オセ
ぽつぽつと雨が降り出した。
さらに集中が保ちにくくなる。
くそ。疲れる。
俺は一旦、大きく後ろに飛びのいて緊張をリセットさせようとした。
しかし、その時を待っていたかのようにオセは一気に駆け寄ってきた。
クッ。まずい。
俺はもう一歩大きく退いた。
退いてはいけない。
それは分かっているのだが、退くしか選択肢がない。
スピードを上げてオセはさらに詰めてくる。
大刀を振り上げると見せて、狙いは渾身の突きだった。
意識が頭上に向きかけた俺は突きに対して反応が遅れた。
アスカロンの刀身を楯にして辛うじて切っ先を受け止める。
が、突きの勢いは凄まじく、俺の体は後方に弾き飛ばされた。
地面に腰から落ち、それでも勢いは止まらず何かにぶつかって止まった。
俺を受け止めてくれたのはアンサーだった。
アンサーの体が二回りほど大きくなっている気がする。
デネブの魔法か?
そう思ってデネブが倒れていたところに視線を飛ばしたが、デネブはそこにはいない。
そして背後から微かにデネブの声が聞こえてくる。
「アル。何か魔法をかけようか?」
声はアンサーの体から聞こえた。
どうやらデネブは自分の体を小さくしてアンサーに隠れているらしい。
「集中力を上げられるか?」
雑念を振り払い、オセに勝つことだけに集中したい。
オセのあの独特な動きを読んでこちらの間合いに持ち込み攻撃を与えるというのはかなり厳しい。
それよりは相手が飛び込んできたときに、ギリギリのところで攻撃をかわし、カウンターで相手を打ち破る方が現実的だ。
先ほどの攻撃はオセの十八番的な技なのだろう。
突きは振りかぶる必要がないため攻撃に気付きにくく、受け手としては技に備える時間が短い。
しかし、オセに勝つにはそれを見切るしかない。
それを破るにはあの大刀の小さな動きも見逃さない集中力が必要だ。
そして、大刀の動きを見切ったときの返し技として有効なのはあの技だろう。
しかしあの技を決めるには、己に潜む劣等感や嫌悪感を打ち破らなくてはならない。
そのためにも余計なことを考えない集中力がほしい。
「任せて」
デネブが自信満々に返事をしてくれる。
俺はブーツを脱いで立ち上がった。
裸足で地面を捕らえ、今度は慣れ親しんだ正眼に構える。
その時、何かがヌルンと背中から入り込んできて胸をカッと熱くした。
デネブの魔法だろう。
気持ちが高ぶってくる。
目の前にいるオセに対して好戦的な気分が湧き起る。
体に力が漲る。
やってやる。
オセは相変わらず上下運動を伴いながら前後左右にリズミカルに動く。
先ほどはこれをじっと見ていて幻惑されぼーっとしてしまい反応が一瞬遅れた。
今はその大刀にだけ意識を集中させる。
オセは大きく動いているが大刀はあまり動いていない。
俺は呼吸を整え、その時をじっと待った。
一心一意。
ただ一つのことに集中する。
その昔、父親がくれた剣道用の手拭いにそう書かれていた。
俺はこの四文字熟語のとおり、ただオセの剣先に集中する。
雨が少しずつ勢いを増してくる。
目に入り視界を妨げるが、拭っていては隙が生まれる。
オセも雨を気にする素振りはなく、相変わらず軽やかにステップを切っている。
地面がどんどんぬかるんでくる。
俺は集中を切らさず、足のつま先で地面を抉り足場を確認した。
勝負は一瞬。
その時に足が滑っては話にならない。
オセは相変わらず俺の前で動き続けている。
こちらの隙を窺っているのだろうが、雨が降り続けている以上、動いているオセの方が不利ではないかと思った。
少しでもリズムが崩れれば隙が生まれる。
少しでも雨で足が滑れば俺は見逃さない。
来る。
オセの殺気が高まった。
そう感じた時、オセの大刀が少し沈んだ。
俺は逆にアスカロン切っ先を少し上げた。
その切っ先のすぐそばをオセの大刀が真っ直ぐ俺の胸に向かって突進してくる。
その時、オセに降りかかる雨だけが大粒になって襲い掛かった。
オセが目を瞬く。
オセの動きがほんの少し鈍る。
デネブのサイズ魔法が雨に掛かったのか。
俺は無心でアスカロンをオセの大刀に絡ませるように摺り上げた。
そしてそのまま大きく足を踏み出す。
アスカロンの摺り上げでオセの大刀の進行方向がわずかに上ずり、俺の右肩を抉る。
それに構わず、俺は踏み込んだ勢いのままアスカロンを大刀の鍔の近くで巻き付かせるように捩じり、さらに前へ出てオセの小手を狙った。
アスカロンは俺の意思を理解しているのか蛇のような動きでオセの右手に絡みついた。
オセの大刀が宙に弾け飛び、アスカロンがオセの右腕から肩まで深い傷を雷光のように走らせた。
緑の魔液が飛沫となって噴き出した。
「グゥオ」
苦悶の表情を浮かべたオセだが、息のかかるような距離にいる俺の伸びきった腕に左手を手刀として叩きつけた。
「グワッ」
手刀を打たれた俺の右腕に痺れが広がる。
その右腕をオセに抱え込まれた。
折られる。
俺は咄嗟にオセの腰のあたりに蹴りを飛ばし、体をオセから逃がした。
腕がすぽっとオセの脇から抜けたが、アスカロンの鍔をオセに掴まれた。
痺れで右手に力が入らない。
体を背後に逃した勢いで、雨に濡れていた柄から左手も滑る。
オセは俺から奪ったアスカロンを小脇に抱え、膝をついた。
両肩で激しく息をする。
俺は反射的に背後の地面に突き刺さっていた大刀に飛びついてオセに向かって構えた。
しかし、俺も息が上がっていて立っているのがやっとだ。
大刀はことのほか重く、よくこれを片手で軽々と扱っていたなと敵ながら感心してしまう。
右手が痺れている今の状態では、構えているのが精一杯で、とてもじゃないがアスカロンのようには振り回せない。
オセは傷ついた右手をだらっと下げ、立ち上がった。
「小僧」と俺を見据えてフッと笑う。
「先ほどの返し技は見事だったが、痺れた腕で俺の相棒は扱えまい」
俺は図星を指され、言葉に詰まった。
それを見たオセは満足そうな表情で左手に持ったアスカロンを曲芸のように振り回す。
そして、ビタッとアスカロンの切っ先を俺に向け「この勝負、俺の勝ちだ」と宣言した。
オセの上下左右の運動がまた始まった。
俺はじりっじりっと後ずさりした。
と、ぬかるみに足を取られ、派手に尻もちをつく。
そこへオセが飛び込んできた。
やられる、と思ったとき、デネブの気合いが聞こえ、急に右腕の痺れがなくなった。
力が漲って俺は右手だけで大刀をオセに向かって突き上げた。
オセは「何っ」とくぐもった声を発し、アスカロンで俺の大刀を受け止めたが、勢いは防ぎきれずそのまま体ごと弾け飛んで行った。
オセは空中で体を回転させ、膝から着地する。
俺はこの機を逃さず、すかさず立ち上がって、隙だらけのオセを急襲した。
もらった。
大刀を頭上に振りかざして、そう確信したとき、オセが目の前で琴美に変身した。
「くっ」
俺は振り下ろそうとした大刀を必死に引き絞りとどめた。
「それはオセよ!」
デネブの叫び声が聞こえる。
そんなことは俺も分かっていた。
だが、琴美の姿を真っ二つに斬ることはできない。
俺は一旦大きく下がってオセの変身した琴美と距離を取った。
雨が戦場にしとしと降っている。
琴美の姿がオセに戻り、そして少しずつ雨に霞んでいく。
オセはこちらを睨みつけていた。
いや、その視線は俺ではなく、デネブに向けられているようだった。
戦いの最中、俺に向けられていた熱いものとは別の、どこか底冷えのする目だ。
オセの体は雨に煙り、やがてその気配が全くなくなった。
俺はへなへなとその場に座り込んだ。
顔を仰向け、降り注ぐ雨に全身を委ねた。




