俺がしてやれること
「あー。もうちょい、頑張るかぁ」
もう何度目か分からないが俺は再生ボタンを押し、座席に戻ってみた。
毎度おなじみの東西南北の文字が天球の低い位置に現れる。
俺の正面には「東」の文字。
そして今の季節、日が暮れるとまず宵の明星と呼ばれる金星が西の空に姿を見せる。
丁度俺の頭上だ。
俺の頭上に……。
あれ?
あの時、俺は正面に宵の明星を見なかっただろうか。
今の「東」の文字の位置に「西」がなかっただろうか。
俺は立ち上がって天球を見渡した。
投影されている映像があの時とは百八十度向きが変わっている気がする。
そんな大きなことにどうして気が付かなかったのか。
いや、大きすぎて気付かなかったのかもしれない。
俺は椅子から飛び降りて操作卓の台に駆け上がった。
投影を反転させる方法はないか。
それが異世界への鍵なのではないか。
しかし、操作卓には鍵につながるような表示はなかった。
もちろん使っていないボタンやつまみはいっぱいある。
だが、それらに触れる勇気は機械音痴の俺にはない。
触れたら最後、この高そうな、田舎町のシンボル的な存在を破壊してしまいそうで恐ろしい。
マニュアルを何度も読み返したが、それらしい表記は見つからない。
そんなことマニュアルに書いてあったら、それはそれでおかしいだろとツッコミを入れたくなるだろうが。
俺は探した。
どこかに鍵があるはずだ。
どこだ。
どこにある。
そして俺はあるものを見つけた。
いや、見つけたわけではない。
それは最初からそこにあった。
計器だ。
時計のように円形の目盛板に針がついているあれだ。
見れば年月日、月の満ち欠け、緯度、時間などと、当然ながらそれぞれの計器ごとに示す内容がその下部に記されている。
しかし、一番右側の一つだけは何を示すのか明記されていない。
そしてその何を示すのか分からない計器の目盛板を見ると、「N」「E」「W」「S」と記されている。
今、この計器の針はNを指している。
NEWS。
これは方角ではないか。
針をNの反対のSに向けることができれば、投影を百八十度回転させることができるのではないか。
しかし、それをどうやって。
計器の針に直接手で触れようとしても、透明のカバーに邪魔をされる。
いっそ、計器の目盛だけを回転させることができればな。
そう思って無理とは知りつつ計器のカバーに力を入れてみたら、カチカチと音がして計器の目盛が回転した。
「マジか!」
俺はここ何年とない興奮を味わっていた。
足下から何かが湧き上がるようなこの感覚は県選抜として戦いチームを勝利に導く一本を取ったとき以来だ。
計器を反転させてSの文字を針に合わせる。
そして、再生。
「おおっ!」
天球に表示された「東西南北」は見事に百八十度回転している。
俺は喘ぐように椅子に戻って胸の高鳴りそのままに着席した。
しかし、何も起こらない。
ただ単に投影が回転しただけだ。
何かまだ足りないのだ。
いいところまで来ている感覚はあるのだが。
俺は椅子に座ったまま周囲を見渡した。
そして、また一つのことに気付いた。
椅子の傾きが足りない気がする。
頭上の「東」の地平線は見えているので、天球を見るには十分なのだが。
昼間、ここでプラネタリウムを見たときは、もう少しリクライニングしたように思う。
それこそ、天球を眺めるというよりは、眠りに誘うぐらいに。
俺は椅子から降りて、携帯電話の明かりを使いながら椅子を点検してみた。
そして背もたれの下部にストッパーがついているのを発見。
一度ストッパーを引っ張って外し、もう一度シートに座ってみると、先ほどよりも体が床に水平に近づいた気がする。
よし、もう一度最初から。
俺は、投影をリセットしてスタートさせ、椅子に座って天球を仰いだ。
あの時と同じ感覚。
いけるかも。
そう思って、ゆっくり目を閉じる……。
やはり、何も起こらない。
何故だ。
腕時計は一時を示している。
この調子だと、このまま夜明けを迎えてしまう。
琴美。
今頃、お前はちゃんと眠れているだろうか。
俺は琴美の姿を求めるように、琴美が座っていた座席の方を見た。
「あれ?」
方角はあっているはずだが、俺の目には琴美が座っていた座席を隠すように手前のシートの背もたれが見えている。
あそこには椅子はなかったはずだ。
俺は座席から飛び降りて視線を邪魔する座席に向かった。
列の一番端の椅子。
改めて見てみると他の座席と少し違う、簡易な造りになっている。
補助席のようなものか。
ということは……。
俺はまたも携帯電話の明かりでこの補助椅子の仕組みを分析し、折りたたむことに成功した。
これで、俺の座席から琴美の顔がしっかり見えるようになったはずだ。
いよいよだ。
俺は確信に近い手ごたえを感じていた。
もう一度、やってみよう。
今回は念のため、俺が遅れて入った昼間の投影と同じように、再生ボタンを押した後に、扉を開閉し、そして座席に座る。
椅子にほぼ寝転んだ状態で体全体で天球を見上げる。
西の空に宵の明星。
北には北極星。
天球の中央を天の川が流れ……。
琴美。
俺がお前のためにしてやれることって、これぐらいなんだ。




