瘴気
魔族たちは俺たちの退路を断つように半円に囲んでいた。
「逃げるわよ!」
デネブの金切り声に追い立てられるように俺とアンタレスは走り出した。
こんなに大勢の敵を向こうに回してこの暗闇の中、まともに戦えるはずがない。
しかし、デネブだけがその場に留まり魔族たちに立ち向かうように仁王立ちになる。
「デネブ!何やってんだよ!」
俺は引き返してデネブの腕を掴んだ。
「ちょっと目くらましするだけよ。目を閉じて!」
そう言ってデネブは気合いを発した。「ハッ」
先ほどよりもさらに強い発光。
デネブの背後にいる俺はデネブの背中のシルエットしか見えない。
デネブの向こう側の魔族たちは目を開けていられないだろう。
光源を直視した者は失明したかもしれない。
「うぉおおらあ!」
デネブはさらに吼えた。
すると地面から洞窟上部に向かって光の壁が出来上がった。
これで当分魔族たちはここで足止めを食うことになるだろう。
満足げにデネブは敵に背を向けて走り出した。
「頼りになるわぁ」
感嘆の声を上げた俺にデネブは一つウインクをして、「ご褒美は体で払ってもらうからね」と俺の腕に腕を絡ませる。
「ちょっ」
思わず俺は赤面した。
「いちゃついてる場合か!」
アンタレスの声をきっかけにして俺たちは真面目に走り出した。
俺たちは必然的に穴の奥へ奥へと逃げるしかなかった。
遠くに白いラインが上下に走っているのが見えてきた。
あれは、洞窟の上部から光が差し込んでいるのか?
「ねぇ。ちょ、ちょっと待って」
いつの間にか並走できなくなっていたデネブの息も絶え絶えな感じの声が背後から聞こえる。
「どうした?」
俺は少し足の運びを緩めながら後ろを振り返った。
デネブだけでなく、アンタレスも苦しそうに膝に手を当てている。
俺は立ち止まって二人を待った。
魔族が追いかけてくる気配はない。
振り切れたのか。
「何かおかしいの」
デネブが体を引きずるようにして近づいてくる。
「何かって何が?」
「シャウが苦しそう」
デネブが掌を広げる。そこには小さくなったシャウカットが横になっていた。
「魔法で小さくしたの?」
「うん。ぐったりして走れなくなっちゃったから」
よく見ると、シャウカットのお腹が短い間隔で膨らんだり萎んだりを繰り返している。
呼吸が浅い証拠だ。
「どうしたんだろう?」
指先で撫でてみるが、ぐったりしたままだ。
「アルは何ともないの?」
「え?俺?」
俺は体調に変化は感じていない。「別に何ともないけど」
「アニーは?」
デネブに訊ねられたアンタレスは「アニー」と呼ばれることに怒りを示すこともなくなった。
受け入れたのか、体の不調から怒るのも辛いのか。
「体が、だるい。力が、何かに、吸い取られているような、感じだ」
アンタレスは切れ切れに言いながら、最後にはその場にしゃがみ込んでしまう。
「あたしも」
デネブまでがぺたんと地べたに座ってしまった。
辺りを照らす光魔法の輝きが弱くなった気がする。
「何だよ。みんなどうしちゃったんだ」
「瘴気だよ」
背後からの声に弾かれたように振り返る。
俺は同時にアスカロンを抜き放っていた。
目の前に落ちてきた大刀をギリギリのところで受け止める。
さらに隙だらけのはずの相手の腹に蹴りをお見舞いしようとしたが、相手は軽やかにバク転で俺から距離を取った。
「オセ!」
「親切に教えてやろうと思ったのに、蹴りを返すなんて失礼な人だな」
「お前こそ、背後から打ち込んできたじゃないか」
「挨拶代りだよ。久しぶり」
オセは旧友と会ったかのような緊張感のなさで右手を軽く挙げる。「まさかこんなところにまで来るとはね」
「来ちゃまずかったかよ」
俺はアスカロンを八双に構え、足場を踏みしめ、腰を落とす。
神経を集中してオセの動きに備える。
デネブもアンタレスも戦闘不能だ。
ここは俺一人でオセと対峙しなくてはならない。
冷静に。
でも自信を持って。
「そりゃ、まずいさ。フォラス様が忠告しただろ。命の保障はできないって」
オセが動き出した。
あの重いレーヴァティンを肩に担ぎ、右へ左へ、前へ後ろへ軽やかにステップを踏む。
まるでダンスをするかのように。
見ているとその動きに魅了されて、咄嗟の時に動きが遅れてしまいそうな感じがする。
ダメだ。
このままじゃ、オセのペースに引きずり込まれる。俺は息が詰まりそうで、あえて攻撃に出た。
一気に間合いを詰め、袈裟懸けに振り下ろす。
すぐさま一歩詰めて下段から振り上げる。
さらに肘と手首の返しだけで小刻みに切っ先を動かし右から、左からとオセの腕を狙う。
しかし、様子見でしかない攻撃がオセに当たるはずもない。
オセはいなすように大刀で俺の剣を払った。
俺はサッと後方に飛んで、オセとの間合いを開ける。
「後ろの二人に何が起きている?瘴気とは何だ?」
再び八双に構え、じりじりと間合いを切りながら、オセに疑問をぶつけた。
「実は俺にもよく分かんないんだよ」
「ふざけるな!」
俺は大きく踏み込んで距離を詰め、アスカロンをオセの首筋目がけて走らせた。
オセは大刀で軽々と俺の一撃を受け止める。
俺はさらにアスカロンを押し込んだ。
オセもレーヴァティンに力を込める。
ギリギリと刀身同士が擦れる音がしてオセの豹顔が息がかかるほどの距離に近づいた。
「本当さ。俺たち地人には分からない。ただ、これまでにここに連れてきたポラリス人はみな辛そうに呼吸をするんだ。ここの空気が体に合わないんだろうな。やがて、顔色は青ざめ、肌から血管が浮き上がり、目は血走って、俺たちが何もしなくても……勝手に死んでしまう」
「なっ」
何ということだ。
この洞窟内の空気に有害物質が混ざっているのか。
「フォラス様は瘴気とおっしゃっていた。我々地人は長い年月をかけて体が慣れたのだろうな。しかし、耐性のないポラリス人にはこの暗い穴の底から少しずつ湧き出ている毒性のガスに体が蝕まれてしまうのだろうな」
さっさと穴から出るのが賢明だぞ、とオセは口元を歪めて嗤う。「逃がしはしないがな」




