知恵の輪を解くように。
時は少し遡る。
冥府の王デミウルゴスの術式は、中々知恵の輪みたいで楽しかった。無限ループの様に上手く組まれており、何処に出口があるのか一見するとさっぱりわからない。だが、彼女にとってそれは非常に刺激的なものだった。何しろ暇なのだから。
魔素生命体であるにしても、有限の時間を持つ竜王が、私でも解けない術式を組み上げるなんて、ワクワクするじゃない?でも、時間をかけてしまえば、それも少しずつ理解できようというもの。それは少し残念だけど、地上でやることにも飽きてきたところだったし、彼が私を見つけて捕まえてくれたことについては、むしろ感謝するべきなのかも知れないわね。
デミウルゴスの冥属性術式は完璧に組み上げられているようではあった。しかし、それは創り始めた時には「開いていた」のであり、彼女を閉じ込める際に「閉じた」わけであるから、その継ぎ目は確実にある。
「やるわねぇ、あの子もいつの間にこんな術式組めるようになったんだか。」
そう言う独り言を、もう何回呟いたことか。地上時間では恐らく、何百年と経っている可能性がある。それでも飽きずに術式の解読を続けてきたのは、結局のところ殆ど永遠ともいえる命を持つ彼女にとって最高の暇つぶしであったからに過ぎない。百年?それだけの時間楽しめるなら、それだけで十分にやる価値があるじゃない。彼女はそう思っていた。何しろ、この術式解読を始める少し前までは何百年にも渡りブラビア帝国とレビウスを政治的にぶつけて、いつ終わるともない戦争をやらせるのが趣味だったわけだから。
それに飽きた時に、ちょうどよく氷原の王と冥府の王が面白い実験をやっている、というのを配下の精霊から聞きつけ、フムフム面白そうだ、と様子見に行ったのがそもそも今回の発端だったわけで。
あのフレスヴェルグという魔獣、あれは中々に面白い余興だったわね。興味本位が行き過ぎて、出来上がった魔獣を奪おうと奴らと争ったから今はこんな事になってるわけだけれど。まあ、でも仕方ないわよね、冥魔術と水魔術を組み合わせた人工合成魔獣なんて、長く生きてきたけど初めて見たわけだし。
「さてと、でも、どうやらこの暇つぶしももうすぐお仕舞みたいね。外に出たら、デミウルゴスは何ていうかしら?」
彼女は既に出入り口を見つけていた。数百年を要した知恵の輪の解読ではあったが、解けてしまえばそのループの構造は手に取るように解る。そして解ると、無償にむなしく、寒々しく、冷めた感覚が襲ってくる。もう、この空間に留まっている意味は無くなった。彼女は、何の躊躇もなく、知恵の輪の綻びにくさびと言える術式を打ち込んだ。
ガラガラと音を立てるように崩れていく人工空間。そして、彼女の出てきた場所は、真っ暗な地下牢だった。どこだろうか?と彼女は一瞬考え、それをどうでもいいことだと直ぐに頭を切り替える。地上であるなら、何処でも構わない。
彼女は地上の様子を探ろうと冥魔術を発動しようと試みたが、バチン、と音を立てて弾かれた。どうやら魔素を検出すると外へと吸い出すようなカラクリがされている牢獄であるらしい。なるほど、魔獣を閉じ込めるにしろ、自分のような精霊を閉じ込めるにしろ、これは中々に良い発想だ。彼女は感心する。
「じゃあ、私とこの術式、どちらの方が耐久性があるのか、勝負と行きましょうか。まだまだ暇つぶしを用意してくれるなんて、デミウルゴスはやっぱりいい子ね。」
妖艶な笑みを浮かべる。そして、彼女は両手から自分自身の種子を振り撒いた。それらは地下の壁に張り付くと、グイグイと周囲の魔素を吸い上げ、やがてアイヴィーで部屋全体を包み込む。その端々に、鮮血のような紅い花を咲かせながら。
「まあ、あの子の事だから、この地下牢と魔方陣は気休めだったのでしょうけど…」
真っ暗な牢獄の中で、ウフフ、という笑い声が不気味に響いた。
地下牢の変化は直ぐに伝わった。何しろ、魔方陣が反応したら即座に動くように、デミウルゴスから厳命されていたから。アンガス大地溝の守護、トラルテクトリのガンズは、内心焦りを覚えた。その見た目は身長5メートルは在ろうかという巨大なゴーレム。デミウルゴスの気まぐれな冥魔術によって作り出された、強力な魔法生物だ。
まさか、本当にこの日が来るとは。アルラウネがこの場に幽閉された当初、主の冥魔術の術式が解読されるなど、先ずもって有り得ない事だと彼は考えていた。
だが、当のデミウルゴスはそういったことは一切考えていなかったようで、800年前のあの日、東に旅立つ直前にガンズに向かってこう言い放ったのだ。
「場合によっては、次の王が現れる前に、アルラウネは復活する。その時はお前が奴を抑え込め。奴を野放しにしてはならんぞ。」
そして、冥府の王は彼にもう一つの知恵の輪、永久回路を持つ術式を埋め込んだ魔道具を託した。非常に質素な魔鉱石を磨いただけの、球状の魔道具。そこに、複雑怪奇な術式が何重にも刻み込まれている。彼はそれを持って立ち上がると、自分自身の抱える不安を払拭するかのように、大きく叫んだ。
「デミウルゴス様、使命は必ず果たしましょうぞ。皆の者、行くぞ!」
一抹の不安を抱えながらも、ガンズは地下牢へとズシンズシンと音を立てながら向かっていく。そして、その周りにはデミウルゴスが精神世界から呼び出していた様々な精霊たちが集合する。彼らもまた、自分自身では地上に顕現する力が無かったが、デミウルゴスの魔術によってこの世界に生を得た者達。その忠誠心は生半可なものでは無く、冥府の王を父なる神と崇める者が居るほどだった。
ガンズは彼らの姿を見て自信を取り戻す。彼らはデミウルゴスの名誉のためにいつでも命を投げ出せると豪語する兵達。いかなアルラウネとて、一筋縄でこの軍団を破ることなど出来まい。それに、彼自身、守護として強大な力をデミウルゴス様より与えられている。奴の足止めなど造作も無いこと。奴が手間取っているその間に、存在ごと、この魔道具に収められた永久術式の中へと放り込んでしまえばよいのだ。
地下牢に下りてきた者達は、しかし、そこで言葉を失った。まだ魔方陣がアルラウネの脱出を知らせてきてからものの数分しか経っていなかったはずだ。で有るにも関わらず、牢を閉ざしていた強固な扉は吹き飛ばされ、その扉が存在していた場所には、鮮血のように紅い髪を腰まで伸ばした美女が一人、こちらを向いて悩まし気に微笑んでいたのだから。
「ば、馬鹿な!この数分であの魔術陣を破壊したというのか!」
目に見えてガンズは狼狽した。
「あらぁ?デミウルゴスはどうしたのかしら?久しぶりにちょっと遊んで上げようかと思っていたのだけれど、留守なのかしら。仕方ないわねぇ。」
アルラウネの周囲に集まっているのは、強力な精霊が顕現した兵士が数十体。それに守護であるガンズ。地上に居る殆どの魔獣や国家にとっては、過剰戦力でしかないこの軍団と対峙しても、まるで蟻の行列を見るかのような視線を向けてくる。ガンズは舌打ちしたくなるのをこらえる。後手に回ればいかな強力な兵達とはいえどうなるか解らない。確実に先手を取って決めるしかない!アルラウネが動き出すよりも先に、ガンズは指示を飛ばす。
「アルラウネ、貴様の思い通りにはさせぬぞ!全員かかれ!」
精霊たちが、魔素を一気に解き放つと、色とりどりの魔術がアルラウネへと襲い掛かる!
しかし、たった一つの爆発音すら鳴らない。
「ど、どういうことだ?」
ガンズは訳が分からない、という風に声を出してしまう。極彩色の攻撃魔術の数々はが空間に生まれた断裂へと吸い込まれていく。
「簡単な事よ、違う次元に飛んで行って貰ったの。ほら、ここ魔素もいっぱいあるみたいだし?」
アルラウネが行ったのは、単純な事だった。要するに冥魔術で精神世界のレイヤーへと飛来した魔術を全て飛ばしたのだ。しかし、そんな複雑で魔素の消費の激しい術式を、たった今デミウルゴスの冥魔術を解除したばかりのアルラウネが持っているはずが無い。ガンズはその理解を超えた存在に、息が詰まるような恐怖を覚える。
「まさか、空気中の魔素を、そのまま使ったというのか?そんなことが?」
「教えてあげる道理は無いけど、そうよぉ、その通り。簡単でしょう?それより、もうお仕舞なの?退屈ね。」
簡単なものか。自分の身体を通して初めて自分自身の扱う魔素としてコントロールが可能になるのだ。自然に存在している魔素をそのまま使えるのなら、この大陸ごと爆破することだってできるだろう。そんなことが出来る筈が無い…いや、出来るのか?
ガンズは逡巡する。と、アルラウネが徐に右手を視線の先へと向け、スッと伸ばした指先を開く。
パチンッ
乾いた音が鳴り響いた。遅れて、ゴトゴトゴトッと、ものの落ちる音。そして、周囲には土塊がまばらに散っている。
「な、んという…。」
何という、滅茶苦茶な術式、規格外の力。ガンズは自分が心底怯えているのが解った。精霊たちが、一歩も動かぬまま、精神世界へと強制的に退去させられた。
「いえ?ちょっとそれは違うわよぉ。私の手元に、集まってもらったの。後で大事に使わせてもらうわぁ。」
間の抜けた声で答えるアルラウネ。その手元には、薄らと輝く精霊たちの魂が。
「き、貴様!彼らに何をした!」
ガンズは恐れを飲み込んで、怒気を吐き出す。
「あなた、ホントにデミウルゴスの眷属なの?こんな簡単な事も解らないなんて。もう、退屈だからあなたも退場なさい。」
アルラウネが如何にも詰まらなそうに、ガンズに向かって手を上げようとする。
こうなれば、わが身を賭してでも奴を永久回路の中に封じ込める!ガンズはそう決意するが早いか、猛スピードでアルラウネの方へと踏み込む。しかし、その判断は若干遅かったようだ。アルラウネの指が返る。
世界がゆっくりと流れる。ガンズは最後の瞬間、魔道具を発動させ、アルラウネへと投げつける。それが、彼女の眼前に迫り、今にも鼻先に触れようという時、
パチンッ
終了の合図が鳴ったかのように音が鳴り、ガンズの身体で有ったものは一瞬にして巨大な土塊へとなり果てていた。代わりに、彼が死の間際に放った魔道具はアルラウネを捉え、その中へと飲み込もうとしている。だが…
「デミウルゴス、二番煎じで私を倒そうなんて。貴方も詰まらなくなったわね。」
アルラウネはそう呟くと、一瞬で魔道具の術式を無力化し、脱出した。魔鉱石に刻まれた術式は崩壊し、ただの石ころとなって土塊の横に転がった。
いつも有難うございます!
悪役って、どうも好きすぎて強くし過ぎてしまう。
難しいですね。




