配下の召喚。
久しぶりの外界。アンガス大地溝の洞窟を徒歩で進んでいく。簡単に移動する手段もあるにはあるが、せっかくこうして実態を伴っている訳だし、時間をかけて歩き回ろうと、彼女は考える。時間は無限にある。楽しみを見いだせることに、惜しみなくそれを使うべきだ。急ぐ必要など一ミリも無い。何しろ、自分には目的があるわけでも、期限があるわけでも無いのだから。
デミウルゴスはまだ迎えに来ないのかしら?呑気なものね。アルラウネは微笑んだ。暇つぶしの相手としては、冥府の王は申し分ない。もしかしたら次の王に交代しているかも知れないが、彼女にとってはどちらでも構わない事だ。
洞窟を抜け、久々に日光を浴びる。今日は晴れだったようだ。木々の間から木漏れ日が漏れ、アルラウネの真っ白い肌に刺さる。深紅の髪をそよ風になびかせながら、彼女は静かに進み続ける。飽きるまでは歩こう、そこから先は、また考えればよい。
そうして、延々と歩き続け、洞窟からかなり距離が出来た時に、彼女はふと違和感を覚える。魔素が、薄い。以前のアンガス大地溝ならば、この峡谷全体を高濃度の魔素が覆っていた筈であり、魔素が薄い部分を見つけることなど出来ない程だった筈だ。で有るにもかかわらず、現在アルラウネが立っている場所には魔素がほんのひとかけら感じられる程度しか漂っていない。
どういう事かしら?彼女は興味が湧いてくる。何万年という時を生きてきたが、地上から魔素が消えたことなどただの一度も無かった。地上どころか、ここは龍王の治めている土地。魔素が薄くなるなど有り得ようはずがない。
「これは、少し楽しいことが起こっているかも知れないわね?」
だが、魔素が空間に存在しないのでは、それを利用した魔術を創り出すことは出来ない。彼女としては初めての経験だ。面倒な事だ、と一瞬顔を顰めそうになるが、これも人生の余興のようなもの、この環境で楽しめる術を時間をかけて見つけて行けばよいのだから、何も問題は無い。彼女にとって利便性は二の次だ。興味を引く出来事があるかどうか、それが重要なのだから。魔素の無い土地で自分がどのように適応するか、そのプロセスが大事なのであって、適応した後の自分には退屈しか残されていないのだから。
「何故、空間から魔素が無くなってしまったのかしら?この世界も寿命なのかしらねぇ?そういうものがあるとすれば、だけど。」
てくてくと、アルラウネは洞窟の方へ戻っていく。色々な考察が過る。世界が生み出す魔素は無限であると誰もが思っている。むろん、彼女だってそう思ってきた。しかし、それが有限なものだとすれば、この魔素が無くなった世界も説明はつく。魔素が枯渇したら世界の終わり、というのは早計かもしれないが、多くの精霊や魔獣はこの世界に具現化する力を失うことになる。ある意味今までの世界、いや世界観の終わり、と言えるだろう。
「ふふ、では、その世界でどうやりくりするか、考えるとしましょうか。さしあたっては原因究明、かしら?いまは世界情勢はどうなっているのかしらねぇ?案外ブラビア帝国が覇権を握っていたりするのかしら?」
自分が裏から操っていたブラビア帝国。皇帝を篭絡するのはたやすく、その後何世代もの間帝国を隠れ蓑に人間同士を争わせて楽しんでいた。最後の時期は、そう、ロンディノムという新興国がレビウスと組んで、勢いをつけてきていた頃だったか。
考え事をしていると、もと出てきた洞窟の前に戻って来ていた。
「流石に魔素無しで使い魔を創り出すのは私にも出来ないものね。全く、私に枷を付けるなんて中々興の乗ることをしてくれるじゃない?楽しいから良いけど。直接会ってお礼を差し上げなくてはね。」
そんな独り言を吐きながら、周囲の魔素を大量に消費して、複雑な術式を編み始めるアルラウネ。
「魂よ、集え。我の下に。」
見れば、彼女が地下で収集したあらゆる精霊の魂が混然一体となり、彼女の手元で輝いていた。冥魔術でスピリット界に干渉し、魂を構造ごと書き換え、合成したものだ。各々の魂は記憶や思考全てを書き換えられ、そして統合され、アルラウネに忠実なしもべとして作り替えられた巨大なエネルギー体を構成している。それが彼女の手元で空間を歪ませ、揺れている。
「さて、どんな使い魔が現れるかしら?」
アルラウネはその場でもう一つ巨大な魔術陣を編み上げると、エネルギー体にアンガスの地底に漂う膨大な量の魔素を吸収させ、受肉させる。
スピリットの周辺は紫色の渦が現れ、見る見るうちに巨大化していく。魔素が色素を持つほどに濃縮され、スピリットの身体が形成されていく。ぐんぐんと周りの魔素が飲み込まれ、あまりの流れに周囲の空気でさえ巨大な渦を巻き始めた。アルラウネの髪は大きく左に流れ、空間に真っ赤な血を流したかのように揺れる。その瞳は喜色で塗り固められ、真っ赤な瞳はスピリットの変容を瞬きもせずに凝視している。
やがて、スピリットの有った場所には、巨大な一つの影が姿を現す。一対の漆黒の羽。身体は、人間と獅子を足したような形をしており、その顔もまた、知性はある程度漂うものの、爬虫類のような、温度を感じさせないのっぺりとした表情を浮かべている。両顎には牙が生え、そして両耳の横から巨大なオオツノヒツジのような角が生えていた。
「我が主、私を顕現させて下さり、感謝に絶えません。何なりと、ご命令を。」
「うん、そうね、取りあえず名前を決めてしまいましょうか。おい、とか、君、とかでは面倒でしょう。…サルガタナス、でどうかしら。」
「御心のままに。」
サルガタナスは頷いた。
「それで、サルガタナス、この世界の今の状況を調べたいと思ってるの。どうしたらいいかしらね?」
アルラウネは配下に問う。彼女はサルガタナスを構成している魂の持っている記憶を全て書き換えてしまったわけでは無い。必要な情報は必要なだけ残したつもりだ。要するに、自我のみを書き換えた、と言えば簡単だろう。そういう意味ではサルガタナスはアルラウネよりも余程現在の世界を理解していると言える。もっとも、統合した魂の殆どは精霊であったため、精霊の朴訥とした性格特有の緩やかな時間差のようなものは在るだろうけれども。
「は、先ずはこのアンガスより北の地に、ルクセリア朝ロンディノムの王都メラクがございます。そちらで情報を集めるのがよろしいかと。」
ロンディノム?レビウスがてっきり宗主国になるとばかり思っていたけれど…解らないものね。アルラウネは新興国で有った筈のロンディノムの台頭に少しだけ驚いた。
「ふーん、ロンディノムね。生き残ったのね。私の育てたブラビアは敗れ去ったのかしら?まあどっちでもいけれど。じゃあ、サルガタナス、移動の事はお願いね?」
「はっ」
そう言うと、アルラウネはサルガタナスの肩に腰を下ろす。何しろ、サルガタナスの大きさは身長で言えば4メートルはある。対するアルラウネは人間族の成人女性と一見すると全く変わらない容姿をしている。肩に乗せるなど造作も無いことなのだ。
「じゃあ、先ずは王都を見学するとしましょうか。暫くは歴史なんかも勉強しないといけないわね。行き当たりばったりじゃ、直ぐに飽きてしまうものね。」
フフフ、これはしばらく楽しめそうね。アルラウネは頭の中でそのように考え、口元に笑みを浮かべる。
ちょうどそのころ、ヒュデッカ大湿原では一匹の龍王が産声を上げようとしていた。
いつも有難うございます!
今日から10月ですねー。
色々新しいこともやっていきたいと思います。




