最悪の予想を超えた最悪
「アルタイル。すまなかった。デネブは……スパイなどではなかった」
俺の背中に前国王の謝罪がかかる。
しかし、俺は振り返らなかった。
謝罪ならデネブ本人にしてくれ。
勝手に決めつけられたために、デネブがどれだけ傷ついたことか。
「シリウス。大丈夫か」
リゲルが蹲ったシリウスの傷口を心配そうに覗き込む。
シリウスはそれを鬱陶しそうに手で払った。
「我はグシオン。シリウスなどという名ではない」
ゆっくり立ち上がったシリウス改めグシオンは一瞬体をふらつかせたが、両足で踏ん張り、キッと俺を見据えた。
その首筋からはダラダラと緑の魔液が流れ出ている。
グシオンの目はシリウスのそれとは明らかに違っていた。
紳士然としていた穏やかさは消え、血に飢えた獣のように獰猛で無慈悲な輝きを見せている。
何だ?
俺の背筋を悪寒が走る。
何か嫌な感じがする。
さらに何か悪いことが起きようとしている。
「うらぁあ!」
放たれた気合とともにグシオンの体が黒く変化しながら巨大化し始めた。
顔が、腕が、脚が大きく太くなり、見た目はまるでゴリラのようだ。
首から流れていた魔液もピタッと止まった。
「リゲルゥ。レラジェェ。あいつらを殺せぇ」
グシオンは重くのしかかるような声と共に俺に向かって、その黒く太い指を差した。
「ベネト?ベネト!ベネトォ!」
今度はアンタレスの甲高い悲痛な叫び声が丘に響き渡った。
俺はベネトを抱きしめて肩を震わせているアンタレスを確認して、前国王を振り返る。
前国王がゆっくり首を横に振った。
今、ベネトが息絶えた。
それは前国王の強力な魔法をもってしてもどうしようもない事実のようだ。
アンタレスはベネトをまるで赤ん坊を寝かしつけるようにゆっくりと地面に横たえた。
そして、フルンティングを掴んで立ち上がり、ゆらりとこちらに体を向けた。
その顔に表情はなかった。
幽鬼のような寒々しい雰囲気が漂っている。
剣をぶら下げるように持ち、一歩、一歩とこちらに近づいてくる。
「アンタレス?」
俺の呼びかけに反応は全くない。
おかしい。
アンタレスの何かが壊れているのではないか。
俺はアンタレスを庇うようにしてリゲルとレラジェに対峙した。
アンタレスも前国王も今は戦力としてカウントできない。
ここは俺一人で三人を相手にしないと。
まずは飛び道具を黙らせるか。
そう思ってレラジェに照準を絞ったとき、リゲルが巨体を揺らして突進してきた。
コンビネーション良くレラジェから無数に矢が飛んでくる。
チッ。
俺はレラジェの矢を次々と剣で薙いだ。
ステップでリゲルとの距離を稼ぐが、すぐに詰められる。
リゲルの重い足音が死角から迫ってくるのが分かる。
かと言ってレラジェから意識を外せない。
俺はリゲルの殺気を右後背すぐのところに感じ、思わず目を閉じて奥歯を噛みしめ、吹っ飛ばされる覚悟をした。
しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。
一陣の風が俺の首筋を撫でて通り過ぎていっただけだった。
ゆっくり目を開くと、何故かリゲルが弾き飛ばされている。
「え?」
リゲルも何が起きたか分からないようだった。
しかし、次の瞬間にはそれが何かを確かめることもできなくなっていただろう。
アンタレスが目にも見えない剣技でリゲルの体を切り刻んでいく。
リゲルの耳が飛び、鼻が飛び、上あごと下あごの間で頭部が切り離され、次に落とされたのは両腕。
既に息絶えているのは明白だが、アンタレスはリゲルの太い胸囲をものともせず藁の束を切るようにたやすく骨ごと胸も分断した。
「アンタレス……」
俺は足が震えていた。
恐かった。
アンタレスがどうかなってしまっていた。
近づけば俺もリゲルと同じ目に遭うと思った。
「ヒッ」
レラジェの引きつった悲鳴が耳を打った。
アンタレスに見つめられたのだ。
フルンティングからぼたぼたと血を垂らしながらアンタレスがレラジェに一歩足を向けた。
レラジェがアンタレスから逃れようとグシオンに助けを求める。
しかし、すがりついてきたレラジェをグシオンはそのゴリラのような太い腕で殴りつけた。
プギャっと小さな悲鳴を残し、レラジェは顔の半分が潰れた状態で地面に横倒しになる。
そしてすぐに気化し始めた。
バリバリバリ。
一瞬大きく爆ぜて、教会の屋根が赤い炎を噴き上げた。
そして、二階部分がゆっくり傾いでいった。
窓が落ち、そこから新たな空気が補給され、さらに炎が大きくなる。
建物全体が倒れるのは時間の問題だ。
夕景のように辺りが朱く染められる。
何を思ったのか、突然アンタレスがその紅蓮の炎目指して駆け出した。
「アンタレス?」
呼んだものの止められないのは分かっていた。
狂っている。
そう思わずにはいられなかった。
何のためらいも見せずアンタレスは吸い寄せられるように燃え盛る教会の中に飛び込んでいった。
「グハハハ」
グシオンが太い声で笑う。
勝ち誇った笑い声の前で俺は無力感に浸っていた。
教会が潰れる。
サタンの復活は時間の問題だ。
ヴェガ王女は毒矢に傷ついた。
ベネトもアンタレスももういない。
最悪のシナリオだ。
いや、予想していた最悪を超えている。
その時、黄金の光が教会に向かって飛んだ。
前国王が放ったのだろう。
光は教会の屋根を吹き飛ばし炎の力を弱めた。
上部が軽くなったためか、建物の傾きも止まった。
それを見たグシオンが怒ったように「グゥオオ」と雄叫びをあげ、教会に向かおうとする。
俺はそのグシオンに飛びかかり斬りつけた。
こうなったらこいつだけでも仕留めなくてはいけない。
隙だらけの右肩を狙って思い切り体重をのせてアスカロンを振り下ろす。
グシオンはこちらを見て右腕だけでそれを受け止めた。
「何?」
腕を骨ごと切り捨てるつもりが、鋼鉄に斬りつけたかのような硬い感触でアスカロンが弾かれる。
着地した俺は体の流れを利用してグシオンのふくらはぎを薙ぐ。
しかし、そこも鋼のような硬さで薄皮一枚斬れていない。
「そんな……」
呆気に取られている俺にグシオンの足が飛んできた。
避けきれず咄嗟に腕をクロスにしてそれを受け止める。
が、その勢いは凄まじく、俺は自動車にはねられたように軽々と蹴り飛ばされた。
宙に浮きあがった俺の体は何メートル飛んだのだろうか。
首の裏辺りから地面に着地し、全身の重みがそこに一点にのしかかった。
俺は自分でも聞いたことのない「グブゥ」という声とは言えない声を漏らしていた。
体が変な風に折れ曲がっている自覚はあったが、前後左右がよく分からない。
とにかく、まずい、という感覚に血の気が引く。
足は動くか?
手は動くか?
俺の体は……。




