デネブの打算とアルの決意
「えーっと」
俺は大事なことに思い至って立ち止まった。
鼻の頭を掻きながら、デネブを振り返る。
「ん?何?」
「ヴェガ王女ってどこにいるんだっけ?」
デネブは「アルぅ」とぐったり項垂れた。
「しっかりしてよ。昨日から母屋で休んでいらっしゃるじゃない」
また記憶なくしたとか言わないでよね、とデネブは鋭いことを口にする。
俺は乾いた笑いを響かせて「疲れてたから、眠りが深かったのかな」などと自分でもよく分からない言い訳を咄嗟に口走る。
「そっか。母屋だね。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
「待って。あたしも行く」
「いいよ。デネブは陛下にも会いづらいだろ」
「いいの。アルはまた迷いそうだもん」
確かにそう言われると自信がないので、デネブの言う通りにした。
デネブの後ろについて一度木造の粗末な建物を出て、渡り廊下のようなところを経由してまた同じような建物に入る。
ここ、何となく見覚えがある。
デネブに気付かれないように周囲をキョロキョロ見渡す。
確か、ここは……。
フォワードの街の唯一の診療所だ。
顔は思い出せないが、感じの悪い酒臭い医者がいたのは覚えている。
あの飲んだくれの医者ではヴェガ王女の毒の治療には何の役にも立たないだろう。
それどころか「さっさと出て行け」と言われそうで心配だ。
俺は思わずデネブに声を掛けた。
「何?」
「ここでいつまでヴェガ王女を休ませてくれるんだ?」
「それなら心配ないわ。陛下が王家の金貨を渡してたから。あれであの藪医者は一年は遊んで暮らせると思うよ」
地獄の沙汰も金次第ということか。
前国王も色々とご苦労様だ。
廊下の奥に見張り兵が二名。
粗末ながらも建物の一番奥の一番広そうな部屋がヴェガ王女の病室ということらしい。
デネブは兵と顔見知りのようで、あっさり扉の前に通してもらえる。
デネブが扉をノックして「デネブです。今、お邪魔してもよろしいでしょうか?」と声を掛けると、部屋の中からドタドタと駆け寄ってくる足音が聞こえて、すぐに扉が開いた。
「おお。デネブ。おはよう。今朝も美しいのう」
前国王は相好を崩してデネブを迎え、手を伸ばしてデネブの髪に触れようとする。
が、デネブにやんわり避けられ、背後にいる俺に気付いて途端に渋面を作った。「何じゃ、お前もおるのか」
邪魔者扱いもここまで明確だと笑ってしまう。
前国王は肌艶も良く、病身にあるとはとても思えない。
デネブに夜這いを掛けたのはどうやら本当のようだ。
体力を回復した途端、食指が動くということからして、昔の植物状態になる前のデネブを妾にしていたというのも事実なのだろう。
昔のデネブと今のデネブは中身が違うことを前国王も知っているはずだが、外見がデネブであれば良いのだろうか。
あるいは前国王は単に女好きということか。
前国王は入ってこいという感じで部屋の奥へ戻ってしまう。
失礼します、と入っていくと、何の装飾もないベッドが二台。
窓際の方にヴェガ王女が眠っていた。
近づくと、意外にも穏やかな顔だ。
顔色は冴えないが、苦しそうな様子は見られない。
俺はベッドの脇で膝を折り、手の甲でその頬に触れた。
少し熱い。
かさついている感じもする。
顔を寄せて「ヴェガ」と小さく話し掛けた。
「苦しくないか?俺が助けてやるからな。絶対に毒なんかに負けるなよ」
「陛下。昨晩も申し上げましたが」
デネブは俺がいるのを気にしていないのか、あるいは、わざと俺に聞こえるようになのか、前国王に対して声を張った。「私はデネブでありながら、陛下のご存知のデネブではございません。神のいたずらか、魔王の計らいか、私はこのデネブの体を得て目を覚ましましたが、もとは陛下に追い払われた魔族の者にございます。このような卑賤の身の私が陛下のお傍でお仕えすることなど、あってはならないこと」
「デネブ。わしは過去のことは気にならないたちだ。元は魔族であろうと、今、こうしてわしの前におるそなたは紛れもないデネブ。周りの目など気にしなくても良いのだぞ。何か言われたら、このわしが自ら成敗してやる」
前国王の威厳などどこへやら。
結局のところ、デネブに捨てないでとお願いしている感じだ。
「私のような者に何と優しいお言葉。お気遣いありがとうございます。ですが、陛下。今の未熟な私には魔法使いとしての鍛錬が必要。また、そちらにいるアルタイルが旅に出たいと申しておりまして、私に同行を求めております。私としましては、彼の求めに応じ、彼を支えたいと存じます」
いきなり名前を出されて、反射的に俺は二人を振り返った。
デネブは嫣然と微笑んでいる。
前国王は口をへの字にしてこちらを睨んでいた。
いやいや。
俺はそんなこと頼んだ覚えはないが。
俺が口を開こうとすると、デネブは目を見開いて大きく首を横に振った。
俺がヴェガ王女に会いに行くと言ったときに、ついてきたのはこれが言いたかったためか。
「旅に出るか。剣士アルタイルよ」
旅?
何の旅だろう。
「奇跡の花、アストラガルス。アルタイルはヴェガ王女のためにアストラガルスを探したいと考えているようです」
デネブの言葉に「むう」と前国王が唸る。
毒に苦しむ娘のため、と言われれば父親としては喜んで送り出すしかない。
デネブがついて行くのも、これまで一緒に旅をしてきたことを考えると自然な成り行きだ。
「前にも言ったが、アストラガルスを見た者はポール王国にはおらん。仮に見つかったとしてもアストラガルスが本当に万病に効果があるのか分からない。それでも行くのか」
前国王に問われて、俺は決然と立ち上がった。
「行きます。行かせてください。俺にはヴェガ王女のために他にできることが見当たりません。確かにあるのかないのかも分からなければ、ヴェガ王女の毒を癒すことができるという保証もありません。ですが、可能性がゼロではないのならばそこに賭けたいと思います」
「可能性……か」
前国王は窓の外を見遣った。「言った通り、ポール王国では見た者はおらん。つまりポール王国の支配が及ぶところにアストラガルスはないということだ。そしていみじくもお前が以前言っておった」
「俺が?」
「あるとすれば、魔族のはびこる、復活したサタンが支配する領域だ。先の道のりは険しいぞ。それでお前が命を落とすことになるやもしれん」
前国王の腹に響く威厳に満ちた声で命と言われて一瞬怯んだ。
だけど、ここで尻込みしてしまっては何のためにこちらの世界に飛んできたか分からない。
「俺のような馬鹿な人間がヴェガ王女のためにいくら祈ったところで奇跡は起きません。俺にあるのは剣の腕ぐらいのもの。それを懸命に揮えば、もしかしたら俺の気持ちもヴェガ王女の心に届くかもしれません。今は全力で何かをしていたいのです。ヴェガ王女のためにできる何かを。結果のことは考えていません」
「そうか。そこまで言ってくれるか」
前国王は俺に向かって右手を開いた。
そこから柔らかい黄金の光が広がり、俺を包む。
すると体の奥底からシュワシュワと気泡のような温かい何かが湧いてきて、指の先まで力が漲るのを感じる。
これが前国王の光の魔法の効能なのか。「ヴェガは今はわしの魔法で落ち着いておるように見えるが、魔法の効果が切れてくると、汗が浮かび表情も険しくなる。そして、実のところは波が砂をさらうように少しずつ毒によって体力を削り取られているのだ。つまりヴェガに残されている時間はそう長くはない。矛盾したことを言うようだが、あるともないとも言えないアストラガルスを必ず持ち帰ってほしい。我が娘のために死力を尽くせ。頼むぞ、剣士アルタイル」




