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目のやり場が

「遅かったな」


 息を切らせてやっとの思いで追いついた俺にベネトは相変わらず冷たい。

 ただ、その肩の上のシャウカットは俺に向かって柔らかく目を細め「ご苦労」と言うように「ニャオ」と一鳴きしてくれた。


 シャウカットが認めてくれたようで少し嬉しくなる。

 飼い猫が褒めてくれたのだ。

 きっとご主人様も満足しているに違いない。


「さすがだな、アル」


 上機嫌のアンタレスに気軽に肩を叩かれ、俺は「お前なぁ」と睨み付ける。


「一人で大変だったんだぞ。体はケルベロスの唾液と魔液でグチャグチャのベタベタだ」

「本当だ。くっせー」

「てめぇ」


 アンタレスが鼻をつまむ仕種をするので俺は頭にきて思い切り抱きついてやった。

 そして脇腹や尻のベタベタした部分に擦りつけた手でアンタレスの髪をワシャワシャにしてやる。


「何すんだ!」


 髪に手をやり、においを嗅いでアンタレスは「うわっ、くせぇ」と顔をしかめた。

 そして、怒りに満ちた目で俺を見据えた。


「何だぁ、やんのか?」

「ふざけやがって。許さん」


 俺とアンタレスはサッと距離を取り、互いに剣を抜いて向かい合った。


「何、馬鹿なことやってんの。雷、落とすよ」


 ベネトが掌を頭上にかざすと、たちまちそこに黒雲が群がり始めた。雲の中でバチバチと黄金色の光が弾ける。


「すんません」

「すいませんでした」


 二人でベネトに頭を下げると、ベネトは馬鹿には付き合っていられないという顔で前方を指差した。


「二人ともあそこの川で体洗ってきなさい。もうすぐ日が暮れる。私は先に教会に行ってるから」


 いつの間にかフォワード村が目の前のところにまで来ていた。

 村を囲む堀の役目も果たしている川がそこに流れている。

 

 お前のせいでベネトに怒られたじゃないか。

 知るか。お前がふざけてるからだ。


 俺たちはいがみ合いながらも並んで川に向かった。

 川に近づくや、競うように水に飛び込んだ。


 冷たくて清廉な水が膝の高さぐらいで穏やかに流れている。

 剣を川べりに置き、風呂に浸かるような感じで腰を下ろすと体が浮き上がって気分が良かった。


 アンタレスはざぶんと頭まで水の中に没し、手で髪をごしごし洗った。

 そして、一気に立ち上がるとブルブルと犬のように体を揺らして全身の水を跳ねさせる。


「おい。水がかかるだろ」

「知るか」


 アンタレスはまだ怒っているのか、さっさと川から出て、剣を佩きベネトを追って丘の方に向かった。


「何だよ、あいつ」


 俺はまた一人ぼっちになって少し寂しくなった。

 しかし、慌てて追いかけるのは癪に障る。

 所在無く口を水面の下に沈めブクブクと息を吐き出す。


「ご主人様」


 え?


 立ち上がって振り返ると、剣の精がそこにいた。

 格好はいつも通りの露出の高さだ。

 しかし、いつもの居丈高な物言いが鳴りを潜めている。

 高飛車に腕や足を組んでいるわけでもなかった。

 逆に川べりに膝をつき俺を見上げるような低姿勢だ。


「呼んだ?」

「はい」


 はい?

 精のそんな返事の仕方、聞いたことがない。


「どうしたの?何かいつもと違うんだけど……」


 こんなに態度が違うと調子が狂う。

 国王に再出発前に「陛下は他にも宝剣をたくさんお持ちなのですか?」と訊ねたことを気にしているのだろうか。

 あると言われれば、本気で交換してもらおうかと思っていたのだが、国王に「お前にやる剣はもうない」とはっきり言われたのをアスカロンも聞いているはずだ。

 怒りこそすれ、こんなに慇懃な態度を見せられるとは思いもよらなかった。


「これまでの御無礼、平にご容赦ください」

「いや、別に、そんな」

「今日のご主人様の剣さばき、私、感激いたしました。こんなに私を気持ち良くさせていただいたのは久方ぶりです。これからも私を従順な下僕と思ってお使いくださいませ」


 確かに、さっきの戦闘ではこれまでになくアスカロンを思うように操れた気がしたけど。


「下僕だなんて、そんな」

「よろしいのです」


 精は立ち上がって、川に足を入れた。「私はご主人様の言う通りに動きます。何でしたら、お体を私が洗って差し上げましょうか?」


 俺は一歩足を引いた。

 体を洗ってもらうなんて子どもじゃないんだから。


「ええ。ご主人様は子どもではありません。立派な殿方でいらっしゃいますからこそ、私が洗って差し上げるのです」


 え?ええ?


 俺は反射的に周囲を見回した。

 アンタレスはもういない。

 村の番人も見当たらない。

 誰の目もここには届かない。


 アスカロンは川の水を手で掬い、自分の胸の辺りにかけた。

 体を覆う布が体に貼りつき、そのラインを露わにする。

 胸の膨らみ、腰のくびれ、丸いお尻。濡れた肌。

 俺は生唾をごくりと飲み込んだ。

 あまりに官能的で目のやり場がない。


「冷たくて、気持ちいいですね」

「う、うん。そだね」


 アスカロンの精はどんどん近づいてくる。


 俺は無意識のうちにさらに一歩退こうとした。

 が、足が滑ってバシャッと腰から水に落ちる。


「あら。大丈夫ですか?」


 アスカロンは心配そうに眉を八の字にして、俺の隣に立ったかと思うと、ゆっくりと足を上げて俺の腹を跨いで腰を下ろした。


 俺は身動きが取れないでいる。目の前に精の豊満な乳房があり、その先端の突起が貼りついた布越しに露わになっている。


「では、まず、おぐしから」


 精は知ってか知らずか胸を俺の口元に押し当て、俺の背後の川の水を掬って俺の頭に流した。

 重みのある弾力が俺の頬を優しく圧迫する。

 これ、やばい。

 けど、動けない。


「あら」


 アスカロンは何かに驚いたような表情を見せて自分の臀部のあたりを見遣ったかと思うと、妖艶に目尻を下げて頬を朱に染めた。「当たってますね」


「ごめん」


 自覚はある。

 アスカロンのお尻に当たっているのは俺のものだ。


「よろしいのです。順番に……」


 言葉を途中で切り、アスカロンは何かを察知したかのように顔に険しさを宿すと、ザバッと水を鳴らして立ち上がった。


「どうか、した?」


 俺は呆けたように見上げることしかできない。


「ご主人様。続きは後ほど。今は、急ぎ丘の上へ」


 それだけを言い残してアスカロンの精はたちまち姿を消した。


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