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侵入!女子トイレ

 そっと右手を窓に掛ける。

 力を込めると、窓が開くと同時にキーッと、黒板に爪を立てたような身の毛がよだつ高い音が鳴って、慌てて手を引っ込める。

 もっとゆっくりやった方がいい。

 俺は息を整え再度、今度は両手でじわじわゆっくりと窓を開いた。

 それでも微かに音が立ったが、何とか体が通るだけのスペースを開く。

 窓の向こうは、それこそどこか別の世界につながっているかのように、不気味なほど真っ暗。

 少し目が慣れてくると、その暗闇の中に白っぽいトイレの天井が見えてきた。


 窓の下にしゃがみ込んだまま、しばらく中の様子を窺うが、誰もやってはこない。

 俺は意を決して窓枠に手を伸ばす。

 グッと体を持ち上げ、枠に足を掛け、音が立たないように静かにトイレの中に入り込む。

 スタッと足音がトイレ内に響いたが、人が来る気配はなし。

 振り返ってゆっくりじわじわと窓を閉め、鍵をかける。

 ポケットから携帯電話を取り出して、画面の明かりでトイレ内を素早く確認。

 携帯電話を仕舞い、記憶した位置関係に従って、トイレの入り口にまで忍び足で移動した。

 わずかに顔を出してホールを覘くと、事務室から明かりが漏れている。

 まだ、あのおじさんが仕事をしているのだろう。

 しばらくはトイレで時間を潰さないと。


 そこで俺は考えた。

 どこに隠れるのが安全か。

 俺なりに考え抜いて、胸のドキドキを堪えて隣の女子トイレに侵入する。

 ここでも携帯電話の明かりで内部の構図を確認し、ササッと一番奥の個室に忍び込む。

 洋式トイレの便座の蓋を開き、そこに腰かける。

 女子トイレに入ったのは生まれて初めてだ。

 息が上がっている。

 口を開いて、深い呼吸を心がける。


 何しているんだろう、俺。

 でも、ここまで来てしまった以上、このまま突っ走るしかない。


 事務室にいるのは、あのおじさんだけの可能性が高い。

 このプラネタリウムで女性の職員を見た記憶はないから、他にいたとしても男性のはず。

 従って、男子トイレは使われても、こちらの女子トイレを使う人はいない。

 頼む。そうであってくれ。

 俺は両手の指を固く組んで額に押し当て祈った。


 でも、万が一、発見されてしまった場合、俺に対する印象は男子トイレで見つかることの何十倍もひどいものになるんだろうな。


 夜中にプラネタリウムの女子トイレに忍び込んで何するつもりだったの?


 仁王立ちして俺の顔に向かって指を差す鬼の表情の琴美がくっきり頭の中に思い浮かんで、俺はぶんぶんと左右に首を振る。

 やっぱ、ここはまずいな。

 これからの人生に影響を与えるリスクが高すぎる。

 男子トイレに戻ろう。


 そう思って立ち上がったとき、事務室の方から物音が聞こえてきて俺は体を硬直させる。

 誰かがホールに出てきて、事務室の扉に鍵を掛けているようだ。

 会話は聞こえてこない。

 やはり残っていたのは、あのおじさんだけだ。


 俺は個室の扉を目の前にして、カラカラに乾いた口の中で唾を集めて飲み込んだ。

 心臓が狂ったように踊っている。

 こんな緊張は剣道の全国大会でもない。


 やがて足音が近づいてきた。

 まっすぐこちらにやってくる。


 うわっ。

 どうしよう。


 俺は痛いほどぎゅーっと両の拳を握って、個室の扉を睨み付けた。


 パチッ。


 電気のスイッチの音だ。

 こちらが真っ暗のままなので、男子トイレの方なのだろう。

 おじさんが男子トイレの中を歩く音が聞こえてくる。

 キィーと鳴いたのは個室の扉か。


 危なかった。

 あそこに隠れていたら、おじさんに今頃見つかっていた。

 いや、まだ危ない。

 あちらが開けられたってことは、こちらも開けられるかも。

 うわー。

 もう、こうなったら、俺の方から出て行って謝ろうか。

 でも、それではここまでやった意味がまるでなくなる。

 だけど、見つかったら、警察沙汰になるかも。

 新聞に大きく書かれたりして。

 あー。もう、どうしよう、どうしよう。


 パチッ。パチッ。


 スイッチの音と同時に俺のいる女子トイレに灯りが点った。

 目の前に個室の扉の淡いピンクが広がる。


 やばい。

 おじさんがこっちに来る。

 しかし、今さら身動きは取れない。

 もう、まな板の上の鯉状態。

 運を天に任せる。

 観念するしかない。


 おじさんの足音が近づいてくる。

 キィーと扉が開く音がする。

 俺のいる個室の隣の隣がおじさんの手によって開けられた。

 次はここの隣。

 そして、その次は……。

 俺は息を殺して、静かにその時を待った。


 しかし、おじさんの足音はそこから遠ざかり、やがて電気が消され、俺は暗闇の個室で九死に一生を得たことを確信した。


 玄関の方で鍵が掛けられる音が聞こえてくる。


 俺は深く息をついて目の前の俺を隠しきってくれた板を感謝の気持ちを込めて押し、個室を出た。


 真っ暗な空間がそこにある。

 今、俺はここに一人。

 そう思うと達成感と共に、寂しさも胸に押し寄せる。

 携帯電話の明かりを頼りに漸く死地から脱出する。

 そして、そのまま真っ直ぐプラネタリウムに向かう。

 重い扉を開いて中に入ると、体が疲れ切っているのを感じてぐったり椅子に腰かける。

 ここで、異世界に行って、帰ってきて、琴美の病気を話を聞き、おじさんからこのプラネタリウムの不思議を教えてもらった。

 今日だけで何度この椅子に座ったことか。

 そして、俺はもう一度この椅子で冒険に出るのだ。


 俺は気合いを入れ直して立ち上がり、行動に移った。


 プラネタリウムの壁伝いに移動し、コの字型に仕切られた操作卓のある台に上がる。

 携帯電話で操作卓を照らすと、何種類もの計器と無数のスイッチが整然と並んでいる様子が浮かび上がった。

 思わず「うーん」と唸る。

 これはかなり手強そうだ。


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