレ~」
見事にごつい第二部隊のお兄様達に囲まれている(物理防御されている?)ガレッシュ様が窓際のテーブル席から手を振っている。そそくさと、そのテーブルに近づいた。私の食事はナッシュ様が持ってくれている。
動く私と一緒に、ある種の魔力波形が付いてくる。このねちっこい感じは魔力波形が診えるようになってから、より顕著に分かるようになってきた。
嫉妬と妬みだ。
独身、イケメン、優しい、おまけに第二皇子殿下と、くれば女子達のねちっこい視線を受けない訳がない。
「大きな声で呼ばないっ!悪目立ちするでしょ!」
「ここに入る前から魔力圧で悪目立ちしてるよ~」
「それはナッシュ様だけでしょ?私は関係ないわ!もうっ…いつも義弟がお世話になっています」
第二部隊の副官のガッテルリさんに営業スマイルを向けた。ガッテルリさんはガンドレアのご出身で、ルル君やジャックスさんと同じガンドレア軍に子供の時に所属していた同郷の友だ。
「アオイ様もいつも大変ですね~」
そう、ガッテルリさんは私がいつも向けられているねちっこい視線に気が付いてる。彼も…その視線を受けることが多いからだ。
「ルルとの仲の橋渡しをしてくれって頼まれるんですけどね…でもルルに言ったって『断れ…』の一言だし、それをそのまま女の子に言ったら泣かれるし、恨まれるし、どうすりゃいいんですかね?これって模範解答あります?」
と、仲良くなってから真剣に相談されたことがあるのだ。模範…ではないかもしれないが、ガレッシュ様の追っかけと同じ対応を勧めてみた。
「つまりね、面と向かって気持ちを伝えて断られたりするのが怖いわけよ。でもこれって男女関係なく怖いことでしょ?さりげなく自力でルル君と接触してくれるように誘導することね。手紙などを渡してくれ…とかルル君との仲を介する役目を押し付けられそうになったらこう言うべきよ。『もし、君の友達から見知らぬ人から手紙を預かり、その人が自分のことを好きだと言っていたと聞かされたとすると…君はその面識の無い手紙の主をいきなり好きになれる?君が今、僕にしていることはそれだよ?僕に託してしまう事で、自分でルルに会える機会を一つ潰してしまっていることになるよ?何も会っていきなり好きだ、とルルに告げる事はないよ?僕だって女性に面と向かって告白なんて怖くて出来ないよ?まずはルルに挨拶をすることから始めてみてよ。まずはそこからだよ?ルルはゆっくり気持ちを育てていく恋愛が向いている性格なんだ。だからゆっくりとあいつと親しくなっていってくれると嬉しいよ。もし、君がそんなゆっくりとした時間は待っていられない…と言うのなら、それならもうルルは諦めてくれ。ゆっくりでもいい、ルルと付き合っていけるのならば…ルルの気持ちが追いつくまで待っていて欲しい。そしてルルの良き理解者になってくれると嬉しい』」
私がつらつらと私なりの模範解答を答えると、ガッテルリさんは
「紙に書いて下さい!」
と絶叫した。
どうやらこれは模範解答として、モテる同僚の橋渡しを強要されているボーイズ達のバイブルになるらしい。
どこもモテる身内がいると大変だね。
そんなモテる身内の義弟は、第二部隊に所属された日から、いかついお兄様達にがっちりガードされているから女子達は近づきたくても近づけない。別に私が頼んだわけじゃないのに、いつの間にやらガードされていたのだ。
それなのに、ああそれなのに…こういう時って女子は女子を敵視するんだよね、なんだろうね~
私がガレッシュ様に女子が近づけないようにガードをさせている!とか、陰口を叩くんだよね~ああヤダヤダ。
皆さん忘れているようですが…私これでも既婚者なのですよ、横に座って私に甘い顔を向けている皇太子殿下の嫁なのですよ。
あれ?でもそう言えば…
ナッシュ様って熱狂的な追っかけっていないわよね…どうしてなんだろ?
ラブランカは除いた、間接的な婚姻届のストーカー?はいたけれど面と向かって…とかはいないわね?もしかして女子に人気無いのかな?それはそれで嫁としては複雑だわ…とか思っていたら謎が解明された。
「男色疑惑?」
「そうそう、昔ね。ナッシュに振られた伯爵家のお嬢さんが噂を流したんだよ~あれ、いくつの時だったっけ?」
「22…」
ジューイに聞かれたナッシュ様がブスッとして答えた。男色…え~と同性が相手ってことか?ナッシュ様の相手は誰?
「ここにいる面子全員。特にひどいのがルルだね」
「ルル君が毒牙にっ!?」
「毒牙とか言うのヤメロッ!実際はそうじゃないんだからっ!?」
プリプリ怒ってナッシュ様が否定しているけどナッシュ様とルル君だなんて…一部の女子達が好む、耽美な世界のカップリングなのではないかしら…
「兎に角さ~あの伯爵家のあの子の流した噂、結構えげつない種類のものも多くてさ…ナッシュがそっち方面の方々とのド変態野郎だと認識されちゃったんだよな~」
「おいっ!ド変態とは何だっ!?」
まあ、そっちじゃなくて、ノーマル方面の変態様であることは間違いないけどね。
「あの噂を真に受けた…貴族の殿方が殿下に言い寄ったり…はたまたつけ回したりと、あの頃は迷惑でしたね」
ヒューーッと室温が下がって、フロックスさんの体から冷気が流れて来る。
「男のストーカーなの?それは別方向で怖いわねぇ…」
男が男に狙われるのも立派な犯罪行為じゃないの…その噂を流したご令嬢も悪質な方ねっ。
「噂も苛烈を通り越して、偏執な域まで罵ることも多くなった…そのことに令嬢の周りの家族や友人達も気が付いて、彼女を諌めたりしたが逆効果だったそうだ。それでも飽き足らずに私の噂をばら撒き続けた。相変わらず男色家には狙われるし…大変だった」
何なのそれぇ~!?
ナッシュ様が話終えると席を立って外に行ってしまったので、ジューイが顔を歪ませながらその続きを話してくれた。
「あいつは迫ってくる男色家なんて一撃で返り討ちだったけれど…もういい加減頭に来てたんで、当の本人のご令嬢と一族全員に話をつけたんだ。けどさどうやら、その令嬢はとうに精神を病んでいたらしくてな…家族も手を焼いていたってのが現状さ。今は療養を兼ねて田舎に住んでいるらしいけど、まだナッシュのこと罵ってるらしいよ…」
そんなことが…ナッシュ様ってラブランカに続き、なんて女運悪いの。ツイてないわね。
「その噂が独り歩きをしてまだ残ってるんだよ!」
気持ちを落ち着けてきたのか、ナッシュ様が詰所に戻って来て、またプリッと怒った。おやまあ…そうですか。
「そうそう、そう言う訳で女子からは恋愛対象外扱いが続いてたんだよ…ところがさアオイと婚姻しちゃっただろ?女子達が大騒ぎさ『とうとう偽装婚姻で男色を隠そうとしてる』ってね。男色疑惑から離れてくれないのな?なんでだろ?」
ジューイの疑問はもっともだが、私はなんとなく理由が分かっている。答えて進ぜよう。
「それは理由は簡単よ?あなた達、男同士でつるんでばかりだもの…気を遣わなくて楽なのは分かるけど、女性の気配も漂わせていないと逆に女性からは男友達と遊ぶ方が好きなのね?と思われて敬遠されるものよ」
ジューイとコロンド君…ジャレット君も若干顔を引きつらせている。
「そ、そういうものなの?」
「そうよ?つまり男の子同士で固まっていると隙が無いように見えて、そこに割って入ろうと思う豪胆な女性は少ない…ということね。あくまで私の見解よ?ご参考までに~」
ナッシュ様がへえ~と言いながら私の座っている事務机の横に立って聞いてきた。
「じゃあ、どういう男性なら女性は声をかけやすいの?」
「あくまで私の基準よ?そうね…良い例がいるじゃない。ガレッシュ様ね、今は第二部隊のお兄様達に守られてしまっているけれど、単独で居たらどなたにも話しかけているし、誰とも気さくに会話をするでしょ?あんな感じでハードル…え~と声をかけやすい雰囲気?を上手く作っていらっしゃるのがいいのよ。あの方なら、お暇ならお茶でも一緒に飲まない?とか誘っても簡単に了承してくれそうだしね。その雰囲気よ!」
「…だそうだ、皆、頑張れよ」
来たーーーっ!?いきなりナッシュ様から恋愛の勝ち組、恋愛ヒエラルキートップからの見下し発言きたよ、きたよコレ!恋愛音痴のナッシュ様のくせになんて偉そうなのぉ!?
…と思っていたら同じように感じたらしいジューイがケッと舌打ちをした。これこれ…皇子殿下の御前で在らせられるよ?
「言われんでも、いい子が居れば婚姻するさ!誰かさんみたいに極小の範囲でしか女性を選べないわけじゃないしなっ!」
ナッシュ様がいち早く反応した。
「極小て何だよ…」
「魔力がどうたらと言い訳してさ、結局女に対して消極的なのが悪かったんじゃないの~?」
「おいっ…ジュ…」
「仕事をしなさいっ!」
言い合いを始めそうなナッシュ様とジューイに向かって、フロックスさんから怒号と共に大量の氷の礫が飛んで来た!おおぃ危なっ!私は手刀で飛んで来た礫を叩き落とした。
哀れ…運動神経鈍男…らしい、見た目マッチョ中身ぶきっちょ…なジューイとたまたま横に立っていたジャレット君に礫が直撃して悲鳴を上げていた。
なんだかドタバタするなぁ〜まあいつものことだけど…よしっ!ちょっと噂のガレッシュ様の所へ行って来るか…あ、でも二人きりっで会うのはマズいわね。え~と
「ナッシュ様、今お時間ありますか?少しガレッシュ様にお話しがあって…」
と言うとフロックスさんはやや冷たい目で見てきたが、すぐ戻りますから…と告げると了承してくれた。
ナッシュ様と第二部隊の詰所に向かう。向かうと言っても同じ建物内の二階だ。階段を降りる時にナッシュ様は手を差し出してくれる。流石、皇子殿下よね…いつもスマートだわ。
「どうして女性に優しいのに、モテないのですかね~」
「またその話?モテないとかモテるとかよく分からないなぁ…」
そうか…この、のほほんとしてガツガツしてない所がいけなかったのかな?いわゆる、草食系男子だね。風に揺られてゆらゆら~だ。
女運の悪さと色々な不幸が重なった結果の…おひとりさま、だったようだけど…私としては売れ残ってくれていて有難かったし助かったけどな。
「私はモテてなくて良かったと思ってますよ。ナッシュ様が私と出会う為に、待っていてくれたと、良い様に解釈してますけどね」
いきなりナッシュ様に口づけられた。おいおいっ!?人目がありますからー!階段付近にいた兵士さん達から歓声と囃し立てる声が上がった。
「アオイ、可愛い事言うな…堪らんだろう?」
やめろーーーっ!もうっ!
「こーんな所で何やってんの~?」
ニヤニヤして階段下にガレッシュ様が立っている。
とんだ恥さらしよ…これなら『愛蘭華』の旗を持っているほうがまだマシだわ。
とにかく、当初の目的を果たさねば…
ガレッシュ様を廊下の隅に連れて行くと、消音魔法をかけて周りに声を聞かれないようにした。
「なに~?」
私は腰に手を当てると、自分より高い位置にある菫色の瞳を見上げた。
「まずは先に言っておくけど…満島ちゃんは召喚しても来ないわよ。でもね、万が一、本っ当にぃ万が一にも来てくれた場合に…その時にガレッシュ様に心得ておいてもらおうと思って、敢えて…きついことを言わせてもらうわね?いい?」
ガレッシュ様はコクコクと頷いた。何故かナッシュ様までも頷いている。
私はスゥ…と息を吸い込んだ。
「ガレッシュ様が彼女に、どのような理想の女性像を抱いているかは分からないけれど…レイナ=ミツシマは生きている一人の女性よ。私は職場で働いている彼女と…プライベ…え~と休日に少し会う時の彼女しか知らないわ。だから実際の彼女の心根は全部は知らない。ガレッシュ様が思い描いているレイナと、現実の満島ちゃんは本当は全然違う人かもしれない。だからこそ変な思い込みで実際の彼女が、ガレッシュ様の理想と違うとなった時に…どうか、満島ちゃんに辛く当たらないで欲しいの。そして自分の理想を押し付けないで貰いたいの」
ガレッシュ様は聞き終えると深く息を吐き出した。
「どうしてそう思うの?」
それを言わせますか?ガレッシュ様は分かってないのかな…もしやこの人も拗らせ皇子だったのか?
「今のガレッシュ様は幻術で見せた満島ちゃんしか見えなくなっているからよ。だからね、もし召喚で彼女が異世界に来て…ガレッシュ様が満島ちゃんに対して理想を押し付けようとして彼女を傷つけるようなことをしたら、私はガレッシュ様と満島ちゃんを引き離すわ。それは覚悟しておいて」
ガレッシュ様は大きく目を見開いた後、頭を掻いた。
「俺、我を忘れてた?」
「そう見えたわね…そりゃ一目惚れってあるけれど、人は外見だけじゃないでしょう?更にこの世界には魔力の相性もあるしね。理想と現実が伴わなかった時に…ガレッシュ様も満島ちゃんもどちらにも傷ついてほしくないし、傷つけ合ってほしくないの。だから気持ちの無理強いだけはしないで欲しい」
ガレッシュ様は上を向いて私が言った言葉を噛みしめているようだ。
「了解、義姉上。でもやっぱり召喚してみたい…呼んでも来てくれない確率のほうが高いのは分かってるけれどやっぱり会ってみたい」
そんなに恋焦がれてるのねぇ…これはガレッシュ様の追っかけ達が発狂しそうな案件ね。
「でね~あの幻術魔法使ってレイナの幻術を作るんだけどさ~上手くいかないんだよ~義姉上、お願い!あのユカタ?とかいう服の色っぽいレイナをもう一度見せてよ!」
こ、こいつ…本当に分かっているのか?この拗らせめっ!
その後に第三部隊の詰所まで押しかけて来て、煩く騒いだガレッシュ様に根負けして…温泉に入っている満島ちゃんを見せて上げた。幻術の鑑賞メンバーは皇子殿下兄弟とジューイとコロンド君だ。
刺激が強すぎたようだった…
コロンド君は鼻血を垂らしていた…
詰所の奥の物置の中でコッソリ見ている時に、フロックスさんが踏み込んで来て、すごく怒られた。
まるで、エロ本を先生に没収されるような胆の冷える思いがした…と思う。
あくまで想像だけど…




