仇
俺は怒りと共にオセに飛びかかった。
こちらの世界だけでなく元の世界も含めて、怒りに我を忘れたのは人生で初めてだった。
こいつは許さない。
八つ裂きにしてやる。
しかし、力一杯斬りつけた俺の剣をオセは例の軽やかなステップであっさりかわす。
「おっと、いきなり危ないじゃないか」
オセはにやけた顔で「おーこわ。怖い、怖い」と俺を馬鹿にしたように言う。
そしてピョンピョンと俺の周囲を円を描くようにステップを踏む。
その言葉、顔つき、足さばきの一つひとつが腹立たしい。
俺はさらに憤りに頭を熱くして、オセに向かって力任せに斬りつけた。
だが、オセは俺の太刀筋を見切っているのか、ひらりひらりと踊るような身のこなしで受け流す。
それがまた頭にきて俺はアスカロンを振り回してオセを追った。
「アル。大振りしすぎだ。もっとコンパクトに!」
アンタレスにそう言われた時、俺は両手でアスカロンを大きく振り上げていた。
そこにオセは一気に近づいてきて飛ぶように蹴りを繰り出してきた。
それが俺の鳩尾にクリティカルヒットする。
俺は声にならない呻き声を残して思い切り背後に吹っ飛ばされた。
「アル!」
アンタレスが倒れ込んだ俺とオセの間に入り込んでフルンティングを構える。「大丈夫か?」
そう訊かれてもすぐに返事できないほどオセの蹴りは強烈だった。
呼吸もままならない。
「おやぁ?」
またオセのふざけた声が響く。
「何だ!俺じゃ、相手にならないとでも言いたいのか」
アンタレスが両腕に力を込めて愛剣を握り直す。
オセはそのフルンティングの真ん前に無造作に顔を近づける。
「やっぱり、そうだ。これ」
オセはアンタレスの剣に触れんばかりに指差した。「フルンティングだよね?」
アンタレスはオセの距離の詰め方に怖さを感じたのか、大きく後ろに飛んで距離を取る。
「だったら、何だ」
「いやぁ。懐かしくってさ」
オセの表情が急に険しさを湛える。見る者の心胆を寒からしめる目つき。「昔、その剣を持ってる奴を殺したもんだから」
「なっ……」
アンタレスの肩がビクッと大きく震えた。
俺はアンタレスがオセに切り刻まれる映像が頭に思い浮かび、咄嗟に「落ち着け!挑発だ!」と腹の痛みも忘れて声を張った。
「確か、あそこの中だったな」
オセは親指を立てて背後のポール王国の城壁を差した。
不敵に笑うのは自分が殺した相手の息子が今目の前にいるアンタレスだと気付いたからだろうか。
オセが心理的に揺さぶりを掛けてきたのは間違いない。
「き、貴様ぁ。よくも……」
アンタレスが震わせているのは声だけではない。
肩も腕も脚も、全身がプルプル震えている。「許さない。絶対に、許さない」
このままではまずいと思った。
アンタレスの発する言葉は怒りを示しているが、心は怖気づいてしまっているのが俺には分かった。
アンタレスの父親は国王を警護する近衛隊の隊長だった。
つまり、戦闘の経験値も剣の腕も国内屈指だったはずだ。
その父親を殺した相手が目の前にいる。
仇を打ちたいが、自分にそんな技量が、父親を超える腕前があるのか。
そう思ったら、足がすくんでしまうのも無理はない。
「確か、こんな人だったよ」
オセはアンタレスの前で突然変化した。
五十歳ぐらいのおじさんだ。
立派な鎧。
黒の華麗なマント。
口元に蓄えた髭は威厳たっぷりだ。
その顔立ちはどことなくアンタレスに似ている。
父さん。
アンタレスが小さくそう呟いたように聞こえた。
その顔は色を失っている。
戦意はすっかり抜かれてしまったようだ。
「アンタレス」
ダメージが重い俺は相棒の名を呼ぶことしかできない。
「許さなかったら、どうするのかな?」
変化を解いたオセが踊り出した。
例の足さばきでアンタレスの前をひらりひらりと舞っている。
アンタレスは蛇に睨まれた蛙状態だ。
辛うじて剣先は敵に向けてはいるが、足がじりじりと少しずつ後退している。
しかもそれを本人は気付いていないかもしれない。
剣を交わらせる前に勝負は決している。
やられる。
俺はアスカロンを杖にして懸命に立ち上がった。
この体でやれることは城壁の向こうの仲間を呼ぶことだけだ。
「誰か。誰か……」
助けて、と発する前にオセが動いていた。
素早い動きでアンタレスとの距離を詰めると、「ムン」と気合を発してあの重くて太いレーヴァティンを下から振り上げ、アンタレスの剣にぶつけた。
フルンティングが軽々と虚空に弾け飛ぶ。
「うわぁ」
アンタレスは為すすべなく立ち尽くす。
オセは振り上げたレーヴァティンの柄を絞り、アンタレス目がけて振り下ろす。
やられる。
俺は目を伏せた。
不意に辺りが暗くなった。
次の瞬間バリバリと世界が割れたような音がして鋭く光が瞬いた。
「グワァア」
悲鳴を上げたのはオセだった。
顔を起こすと呆然と立つアンタレスの前でオセが跪いて苦しそうに叫んでいる。
その腕は真っ黒に焦げ、白い煙が立ち上っている。
「なっさけないわねぇ」
背後からの声に振り返ると、そこには黒いローブの女。
その隣には飼い主をそのまま小さくしたような黒猫が大人しく座っている。
「ベネト!」
「邪魔よ」
ベネトは左手で胸のペンダントを握り、右の掌を空に向け頭の上にかざした。
掌の数センチ上で空気が渦巻き白くて薄い皿のようなものが出来上がった。
あれは、アトラクナクアの尻を切断した空気のカッター。
俺は瞬時にしゃがみ込んだ。
ベネトがスナップを効かせて手首を返すとカッターは俺の頭上を越えてオセに向かって一直線。
「命拾いしたな」
オセはそれだけを残して姿をくらませた。
カッターはオセがいたあたりを通り抜け、はるか先の地面を抉って土埃をあげて消えた。




