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毒牙の泉  作者: たまごいため
パラ大平原と亜竜
55/105

救い。

 真っ暗な中から、何かに引き上げられる。ゆっくり、ゆっくり。光は無い。ただ、それが暖かいものであるという事だけ、伝わってくる。


「…お母さん?」


 返事は無い。ただ、暖かい。すべてを受け容れてくれるかのような、柔らかな抱擁に包まれている。


「お母さん…ごめんなさい。私、お母さんを守れなかった。本当に傍に居なければいけないとき、私は、私は…。」


 静寂が返ってくる。しかし、そこに害意は微塵もないようだった。

 身体の感覚は無い。ただ、涙が流れていることだけは解る。

 あの時、闘いに没頭して、逃げることだけ考えた私。

 自分だけが助かりたい一心で、母の事など顧みもしなかった。

 そして、その結果が、母の無残な死。

 すべて私が悪い。私が、もっと強かったら。私の心が、もっと強かったなら。

 何を、どう言ったって足りない。どんな罵詈雑言も、私には足りない。


「ミスティ。貴方は十分に良くやってくれました。貴方は私の自慢の娘よ。」


 静寂の向こう側から、不意に暖かい声が漏れた。


「お母さん!?」

「だから、もう自分を許してあげて。貴方を今責めているのは、あなただけなのよ。」

「でも…私は…」

「よく聞きなさい、ミスティ。貴方は自分が強くなきゃいけない、なんて言っているけどね、それは本当?」

「!?」

「あなたは、そうやって自分を虐めているだけ。本当はミスティは繊細な女の子だって事、お母さんは知ってるんですからね。」

「だから、私は強くなきゃいけなかったのに!私が強ければ、みんなを守ることが出来た!」

「どうかしら?そうだったかもしれない。でもね、それは絶対に本当だと言い切れるかしら?」

「そ、それは…。」


 私がもっともっと強ければ、すべて守れた、などと言いきれるだろうか。私は全て守りたい。


 長い逡巡があった。認めたくない、でも…答えは否だ。絶対に本当だとは、とても言い切れなかった。どんなに強い人の手からも、守るべき対象はこぼれてしまう。そう、父がそれを守り切れなかったように。


「ミスティ、よく聞いて。もしも、強くなきゃいけないって言葉が嘘だったとしたら、どうかしら?貴方は強くなきゃいけない、そう考えるとき、どんな感情を持つの?」

「それは…情けなさだったり、怒りだったり、悲しみだったり、辛い感情がいっぺんに湧いてくるよ…。」

「じゃあね、ミスティ、もしも、強くなきゃいけない!って言葉を、貴方が全く持っていなかったら、その言葉を想像することすらできなかったら、どういう気分になるかしら?」


 何を、言っているのだろう?強くなきゃいけない、という言葉を、想像できなかったら?


「あなたが、強くなきゃいけないって思った場面を想像してみて…あなたがその時、強くなきゃ、って、思いもつかなかったら、どんな気分でしょうね?」


 私が誰かから石を投げつけられている。私は強くなきゃって思う。でももしそれが無かったら?石は確かに痛いけど、心の方が、ずっと痛んでいた。それは、村の皆の言葉が酷かったから?いいえ、それは私が自分を弱い、もっと強くなければ、と自分の心にナイフを突き立て続けたから。もしも、それが無かったのなら…


「…それは…解らない…でも、凄く楽な、解放されたような感じ…。」

「そ、ミスティ。そういうことなの。貴方はね、あんまりにも強くならなきゃって思い続けてきたから、周りに貴方の弱さを突きつけるような事が、たっくさん起こってしまったの。そうすると、もっと強くなきゃ!って思うでしょ?でも、それは嘘だったのよ。貴方は、別に強くても弱くても、どちらでも良かったの。そして、貴方はどちらでも、私の愛するミスティなのよ。」

「お母さん…。…う、うえっ。」


 ミスティは泣いた。いつ以来だろう?こんなに暖かい涙を流したのは。慈しみにあふれた涙を流したのは。この空間は母の愛に満ちていた。

 そのまま、ミスティは気が済むまで泣いていた。


 どれくらいの時間が過ぎたろう?ミスティの涙も止まったころ、母は言った。


「いい子ね、ミスティ。でも、そろそろ時間みたい。ただ、安心して。お母さんは、いつでもここに居ますからね。また、会いたくなったらここに来なさい。」

「お母さん!でも、私はここにどうやって来たか、知らないのよ!」

「大丈夫よ、いつでも、繋がっているんですからね…。」

「待って、まだ話したいことが沢山…!」


 突然、フワリ、と柔らかな光が闇に満たされていた筈の空間に広がった。不意にミスティの意識は途切れ、全てが暖かい光に包まれた。






 重い瞼を開く。石の天井に、魔術陣が描かれている。お父さんの、城? アタシは、何をしていたんだったか。でも、何となく、とんでもない重さだった何かをゴッソリどこかに捨ててきたような、清々しさがあった。


“おお、目が覚めたみたいだな。”


 念話が頭の中に響く。腕を使って起きようとするが、上手く起き上がれない。両腕に鈍い痛みが走る。


“ああ、まだそのままでいい。戦闘で両腕が逝ってるからな。回復魔術で治療は施したが、まだしばらくは痛みもあるだろう。”


 言われるままに再び寝転がると、念話を送ってきた先に視線を向ける。そこには1メートル大の蛇が一匹。その後ろに、ダークエルフの女が立っていた。


「ああ、そうか。アタシは負けたのか。」


“魂を燃やし尽くして死ぬ、とか言ってたが、生かしてしまって済まないな。”


 蛇は何故か申し訳なさそうに言っていた。こっちの都合に付き合ってもらったんだ、むしろ有り難い位なのだが。


「…いや、謝るのはアタシの方だね。悪かった。アタシのエゴに付き合わせてしまった。」


 妙に物分かりの良くなっているミスティに、拍子抜けをしてしまったようなテレスタ。代わりに、怒りをあらわにしたカーミラが食って掛かる。


「悪かった、で済むわけないじゃない!アンタ、テレスタを殺しかけたのよ?解ってんの?」


 ものすごい剣幕だった。ミスティは寝転がったままだったが、それに対して身じろぎもせずにカーミラを真直ぐに見つめ返し、言った。


「ああ、本当に、悪かったね。あんたの言うとおりだ。アタシの出来ることなら、何でも償いをするよ。」


 ミスティは全く裏表無い表情で、そのような事を言った。これには逆にカーミラも面喰ってしまい、


「え、ええ、そうね。解ればいいのよ。」


 などと、毒気を抜かれてしまうのだった。


“それにしても、豹変したな?戦闘中はあんなだったのに、何が起こったらそうなるんだ?”


 テレスタはそのことを疑問に思う。闘いの最後には冥土の土産とのたまっていたミスティだ。はっきり言って別人も良いところである。


「アタシにも、よくわからないんだけどね。要するに、アタシの所以たる、強くなるための闘争、が終わったんだという事だよ。」


 結局聴いてもセンの無いことだった。本人にも良くわかっていないようだし、部外者であるテレスタやカーミラに至っては、余計に何のことだか解らない。


「ともかく、礼を言わせてくれ。私と全力で闘ってくれて有り難う。それに、雷電変化を使った後で自分の身体が五体無事なんてまず有り得ない。これだけの治療、生半可な魔素では出来なかったはずだ。わざわざそこまでして貰ったことにも、礼を言うよ。有り難う。」


 ミスティにとって、魔素は希少な資源で、枯渇寸前という認識があった。それを、敵対し、殺そうとしていた自分に対して回復魔術という形で惜しみなく使ってくれたのだ。礼を言うだけでは利かないほどの借りが出来てしまったな、と彼女は思う。


“ああ、それは構わない。ヒュデッカは魔素に満ちているし、そこからかなりの量の霊水も持ち込んでる。それより、この闘いも私の勝利で終わったわけだし、約束していたかつての竜族の話、聴かせてもらってもいいか?”


「ああ、もちろんだ。私の知っていることは全て話そう。」


 そういうと、ミスティは訥々と話し始めた。竜王のこと、竜族のこと、大厄災のことを。


いつも有難うございます。

心の解放、描くのが難しいですね。

抽象概念を文字に落とすのって、面白いけど、

凄く繊細ですねー。

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