屈辱の帰還
ぼろ雑巾のようにくたくたの体を引きずるようにして王城の門をくぐると、わざわざポラリス王がやってきた。
俺たちは慌てて跪く。
だけど合わせる顔がなくて何も言えなかった。
目的を果たせていない悔しさと申し訳なさが急に全身にのしかかってきて、あまりの体の重さに口が動かない。
「ほほう。色々あったようだな」
「申し訳ありません。ヴェガ王女はまだ、まだ……」
報告するアンタレスの全身を振り絞って出したような声は微かに震え明らかに潤んでいた。
もちろん隣にいる俺も喋れば泣いてしまいそうだ。
「良い。お前たちだけのせいではない」
ポラリス王は優しい声を掛けてくれた。「それよりもその山羊をこちらに」
俺はポラリス王の意図は分からなかったが、リードを引っ張り、ニュンをポラリス王の前に差し出した。
するとポラリス王は「ハッ」と気合いを込めていきなりニュンの首筋に手刀を落とした。
「え?」
「な?」
俺とアンタレスは思わず驚きの声を同時にあげていた。
ニュンは「クェッ」と情けない声をあげてポラリス王の前でバタンと横たわった。
「何を……」
なさるのですか、と言いかけて俺は口を動かせなくなった。
倒れたニュンの体が見る見る小さくなり、やがて掌ぐらいの一枚の山羊の形をした紙切れになってしまったのだ。
ポラリス王は顔色一つ変えず、その紙切れを拾い上げた。
裏に何か書いてあったらしく、ふむふむと頷く。
「今回、さらわれたヴェガを捜す旅をお前たちに命じたのには隠れた理由がある」
隠れた理由?俺とアンタレスは顔を伏せながら見つめ合った。
何か知っているか。
いや、何も分からない。
俺とアンタレスは小首を傾げた。
「それはな、王国内に入り込んでいる魔族のスパイを炙り出すというものだ。お前たちが生きて戻ってきてくれたことで、その計画は成し遂げられた」
スパイ?
まさかポラリス王の言うスパイとは、デネブのことを指しているのか。
「陛下」
俺の背後からベネトが落ち着きのある凛とした声を発した。「シリウスとリゲルは魔族と通じておりました」
シリウスが魔族と?
それを聞いて俺はフォワードでアトラクナクアが暴れているときのシリウスの様子を思い出していた。
フォワードのまちがアトラクナクアによって次々と破壊されているのにシリウスはまるで他人事で平然と戦うことを拒否した。
あの態度。
魔族のスパイだということなら納得だ。
「シリウスの正体は魔族だったようだな。リゲルはシリウスの甘言に乗せられて我々を裏切ったようだ。にしても、辛かっただろう、ベネト。よく王国に戻ってきてくれた」
「いえ。大切な任務をいただいておきながら、この不始末。そして、陛下の大事なアロンダイトまでむざむざと敵の手に……。私としたことが、見破るのが遅すぎました。何とお詫びすれば良いか」
ベネトの声が潤むのを聞いてベネトも泣くことがあるのかと俺は少なからず驚いた。
先ほどのオセとの戦いで何故一人で加勢し、何故その後も王宮まで一人で一緒についてきたのか分からないでいたが、これで理由が分かった。
ベネトはシリウスとリゲルが王国を裏切っていることを知り、それを報告するために単身でフォワードから戻ってきたところだったのだ。
あの魔族いっぱいの平原を単身で。
俺はベネトの魔法使いとしての実力の高さに再度感心する思いだった。
お高くとまっていて、こちらを蔑んでいるような態度は好きではないが、その実力は尊敬に値する。
そして、母国を愛する気持ちにも偽りはないようだ。
厚く、熱い忠誠心がその涙に凝縮されている。
「剣士アルタイルよ」
突然名前を呼ばれ、緊張で胸が痛む。
「はい」
「お前の仲間にも魔族のスパイがいたようだな」
ポラリス王が言うスパイとはデネブのことに違いない。
俺は不遜と知りながら、膝をついて伏せていた顔を反射的に起こした。
相手が王様だろうが、誰だろうが、デネブのことを悪く言うのは許せない。
「申し訳ありません」
俺を制するように隣のアンタレスの声が強く響いた。「我がパーティーにも不届き者がおりました。しかし、前国王陛下の御慧眼とお力により成敗いたしております。ご安心を」
「違う!」
俺は声を大にして首を左右に振った。「違います、陛下。確かにデネブは魔族であり、姿を変えて我が仲間に加わっておりました。しかし、その心は最後まで我らと一にしておりました。この国のために命を懸けて戦ったのです。この国を助けたい、この国の役に立ちたいと思う気持ちが真のものであれば、人間であろうが魔族であろうが関係ないと私は思います。デネブは私の仲間です」
場が静まり返った。
魔族を仲間だと言い切ったことを受け容れない空気が俺に重くのしかかってくる。
王の側近たちの冷ややかな視線が全身に痛い。
しかし、俺は王国を敵に回してでもデネブの名誉は絶対に守りたかった。
「アル!いい加減にしろよ」
「いい加減にするのはお前の方だ。アンタレスだってデネブがいなかったら今頃死んでたかもしれないじゃないか。デネブがおっぱいで挟んでくれてアンサーの背に乗せられて、それで助かった命だろ!」
「ちょっ、アル!やめろ!」
アンタレスは顔を、耳の先まで真っ赤にして、そして俯いてしまった。
あれ?
俺、今、何かまずいこと言ったかな。
「アルタイル。魔族は魔族だ。我々とは相いれない」
ベネトが一足す一は二だと、三にはならないのだと言うように、俺を諭す。
しかし、まだこちらの世界での生活が浅い俺にはそんな理屈は通じない。
「じゃあ、ポール王国が戦っているのは魔族だけなのか?西側のブリング公国とは何年も戦っているが、ブリング公国の戦士は魔族なのか?俺たちと同じ人間じゃないか。人間は人間と戦う。きっと魔族だって魔族同士戦うことがあるだろう。だったら、人間とか魔族とか関係ないんじゃないか。正しいと思うものが同じなら人間だろうが魔族だろうが同士じゃないか。デネブは俺たちと戦ってくれた。俺たちを守ってくれた。そして、一度たりとも俺たちを魔族に売ろうとはしなかった。デネブはシリウスとは違う。デネブは俺たちの仲間だ!デネブは……、デネブは……」
想いを吐き出したとき、俺は自分の体の変化に気付いた。
頭がくらくらする。
体がふわふわする。
地面がぐらんぐらん揺れる。
アンタレスの顔が二つにも三つにも見える。
平衡感覚を失って俺はその場で横ざまに倒れた。




