凶星降る
流星?
俺は思わず足を止めた。
陽が地平に傾き、朱から群青へのグラデーションで染まる空を切り裂くように丘の頂に向かって三筋の赤い凶星が走った。
禍々しく、胸騒ぎを感じさせずにはいられないその残像が俺の網膜に焼き付く。
何かが起きている。
良くない何かが。
俺は額の汗を拭い教会に向かって再び足を動かした。
大腿に力を込め、必死に丘を駆けあがる。
丘が少しずつ明るさを失っていく。
どんどんと色を失っていく夕景の中でゆらゆらと赤いものが揺れている。
俺は気付いた。
赤いものは炎だ。
教会の屋根が燃えているのだ。
先ほどの流星は火矢。
ガシーン。
何かが激しくぶつかる音がした。
何だ、あの音は。
俺は教会に駆け寄った。
暗がりの中、そこに俺は見知った顔を見つけた。
「シリウス!」
教会のそばに炎に照らされて三人、立っていた。
シリウスとリゲル。
そして見たことのない小男だ。
その体には不釣合いなほど大きな弓を肩から襷がけにしている。
シリウスは俺をチラッと見て微かに頬を緩めた。
「やぁ、アルタイル。ご苦労様」
シリウスののんびりした調子はいつも通りだ。
しかし、その背後のリゲルはいつになく険しい顔。
急に教会に向かって大きな体を揺らして駆け出した。
そのままの勢いで教会の柱に向かって巨体を肩からぶつける。
ガシーン。
衝撃音はリゲルが柱に体を打ちつける音だった。
リゲルの突進で教会が激しく軋む。
異変を感じ取り巣から脱出するミツバチのように建物の裏手から次々に人が出てくる。
アンタレス、ベネト、そして前国王・ポラリス七世だ。
「シリウス!何の真似だ」
素早く剣を抜いたアンタレスが吠える。
「いやぁ、驚かせてすまないね。リゲルが俺たちに怪力を見せたいって言うもんだからさぁ」
シリウスは腕を組み、あざ笑うような暢気な声でアンタレスに応えた。
「ふざけるな!」
「そうカッカするなよ、アンタレス。すぐ終わるからさ」
シリウスは挑戦的な笑顔を見せる。
「お前、やっぱり、スパイだったんだな」
アンタレスは怒りの声を発した。
「スパイも楽じゃないぞ。正体を隠し続けるのは疲れる。お前たちのとこの女魔法使いも随分大変だったろうな」
「デネブはスパイなんかじゃないっ!」
どいつもこいつもデネブを悪者扱いしやがって。
俺はアスカロンを八双に構え、猛然とシリウスに向かって駆け出した。
しかし、小男が慣れた手つきでこちらに向かって矢を放つのを見て急停止する。
二本放たれた矢は見事に俺の足のつま先から十センチのところに突き刺さった。
これ以上近づいたら串刺しにするぞ、という意思表示か。
また、リゲルが教会に突進し、ビシッと柱に亀裂が走った音が響く。
明らかに教会を破壊しようとしている。
「やめろ!」
アンタレスが剣を握る手に力を込め、一歩、二歩とシリウスたちに近づく。
「どきな」
ベネトは言うや否やアンタレスの隣に並び立ち、一つの気合いと共に魔法を発動した。
空気を押しつぶしたカッターと呼ばれる円盤だ。
三枚の皿がシリウスたちに襲い掛かる。
しかし、シリウスがカッターを剣で薙ぎ払う。
カッターはシリウスの剣に触れるとヒュンヒュンと空しい音を立てて立ち消えてしまった。
「何?」
ベネトは驚いた声をあげ、さらに多くのカッターを放出した。
しかし、結果は同じでシリウスによってベネトの魔法はことごとく無効化される。
いや、違った。
シリウスはベネトのカッターを剣で撃ち返してきた。
放った時よりも、弾き返されたカッターの方が鋭さが増している。
「えい!」
前国王が手に黄色い光を浮かび上がらせ、それを前面に押し出す。
ベネトやアンタレスを含めた三人の前に光の盾が出来上がり、カッターがそこに吸収されていく。
「レラジェ!」
シリウスが名前を呼ぶのとほぼ同時に、小男の手から黒い矢が光の盾に向かって放たれる。
それは、光に吸収され……ることなく、貫通しベネトの腹部に深々と突き刺さった。
「ベネト!」
叫んだアンタレスの横でベネトがゆっくりと膝から崩れる。
背中から矢先が突き出て、そこから鮮血が迸るのが夕闇の薄暗さの中でも分かった。
アンタレスが飛び込むようにして広げた両腕にベネトは仰向けに倒れ込んだ。「ベネト!しっかりしろ!」
アンタレスに抱きかかえられたベネトはカッと目を見開き、口から大量に血を吐き出した。
「ベネトの魔法は間近で何度も見させてもらったからね。完全に見切ってるよ」
シリウスは満足そうに指を一本立て、「まずは一人目だね」と呟く。
「しまった。魔法防御の盾の弱点をつかれたか」
前国王がアンタレスの向い側で地面に膝立ちになり、矢が突き刺さっているベネトの腹に目を凝らす。「これは、いかん」
前国王は手をベネトの胸の上にかざした。
その手が光を帯び、光が黒い矢を包み込む。
矢は少しずつ小さくなり、やがて消え去った。
「陛下!ベネトは大丈夫なのですか?」
前国王にすがりつくようなアンタレスの目。
「分からん。矢は内臓を貫いている。魔法で傷口を塞ぐことはできるだろうが……」
前国王の作る光がベネトの傷口に注がれる。
しかし、前国王の声の響きからして事態は相当深刻だと分かる。
どこからか黒猫が寄ってきてベネトの頬を舐め、ミーミーと寂しそうに鳴く。
「何と、隙だらけだよ、レラジェ」
「承知」
小男が弓に矢をつがえる。
俺は地面を蹴った。
ヒュン、ヒュン、ヒュンと瞬く間に放たれた三本の矢を俺はアンタレス達の前に立ちはだかり、叩き落とした。
剣が軽い。
頭に思い描いたイメージ通りに動く。
剣に操られている印象はなく、まるで剣が体の一部となっていて腕や指と同様に脳からの指示が直接届いているような感覚だ。
「ほほう」
シリウスが感心したような声を上げる。「腕を上げたなぁ。アルタイル」
「やかましい!」
俺は一気にシリウスとの間合い詰め、突きを放つ。
「おっと」
シリウスはひらりと身軽にバク宙でそれをかわした。
しかし、かわされることは計算のうちだった。
シリウスの脇に立っていたレラジェが俺の狙いだったのだ。
俺は「うおりゃぁ」と叫びながら、レラジェに襲い掛かる。
しかし、小男も機敏に後方に下がりながら続けざまに矢を放ってきた。
俺は至近距離で放たれる矢を薙ぎ払うことに精いっぱいで迂闊には近づけない。
そこへシリウスが反撃をしてきて、一気に劣勢に立たされる。
俺はレラジェとシリウスを追い払うようにわざと大振りでアスカロンを振り回し、一旦距離を取った。
「君にはレラジェの矢が通用しないのかぁ」
シリウスは困ったように指で顎を掻いた。
しかし、その態度には余裕が漂っている。「仕方ないな。リゲル。あれを出そう」
リゲルは背後の藪に向かって「おーい」と野太い声を掛け、大きく手を振った。
すると、その藪から二匹のガーゴイルが飛び上がった。
ガーゴイルに挟まれて一人の女性も宙に浮かんだ。
ぐったりとした様子のその女性に明らかに見覚えがある。
「琴美!あ、いや、ヴェガ王女!」
「下手に動くと、レラジェの矢がヴェガ王女を射抜いちゃうよ」
シリウスの言葉に従って、小男が弓につがえた矢をヴェガ王女に向ける。
 




