旧き良き時代。
「ミスティはね、大きくなったらお父さんのお嫁さんになるの!」
「ははは、有難うミスティ、それは楽しみだなぁ!」
瞳を大きく開いて満面の笑みで見つめるミスティ。そのミスティが話しかけているのは、身長2メートルはあるかという大柄の男。金色の頭髪を短く切りまとめ、耳の横から1対の角を生やしている。
「ミスティ、お父さんはお母さんと結婚してるのよ。お母さんからお父さんを取り上げちゃ、やーよー?」
「えー、お母さんだけずるい!私も結婚するの!」
男とミスティを挟んで反対側には、朗らかに笑う一人の女性。一見して農家の出身であると解るその朴訥な雰囲気の彼女は、黒い髪の毛を後ろでまとめている。男とは違い、彼女は角も生えておらず、器量は整っているもののごく普通の人間族の女性であった。
ここはパラ大平原。大陸でも最大の規模を誇る巨大なステップだ。その気候は温暖湿潤で、豊富な農作物が年中実り、多くの人間族が暮らす大陸でも最も住みやすいと言われる土地。その土地には王侯貴族はおらず、ただ一頭の竜王のもと、多くの竜族と人間族が手を取り合いながら生きる理想郷であった。
「竜王様、申し訳ありませんが、報告が上がってきたようです。」
3人家族のすぐ後ろに控えていたドラゴニュートの男が、父親に声をかける。父親はそちらを一瞥し一つ頷くと、すぐに娘に向き直った。膝を曲げ、腰を下ろして娘に諭すように口を開く。
「ミスティ、すまないがお父さんはお仕事に行ってくるよ。夕飯までには戻るから、母さんと買い物を済ませていい子で待っていなさい。」
「えー、やだぁ。今日は一緒にお買い物する約束でしょー!」
地団太を踏んで駄々をこねるミスティに、少し困り顔で苦笑いする父。
「すまないな、ミスティ、じゃあ今度風魔術の使い方を教えてあげるから、それで許してくれるかい?」
「え!?ほんとう!?約束だよ!」
「ああ、もちろん、本当だ。約束しよう。」
「わぁい、お父さん大好き!!」
ミスティは父に飛びつき、父もまたそのミスティを両手で受け止めてやる。ギュっと抱きしめるとふんわりと風に乗って小麦のような香りが舞った。
「じゃあ、行ってくるね。」
「行ってらっしゃい!」
「あなた、夕飯はご用意して待っていればいいのかしら?」
「ああ、それで頼む。そんなに遅くはならないから。」
ニッコリと笑う母を抱き寄せ、軽くその額にキスをすると、竜王は執務している居城へと足を向けて歩き出した。控えていた何人かの部下も、それに続く。その大きな背中を誇らしげに見つめるミスティ。お父さんはこの世界の誰よりも凄いんだ!その瞳は周囲の人々にそう語っていた。
ミスティは竜王と人間族との間に生まれた子だ。この時代、そういったハーフは以外にも多く、竜族と人間族の結婚はそれなりに一般的なこととしてパラ大平原の村々では受け入れられていた。そして生まれてくる子供はたいていの場合竜族の力を色濃く受け継いだ精霊のような性質を宿して生まれてくる。
このような子供たちは日常的には人の姿をしているが、竜化の力を持っており、かといってドラゴニュートのように完全な竜化をすることは出来ない。彼らは亜竜と呼ばれ、当時は一種族を形成するほどの数で存在していた。特にパラ大平原は人族と竜族の交流が盛んな地域であったから、世界的に見ても亜竜が多く暮らす地域であった。
竜王の間では、円卓に数人が腰掛け、眉間にしわを寄せて思考を巡らせていた。上がってきた報告は、案の定あまり良いものでは無かった。
「…やはり、ここ数年で明らかに魔素の濃度が落ちてきている。農作物の連作もひとまず中止し、土地を休ませる時間も取っているというのに、地力も明らかに弱ってきているようだ。」
竜王は思案する。人口が極端に増えたわけでも無い。河川の灌漑工事や、無理な開墾を行ったわけでも無い。だというのに、土地の力は落ち、何よりその土地の力の源である魔素の濃度が年々下落傾向にあることが報告からは伺える。
「何か、具体的な原因究明の手立て、あるいは原因そのものの特定は進んでいないのか?」
竜王の問いかけにも、円卓を囲む面々は沈黙したままだ。
「恐れながら、ラームジェルグ様。他の竜王様の状況はどのようになっているのでしょうか?」
配下の一名が、円卓につく者達の全員が懸念している事について、口にする。ラームジェルグは簡潔に応える。
「この報告の内容をうけ、場合によっては竜王達と交信することに決めていた。先ほどそれを終え、全般的に見て、ここパラほどでは無いにしても、他の地域の魔素も減少傾向にあるようだと解った。特に酷いのはジュラ砂漠で、そこだけはパラよりも大分深刻な事態を迎えていると見える。平常通りの魔素濃度の保っているのは、ヒュデッカのみのようだ。」
竜王の言葉に、全員が同時に唸る。どうやらパラ大平原だけの問題では済まない、この世界を包む大きな厄災が眼前に迫って来ている、そのように思われた。
「…しかし、可及的にこの土地の人々の暮らしが脅かされるわけではない。少なくともこのペースを見れば向こう10年は生活していけるだろう。その間に対策を練り、住民にも周知を図っていくほかあるまい。」
龍王のそのような言葉で、会議は特段の実りも無く、淀んだ雰囲気のまま解散することとなった。
翌朝、ミスティは早速早起きして、ベッドで横になる父親に飛び乗った。
「ねぇ、お父さん!朝だよ!風の魔術を教えて!」
「…ああ、ミスティ、おはよう。まだ早いんじゃないか?」
眠気で目の開かないラームジェルグの上に跨り、飛び跳ねるミスティ。
「おはよう、お父さん!もうお日様が出てきたよ!早くやろう!」
朝から娘に飛び跳ねられ、否応なく目覚めた彼は、のっそりと寝床から起き上がり、一度大きく伸びをする。
「ウーーッン…仕方ない子だな、ちょっと着替えるから、そこで待ってなさい。」
「わぁーい!」
ミスティは満面の笑みで応えると、部屋の隅にある椅子にちょこんと腰掛け、父親が着替え終わるのを今か今かと待っている。その間にもクローゼットから衣服を取り出したラームジェルグは、寝起きの緩慢な動作でのそのそと着替えていく。
「お待たせ、ミスティ。外に出ようか。」
歩き始めたラームジェルグ。ミスティは大きく頷くと、ガチャッと部屋の扉を開けて出ていく父親にちょこちょこと付いて出て行った。
「メイおばあちゃん、おはよう!」
「ああ、おはようミスティちゃん。今日は早いね?」
「うん、あのね、お父さんに風魔術を教えてもらうの!」
「へぇ、そりゃいいねぇ。気を付けて行ってくるんだよ。」
「うん、行ってきます!」
「ラルフおじさん、おはよう!」
「ああ、ミスティちゃん、おはよう。ニコニコして何かいいことがあったのかい?」
「うん、これからお父さんに風魔術を習うんだよ!」
「おお、ラームジェルグ様から?それは羨ましいな。」
「えへへ、いいでしょ?…あ、お父さん待ってよー。」
「マロンさん、おはよう!」「カチュア、おはよう!」「アミちゃん、おはよう!」
朝の凛とした空気の中、出会う人々に元気に挨拶するミスティ。村の皆は、ミスティの事をよく面倒を見てくれる頼れる人々だ。それほど広い村でもないから、家族と言ってもいいだろう。ミスティはこの村が大好きだった。
やがて、村はずれの広場に来るとラームジェルグは足を止め、ミスティに向き直った。
「よし、このあたりでいいだろう、ミスティ、風属性の魔術を教えてあげよう。でも、ひとつだけ守ってくれるかい?これが守れないと、魔術を教えてあげるわけにはいかないんだ。」
「うん、お父さん、ミスティ、絶対守るよ!」
良くわからないけれど魔術が習えるなら、何だってしよう。ミスティは早く早く、と先を促した。
「これは大事な事だから、よく覚えておきなさい。私達の使う風魔術はとっても強いから、人々、特にお母さんのような人間族の皆を傷つけてしまうかも知れない。だから、魔術は誰かを傷つけるためではなく、みんなを守る時だけに使いなさい。ミスティの大好きな人たちを守るために、ミスティの風を使うんだ。解るね?」
「うん、お父さん。解るよ、ミスティの大事な、お父さん、お母さん、村の皆を守るのに使うよ!」
「時には、風の魔術を成長させるために試合をしたり、訓練で使う事はあるかも知れない。それは別に構わない。でも、喧嘩に使っちゃだめだぞ?」
「はい!」
「うん、いい返事だ。じゃあ、風魔術の基本を教えよう。まずは――。」
地平線から昇ってきた朝日をうけて、親子の金色の髪の毛は幻想的に光輝いていた。
いつも有難うございます。
過去と現在を紡いでいく作業、
中々面白いです。




