国境を越えて。
ウロマノフ台地からエルフの里へ向けて、台地の中腹から森林へと入っていく。魔獣の気配はかなり薄い。その代わり、シルフィードやノームと言った精霊がひとりでに顕現するほど、精霊にはなじみの深い場所のようで、珍しくカーミラの横にはルノが飛び回っている。魔素という媒介無しで外の世界を飛び回れるというのは、精霊にとっては中々に気持ちのいいものであるのだろう。
「いや、しかしテレスタ殿の魔術には驚きました。まさかガト・ブランカの群れもさることながら、グレイ・ファルコンまで仕留めてしまうとは。」
そう言って目をキラキラさせるのは、ユグドだ。グレイ・ファルコンは魔獣のランク的にはDなのだが、兎に角スピードが速く、エルフの内では、グレイ・ファルコンを弓で仕留めることが出来るようになると、狩りの腕前も達人であると言われているらしい。
“いや、まあグレイ・ファルコンの倒し方についてはかなり反省しておるというか…”
巨大な土壁でハエ叩きにしたのだ。それは確かに、弓術師たちに謝るべきだろう。
「いえいえ、あの高速のグレイ・ファルコンを目視でとらえるなど、並大抵のことではありません。尊敬いたします。」
そう言ってはばからないユグドに、若干困ってしまうテレスタ。
“細かいことはいいから、ちょっと息抜きして遊びましょ!”
テレスタの周りをクルクルと舞うルノはどんな話もお構いなしだ。そもそも、この森は何なのか、と疑問に思うテレスタだが、冥魔術の視点からシェオルが見る限りでは、現世と精神世界が非常に近しく結びついている点であるという。精霊は本来精神世界のさらに上層にあたるスピリットの世界に存在するので、現実世界では魔素による媒介無しに顕現することは非常に難しい。その点、こういったそれぞれの世界のレイヤーが交錯する特異点においては、その縛りから解放される、という訳である。
「ルノの仲間がこんなにも沢山いるなんて、私も風使いとしては嬉しいわ。」
ミスティは自身の右手の指にちょこんと座ったシルフィードを見つめ、笑みを浮かべる。
「こういった場所は人間族にとっては非常に方向感覚や時間間隔を惑わせやすく、たいていの場合は森の外へと自然と出てしまっているために、今の今まで伐採や開拓の憂き目に遭って来なかったと言えます。私達エルフやダークエルフはスピリットと近しい部分が多分に有りますので、この森を通過するのにさして苦労は無い訳です。」
“そう言われてみれば、私の連れているメンバーは人間族は一人もいないな。この森を通過するのに、たまたまにせよこういった仲間が集まったのは、幸運だったのだろうな。”
「そうね、もし人間族の仲間にこの森へ踏み込んでもらいたい、何てことになったら、きっと精霊魔法を習得して精霊と契約してもらわなければならなかったでしょうね。」
カーミラの言葉に一つ頷く。人間族とは、本当に自然やスピリットとは隔絶した存在なのだろうな、とテレスタは改めて思う。だからこそ、東側では魔素喰いなどという兵器を開発して数年で世界を破たんさせてしまうようなことも起こるのだろう。あれは、言ってみれば人間の恐怖と欲望の権化だ。
結局人間は、何か欲望であるとか恐怖であるとか怨恨であるとか、そういったものを原動力にするきらいがあり、それが自然との不調和をもたらしている、という事なのだとテレスタは考える。自然の中に在って怨恨を感じるのは難しい。調和の中に在って、欲望を感じるのは難しい。
冥属性の魔術の適正者が人間族に殆ど居ないことだって、結局はそういう事なのだろう。あれは高度な調和と一体化を必要とする。だが、人間の心は如何にも移ろいやすく、冥属性を操作するだけの広い視野を持つことが出来ない。
ふと、テレスタは、遥か以前に聴いた言葉を思い出している。
「あなた自身のために、人間を救ってください。たとえ貴方に害意が向けられた時も…」
あれは、確か生まれてそう時間が経っていないとき、イネアの村で聴いた言葉だ。
その意味については測りかねる所があったけれども、今は全てではないにせよ、その意味が解り始めている気がする。害意というのは、もしかするとその欲望の権化かも知れない。人間を救うとは、表面的なやり取りではなく、一度切れかかってしまった人間とスピリットを繋ぎなおす作業の事を指すのかもしれない。その繋がりが元に戻ったとき、この世界はどのように拓けていくだろうか。
「テレスタ?また考え事?全く、今は蛇だから解らないと思わないでよね。きっと眉間にしわが寄ってるわよ。」
カーミラも良い加減テレスタの表情や癖に慣れてきたという事なのだろう。話を聴いていなければ、直ぐに解ってしまうものの様だ。
“う、面目ない。ちゃんと話は聴いていたつもりなんだけども。”
「カーミラは、凄いわね、テレスタが考え事をしてたかどうかなんて、私には全然解らなかったわ。」
と、ミスティ。脳筋の彼女の方が余程話を聴いていないからかもしれない。そこにはカーミラも思うところが有ったようで、
「あはは、ミスティに注意されるようになったら、テレスタも良い加減癖を直した方が良い時期かもね?」
「む、カーミラ、それはどういう意味よぅ。」
町娘形態のミスティはほっぺたを膨らませて怒る。中々に愛嬌がある。後ろで思案顔のオリヴィアには、取りあえず何も話しかけないでおこうと思うテレスタ。大方、テレスタの癖を見抜こうと色々考えている所なのだろう。
「皆さん、ご歓談中すみませんが、森の出口に近づいて来ました。森を出ると気温がグッと下がりますから、防寒の用意をお願いしますね。ここまで来れば、エルフの里までは後2日といったところです。」
ユグドがこちらを振り返りながら案内する。
“じゃあ、このあたりから国境を越えてロンディノムからガラハッド王国へと入って来たってことになるのかな?”
「そうですね、人間の定めた国境によれば、そのようになります。とは言え、国境の殆どはキッド山地で区切られていますし、一番西の端はこの森とウロマノフ台地ですから、私達エルフにとっては在って無いようなものですけれどもね。」
そう、一般的にはロンディノムにからガラハッド王国に入国するには、ロンディノム東端のアルダーから北上し、ガストラ山脈とキッド山地のちょうど境にあるソノレル峠を越えて行かなければならない。峠を超えた所に関所があり、そこから山道を1日、平地を2日歩くと、ガラハッド王国の王都セレウキアに着く形になる。余談だが、ガラハッド王国は主に東側が栄えており、エルフの里がある西側は人間族の集落は数える程度しかない。北限の環境が厳しく、農作物が育ちにくいという事が一つと、ロンディノムとの貿易が国の屋台骨を支えるほどに大きな経済の源泉となり、王都付近に移住するものが後を絶たないという事があげられる。かつてロンディノムと激しい戦争を繰り返していた頃は大陸西側が王国の中心であったが、以上のような理由から50年ほど前に遷都があり、それ以降西側は一気に過疎化が進んでいた。
“いいのかな?なんかこう、国境警備みたいなところを通らなくても?”
テレスタは若干の疑問を呈するが…。
「そもそも私たちはロンディノムの国民でも無いんだから、いいんじゃないの?」
ミスティが事もなげに言う。確かに、そりゃそうか。
「私達エルフも、ダークエルフの皆さんも、結局国という概念に縛られる存在では有りませんからね。」
国、というのもまた、人間族が創り出した感覚なのだろうなぁ。利害が在って、対立や融和が在って。お互いを支え合う、だけでは人間族には足りないのだろうか?
テレスタは答えの無い疑問を抱くのだった。




