熱帯雨林の村。
‐‐‐ハッ!ハッ!ハッ!
熱帯雨林特有のまとわりつくような空気。気温は、森の創り出すうっそうとした木陰にもかかわらず、30度をくだらないだろう。湿度は100%、誰も運動をしたいような環境ではない。
そんな中を、走り抜ける影が一つ。人間の足では有り得ない高速の移動をしながら、森の起伏に富んだ地面をものともせずに、進んでいく。
風に流れる銀色に少し黄土色が混ざったような髪は肩口でボブに切りそろえられ、前髪は汗で額にまとわりついている。相貌は深いビリジアン、二重瞼だが少し吊り上がっており、気の強そうな眼光を纏っている。肌の色は褐色で、特徴的な尖った両耳。スレンダーで無駄のない、形の良い双丘とクッと括れたウエストは、サテンのような素材の組み合わせでできたタンクトップで強調され、町で見れば10人が10人振り返るほどの眩しさを放っている。下半身にはシャツと同じような素材のホットパンツに、植物の蔦で編み上げたであろうサンダルは、熱帯雨林の地形でも動きやすく、脱げにくいよう足首の上までしっかり固定できるようデザインされている。
しかし、そのサンダルを殆ど地面につくことなくまるで空中を泳ぐように進む彼女の表情は、恐れと焦りでひきつっている。
(ど、ど、ど、どうしよう。。。何とか、何とかしないと!)
「ジギャアアアアアアアアア!!」
内心で焦りに焦る彼女が思うと同時に、直ぐ背後から背筋も凍るような咆哮が轟いた。
‐‐‐‐‐
時は1日程前に遡る。
ここは魔素の源泉から徒歩で半日程度の距離にある、ダークエルフの村。村名はイネアという。ダークエルフは森とともに暮らし、森を支えることを目的として生きる、奔放で穏やかな正確の種族で、そのほとんどは小さな村を拠点としながら、熱帯雨林の奥深くでひっそりと自給自足の生活をしている。
静かな森林に囲まれ、悠久の時を揺蕩いながら生きるのんびりとした毎日をおくっている村だが、現在その村を覆っている空気は日常のそれとは少し違って重苦しい雰囲気を纏っていた。
「…長老の容体は、安定しないのか?」
「いや、昨日に比べれば少し治まってきているようだ。安心、というレベルじゃないが…」
「そうか。また、しばらくは様子見だな。」
「ああ、すまない、皆の力になりたいのだが…」
「なに、気にすることは無いさ。むしろお前はよくやってくれているよ、ムルク。」
木の根や幹が驚くほど複雑に網合わさって出来た直径10メートル、高さ5メートルほどの空間の中で、二人のダークエルフが話し込んでいた。その二人の前には、女性のダークエルフが木でできた寝台に横になって、薄らと脂汗をかきながら眠っている。長老、と呼ばれているにも関わらず、その外見は20代の女性にしか見えない。
ムルク、と呼ばれた男はその女性の枕元に屈み込み、心底彼女の事が心配だという表情を浮かべてその顔を覗き込みながら、わずかにため息を漏らす。
「有難う。もう一度、森に話しかけてみよう…何か答えをよこしてくれるかもしれないから。」
「無理をするなよ、もう何度も話しかけて、魔素もそんなに残っていないのだろう?」
「それは、そうなのだが。このままではなぁ」
「今のところは少し休んでも罰は当たるまいよ。なにしろ、今森の声を聴くことが出来るのはお前だけなのだからな。私たちにもそれが出来たら良かったのだが。」
「…うむ、ではお言葉に甘えて、少し休むことにするよ。有難うフレッド。」
ムルクはそう言うと、もう一度寝台の女性を一瞥すると部屋を退出していった。
フレッドと呼ばれた男は、ムルクの背から視線を女性へと向けると、彼女の額に浮かんだ玉のような汗をぬぐってやる。
「母さん、はやく目覚めてくれ。村の皆も待っているから。」
「ムルクさん、おばあちゃんの容体はどうですか?」
長老の部屋から退出したムルクを待ち構えていた影が、憂いを抱えた表情で話しかけてくる。
「ああ、カーミラか。そうだね。一進一退、という所だよ。昨日よりは良くなっているが、明日どうなるかは私にもわからない。」
「そう。。。何か、私に出来ることは無いかなぁ。。。」
「そうだな…そうやって心配をして、病気が一刻も早く治り、元気になるよう祈ってあげることが、カーミラの一番の仕事だろうな。孫からの祈りだ、きっと届くだろう」
「そう、かなぁ。」
相変わらず心配な表情を崩さないカーミラに、ムルクはどうしたものかと思案する。祖母が病に倒れ、それの原因が何だとも掴めていない状況であれば、どんな言葉も彼女の心をなだめるには力不足だという事が解っているので、「じきに良くなる。」などと安請け合いも出来かね、かといって彼女の心痛をそのまま放っておくわけにも行かない。
「…また、少し休んだら森の声を聴きに行って来よう。よかったらカーミラも一緒に来るといい。もしかすると、何か答えを得ることが出来るかもしれない。」
少しでも彼女の気が紛れるなら、そういった親切心から出た言葉だったが、
「本当ですか!?おばあちゃんのためだったら、私頑張ります!」
…話を聞いていたのか、いなかったのか良くわからない返答を返され、これはちょっとマズったかも、と内心頭を抱えたムルクだった。
夕刻、木の根を利用して出来たドーム型の家々から夕餉の煙が立ち上る中、ムルクとカーミラは村のはずれにある大樹の祠へとやって来ていた。代々長老や村長と呼ばれる者はこの大樹を通して森と話すことができ、村の重要事や祭事を決定するときは常にこの場を訪れ、その言葉を聞いて物事を決定していく、というのが古くから伝わる伝統である。
ただ、現在はその長老が病に倒れ、この村で唯一森の声を辛うじて聴くことのできるムルクが代わりにこの場所を訪れ、今後どのようにすれば良いのかを森に話しかけて、その返答を待っていた。今朝の早い時刻と、昼過ぎにもそれぞれ1度ずつ森に話しかけてみたものの、ムルクの魔素がほとんど尽きてしまうまでの時間を使っても尚、森から何かシグナルが返ってくることは無かった。
「森よ、悠久よりの友よ。我がはらから、我が血を分けた兄弟たちよ。その声を、その御霊を、我に届けたまへ。」
ムルクは厳かに詠唱する。その魔素の流れに反応して、確かに大樹の祠はキラキラと輝く。が、森の声は一向に聞こえてこない。
(今日もまた、なしのつぶてなのか…)
ムルクは内心ため息を吐いて、独りごちそうになる。瞬間、隣に立っていたカーミラがビクッっと身体を震わせた。何が起こったのか解らずに、きょろきょろと辺りを見回している。
「ムルクさん、森が、話しています!聴こえますか!?これが森の話ですか!?」
カーミラは興奮したように早口でムルクに話しかけるものの、ムルクには何も聞こえていない。一瞬首を傾げるが、ともかくカーミラが何か聴こえているのならば、それを逃してしまう手は無い。急ぎ、彼女に指示を出す。
「カーミラ、私には声が聞こえていないが、ともかく森の声が聞こえているならそのことを余すことなく伝えてくれ!」
「は、はい!…ええっと、おばあちゃんの病気は…魔素の、枯渇によるもの…魔素を、求めなさい。」
「魔素の枯渇?」
「え、ええ、そう言っています。あ、それから!病気の原因は…魔素の流れを遮断する毒物…みたい。」
「魔素の流れを遮断する…そんなもの、聞いたことが無いが…わかった、魔素の枯渇の治療に関しては心当たりがある。ともあれ有難うカーミラ、おかげで助かったよ。」
「お力になれて、嬉しいです!」
ムルクがそう返事をすると、カーミラはニッコリと破顔した。同時に大樹の淡い光は消え去り、何事もなかったかのようにもとの静寂へと包まれた。
(魔素の枯渇…外から魔素を取り入れるのであれば、アラムの源泉まで行かねばならないな。今は乾季、魔獣の活動はそれなりに抑え込まれているだろうが…源泉の水を採取してくるチームを選抜しなければならないだろう。今晩中に会議を開いて皆の意見を纏めなければ。)
頭の中を素早く回転させていると、隣のカーミラが話しかける。
「ムルクさん、まだ、私にも出来ることは無いですか!?」
…すでに事態の収拾方法に若干気付き始めている様子のカーミラが、源泉に突貫するのをどうやって止めるか、ムルクはまたも内心で頭を抱えた。
熱いですねー。
毎日更新して、手を止めないように。
明日だけお休みしようと思いますー。