冥属性。
冥属性魔術は、人間族の間ではかなり珍しい属性の魔術として認識されている。珍しい、というよりは適正者が殆どおらず、伝承になってしまっているきらいがある、といった方が正しいだろうか。その所為か否かはわからないが、冥属性を光属性と対になる属性と判断するものも多いが、実際にはこれは誤りである。
光属性というのは光に関係するすべての現象、つまるところ一般の人々がイメージする冥属性の現れたる闇も操るということになる。そういう意味において、光属性は対立属性を持っていないと考えられる。
同じようにして、冥属性もまた、闇を従える属性ではなく、浅いところでは思考、そこから派生して精神、そしてさらに深まっていけばスピリットへの干渉、そういったいわゆるスピリチュアルな現象すべてに干渉することのできる対立属性を持たない属性、ということが出来るだろう。
さて、テレスタが冥属性を覚えることが出来るかも知れない、と考えたのはこの「思考」や「精神」への干渉と、「魅了」や「中毒」の毒属性が非常に現象として近しいと理解できたからで、その毒を使った相手への干渉を手掛かりにして冥属性のイメージを掴んでいこうと思ったのが切っ掛けである。
「ううむ、毒属性はあくまで毒属性、か。」
覚えてからまだ数度も使う機会の無かった術式【トキシック・ブレス】を連発しながら、相手の様子を観察するテレスタ。この術式はそれなりに凶悪で、魅了を受けている相手は実際のところ猛毒の筋肉毒も受けており、相手の言いなりになりながらも体組成が崩壊するという特長を持っている。
まあ、それで躊躇をするようなテレスタでもない。相手は魔獣なのだし、そのまま食事に供するものでもあるわけだから。今は懐かしのウォーバットに試してみたところだが、【トキシック・ブレス】の威力が高すぎて損傷が激しく、イメージを膨らませる前に相手が絶命してしまっている。
「大将、これじゃ虐めてるようにしか見えんぜ。」
「それもそうか。もう少し泉の西側に移動するか。」
アグニのいう事ももっともだ。さした戦闘も無く練習出来ればと思っていたのだが、自分の毒魔術が思いのほか強力になっていたために、CランクDランクの魔獣ではそもそも訓練の埒外になってしまったようだった。ウォーバットの死骸をモリモリとかじりながら、テレスタは泉を泳いで西へと向かっていく。
(魔獣を魅了できたとして、次はそれを傀儡にする必要がある。で、そのうえで思考に干渉していく。ダークエルフの記録で読んだ冥魔術の性質から考えると、思考に干渉するのが魔術的に一番程度が低く、スピリットに干渉するのが最も高いようだ。要するに、すっからかんの頭であるほど冥魔術の腕前が低くても作用するということになる。)
テレスタはそんなことを考えながら眼前を見やる。野生のヒュドラ。毒属性にはある程度耐性があるが、魅了についてはおそらく抗体は無いだろう。再生能力も高いし、実験台としてはバッチリである。
「大将、悪い顔してるぜ。」
「アグニ殿、これも必要なこと。目を瞑りましょう。」
「…諾。」
「あんまり残酷なのは…。今更かなぁ。」
「兄貴の好きなようにしたら、いいと思うぜー。」
うむ、今後の為だ。目を瞑ってくれ。お主の死は無駄にせん。名も無きヒュドラよ。
そこからしばらくは、魅了したヒュドラの頭を魔術的に操作することだけに費やされた。ヒュドラの再生能力を駆使して、何度もその思考にアクセスしては失敗し、首を斬り飛ばし…また再生。
殆どというか、まるっきり悪役である。だが、そのおかげで徐々に見えてくるものがある。
(冥属性の座標はこの世界上には無いらしい。所謂メタ世界、人間族が魔素を門から取り出す前、その純粋なエネルギーの世界の上にあるようだ。それで、その一番表層にあるのが、思考。個体ごとに完全に分かれたその個体に由来するモノ、その上の層にあるのが、精神。個体の区分があいまいになり、お互いが付いたり離れたりしている。そして、そこからさらに上にスピリット。お互いの区分が殆ど無くなり、「私」と「相手」の区分が著しく失われている場。ここに干渉しようとすると、自分自身も否応なく書き換わってしまう、そのくらいパワーを持っているフィールドだな。それが出来るかどうかはまた別の話だけれど。)
ヒュドラを捕まえて二日二晩、ようやくテレスタはそこまでやって来た。他の属性と比べ、そもそもイメージするのに何と時間のかかる魔術で有ることか。しかし、メタ世界の座標が明らかになるにつれ、干渉すべき対象は目に見えている相手以外にも存在するという事が解るようになってくる。
(そこら中に、精神体のようなものが浮いているな。この世界に重なるように、メタ世界上に。ああ、精霊魔法というのはこういうもののうち実体化出来る者を使役しているのかもしれない。それに、精神体も単なる欲求の塊から、精霊に至るまで、かなり多層的に分かれて存在している。この辺のどれに干渉をかけていくかで、引き起こされる現実が変わるわけだ。一番低い食欲とかを引っ張り出せば肉体を維持するのも難しいアンデッドが生まれるかもわからないし、非常に高い精神体を使役できれば、森の声なんかも実体化させて精霊としてこの世界に顕現させることが出来るかも知れない。)
だが、いい加減自分の理解の限界が近くなってきた。徹夜の影響もあるだろう。テレスタは最後に冥属性の術式を一番干渉の簡単な「食欲」に対して展開した。
「ジュラアアアアア!」
呼び出しは成功。で、そこに現れたのは…アンデッドと化したヒュドラの姿。
「ああ、すまないな、最後まで利用してしまって。」
「大将はやることがえげつねぇよ。」
「主よ、流石にこれはどうかと。」
「…哀。」
「もうお墓に戻してあげようよー。」
「ブラックだねぇ。」
まさか今しがた美味しくいただいたヒュドラが直ぐに呼び出されてしまうとは…まあ近くにあった欲求を思い切り引っ張り出しただけだから、こういう事が起こるのかもしれない。ともあれ自分の眠気も限界だ。その辺の警備は彼に任せて、テレスタはその場で眠ることにした。
「あとはよろしく頼むよ、ヒュドラ君。」
そう言うと、あっという間にテレスタの意識は闇に沈んでいった。
翌日、起きてみると、相変わらずヒュドラは眠らずに周囲の警戒をしていてくれたらしい。術式が一度組まれると、半永久的に効果を持ち続けるものであるようだ。術式による呼び出しの瞬間に非常に大量の魔素を消費する代わり、その辺りは使い勝手がいいと言えるかもしれない。
アンデッドなどただの欲の塊を使役するだけなら、何とか複数体呼び出すことも出来そうである。特にこの場所はヒュデッカ。幾ら呼び出しても魔素が湧き出しているのだから、ここの守りを固めるためにはうってつけの魔術だと言える。
「多少、見栄えが悪くなってしまうが、そこのところは目を瞑ろう。居城の周囲をアンデッドに守らせれば、取りあえず荒らされることも無いだろう。」
言うが早いか、テレスタは毒牙の泉を西へ進み始めた。居城周りを固めるには、ヒュドラよりももう少し頼りがいのあるアンデッドを何体か揃える必要がある。どうやら、この世界の生物は死亡した直後はしばらくこの世界で肉体があった座標近くに欲や思考、精神が漂っているようだから、高ランクの魔獣を他の属性の訓練に充てつつ、それを倒したら冥属性でアンデッド化して使役、という流れが手っ取り早く今回の目的を達成できてよろしかろう、という訳である。
(そのうちサマエルを全員使役、なんてやってみるのも悪くないかもな。)
ニヤリ、と思わず口角を上げるテレスタ。他の地域も冥属性で守らせれば、各地の管理はかなり楽になるだろう。冥属性魔術によって、テレスタの本格的な執行者の仕事が始まったわけだ。
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