戦争の影。
ポーン
いつもどおりの、多少気の抜けた音。封印が解かれたのだ。瞬間、魔素がその周辺から大量に溢れてくるのが解る。それはやがて転移魔術陣を通じて、ウロマノフ台地を満たし、その周辺へと流れ出していく。
これは…モレヴィアのギルドにも話を通しておかないと、冒険者の被害が増えてしまうかも知れないな。
そう考える私の顔のすぐ横では、クロノスが古い仮初の殻を抜け出し、本来の姿を現しはじめている。
真っ黒な鱗は首元まで剥がれ落ち、その内側から白銀の輝く龍鱗が覗いている。角は無く、つるっとしたシンプルな姿をしている。蛇、と言われても解らないだろう。ただ、竜鱗の一枚一枚は先端が鋭利な刃物の様に尖っており、それが折り重なっている様は重騎士の鎧を思わせる。
「クロノス、早速で悪いけど、進化した状況確認を行いたい。トウテツのドームで色々試してみてくれないか。」
私は、封印の間からさっさと戻ると、先ほどまで鬼ごっこの開場であったドームまで戻って、クロノスの魔術がどの程度レベルアップしたのか、どういう事が可能になったのか、それを確認する作業に入る。
ちなみに、トウテツは既にこのドームには居ない。私を封印の間へ送り届けると、時空の王との契約が終わり、精神世界へと還っていったのだ。
「久しぶりに楽しかったよ。マイヤ、ヒュドラの肉は次に顕現した時にでも、試してみるよ。」
ヒュドラ肉の下りは良くわからなかったが、スッキリした顔をして還って行ったので、まあ良かったのだろう。
さて、ドームでのテストの結果、クロノスの能力はより痒い所に手が届くようになっていた。
具体的には、三つ。
一つ目は、人化中の空間魔術の使用が可能になったこと。今までは蛇化した状態で街の周辺の森などに転移し、改めて人化を施す必要があったのだが、これによってモレヴィアのギルド無いなんかにいきなり転移することが可能になった。という事は、通信器の意味が無くなったって事か…何となく、すみません、ユマさん。後でお返しします。
まあ、通信機はカーミラにでも持っていてもらえばいいか。私と別動隊で動くことも、今後増えるかも知れないし。
二つ目は、時間遡及の回復魔術が使えるようになったこと。これによって、殆どすべての怪我を無効化することが出来るようになった。今のところは魔素の消費量が多く、多用は出来ないが、術式の合理化が進めばこれ程頼りになる魔術は無い。傷も、毒も、すべての状態異常はこれによって一気に解決の目途が立つわけだ。ちなみに、即死は魂が分離してしまうので、回復魔術の領域では無いらしい。あくまで物質的な世界でのみ有効な魔術、という事だ。
逆に言うと、精神的な攻撃に対しては回復魔術は無力、という事でもある。その時には冥属性の魔術が必要になるわけなのだが。
三つ目は、空が歩けるようになったこと。飛べる、では無くて、歩ける。要するに、マテリアライズの術式が合理化され、非常に少ない魔素で運用できるようになったために、空間に道を作ることが可能になったという訳だ。
これの何が良いかと言うと、レビウスに行かなくても海を渡ってケイロネア帝国に入ることが出来る、という所だ。私がレビウスにまた行くことになると、もうひと悶着あることはほぼ必至だった。
理由は、ロンディノムからケイロネア帝国へ渡るにはレビウスの商船に乗り込む必要があるのだが、そうなると、当然ながら国境を越えることになるわけで、そのためには簡易ではあるが自治都市レビウスの議長の承認が必要だ。
そして、現行の議長が誰かと言えば、私をダシにしようとしたあのミハエル・フェノロマなわけで、奴が簡単に「どうぞ」と言うとは思えない。
何しろ別れ際に盛大に殺気をぶつけてやったのだ。次も脅しをかければ恐怖で「ハイハイ」と二つ返事で許可を出してくれる可能性も1%位は在るかも知れないが、そんな弱腰の姿勢なら政治力がモノを言うレビウスで生き残っていくことが出来るとは思えない。そうなると十中八九、何かしら難癖をつけられて、許可は下りないだろう。
結局、許可が下りない → ケイロネア帝国に渡れない → ジュラ砂漠とギルムズ造山帯の封印を解けない → そんな事しているうちに魔素喰い復活。
という流れになる可能性があったわけだ。まあ、最悪、奴隷の密輸入船なんかに潜りこんで入国する手も無いではないのだろうが、何しろ私がタリンで非合法奴隷の解放などやってしまったものだから、顔が割れている可能性は高い。
だが、それがクロノスの術式のお蔭ですべてすっ飛ばしてジュラ砂漠に直撃出来るようになったのだ。
え?密入国?知りませんよ、私はどこの国にも属してませんー。
「クロノス!これは凄いぞ!これであのタヌキ野郎と顔を合せなくて済む!」
「主よ、喜んでくれるのは有り難いですが、もっと他の理由は無いのですか?」
クロノスはかなり微妙な表情だ。イイのだ、有用なものは有用なのだから、諸手を上げて喜んでおけばいい。手、無いけど。
「いきなり建物内に出現するとか、あんたはもう少しデリカシーを持てないのかい?」
シーラはほとほと呆れた、という視線がちょっと痛い。
「すみません、つい嬉しくなってしまって。」
本音だ。人化状態で空間魔術が使えるようになったので、ウロマノフ台地の報告やら、エクリッド氷原の状況やらを伝えるために、サクッとモレヴィア・ギルド内に空間転移してみたのだ。
結果、凄く怒られた。部屋に突然現れた私を見て、ユマが卒倒しかけ、ルダスは書類の山を取り落とし、まさに目の前に座っていたシーラは「きゃあ!」と声を上げていた。
シーラ部長が悲鳴を上げるなんて、ちょっとカワイイ。なんて油断をしていたら、「テレスタァァァァ!」という声と、シーラから射殺すような視線を送られ、冷や汗を流すことになった。
で、ひとしきり怒られた後に呆れられたという訳だ。
「まあ、丁度よかった。あんたに話さないといけない事が出てきたからね。その前に、報告、聴こうか。」
シーラは例によって熱いコーヒーを飲みながら先を促す。モレヴィアはヒュデッカの近くで年中非常に気温の高い地域であるが、雨季=他地域では冬の為、ホットコーヒーの美味しい季節ではある。
私は、時系列にエクリッド氷原のこと、アンガス大地溝のこと、ウロマノフ台地の事を伝えていく。一応各地に出向いたときには、合間合間で魔鉱石を使用して、マップを取り込むというような作業をしてある。これで一応働いてはいたのだ。
それから、一応アルラウネの事も伝えてみる。が、返事は当然ながら、芳しくは無い。
「アルラウネ…聴いたことが無いね。冥魔術を扱う精霊か。アンガスに住む連中を殲滅させたとか、普通の相手じゃないし、情報は拾っておきたい。だが、下手に探りを入れて逆にこっちの事が知られると厄介かも知れない。何しろ冥魔術だ。あちらにしてみれば人間の記憶から情報を抜き取ることは容易だろうし、それを元に適当に間者を送り込まれでもしたら、こっちのやりたいことは筒抜けになる可能性が高いからね。」
シーラはうーん、と考える仕草を見せる。
確かに、アルラウネの事をギルドの情報統括を通じて調べるのはリスクが伴うかも知れない。あくまで今は予防線が張りたいだけだし、無理に事を荒立てて、相手から目を付けられ、身動きが取れなくなってしまっては意味が無い。
「解りました、アルラウネの事は記憶の片隅にとどめておいてもらえれば。」
シーラはその言葉に一つ頷くと、コーヒーを口に運ぶ。私も、コーヒーを一口いただく。苦い。何が美味しいのか、さっぱり解らない。
首を傾げる私をよそに、シーラが口を開く。
「それでだ、テレスタ、かなり重大な連絡がある。が、この場では話すことが出来ない。奥の会議室を使うか。」
そう言って奥へと通される。この部屋を使うのも久しぶりだが、そもそもここは機密度の高い情報をやり取りするための部屋。ワクワクするような場所では無い。内心で若干気が重くなるのを抑えつつ、ソファに腰かける。
「実はな、あんたに徴兵の話が来てる。王都では、ケイロネア帝国との戦争の準備が始まっているらしい。」
ケイロネア帝国と戦争?何故?
「今は各地の騎士団や衛兵たちを徴兵しつつ、冒険者に声掛けを行っている段階のようだ。それで、あんたに何故話が来たかと言うと、レビウスのアリウス家と、王都のメイウェザー家からの推薦があったから、らしい。」
絶句。レビウスでぶっ飛ばした三男坊の家と、タリンを解放した時にやって来た査察団の代表だったか。ここに来て全く持って余計な事になったものだ…。
「あんたに断る権利が無い訳じゃないが、今後も自由に動き回ることを考えると、得策ではないだろうね。」
シーラはさも残念そうに言ったが、若干の喜色を含んでいるようだった。口角が若干上がってますよ?部長。私、戦争行くんですけど。笑い事じゃ無いんですけど。
「その、詳しく戦争に行きついた経緯を聞かせてもらっても?」
私は取りあえず、戦争の経緯を聴くことにした。
いつも有難うございます!
いつの間にか、一つ年齢を重ねていた模様。
リアルでも小説でも一年がんばっていきたいと思いますー。




