琴美の想い
「何で、ですか?」
俺はおじさんに詰め寄った。
命に関わることを彼氏の俺にどうして伝えられないのか。
こんな赤の他人のプラネタリウムのおじさんには言えて、俺に言えないなんておかしいだろ。
「君も家のことで色々悩んでるんだろ。最近、自棄になってるって、琴美ちゃん言ってた。そんな時に私のことで困らせたくないって」
「そんな……」
確かに母親が出て行って、オヤジの生活が荒んで、家の中はめちゃくちゃだ。
俺も部活に行かなくなって、勉強にも身が入らなくて、別に楽しくもないけれど、やることがないから携帯電話でゲームばかりしている。
だけど、だからと言って、一人で悩むなんて。
そして、俺が悩ませていたなんて。
「自分は弱音を吐くタイプじゃないし、小さい頃から、ちょっとおっちょこちょいの鷲尾君の世話を焼いてきた、お節介なキャラだから、こちらが心配されるようなことは言いにくいって」
「そりゃそうかもしれないけど……」
「だよね。キャラとかそういう問題じゃないでしょ、とは私も言ったんだ。だけど、珍しくいつまでもうじうじしてるからさ、あんまりにも悩んでるから、特別にここの秘密を教えてあげたんだ」
「秘密って、あの、あっちの世界に行けるってやつですか?」
「そう。ここは別の世界を体験できる場所なんだ。あの琴美ちゃんが座っていた椅子と、まさに君が座っているこの席は不思議な関係になっている」
「それってどういう……」
「理由とか原理とか訊かれても、私にもよく分からない。この場所に力があって、座席の方角やらプラネタリウムの投影装置の関係やらが絡み合って奇跡的にそういうことが起こるとしか言えないんだ」
「おじさん」
俺は挑むようにおじさんの顔を見つめた。
「駄目だよ」
おじさんは厳しい顔つきで即座に却下した。
「まだ、何も言ってないじゃないですか」
「さっき口走ってたよ。もう一度昼間行った世界に行きたいんだろ?」
「お願いします」
俺は深々と頭を下げた。
「あのさぁ。君、何か勘違いしてるよ」
「勘違い、ですか?」
俺は頭を起こしておじさんを見た。
「そう。向こうで何を見たかは知らないけど、それは全てあっちの世界での話。こっちの現実とは全く関係ないから、そこに何かを求めても、あっちの世界で何かを達成したとしても、こちらの世界の現実は何も変わらないよ。何も。一切、何も。それはゲームと同じ。ゲームをいくら上手にクリアしても病気は治らないの」
「分かってます。それでも俺は何かしてないと頭がおかしくなりそうなんです。琴美が明日、入院して、明後日、手術を受ける。あいつ、今頃、不安で仕方ないと思うんです。琴美がそんな状態なのに、俺は何もしてやれない。しかも、今、聞いたら、琴美は俺のことを心配して自分のことを言えなかったって。そんなの、俺、辛すぎますよ。もちろん、あっちの世界に行っても、琴美の病気は何も変わらないのは分かってます。それは、お寺や神社にお祈りするのと同じようなものかもしれません。だけど、あっちの世界でも琴美は苦しんでるんです。俺の頭の中にはそれが鮮明に残ってて、何もしてやれないままこっちに戻ってきたって感じが強いんです。せめてあっちの世界の琴美だけでも俺の力で救ってやりたい。単なる自己満足でしかないんですけど、琴美を近くに感じながら、琴美のために何かしていたいんです」
俺は自分が何を言っているのか分からなくなってきたので、「お願いします」ともう一度頭を下げた。
こうなったら拝み倒すしかない。
「ごめん」
おじさんは一言乾いた声で謝って、ぼんやり天球を見上げた。「別の世界に行くのは一人では無理なんだ」
「知ってます。プレイヤーとディレクターってやつですよね」
「ああ。琴美ちゃんから聞いたんだね。じゃあ、話が早い」
おじさんはもう話すことはないという感じで立ち上がった。「つまり、ディレクターがいない世界はゴールが決まらないってことなんだよ。そんなこと試したこともないけど、もしプレイヤーだけで別の世界に行けたとしても、ディレクターがいないからプレイヤーは永遠にゴールが見つけられなくて、こちらの世界に二度と戻ってこれないかもしれない。そんなことは絶対に認められない」
僕を見下ろすおじさんの視線は国王の威厳が漂っていた。
優しい口調だけれど、厳格で断固たる意志がそこにあるようだった。
だけど、俺もここまで来たのに、おめおめとは引き下がれない。
「じゃあ、おじさんがディレクターをやってください」
俺は何度でも頭を下げる。
「分かってないねぇ」
おじさんは呆れたような声を出した。「そんなの私が用意した世界で君が彷徨うだけじゃないか。琴美ちゃんが用意したのとは全く別の世界で、私のために君が死に物狂いで戦うってことだよ。気持ち悪いと思わない?私だって君が私のために異世界を冒険するのを見ても何も楽しくないよ」
おっしゃるとおりだ。
俺もそんな世界を冒険してもモチベーションが上がらない。
「じゃあ、どうすれば……」
「申し訳ないけど、ダメなものはダメなんだ。帰って、お風呂に入って寝なさい。お父さんが心配してるよ」
そんなはずはない。
オヤジは今頃俺が買ってやった吟醸酒を飲んで暢気に居眠りしているに違いない。
おじさんはプラネタリウムの重いドアを開き、「さあ」と俺を促す。
俺は仕方なく、立ち上がっておじさんに従ってホールに出た。
トボトボと玄関に向かって歩く。
このまま帰るしかないのか。
何もできないのか。
「試したかったんだと思うよ」
「え?」
俺はおじさんを振り返った。
「琴美ちゃん、君の想いがどれだけ自分に対して残っているのか、言葉は悪いかもしれないけど、試したかったってのもあると思うんだ。琴美ちゃんは、最近、君に飽きられているかもって思ってたみたい。病気のことが分かる前から、君の態度が少しずつ冷たくなってきてる気がしてたんだって。だから、今回、君が異世界に行ってゴールに辿り着いてくれて、琴美ちゃんは嬉しかったと思うよ。きっと君の琴美ちゃんへの想いが冷めてしまってたら、君はゴールには辿り着かなかっただろうし、そんな君に琴美ちゃんは病気のことを話さなかったと思う。君がゴールに辿り着いただけで十分に琴美ちゃんは勇気をもらったし、君のこと惚れ直したと思うよ」
おじさんは俺を諭すつもりでそんなことを言ったんだろうけれど、俺は逆にやっぱりどうしてももう一度異世界に行って、少しでも琴美のために何かをしたいっていう気持ちが湧きあがってきた。
「すいません。トイレ、いいですか?」
「ああ。どうぞ」
「電気は入る前の壁にスイッチがあるから」
俺は一つ頭を下げてトイレに駆けこんだ。
用を足すふりをしながら、トイレ内に視線を飛ばした。
壁に窓が一つある。
俺の体が十分通る大きさだ。
便器に水を流して、指でサッと窓の鍵を外し、電気を消してホールに戻った。
「我がまま言ってすみませんでした」
「良かったね。雨、止んでるよ。琴美ちゃんが元気になったら、またデートにおいで」
「はい。必ず」
俺は外に出ると、振り返ってガラスの向こうのおじさんに向かってお辞儀して、自転車の方に駆けた。
が、玄関が見えなくなったところで、方向転換して建物の裏側に回った。
トイレの位置を見つけ、足音を忍ばせて窓に近づく。
窓から明かりは漏れてきていない。




