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アニーたま

「いててっ」


 俺は鈍痛の疼く腰と肩を擦りながら、体を起こした。

 見上げると空が穴の形に楕円に切り取られている。

 微かに緑の城壁も確認できた。

 どれぐらい落ちたのだろう。

 十五メートルというところか。

 滑り台気味に少し角度がついていたようで、ずるずると滑っていったため助かった。

 四肢を伸ばし、関節を曲げ、骨折や捻挫、脱臼はないことを確認した。

 しかし、擦り傷と打撲は全身にくまなくできているようだ。

 頭上の穴から届く光に自分の体を晒し、点検する。


「アル。大丈夫?」

「デネブ?どこ?」


 声の方に目を凝らすと、四つん這いで近づいてくるデネブが見えた。「怪我、ない?」


「あるわよ。全身傷だらけ」


 デネブは俺の横まで来ると、地面にぐったり寝転んだ。「動けないわけじゃないけど」


「俺もそんな感じ」

「アンタレスは?」

「どこだろ?」


 二人で四方を見渡しても穴の真下から少し離れるだけで視界が効かない程暗く、見えるところにアンタレスの姿はない。


 と、「ニャオウ」と猫の鳴き声が聞こえてきた。

 まるで「こっちだよ」と俺たちを呼んでいるようだ。


 見ると、シャウカットの双眸が暗闇に浮かんでいる。

 俺たちは地面を手探りで少しずつ進みながらシャウカットに近づいた。

 すぐそばまで来ると、シャウカットの隣で相棒剣士が横たわっていた。


「アンタレス?アンタレス」


 揺さぶってみるが、返事がない。

 口元に耳を近づけると、呼吸音はしっかり聞こえた。「よかった。息はしてる」


「こういう場合、無理に起こさない方がいいのかな?」


 デネブがシャウカットを撫でながら、光魔法で淡くアンタレスを照らす。


「魔法で何とかならない?」

「んー。神経を昂ぶらせる魔法はあるけど、もしどこかの血管が切れてたら……」

「それは、ちょっと危険だな。でも、困ったな。どうしたら……」

「私にお任せを」

「「え?」」


 アンタレスから顔を上げると、そこに若い、幼いと言っても良いぐらいの女性がパジャマのようなワンピース姿で浮かんでいた。


「私はフルンティングの精です」


 俺とデネブは顔を見合わせて「ああ」と頷きあった。

 アンタレスが大事に接していたフルンティングの精はイメージにぴったりだった。

 どことなく瞬一の彼女の恵里に似ている。

 コロコロ可愛らしく響く舌足らずな感じの声はアニメの幼女キャラっぽい。


 フルンティングの精はスーッとアンタレスの傍に降りてきて、耳元で「アニーたま。アニーたま。起きてください、アニーたま」と囁いた。


「えー。アニーたまって何?」


 デネブが口元に手を当て笑いを堪えながら耳打ちしてくる。


「笑うなよ」


 たしなめる俺も笑えてくる。


 その俺たちの目の前でアンタレスは突然ガバッと上体を起こした。


「おはようございます。アニーたま」

「おはよ、フルン」

「目が覚めましたか?」

「いや、まだ」

「では、これでいかが?」


 フルンティングの精は立膝でアンタレスの頭を抱きかかえた。

 アンタレスの顔がフルンティングの精の胸に押し付けられる。


 アンタレスはそこで顔を左右に振る。

 フルンティングの乳房の感触を楽しんでいるのが分かる。


「ニャー」


 シャウカットの一鳴きにアンタレスがビクッと体を揺する。

 フルンティングの精の姿が蜃気楼のようにぼやけ、消える。


 アンタレスはゆっくり俺たちを振り返った。

 その顔は地獄行きを宣告されたように醜く歪んでいる。


「よっ。大丈夫そうだな」

「あ?」


 アンタレスはハッと上空を見上げる。「ああ。何とか、大丈夫だ」


「一つ訊いていい?」


 デネブがニタニタ笑っている。

 可愛そうに。

 アンタレス、当分いじめられるぞ。「アニーたまって、何?お兄様ってこと?」


 アンタレスの顔が、この暗がりでも真っ赤になっているのが分かる。


「随分、深い穴だな」

「はい。ごまかさない」


 デネブは自分の太ももをピシッと叩いた。


「勘弁してくれよぉ」


 涙目で「アルぅ」と助けを求められても、俺に今のデネブは止められない。


「逃げ場はないわ。この暗さではね」


 デネブが「観念しなさい」と凄んでアンタレスの顔に向かって光を照射すると、アンタレスは喉の奥で呻き声を鳴らした。


「アンタレスの上二文字でアニー。それとお兄様。両方がかかってます」


 アンタレスはがっくりと項垂れた。


「あの、おっぱいに埋めた顔をブルブルするのっていつもやってるの?」


 デネブは容赦ない。


「はい」


 アンタレスは虚ろな目で白状した。


「キャー」


 デネブは自分の頬を手で挟み嬉しそうに俺を見る。「アルもやってほしい?毎朝あれで起こしてあげようか?」


 デネブは両手で胸の膨らみを支え、ふるふると左右に振る。


「いやぁ、俺はいいよ」


 俺は引きつった笑いで胸の前に両手を立てて、デネブとの距離を取る。


「それより、何だよ、この穴。どうして魔族はこんなデカい穴作ったんだ?」

「あんた、話題の転換に無理があるでしょ。強引過ぎよ」


 デネブが鋭利に目を細めてアンタレスを見る。


「あ、いや、でも、こんな深い穴、自然にできるもんじゃ……」

「まあ、いいわ。教えてあげる。地人はね、土とか石とか岩とか、地面の中にあるものを主食としてるの。そして、地面の下で暮らすことが多い。だから、地人なの」


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