切っ掛けを探る。
「それで、レビウスの議長に喧嘩売って帰って来たと。」
右ひじを執務机に着き、左手で後頭部をかく。
「あんたは、面倒事を持ってこないと気が済まないタチなのかねぇ?こっちは毎日書類の山に埋もれてるってのに。」
若干瘴気を纏い始めている部長の雰囲気に、肝を冷やすテレスタ。だが、シーラは次の瞬間、フッと肩に入れていた力を抜いて、ニヤリと笑った。
「ま、貴族の連中に泡を吹かすってのは、嫌いじゃないけどね。」
この人もまた、冒険者。貴族には散々我儘ほうだいされたのだろう。事実、シーラは若いころに、依頼にかまけて「俺の女になれ」なんて平気で言ってくる貴族を相手にしないといけないこともザラにあったし、それを断るにもいちいち面倒事が付きまとった。一度なんてどこぞの貴族家の騎士団をチームで叩き潰してやったこともある。
「レビウスの連中が最終的にお前に喧嘩を売って、潰されるようなことが無いようにしないとね…。」
力関係は良くわかっている。人間は、この生き物と敵対すべきではない。それが確定事項だと解っているのは、今のところ人間族ではシーラと、ここの情報統括部のメンバー位だろう。
「レビウスの話は、この位にしておいて。」
シーラは卓上の黒い液体を飲む。モレヴィアはヒュデッカの程近くに位置しているため、非常に雨が良く降る。標高もそれなりに高い。コーヒーはこの土地の主要作物の一つだった。廉価なものはこうしてギルド職員にも回ってくる。もっとも、高級なものを飲みたいとなると、ヒュデッカを囲むようにそびえる山地から取ってこなければならない。高ランク冒険者に依頼が出るほどのものなので、流石に事務所の卓上に乗ることは無かった。
「亜竜ね。初めて聴くが、そいつがそう名乗ったと。」
「ああ、間違いない。亜竜のヴィーヴルだそうだ。過去の資料にもないだろうか?」
「その辺りは誰かに調べさせておこう。しかし問題は、その強大な亜竜がパラ大平原を根城にしてるってことだ。あんたも色々勉強してわかってきたと思うが、パラ大平原は王都メラクとこのモレヴィアを結ぶロアーヌ河が真直ぐに横切っている交通の要だ。そこを今回みたいに狙われたらたまらない。」
「今までに、そういうことは無かったのか?」
「そもそもそんな亜竜だか魔獣だかの被害が出てれば、話が来ないはずが無い。パラは馬鹿みたいに広いから今までは何も起こらなかっただけかもしれないが、それにしたってちょっと妙だとは思うね。」
シーラは思案顔だ。テレスタはそのことを聴いて、ある可能性について考える。
(うーむ、ミスティと言ったか、なぜ突然活動を開始したんだ?あまり良い予感はしないな…。)
テレスタは毒牙の居城の地下で確認した知識を思い出していた。『龍王は他の龍王・竜王達と交信し、交流し、魔素の循環をはかる者である。』現在、その循環は完全に閉じていると思われる。何しろ竜が一頭もいないのだ。王しか開くことの出来ない魔術陣は、閉じたままになっているだろう。それが先日、ようやく一か所開いたわけで、そのことが他の領域に伝わっていてもおかしくは無い。もしもオリヴィアのように次の龍王が現れるまでの守護者がその土地を律儀に守っていたとしたら、そういう連中はいち早く毒牙の泉の変化を感じ取り、何か行動を起こし始めるかも解らない。だとすると…
「おい、テレスタ、聴いているのかい?」
シーラに声をかけられ、ハッとして我に返る。現行の変化については、また居城で調べものをして確認するほか無さそうだ。
「ああ、すみません。ちょっと考え事を。もしかすると、今後こういうことは結構起こり始めるかもな、と思ってね。」
「嫌な予言をしてくれるね。今以上に忙しくなったらあたしも良い加減くたばっちまうよ。」
苦笑いのシーラ。冗談半分、しかしそれが真実なら…という真剣な眼差しも半分。そして、彼女は思う。目の前の存在が、色々な面でキーになってくるかもしれない、と。
(早いうちに人間族側に取り込んでおいたのは正解だったかもしれないね。)
目の前のソファに座り、コーヒーを初めて飲んで顔に渋面を創っているこの存在。こいつが、今後人間族にとって欠くことの出来ない存在になっていくかも知れない。シーラが長年培ってきた直観は、そう告げていた。
テレスタのその後の行動は早かった。カーミラを連れてさっさと空間転移を行い、先ずはイネアに向かって無事を報告。ミレアが歓待しようとしていたが、毎回それをされては多分村がもたないだろうし、ムルクが過労で倒れてしまうと思い、辞退する。
そして現在彼は久しぶりに1メートル大の蛇の形状になり、居城の地下で調べものをしていた。
『龍王は、眷属に力を与え、その守るべき大地を平定する。そして、そのためには魔素の門を開き、それを維持・管理していく必要がある。これによってその土地に十分な魔素が供給され、自身を含めた竜族や、眷属をはじめとしたその土地に生きるすべての者に恩恵をもたらすことが出来る。』
これでは無い。これは今やっていることだ。竜族は居ないが。
『龍王は、世界そのものの調和を図る者でもある。それは、物理的な意味でも、もっと精神的な意味でもそうだと言える。精神世界はそのまま世界に繋がっているといって良い。つまるところそれを安定させ、調和を図っていくことが、物理的な世界を調和させるという事でもある。そのために、自らの眷属を種族をまたいで増やし、それらの対立を治め、種族の融和を図っていくという在り方が期待されている。より多くの者たちの精神世界が安定することによって、世界の調和はより確固としたものになり、そこから供給される恩恵は限りないものとなる。』
これでも無い。言っていることが、良くわからない。
『龍王は他の龍王・竜王達と交信し、交流し、魔素の循環をはかる者である。竜族はそれそのものが属性を持った魔素の具現であり、それらが様々な土地で交流することによって、より活発な魔素の循環を促すことが出来る。そして魔素が循環するほど、世界には多様性が生まれ、生命が花開いていく。大陸西側に居を構える龍王は、それぞれ8カ所の居城を魔術陣を使って交信する。光は霊峰アフラ・マズダ、冥はアンガス大地溝帯、火はギルムズ造山帯、水はエクリッド氷原、土はジュラ砂漠、風はパラ大平原、毒はヒュデッカ大湿原、そして最後に無属性はウロマノフ台地。世界の西半分の魔素はこれらによって支えられ、その循環はそれらの土地を竜族が活発に交流することによって維持されている。』
ああ、これだ。恐らくこれに関わることだ。恐らく、だけれども、ヒュデッカの魔術陣が解放されたことによって、他の7カ所にも何らかの影響が出始めている。ミスティはパラの守護者を名乗っていた。ならば、他の土地にもそういった者が存在している可能性は十分にある。だが…ほかの土地の竜王はどうなっている?なぜ私だけなのだ?
ある程度の事は理解することが出来た。だが、それを紐解くと結局次の疑問が湧いてきて、この地下室でいくら史実をひっくり返そうとも、その辺りが謎に包まれたままだった。頭痛を覚えたテレスタは、いったん地下室を離れ、毒牙の泉に身を沈めて頭を冷やすことにした。
(あまりゆっくりとはしていられないな。何しろ、2つ月の新月と言ったらあと1ヵ月ではないか。調べものも程々にして、身体を動かし始めないとな。)
“テレスタ様、お呼びですか?”
岸に上がったテレスタはオリヴィアに声をかける。
「ああ、すまないが、1ヵ月以内にパラの守護者、ミスティというヴィーヴルと戦闘になる。今の私ではどうなるか解らないから、手合わせをお願いしたいんだ。」
“ミスティ…懐かしいですね、まだ生きていたのですね。誰彼構わず喧嘩を仕掛ける方でしたが…”
「知っているのか?」
“ええ、先王様がパラに赴いた際に何度かお会いしたことがあります。一度は手合わせしたこともありますが、私では届かない実力者でした。”
「本当か!?まさかそこまで強いとは…というか、奴はそんなに長生きなのか。」
“亜龍は私達と似たように、寿命という概念が希薄ですからね。”
オリヴィアはそこで一度話を切る。
“…彼女は強さで言えば、竜族にも引けを取らない方でした。およそ守護者に向くような性格では無かったと思いますが…竜巻の王が、強さだけを基準に、守護者に選んだのかも解りません。”
(竜巻の王、か。この時代にもそういう龍王がいてくれれば良かったのだが。)
テレスタは、何となくお互いの立場の解る存在がいてくれたら良かったのに、と思った。他の龍王は、竜族は、一体どうして消えたままなのか。
“テレスタ様、手合わせ、というのはどちらで?”
「…ああ、すまない、以前の縄張りが良いかと思っているが。召喚魔術はまだ使えるか?」
“いいえ、従魔は全て使い切ってしまいましたから。あれは、私の姉がこの試練の者に与えられる召喚魔術を付与をされたサークレットに収めてくれた従魔達だったのですよ。”
「そうだったのか!しかし、オリヴィアにはお姉さんがいたのだな?」
“ええ、彼女は優秀な冥魔術の使い手で、生前は沢山の従魔を創り出していました。スピリットに干渉して属性を変える、なんてことも出来る人でした。私には、何を言っているのか解らないことも沢山ありましたけど。”
懐かしむように少し遠くを見るオリヴィア。きっと仲の良い姉妹だったのだろう。その最期については、今は聴くまいと思うテレスタ。
「そうか、召喚魔獣は使えないか…そうするとオリヴィアを戦闘で傷つけるのは気が引けるな。やはり西に赴くのが良いのかな。」
“…テレスタ様、お心遣い、有難うございます。しかし、テレスタ様につけられる傷なら私は…”
などと、頬を赤らめながら念話で呟くオリヴィアに、何となく残念な気分になるテレスタ。やっぱり西に向かうことにしよう。そうしよう。
いつも有難うございます。
夏も終わりに近づいて来ましたねー。




