赤色の鬼
それは森の中央にぽっかりと開いた穴。
幅五十m深さ3m程の程の円形で、平に慣らされた底には数多のキズが広がり、沢山の血が染み込んでいる。
中央に腰を下ろしているのは肌の赤い鬼。
腰布1枚を身につけた鬼は、まるでボディービルダーのようにぶ厚い筋肉を持ち、その額には短い2本の角がはえている。
鬼の背後には死体が幾重にも積み重なっていて、穴の外からでも見えそうな程だ。
「もうすぐよ、愛しい人」
鬼の太ももに腰掛けた女が胸板を撫でながら囁く。
女は慎ましい胸をしているが、その体には紐のように細い布が要点を隠すのみで見る者を虜にする程の魅力を放っている。
鬼と女は大人と子供のようではあるが、女は決して小さい訳ではなく鬼の体が大きいためそう見えるのだ。
女は成人女性並の身長を持ち、鬼は3mに届こうかという身体を持っている。
「もしあなたが生き残ることが出来れば、私を好きにする事も出来る」
目を閉じた不動の鬼へと女は語りかける。
甘く、優しく。
「きっとあなたは生き残る」
女は垂れ掛かるように鬼へと身を寄せ、荒くなる呼吸を落ち着かせるように言葉を繋げる。
「私はずっと貴方の事を見ているから……」
森は静まり返り、生物の気配を感じさせない。
「貴方の強さ、たくさん見せてね……」
空には、紅い月がぎらぎらと輝いていた……
「今年もこの日がやってきた」
太陽が完全にその姿を現した時、一人の兵士が声を張り上げた。
「諸君らの働きが人類の平和をつくるのだ」
眼下には百を超える冒険者たちが集っている。
「今年は上位種の存在も疑われている。気を引き締めてかかるように」
上位種という言葉に冒険者達はざわめき立つ。
「これより、集中討伐戦を開始する!」
掛け声とともに冒険者達は森へと歩き出す。
彼らの目には欲望に似た強い意志が宿っている……
「始まりましたね」
集団の後方でブロード達は開始の声を聞いていた。
「そうじゃな」
椅子に腰掛けてのんびりとお茶を飲んでいるのは黒髪の少女、フェリールである。
「えっと、行かないんですか?」
続々と森へと入っていく冒険者を指さしながらブロードは尋ねた。
「なに、いつ向かっても変わらんのじゃよ」
「それはどういう?」
「もう一杯飲むくらいの時間はあるという事じゃ」
からになったコップにエルドリヒさんがお代わりを注ぐ。
「宜しければお入れしますが?」
置かれたテーブルには未使用の器が置いてある。
今頃、ブロードがいる西側だけでなく、南と東からも冒険者達が森へと入っているはずだ。
「お願いします」
椅子と机を並べ寛いでいるフェリールの姿に、ブロードは諦めて紅茶を受け取った。
「我らは金に困っている訳でもないのでな、早く行こうが遅く行こうが変わらんのじゃよ」
では何故この場にいるかと言うと、ブロードが冒険者登録している事が原因である。
ブロードのように比較的階級が低い者でも経験を積むという名目の元で参加を義務付けられているのだ。
当然拒否すれば罰則がある。
「さて、そろそろ向かうことにするかの?」
その後、たっぷりと時間をかけてお茶を飲みきったフェリールが立ち上がって伸びをした。
「それでは、お気をつけて」
エルドリヒさんがお辞儀をするとてきぱきと机をたたみ始めた。
森へと向かうのは二人と一匹である。
「行ってきます」
ブロードはそう言ってフェリールの後ろを歩き出す。
ラビはブロードの腕の中に収まって運ばれていく。
「さて、どれほど生き残っておるかのう?」
フェリールの呟きがブロードに届くことは無かった。
「クソがっ!」
既に半分の長さとなった剣を振りながら男は悪態をつく。
少し前まで彼の仲間であったモノは身体をありえない方向へと拗られて転がっている。
「俺はなぁ…こんな所じゃ死ねねぇんだよ!!」
男の決死の一撃は僅かに皮膚を切り裂くに留まった。
その代償は大きく、男の脇腹には抉られたような穴が空いている。
「メル…ト…」
街に残した女の名前を漏らしながら男は崩れ落ちた。
鬼は口を開かない。
淡々と足元の死体を投げるとまた腰を下ろして目を閉じる。
息絶えた者で積み上げられた山は既に鬼の身長を超えていた。
「ツノ付きじゃねぇか…」
男は離れた木の上から一方的な戦いを観察していた。
「はやく報告を……」
男の特技は偵察。
少しでも被害を減らすために指揮官の元へと駆け出した。
穴の中の鬼がこちらを見て口元を歪めている事に気付かずに……
ブロード達が穴へと到着した時、穴の周囲は冒険者達が多く集まっていた。
そして名も知らぬ冒険者の一人が高々と空を舞い、穴の外へと飛び出す所であった。
「手当を!早く!」
落ちてきた冒険者を周りの冒険者達が受け止めるとそこへ魔術師らしき者が駆け寄って行った。
「あの、これは?」
近くにいた兵士にブロードが状況を聞くと
「今年の大物だ」
そう言って兵士は忙しそうに走り去った。
穴の周囲を埋めているのは階級の低い者達のようだった。
ブロードが中を覗き込んだ時、10名ほどが赤い鬼を相手に戦っていたからだ。
その殆どが有名な冒険者、つまりは一定の強さを持った者達だったからである。
「優秀な者もおるようじゃな」
フェリールは品定めをするように戦っている者達を見下ろしている。
「ここ、おります?」
ブロードは数メートルの崖を見下ろしながら尋ねる。
「その必要はない」
フェリールは肩を回しながら答えた。
「え?戦わないんです?」
ブロードが振り返るとフェリールはにやりとわらっていた。
「落ちるからな」
フェリールがいうとほぼ同時に穴の周囲10メートル程が切り離されたように崩れ、その上に立っていた冒険者達は穴の底へと投げだされていった。
「さて、始めようか」
尻餅をついたブロードの横を通ってフェリールは鬼の方へと歩き出した。
その手に魔力を纏わせながら……




