前国王の責務
教会の中は天井が高く、頭上からのしかかるひんやりとした空気が三人の間に重くのしかかる。
いや、重さを感じているのは俺だけかもしれない。
デネブが魔族だった。
魔族からヴェガ王女を助けるための冒険だったのに、パーティーの中に魔族が入っていた。
だから何だという思いだ。
だけど心のどこかで、デネブは俺たちのパーティーに参加して何をしていたのだろうと考えてしまう。
一緒に戦っているつもりだったが、その裏で何か工作をしていたのだろうか。
魔族に何か情報を渡していたのだろうか。
森の奥に誘い込んで俺とアンタレスを罠にはめようとしていたのだろうか。
「あのサキュバスはスパイだったのだろう」
前国王は漸くフードを取り払った。
その下から現れた顔に俺は何となく見覚えがあった。
どこかで見ている。
どこだったかなぁ。
こちらの世界だったか、元の世界だったか。
「いつからスパイだったのでしょう?」
前国王の言葉に頷きながらアンタレスが問いかける。
「正確なことは分からんが」
前国王は俺に向かって掌を見せた。
途端に体から痛みが消える。
回復系の魔法を掛けてくれたのだろう。
前国王は何事もなかったように「ついてまいれ」と言い残して、祭壇の脇にある扉を開けて中へ入っていった。
後へ続いて扉の奥へ入ると、そこにはらせん状の階段があった。
ギシギシと今にも崩れそうな木製のその階段を上がっていくと、小さな部屋に辿り着いた。
窓から入り込む微かな星明りでは部屋の中の様子がよく分からない。
壁際に置いてあるベッドの布団だけがぼんやりと白く浮かび上がって見える。
「今日は南の空の星々の輝きが足らんな。空が暗い顔をしている」
前国王はそう言って窓際の蝋燭に手をかざした。
すると、ボッと音が鳴って蝋燭に火が点った。
南の空の星々。
空。
暗がりの中で前国王の声を聞いて俺はプラネタリウムの解説の声を思い出した。
間違いない。
この人もプラネタリウムのおじさんだ。
今の国王が受付のおじさんで、前国王が解説のおじさん。
これは何かの符丁だろうか。
「デネブ?」
アンタレスが突然大きな声を出す。
「デネブ?」
どこ?と俺は周囲に目を飛ばした。
デネブが戻ってきたのか。
だとしたら全力で守ってやらないと。
「彼女こそが本当のデネブじゃ」
前国王が蝋燭の灯りをベッドに近づける。
俺は「あっ」とアンタレスに負けないぐらいに大きな声を出してしまった。
ベッドには若い女性が眠っていた。
それは紛うことなきデネブだった。
「こ、これは?」
アンタレスが謎の答えを求めて前国王をすがるような目で見る。
「先の大戦でわしはサタンに全力でぶつかった。刺し違えてでも倒すつもりだった。しかし、長い戦闘の末、サタンの魔法攻撃で私は消耗していた。一瞬朦朧として身動きが取れなくなったわしにサタンが乾坤一擲の魔法攻撃を放ち、わしは死を覚悟した。その時わしを庇いサタンの攻撃を一身で受け止めてくれた若い女の魔法使いがいた」
「それが、デネブなのですか?」
「そういうことだ」
前国王は深く頷いた。「死力を使い切ったサタンはその場に倒れ、わしは這うようにしてデネブに近づいた。彼女はサタンの攻撃を受けてもまだ辛うじて息をしておった。しかし、その精神は魔力に冒され乗っ取られつつあった。サタンは強力な魔力でその攻撃を受けた者の心を破壊し虜にする術を持っていた。放っておけば、彼女は人間に生まれながら、魔族に転じ、サタンに忠誠を誓ってやがて人間に害をなそうとする。わしは迷った。そして……」
「そして?」
俺は怖いながらも前国王に話の続きを催促した。
「わしはこの手で」
前国王は悔しげに目を閉じた。「彼女の脳に魔法を放ち、心を完全に破壊した」
「心を破壊?植物状態ってこと?」
「植物状態?何だそれは」
アンタレスが訊ねてくるが、前国王は「なるほど。それが一番正確な言葉かもしれん」と言った。
「彼女の体は生きている。しかし、それはわしが毎日魔法で彼女に力を与えているからだ。自分の意思はもうない。喋ることも動くことも、目を覚ますこともない。それは確かに植物のようなものかもしれん」
「じゃあ、彼女は五年間こんな風にずっと眠ったままなんですか?」
アンタレスの問いかけに前国王は小さく頷いた。
「彼女が目を覚ますことは、もう二度と、ないの?」
前国王は苦しそうに唸った。
「ないだろう。しかし、未来には何らかの奇跡が起きるかもしれん。私はそこに一縷の望みを託して彼女の看病を今日まで続けてきた」
「奇跡とは、アストラガルスでしょうか?」
アンタレスが意味の分からない単語を使った。
「アス、何?」
「アストラガルスという花の根を煎じて飲めば万病が治るという言い伝えがポール王国にある。しかし、恐らくは伝説上の話だ。国のことなら一番よく知っているわしでさえもその花を見たことはないし、どこにあるかも知らんのだからな」
「じゃあ、もしかしたら魔族なら知ってるかもしれませんね」
人間が知らないのなら、魔族に訊くしかない。
軽い思いでそう言葉にしたのだが、場の空気が凍りついたので、俺は慌てて口を噤んだ。
前国王の、そしてアンタレスの目がマジで怖い。
「陛下は彼女の看病のためだけにずっとここにいらっしゃるのですか?」
アンタレスの言葉の裏側には、そのために国民を欺き国王の座を譲ったのか、という微かな不信感が漂っている。
きっと何か理由があるのですね、と自分が納得できる説明を催促しているようだ。
「実はな、……今もわしはここでサタンと戦っているのだ」
え?
「サタンは死んだんじゃ……」
前国王はゆっくりと首を横に振った。
「サタンが死んだということにしたのは、国民に余計な心配を与えないため。実のところはサタンをこの教会の下に封じているだけだ。サタンを真に倒すには聖剣エクスカリバーで貫く必要がある。それまでは奴は死なん。わしは毎日この教会でデネブを見守りながら、サタンの封じ込めも行っている。だから、わしはこの地を動けん。よってわしは死んだことにして王の座を弟に譲ったのだ」
なるほど。
思わずそう口から零れた。
「エクスカリバーというのはどこにあるのですか?」
「それがわしにも分からんのだ。我が王家の言い伝えでは刀身に七つの宝玉がはめ込まれているというのだがな……」
さすがの俺もここで「じゃあ、それも魔族に訊いてみましょうか」とは言えなかった。
三人の間に沈黙が訪れたが、アンタレスがそれを破った。
「陛下には申し上げにくいのですが、王国では魔族の攻撃を受け、ヴェガ王女がさらわれてしまいました。しかしながら、ブリング公国と緊張状態にあり、王国としては正規兵を割くことができず、私たちが隠密裏に王女探索に当たっています。陛下におかれましては、ヴェガ王女の居場所にお心当たりはございませんか?」
ヴェガが……。
前国王は苦悶の表情を浮かべて項垂れた。
「恐らく、闇夜の森であろうな」
「闇夜の森?どこです?」
「魔族の巣窟だ。ここからさらに西に行ったところにある」
「俺たちだけでここから先へ進むのは無理だぞ、アル。魔法使いがいなければ、たちまち寝食に事を欠くことは分かっているだろ。剣士だけでは魔族と戦うことも難しい」
「どうしても無理か」
「無理だ。国へ戻って一緒に行ってくれる魔法使いを探そう」
「そんな奴、いるのかよ。それに国に帰るのも魔法使いがいなけりゃ難しいんじゃないのか?」
俺の指摘にアンタレスはグッと息を詰まらせた。
前国王は俺とアンタレスの肩に手を置き、「とにかく今日は休みなさい。隣の部屋に寝具を用意しよう」と優しく促した。




