フォラスの質問
少しずつ目が慣れてきた。
円形の広間のような空間だ。
頭上も丸いドームのような形になっている。
そして、そのドームには小さな白い点が幾つも浮かんでいた。
まるで星空のように。
地上の陽光が点々と漏れ入ってきているのか。
そのおかげで、この空間の中のものの輪郭が朧につかめる。
それを見た俺は元の世界のあの場所を思い出さずにはいられない。
プラネタリウムから始まった物語がここで完結する。
その直感に背中がゾクゾクした。
何かの試験の合格発表を前にしたような恐怖と希望がないまぜになる。
「遠慮せずに中に入りたまえ。ここに瘴気はない」
フォラスの威厳に満ちた声が朗々と響く。
彼は広間の奥に設えられた小さなステージのようなところに立っている。「ここは我が国の最深部。こんなところまで来るとは予想外だったよ。おかげで我が国はめちゃくちゃに破壊されてしまったがな」
フォラスがカッと目を見開いた。
「ヒッ」
思わず「すいません」と頭を下げそうになる。
この人、苦手だ。
威圧感が半端じゃない。
でも、俺は耐えた。
壁にイエス像のように十字に貼り付けられた全裸のデネブを見つけたから。「デネブ!」
「アル……」
デネブはぐったりしていた。
デネブの背後の壁には巨大な赤い花の絵が描かれている。
いや、絵ではない。
あれは実物の花だ。
茎の上に重そうなマグロのような大きさの花の蕾があり、すぐ下にいるデネブの頭を食べそうな位置に垂れている。
少し開きつつあるその蕾は血のように赤い花弁が覗かせていた。
開花すれば直径は二メートルを超えるだろう。
デネブはその花の茎に手足を縛りつけられていた。
まるでその赤い花が華麗に咲くための犠牲のように。
茎から伸びる何本もの緑色の蔓がもぞもぞと蠢いている。
よく見ればそれが彼女の足や手に伸び、彼女をがんじがらめにしているのだ。
「デネブに何をした?」
俺は叫んだ。
怒りがフォラスへの怯えを消し去った。
「質問だよ」
「質問?」
「そう。なかなか答えてくれなくてね。私も困ってたんだ。だから、あの蔓を使って、彼女を気持ち良くさせてね。人間は気持ち良くなると、何でも喋っちゃう生き物だろ?」
「何を馬鹿な」
「ああ。馬鹿だったかもね。結局その女は何も喋らなかったからな。それとも」
フォラスはデネブの方に掌を向けた。
蔓が一斉に彼女に向かって動き出す。「実は人間じゃないのかな」
何本もの蔓が、デネブの首筋に、両の乳房に、そして股間に伸びていく。
あっ、くふぅ、ぐぅ、ああんっ
「やめろぉ!」
俺はデネブに向かって駆け出した。
アスカロンを抜き放ち、蔓を切り払う。
壁から解かれ、力なく落下するデネブを俺は全身で受け止め、その場に横たえる。
「アルぅ」
デネブが耳元で弱々しく俺を呼ぶ。
「デネブ。大丈夫か?何だこれ?」
俺は全裸のデネブの背中に付いている黒い羽に触れた。
よく見ると頭からも小さな羽が出ている。
「ああ。それはサキュバスの羽だよ」
フォラスが手に赤い宝石を弄びながら抑揚なく告げる。「彼女は私が深く愛したサキュバスの女王に似ていたものでね。そのサキュバスの女王はポラリスとの戦いで行方知れずになってしまって、私は非常に悲しい思いをした。そして、今でも彼女のことは忘れてはいない。だから、ちょっとお願いして、サキュバスの女王の格好をしてもらったんだよ」
デネブが元カノということにフォラスが気付いているのは間違いなさそうだ。
俺は試しに背中の羽を掴み、引っ張った。
「痛い、痛い!」
デネブが顔を歪めて身を捩る。
無理やり外すことは難しそうだ。
アンタレスが雑嚢からテントの生地を取り出し、適当にちぎってデネブの裸体を覆う。
俺はフォラスを振り返った。
「デネブはサキュバスの女王なんかじゃない!こんな羽、外せ!それから、その赤い宝石はデネブのものだろう。返せ!」
「それは質問に答えてもらってからだな」
「何が知りたい」
フォラスはやれやれという表情で自分の左側を手で示した。
「これだ」
そこには土が盛られており、その頂に鞘に入った剣が突き刺さっている。
「アロンダイト!」
「ご名答」
フォラスは赤い宝石を興味なさそうにデネブの足下に放り投げた。「このアロンダイトをここまで運ぶのにどれだけの犠牲を払ったか。そしてアロンダイトを鞘から抜こうとして、どれだけの魔族が息絶えたか」
フォラスは無念そうに俯き加減で首を横に振った。
犠牲?
魔族が息絶える?
「どういうことだ?」
「何でもいい。こちらの話だ。とにかく、この剣が抜けなくて困っている。君はアロンダイトを抜いたことはあるか?」
フォラスの問いかけに俺は逡巡した。
これはどう答えるべきか。
答え方によって、俺たちに対するフォラスの態度が大きく変わってくる気がする。
「アストラガルスを知ってるか?」
俺は問いで返した。
フォラスは何やら仲間を犠牲にしてまでアロンダイトにこだわっている。
そして俺たちはアストラガルスを求めてこの冒険をしている。
この問いに対する答えは等価だと俺は思った。
フォラスは俺を黙ってじっと見つめた。
表情はない。
感情が読めない。
汗がじわっと噴き出す。
胃がキリキリ痛む。
何だ、この重圧は。
フォラスに無言で凝視され、俺は沈黙に耐えられなくなってくる。
「知ってるのか、知らないのか、どっちだ?」
痺れを切らしたのはアンタレスだった。
フルンティングを抜き放ち、一歩、二歩とフォラスに詰め寄る。
嫌な予感がした。
俺はアンタレスを止めようとした。
が、その前にフォラスがその手をアンタレスに向ける。
「無礼者め」
フォラスの手から巨大な火炎が飛び出して、アンタレスを吹き飛ばした。
「アニー!」
十メートルは飛んだだろう。
アンタレスはこの広間の入り口横の壁に激突してずるずると倒れた。
「フォラス!」
俺は立ち上がってアスカロンを構えた。
「やめておけ。あいつの二の舞になるだけだ。それよりも、早く答えろ。アロンダイトを抜いたことはあるか。あるいは、もしかして……」
フォラスは初めて表情に苛立ちを見せた。「貴様、封印したのか?」




